傭兵と遭難者①
世界最大の巨大宗教であるアルケディシア教に古くから伝わる、始まりの守護者冥き巨人。
たとえアルケディシア教徒で無くとも、この星に住んでいる者ならば一度は耳にした事があるだろう。
現代でもその恐ろしさは伝わっており、およそ三千年前の出来事だというのにその恐怖は今も語り継がれている。
冥き巨人の拳は大地を割り、元々は一つであった世界を五つの大陸に分けたという。
その五つある大陸で最大の広さを持つのがナーカル大陸であり、ナーカル大陸の西端にはアルケディシア教の聖地であり、アルケディシア教国の首都であるベルフィディアが存在している。
ナーカル大陸には大小様々な国があるが、同じ大陸にアルケディシア教国が存在している事もあり、アルケディシア教を国教としている国が殆どだ。
殆ど、と言う事はアルケディシア教の影響をあまり受けてない国も勿論存在する。
その筆頭とも言えるのがナーカル大陸東端に巨大な版図を築いている東方アリウォンス王国だ。
いくつかの属国を持つ一大勢力で、国民にアルケディシア教徒はほぼ居ないのだという。
過去にはアルケディシア教国と戦ったこともあるせいか、教国民からすると王国民は信仰を捨てた野蛮人で、王国民からすると教国民は信仰に頭が狂った異常者だという認識が拡がっている。
国境を接していない二国が、丁度間にあった関係の無い国を舞台に戦争したというのだから、間に挟まれている国からすると両国ともに迷惑極まりない存在なのは確かだろう。
そんな大陸東端の雄、東方アリウォンス王国の東端に小さな村があり、それまたその村の東端にひっそりと建つ家があった。
村の平均的な建物に比べると大きめなその家は、見るからにあまり手入れが行き届いてないのは明白で、外壁には蔦が這い、家を囲む鉄製の柵は潮風に曝されているせいか錆びきってしまっている。
家の主、リーシュは朝の到来を告げる鳥達の鳴き声で目が覚めた。
アシンメトリーに整えた銀髪のサイドを耳に掛け、背伸びをすると顔を洗いに外へ出る。
庭の井戸から水を汲み上げて冷水で無理矢理眠気を吹き飛ばす。
桶に残った水に映るのは碧い瞳を水面に向ける、中性的な顔立ちの男。
青年の面影はあるが最近は大人びた顔になってきたのではないかと本人的には思っている。
中性的な顔立ちと髪型とが相まって女みたいと揶揄される事もあるが、リーシュはあまり気にしていない。
しかし、鍛練してもなかなか大きくならない身体だけは少しだけ気にしていた。
とは言っても彼も決して小さな身体ではなく、寧ろ見る人が見れば適度に引き締まった良い肉体だと言うだろう。
ただ、リーシュが尊敬している父親が筋骨隆々の大男だったからそれに憧れてるというだけだ。
顔を洗い眠気を吹き飛ばしたリーシュは家の中に戻ると調理場の火が消えているのに気付き、石を使って火を起こす。
茶を飲むためのお湯を沸かす間にリビングに立て掛けてある大剣を手にとった。
リーシュの身の丈程の大きさを誇る剣は、剣の腹の幅も相応に広くかなりの重量があった。
使う予定は無いが、手入れをしないと落ち着かないという理由で毎日それを綺麗に仕上げるのが日課となっている。
毎日手入れしているので、やる事といえば埃を払うことくらいなのだが。
湯が沸いたのに気付き手入れをきりあげ調理場で熱い緑茶を作る。
淹れた後、ほどよい熱さになるまで少し待ち、飲める熱さになったところで一口含み、ほっと息を吐く。
昨日もまた、かつてこの家で共に過ごした住人は一人も帰ってこなかった。
少しだけ憂鬱な気分になったところで残りの茶を一気に喉へ流し込んだ。
一息ついたリーシュは気持ちを切り替え、先程手入れした大剣とは違う剣を持つと近くの砂浜へと足を運ぶ。砂浜での鍛錬を日課としている為だ。
日頃履いている少し上等な黒い革のブーツに砂が入らないように、ブーツを脱いで近くに流れ着いていた木材の上に置く。
木材や海に生きる物の死骸が砂浜に流れ着くことは珍しくは無いが、今見つけた木材は少し上等な加工がしてあるようだ。
長いこと波にさらされて此処まで流れ着いたのだろうが、その木材は艷やかさと強固さを保っていた。
裸足になったリーシュは砂浜の感触を足裏に感じながら剣を振る。
最初は基礎的な動作。剣を上から下に、右から左に、左から右にと動かし丁寧に型を確認する。
リーシュが振るう剣は家に置いてある大剣程の大きさでは無いが、それでもこの国の兵士が持つ両刃の長剣よりも大きく、両手で持たなければ満足に振ることが出来ない代物だ。
