傭兵と遭難者③

 

 結局リーシュが家の中に戻ったのは夜明けの頃であった。

 いつの間に帰ったのか女医は居なくなっていて、代わりにテーブルの上には鍋が置かれており、中身を見てみると野菜のスープが作ってあった。

 野菜は食べやすいようにかなり細かく切られている。恐らくシスターの為に作ったのだろう。

 

 シスターは深夜の混乱ぶりが嘘のようにソファで穏やかに眠っている。

 リーシュはその寝顔を見てひと安心すると眠気が襲ってきたのでその日は寝室で眠り、起きたのはもう夕方になろうという時になってしまった。


 寝過ぎてしまったとため息を吐いて、リビングに顔を出すとシスターが起き上がって静かに座っていた。

 テーブルの上に置いてあるスープは量が減ってないようだ。

 起きてから何も食べずにジッと座っていたのだろうか。


 彼女はどうやらリビングに人が入ってきたのに気付いていないようなので、極力怯えさせない様に控えめな声でなるべく穏やかに話しかける。



 「おはよう……って時間でも無いか。体調はどうだ?」


 「……!」



 すると、彼女は少し肩を跳ねて澄んだ翠色の瞳をリーシュに向ける。

 そこには昨日のような混乱の色は無く、わりと落ち着いているようであったので、良かったと胸をなでおろすと同時にあの女医は一体どうやってここまで落ち着かせたのか気になった。

 まともに相手にされないのは目に見えているからこちらから尋ねはしないが。



 「あの、私、その……あ、あの! その……」


 「えーと、取りあえず落ち着いてくれ。腹は減ってないか?」


 「い、いえ……」



 吃り過ぎてまともに話ができなさそうなので、食事でもさせて一旦間を空けようと考えたリーシュの問いかけを否定したシスターだが、ほぼ同時に盛大に彼女のお腹が鳴ったのを彼は聞き逃さなかった。



 「……スープを温めるから」


 「はいぃ」



 恥ずかしかったのか虫の鳴くような声で返事をする彼女。

 食欲があるのは元気になってきている証だから気にすることは無いのにと思いながら、スープを温める為に調理場へ持っていく。


 見知らぬ男性にお腹の音を聞かれて恥ずかしい彼女は、スープを持ってどこかへ行く彼の後ろ姿をジッと見つめた。

 彼が倒れていた私を見つけてくれた人らしいと、深夜に女医から教えて貰った情報を思い出す。


 アシンメトリーに整えた銀髪のサイドを耳にかけ、顔は中性的な雰囲気。

 一瞬、格好いい女の人かと思ったが声はしっかり男の声だったと思い直した。

 

 最初に目を覚ましたとき、彼が声をかけてくれたのは薄っすらと記憶にある。

 しかしあの時の自分はまともでは無く、彼が言っていたことは殆ど聞き取れなかった。


 シスターは正直言って今も混乱していた。

 女医に与えられた薬のおかけで、何とか取り乱さずにすんでいるのだ。

 しかし取りあえずは助けてくれた彼にちゃんとお礼を言わねばと思った。


 今の状況も、自分が何故生きているかも分からないが、命を拾ってくれたのは事実なのだから。

 そんな事を考えている彼女のもとに、リーシュが湯気が昇るスープを持ってリビングに戻ってきた。



 「熱いから気をつけろよ」



 そう言いながらシスターに皿を渡す。

 シスターは皿を持つと、スープとリーシュの顔との間に何度か視線を往復させる。

 それに気付いたリーシュは「食べていいんだぞ」と促した。



 「あの、ありがとうございます」



 シスターがお礼を言うと、リーシュは何故か目を丸くした。

 何か変だっただろうかと疑問を浮かべたシスターだが、リーシュとしてはさっきまでまともに喋れそうになかった彼女が急に普通に喋ったからびっくりした、なんて失礼な事を思っただけである。



