傭兵と遭難者②


 「しばらくすれば目を覚ますと思うから、その時は栄養のある食事を摂らせること。ただし、いきなり重たい物を食べさせちゃダメよ。いつも貴方が作ってるような雑な料理もダメだから、ちゃんとした物を用意しなさいよ」


 「なんとかする」


 「リーシュちゃん、何かあったらいつでも呼んでね。一人で頑張りすぎちゃダメよ」


 「二人してダメダメ言わないでくれ。彼女が目を覚ましたら二人を呼ぶから……それで良いだろ?」



 決して大きな村ではないこのクレナ村に何故か住み着いている元天才女医と、心配性な村長の奥さんが玄関でリーシュにこれでもかと念押ししていた。

 遭難していた女を部屋に運びこんだ後、暖炉に火を起こしお湯を準備したリーシュの元に直ぐに奥さんと女医がやってきた。

 

 二人は暖炉近くのソファに寝かせていた女を見て「服を替えるからリーシュちゃんは部屋の外に居て」と早々にリーシュをリビングから追い出し、テキパキと女を介抱しはじめる。

 その間リーシュは部屋の外に追い出されたまま扉の前をウロウロしていただけで、声を掛けられてようやくかと中に入ると既に全てが終わった後だったから、何も出来なかった彼は少し複雑な気分である。


 女は船で倒れていた時よりも心なしか顔色が良くなっていて、身体には毛布がかけられており、びしょ濡れだった修道服は暖炉の火で乾かしている最中であった。

 そして女の世話を終えた二人は早々に身支度を整えて帰ろうという所で、リーシュに女が目を覚ました後の事を念押ししていたのだ。


 全く、優秀過ぎてありがたいがやりにくいとリーシュは心の中でため息を吐いた。

 心配してくれているのは分かっているが、こちらももう成人しているのだから多少は信用して欲しいところだ。


 結局あれからも玄関先であれこれと心配され、ようやく帰ってもらったところで一息ついた。

 ソファには座れないので床に座って女を見る。

 先程まで着ていた修道服から察するに、彼女はアルケディシア教のシスターだろう。


 ここ東方アリウォンスでアルケディシア教のシスターを拾うとは面倒事の予感がするが、ああやって倒れていたら助ける以外の選択肢は無かったから仕方ない。

 アルケディシア教徒には嫌いな奴が多いが、だからといって彼女を忌避するのは違う。



 それよりも自分はここに居て良いのだろうか。

 彼女が目を覚ました時、近くに知らない男が居たら怖いのではないか。

 それとも見知らぬ部屋に一人取り残されているほうが怖いのではないか。


 暫く悩んだ後、目を離した隙に何かあってはいけないからと結論づけて、ソファから少し離れて読書する事にした。



 



 ☆



 



 紅き星アルケディシアは早々に西の地平線に沈み、夜が訪れ暫くの時間が経った。

 食事も忘れて読書をしていたリーシュは立ち上がって背伸びをする。


 床に座っていたせいで尻が痛いし、日が落ちてからは暖炉の火を頼りに本を読んでいたので非常に暑い。

 いつ目覚めるか分からないシスターの為にずっと起きておくのもどうかと思い、仮眠しようと寝室へ向かおうとした時だった。



 「うぅっ」



 シスターが呻き声をあげながら身体を捩る。

 いきなり声をあげられたから驚いてビクッと肩を跳ねたが、やっとお目覚めかと気付き声を掛けた。



 「気が付いたか。体調はどうだ?」


 「うぅー、暑い……」



 身体を冷やさないようにと暖炉と毛布の二段構えの陣を敷いていたのだが、どうやら逆に暑くなってしまったらしい。



 「ああ、それなら水でも持ってこよう。毛布も必要ないなら取るからな」


 「あ、ありがとうございます……」



 水と毛布どちらに対してのお礼なのか判断に迷ったが、どちらもかなと思い毛布を取った。

 シスターが着ている服は見覚えがある。確か奥さんのお孫さんが着ていた麻の服だ。

 砂浜でびしょ濡れのシスターを見たときに必要と判断して持ってきたのだろう。

 