巨大な鉄の刃を振るい、剣が風を斬るたびにその重量を伝えるように刃が鈍い音で鳴っていた。
基礎を確認した後は実戦だ。実戦といっても村にはまともに戦える者など殆ど居ないし、傭兵としてそれなりの経験を積んでいるリーシュの相手ともなると皆が嫌がって逃げる。
だから鍛錬の相手というのはかつて共に戦った戦友達の幻影。
大剣使いの父親や、槍や斧を使う友の幻を目の前に思い浮かべ、一心不乱に剣を振った。
今まで彼等に勝ったことがないからなのか最後は必ず自分が負けるイメージで終わってしまい、あまりいい気分で鍛錬を終える事は無い。
剣を振るのを止めた後はその両手剣を重り代わりに背中に下げて砂浜を走る。
不安定な足場と重りが走るには適していない環境を作り出すから、体幹も鍛えられるし体力もつく。
目標の岩場まで行って元の場所に戻って来る頃に、心優しく心配性な村長の奥さんが独り身のリーシュを心配して朝食を持ってきてくれるから、それを食べて帰宅した後は家に置いてある過去の依頼の資料や本を読むのがリーシュの日常であった。
そんな日常に変化が訪れたのは次の日の事だった。
いつものように幻影を相手に剣を振るい、いつものように負けて少し拗ねた後、いつものように砂浜を走って目標の岩場まで辿り着いた時の事だ。
いつもの岩場の先に小舟が流れ着いていた。
こんな辺境の村にあんな小舟で訪ねてくる者など居るはずがないと考え、背中の剣に手をかけ船に接近してみる。
小舟には何か黒いものが乗っているように見えた。
その黒いものを確認する為に船を覗き込んだリーシュが見たのは、黒い修道服を身に纏った女。
船に倒れていた女は全身に海水を被り、びしょ濡れになっているので服のその黒さが際立っていた。
長く美しい金髪は顔や服にぴたりと張りついており、顔色はまるで死人のようだ。
「おい、大丈夫か!」
見ただけでとても大丈夫とは思えないのは分かるが、それを承知の上で声をかけた。
女からの反応は勿論無い。
とても弱々しいが息があるのを確認したリーシュは、助ける為にはどうしたらいいのか考え、取りあえず村に連れていかねばと女を持ち上げ砂浜を駆ける。
病人や怪我人は下手に動かすなと昔怒られた事があったが、遭難して衰弱しているだけだろうから多少は動かしても平気な筈だという判断だ。
衣服は水を大量に吸っている筈なのに女はとても軽かった。
女を両手で抱きあげて村へ向かっていると、聞き慣れた声が自分の名を呼んでいる事に気付く。
「リーシュちゃーん。朝ごはん持ってきたわよー」
いつもリーシュを気にかけてくれている村長の奥さんの声だ。
リーシュは、今年でもう二十三歳になるのだからいい加減子供を相手にするような呼び方は止めてくれと普段から言っているのだが、聞いてくれないのが玉に瑕だ。
しかし、とても頼りになる人物なのは間違いない。
「おばちゃん、良い所に来てくれた」
「リーシュちゃん、おばちゃんって呼ぶのは止めて頂戴よ……ってその娘はなに? 何があったの?」
「向こうの岩場に流れ着いていたから連れてきた。衰弱しているみたいで意識がない」
簡単な説明だがこれ以上説明しようが無いので仕方ない。
リーシュが早口で説明したそれを聞いて、奥さんはやるべき事を瞬時に導き出す。
「まあ大変! 私はお医者さんを呼んでくるから、リーシュちゃんはその娘を貴方の家に連れていって! 火を起こしてその娘の身体を暖めておくのを忘れないで頂戴ね。ああそうそう、後お湯も沸かしておくのよ」
「あ、ああ分かった」
リーシュ以上の早口でまくしたてると、奥さんは朝食に持ってきていた握り飯を彼の腕の中で気を失っている女の上に置いて村へと駆けていった。
こんな状況なのにきっちり朝食を残していくのにも、それを衰弱して気を失っている女の上に置いていくのにも、それなりに高齢で普段から身体を鍛えている訳でもないのに元気に勢いよく駆けて行ったのにも驚いたが、それと同時にあの人が居ればなんとかなりそうだと不思議な安心感が芽生えた。
気を取り直して女をなるべく揺らさないように器用に走って家に運んだリーシュは、奥さんに言われた通りに暖炉に火を起こし、調理場でお湯を沸かす。
女が一体何者なのか。着ている修道服から何となく察してはいるものの、本人から話を聞くまでは分からない。
仲間との別れ以来惰性で生きてきた日々が変わるような、そんな気がして落ち着かないまま医者が来るのを待つ事になった。
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