 「礼なら女医に言ってくれ。そのスープを作ったのはあいつだ」


 「スープもですけど、私を助けてくれたお礼を言いたくて……あの!」



 何か言いたげな姿を見て、察する。



 「リーシュ。リーシュ=ティール=ステラだ。好きなように呼んでくれ」



 リーシュの名前を聞いて、今度はシスターが目を丸くした。



 「お貴族様ですか? ごめんなさい私ったらご無礼を──」


 「違う。俺が貴族に見えるか?」


 「え? うーん、ちょっと見えます」


 「…………」


 「見た目がなんとなく……それにこの部屋も広いですし、お名前も長いです」


 「正真正銘の一般人だ。ここは俺一人の家でも無いし、名前も別に長くない」


 「長くない?」


 「この国の貴族サマの名前なんか、一発で覚えられないくらい長いんだ。俺みたいな名前なんて珍しくともなんともない」


 「東方アリウォンス王国、ですよね? 女医さんが教えてくれました。私この国のことあんまり知らなくて」



 そう言ってシスターは肩を落とす。女医が教えたそうだが、彼女にどこまで説明したのだろうか。

 幸いにも、シスターは先程とは打って変わって普通に会話が出来そうだった。

 リーシュとしては色々聞けるなら聞いておきたかったが、シスターがスープに全く手を付けてないのに気付いて再び食べるよう促す。



 「そうか。ところでシスター、名前は?」


 「あ! ごめんなさい……私はルファといいます」


 「ルファ、いい名前だな。取りあえず冷めないうちに食え」


 「はい……あの! まだお礼を言ってませんでした。助けていただいてありがとうございます」


 「別に。たまたま見つけただけだ」


 「じゃあたまたま見つけていただいてありがとうございます」


 「……どういたしま──」


 「あと!」


 「……今度はなんだ」


 「名前、褒めていただいてありがとうございます。リーシュさんも素敵なお名前です」


 「……いいから食え」



 ルファとの会話はどうもペースが狂う。

 ルファにも女医にも村長の奥さんにも話の主導権を握られていることに気付き、ため息を吐いて彼女が食事を終えるのを待った。



 



 ☆



 



 野菜のスープを食べて一息ついたルファは、隣に座るリーシュの様子をうかがっていた。

 食事中にリーシュが床に座っているのに気付き「私が床に座ります」と言って場所を変わろうとしたが、彼がそれを断りひと悶着あった。

 最終的には、二人以上座れるソファなんだから二人とも座ればいいというあまりにも当然な結論に至る。


 並んで座る二人は暫し無言の時を過ごす。

 気心の知れた仲であれば沈黙も苦にはならないかもしれないが、出会ったばかりでは都合良くもそう感じることは無くお互いにとって気まずい時間であった。

 