 毛布を取ってから調理場で水差しと木製のマグカップを用意する。

 落ち着いて話を出来るといいがと思いながらリビングに戻るとシスターがソファから転げ落ちていて思わず目を丸くした。



 「大丈夫か? 目覚めたばかりなんだからあまり動かないほうが良い」



 声をかけると同時に、シスターが「ひぃっ!」と声をあげると、彼女の翠色の瞳が怯えの色を含んでリーシュを捉えた。

 先程会話したこの男が誰なのか分からないと、今になって疑問に思ったのだろう。

 意識がはっきりしてきたという点では喜ばしい事といえる。



 「驚かせてしまってすまない。あー、信じてもらえないかもしれないが怪しい奴では無いんだ」


 「…………」


 「喉が乾いてないか? 水を持ってきたんだが」


 「…………」


 「……えーと、俺はどうすればいい?」


 「…………」



 此方を警戒して何も答えてくれないシスターに思わず頓珍漢な質問をしてしまう。

 どうすればいいのか聞きたいのはどちらかといえばシスターの方だろう。

 なんせ目が覚めたら知らない部屋にいて、知らない服を着ていて、そして変な質問をしてくる男が居るのだ。


 とはいえここで『どうぞごゆっくり』と立ち去るのもどうかと思い、今以上に怯えさせないよう距離を保ったまま状況を説明する事にした。



 「俺が砂浜で鍛錬をしていた時にたまたま──」


 「……砂浜?」



 リーシュの声に被せるようにシスターが呟く。

 ぼそっと発したそれは微かな呟きだったが妙に通る声だったから、リーシュは思わず説明を止めた。



 「どうした?」


 「砂浜……海が……波音が聞こえる! ここは!?  私……どこ!? 海が! 私は……」


 「おい落ち着け! ここは東方アリウォンス王国の──」


 「私どうして生きて……なんで? だって私はあの時確かに!」



 シスターは混乱しているようで、細い指で美しい金髪を掴んで何事かをブツブツと呟いている。

 その様子にリーシュは今はまだ何も話すべきじゃなかったかと後悔した。


 しかし、砂浜という言葉だけで取り乱すとは思わなかった。

 どちらかというと波音を聞いてからなのかもしれないが、どちらにせよ海に関連する事がダメだったのかもしれない。


 波音の方はクレナ村の立地上どうしようもないのだが。



 「守護者、海で、メノエが、血が、翼が、音で、私が海で」


 (ああなる程、守護者に襲われたのか)


 

 シスターの呟き、そしてあの岩場に流れ着いていた状況から何が起きたのか何となく察する事が出来た。

 星の守護者。それは傭兵として守護者討伐を生業としていた彼にとっても身近な存在である。


 かつてこの家で共に過ごした仲間と共に、各地で激戦を繰り広げたものだ。

 尤も、仲間が散り散りになってからは、何の目的もなく惰性で鍛錬を続ける毎日となってしまっているが。



 「少し外に出ている」



 今はそっとしておいたほうが良いかと考え直し、水だけをその場に置いて、外の空気を吸いながらこれからあのシスターをどうするか考えようと玄関を開けた。


 すると、門の前に人影があるのに気付いて眉を顰める。

 

 こんな真夜中に一体誰が居るのだと目を凝らしてよく見ると、そこに居たのはこんなド田舎の村で才能を腐らせている変人と認識している女医だった。

 まだ歳も若く、都会に行けばいくらでもその才を活かせる場所があるだろうにとその姿を見るたび何回も思う。



 「あんた、何故そんなところで突っ立っているんだ」


 「あの娘そろそろ目を覚ます頃合いじゃないかと思ったのよ。それでここまで来たのだけれど、こんな時間に訪ねるのは普通に考えて非常識な事だわって思いとどまっていたところなの」


 「そうか。あのシスターならさっき目覚めたばかりだよ。今は混乱しているみたいでまともに話はできそうにない」


 「あら、流石私ね。丁度都合良く鎮静薬も持ってきてるわ」



 十中八九必要になる事を予測して持ってきたのだろう。

 目覚める時間も必要な薬もバッチリ当てるとは呆れる程に優秀な医者である。



 「頼んでいいか? 俺はここで星でも見物してるよ」


 「あら、手伝ってくれないのね」


 「手伝える事があるならな」


 「無いわね」


 「…………」



 いつもこんな調子だからこの女医の相手は得意ではない。

 そこそこの付き合いがあるから、これくらいで今更嫌いにはならないが。

 それに、自分も中々失礼な口調で喋ってる自覚はあるのであまり他人の事は言えないのだ。



 「それで貴方はどうするの?」


 「どうするって、何が」


 「何がって、貴方なら言われなくても分かるでしょう。あの娘アルケディシア教のシスターよね? この村はまだいいけれど、東方アリウォンスじゃ教国のシスターなんて肩身が狭い暮らししか送れないわよ」


 「ああ、そうだな」



 東方アリウォンス王国はアルケディシア教国とあまり仲がよろしくないが、特に王国民が嫌っているのはアルケディシア教のモンクやシスターだ。

 理由は色々あるが、一番大きいのは宗教観の違いといったところだろうか。


 信仰を捨てた野蛮人などと言われている王国民にも信じるものはある。

 宗教観の違いというシンプルな問題だが、だからこそ溝は深い。



 「まあ、今の段階じゃ何を考えても無駄かしら。意地悪なことを聞いてしまって悪かったわね。じゃあ私はあの娘を診てくるから、貴方はその無愛想な顔をどうにかなさい。せっかくの美男子が台無しよ」



 そう言い残して家の中に入っていく女医の背中を見送り、空を見上げる。

 そこには紅き星アルケディシアの姿は無く、暗き空が広がるばかりであった。



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