 リーシュはルファに何から聞くべきか迷っていた。

 どうやら守護者に襲われたようだから、思い出したくない事もあるのではないかと考えて言葉を発せないでいる。


 そしてルファはそんな彼をちらちらと見て、どうすればいいか分からずそわそわするだけだった。


 沈黙も気まずいが、静かな空間ゆえに波の音が聞こえて落ち着かない。

 その様子を見たリーシュは意を決して声をかけた。



 「その……平気か?」


 「は、はい。お薬も貰ってますから」


 「そうか。あの女医は腕だけは確かだからな……鎮静薬とはいっても効きすぎているような気がするが」


 「『安心安全なお薬よ』って笑ってましたよ?」


 「…………」



 本当にそうだろうかと気にはなったがそれを言ったところで彼女を不安にさせるだけだろう。

 そう思ったリーシュは話を続けることにした。



 「それで、あの女医からどこまで聞いてるんだ?」


 「えっと、今居る国の名前や村の名前とか……アルケディシア教国とこの国の関係とか。私がこの国で生きていくには嫌な思いを沢山するかもしれないとかです」


 「なるほどな」



 そう言って、また沈黙が始まる。

 リーシュはあまり話が上手くない自分を情けなく思った。

 昔はもう少し話を拡げる力があったはずと自己分析して、この家で一人過ごした三年間で普通の人との関わり方を忘れてしまったらしいと結論づけた。


 一度話が止まってしまったら、また始めるのは難しい。

 また気まずい時間が始まろうというところで、それを破ったのはルファのほうだった。 



 「リーシュさんは私のこと嫌じゃないんですか?」



 一瞬考える。ルファは女医の話を聞いてこの質問をしたのだろう。

 だが、恐らく彼女は一つ大きな勘違いをしている。



 「まず言っておくが、俺は王国の出身じゃない」


 「え?」


 「俺は元々アルケディシア教国の人間だ」


 「そうなんですね!」



 ルファの顔が少し明るくなる。女医の話を聞いて不安に思っていたのだろう。

 遭難して流れついた先が、自分の事をよく思わない連中ばかりの国だったのだ。

 もし自分が彼女の立場だったらと考えると笑えない話である。


 アルケディシア教徒には確かに嫌いな奴が多いのだが、今聞かれているのはリーシュが彼女のことを嫌がってないかという一点だけ。

 教徒を一括に嫌うのは違うと思うし、面倒事の予感はするが彼女を嫌っているわけではない。



 「それでさっきの質問の答えだが別に嫌じゃない」


 「そうですか……良かった」



 心底安心したように息を吐いたルファは、少し姿勢を正して語り始める。



 「私、ナーカル大陸とは違う別の大陸から来たんです」


 「教国の人間じゃなかったのか」


 「はい。リーシュさんは聖女ってご存知ですか?」


 「知っているが、優秀な術士がそう呼ばれているって事くらいだな」


 「そうです。男性の場合は聖人ですね。聖女や聖人の皆さんは、ベルフィディアの神殿にある宝玉を通して神使様に力を渡す……ようするに宝玉に魔力を込めるんです。魔力を放出するのが上手な人や、元々保有してる魔力が多い人の事を聖女や聖人と呼ぶんですよ」



 宝玉や神使の話は聞いたことがある。

 原初の守護者である冥き巨人を一瞬で退けたのが神使。宝玉はその神使が人間に渡した物だ。



 「魔力を込めるだけなら、魔術を使える奴なら誰でもいいんじゃないのか」


 「なんでも、あまり上手じゃない人がやると宝玉に弾かれてしまうそうですよ」


 「へえ」



 ひと呼吸置いて、彼女は話を続ける。



 「私達は聖女になれる資質があるからと言われ、母国の教会に引きとられました。修道服こそ着ていましたが、他の皆さんとは少し違った暮らしだったんです。資質がある人はほぼ一日中、魔力が空になる寸前まで魔術の修行に明け暮れます。加減が分からず魔力を使い切って気を失った数は、一度や二度どころじゃありませんでした」


 「俺には魔力なんて無いから分からないが、危なくは無いのか?」


 「意識を失った時に変な倒れかたをして頭を打ったりしますから、当たりどころが悪ければ危ないです」


 「……大変だな」



 アルケディシア教が魔力のある子供を集めているのは風の噂で耳にしたことがあるが、あまり興味が無かったので教会で修行させているというのは初耳だった。

 そして話が進むにつれ、ルファの声色が固くなってきているのに気付く。

 少し心配になったが彼女はまだ話す気でいるようだから、好きにさせようと決めた。



 「私、メノエっていう親友が居たんです。幼い頃から仲が良くて、いつでもどこでも一緒に居て……その娘は私なんかより魔術の才があって、教会でも一緒に過ごしてきました。修行は辛かったですけど、一緒なら平気だねって笑いあえました」


 「…………」


 「修行の成果が認められて、メノエは聖女候補としてベルフィディアでより高度な修行をする為に国を出ることになりました。私は選ばれなかったですけど、無理を承知で大司教様に同行を願い出たら条件付きで許してくださいました」


 「条件?」


 「私もメノエと同じ修行をする事。緩い条件に聞こえますけどメノエほどの力を持ってない私には、地獄のような試練になるだろうと、死ぬ危険性はかなり高いと言われました。私はその条件をメノエには内緒でのんで、一緒にベルフィディアへ向かう船に乗りました。そこで──」



 それからルファが語った内容は、守護者との戦いを生業としていたリーシュにとってはありふれた話ではあったが、溢れる涙を懸命に堪えながら震える声で語る彼女を見ると思わず涙が伝染ってしまう。


 しかし一つだけ、引っかかった部分があった。

 それはルファ達が乗る船を襲ったという守護者。


 ドラゴンはその姿を描いた絵が様々な本に載っているが、最後に現れたのは少なくとも数百年前とされていて、現代に生きる人々は本物を見たことなんて無い。

 しかしそれには四年前まではという註釈を加えなければならない。


 四年前、リーシュと仲間達が散り散りになるきっかけを作ったのは冥き巨体に不気味なほどに紅く輝く瞳を持つドラゴンだった──



 


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