ルフォレシアの剣

灰島シキ

『プロローグ』

プロローグ

 遥か遠い昔。アルケディシア教の聖書曰く、人が強く、しかし愚かであった時代の話。


 強く愚かであった人々は生きとし生けるものの頂点に君臨していたが、更なる種の繁栄の為に力を求めたが、それが自らが暮らす星である『エテルノ』に未曾有の災害を引き起こす結果となった。


 それは強き存在として星を管理していた人々から知識を、力を、誇りも人の和をも奪い去る。

 災いが終えた頃に残った物と言えば「我々はなんて愚かで傲慢だったのだろう」という後悔の念と、無力感だけであった。

 

 力を失った人々であったが、幸いにも星は彼等を見捨てなかった。

 水と緑が溢れる美しい星は大災害後もその姿を保ち、生物が生きていくには過不足の無い恵みをもたらし、新たな時代が始まることになる。



 「今度は道を間違えまい」


 「分不相応な力を求めず、静かに生きるのだ」



 そう決意した人々は子に孫に災害の恐ろしさを教え、教えられた者はそれをまた次の世代へと伝えていき、人々は星を慈しみ生きた。


 だが、そんな人々の前に新たな脅威が立ち塞がる。その脅威は何の前兆も無く突然現れた。

 

 穏やかな海を割って突如として現れたのは黒い巨人。


 頭から爪先まで漆黒に染まった身体。不気味な程に紅く輝く瞳は見るもの全てに恐怖を与え、黒い巨人を見た生物は皆まるで地に足が縫い付けられたかのように身動きが取れなくなってしまう。

 その滑稽な姿を見て巨人は嗤った。それと同時に海も空も黒く染まり、水と緑が溢れる美しい世界に暗黒が訪れる。



 そして破壊が始まった。


 巨人がその異様に長い腕を振るえば山が削れ、拳を叩きつければ街は壊れ大地が割れる。

 雄叫びをあげれば冥き空から雷が降り注ぎ、漆黒の海が凶器となって大地を飲み込んだ。


 あまりにも突然に訪れる一方的すぎる破壊にある者は呆然と立ちすくみ、ある者は半狂乱で逃げ惑い、またある者は苦し紛れに星に祈った。



 「過ちを繰り返す事はするまいと心を入れ替え星を慈しんでいたというのに、何故星は怒りこのような怪物を産み落とし生命を壊すのか。

 足りないと言うのならどうか怒りを鎮め、我々にもう一度星を愛する機会を与えてほしい」



 巨人を産み落としたのが星なのかどうかは分からない。このどうしようもない惨劇を前にただ何かに縋りたかっただけの祈りであったが、この祈りを聞き届ける風変わりな存在が現れる。


 それは巨人にとっては小人のような存在であったが、人にとっては怪物には及ばないものの十二分に巨人とも言える存在だった。


 空から舞い降りて来たそれは、怪物には及ばない大きさではあったがその存在感は強烈で、そこに存在するというだけで闇に覆われていた世界は瞬く間に光を取り戻し、全てを壊し尽くさんとばかりに暴れ回っていた巨人は光の奔流に飲み込まれ一瞬で蒸発してしまった。



 人々は惨劇を止めてくれたそれの姿を見ようと目を凝らすが、不思議な事にその姿形は人によって違っており、見るものによっては威厳のある老人のようであったり絶世の美女であったり、親しい友人や家族、恋人の姿であったりしたらしい。


 姿形がなんであれ救ってくれたことには変わりない。人々はそれに感謝の祈りを捧げた。


 すると祈りに応えるように、うその存在が発したであろう言葉が祈りを捧げる者達の頭の中に響き渡る。



 「私は天の紅き星アルケディシアから貴方達の祈りに応えて此処に降りてきました。きっと貴方達はあの冥き巨人が何故現れたのか、何故美しき星エテルノを犯したのか分からないでしょう」



 それは穏やかな声で語りかける。聴いている者は、先程までの惨劇で暴れ狂っていた心が急速に落ち着いてくるのを不思議に思いながらも、その心地よい響きに意識を傾けた。



 「美しき星エテルノは今、病に侵されています。あの冥き巨人は病の痛みから自らを守る為にエテルノが産んだ守護者。その力で星そのものを壊し、命を絶つことで苦しみから解放する事を目的として現れました」



 それを聞き人々は問う。ならばその病を治す方法は無いのかと。


 もし治す事が可能であれば我々に協力出来る事は無いかと。かつて災害を起こしてしまった事が病の原因ならば、病を治す事で償いとしたいと訴えた。



 「貴方達が直接この星の病を治す事は出来ないでしょう。しかし、紅き星アルケディシアの遣いである私ならば治すことが出来る。それに貴方達が協力する事なら可能です」



 そう言ってアルケディシアの使いは何処からか紅い宝玉を取り出した。

 赤子の頭ほどの大きさの宝玉は神々しく輝きを放ちながら宙に浮き、特に熱心に祈りを捧げていた男の手に降りてきた。


 アルケディシアの使いは語る。



 「宝玉に貴方達の力をこめるのです。その力は宝玉を通して私に受け渡されます。私はそれを使い、この美しき星エテルノを病から救ってみせましょう。紅き星、母なるアルケディシアの名にかけて」



 そう言い残してアルケディシアの使いは天へと還って行った。


 惨劇を生き残った人々が、祈りに応え使いを寄越してくれたアルケディシアを崇め敬うことになるのは当然の事である。


 それから人は巨大な神殿を建て、その最奥に宝玉を祀り日々力を流し込んだという。



 



 ☆



 



 「というのがアルケディシア教の始まりのお話。なるべく分かりやすく教えたつもりなんだけど……分かったかな?」



 優しく問いかける若い女性の声が、海の音に掻き消されることなく甲板に響いた。

 それほど大きな声を出している訳でもないのに、航海の音に負けず子供達の耳に届いたのは声質が良いからだろう。

 子供達に聞かせる話を比較的静かな船室ではなく不向きな筈の甲板でしているのは、子供達が船室で只々じっとしているのを嫌った為だ。


 修道服が潮風に煽られ揺れる。潮風が苦手な彼女だが、子供達に頼まれては船室に籠もっているわけにもいかない。

 袖口を引っ張られ、嫌々ながらも甲板に出てアルケディシア教の歴史を語ったのであった。

 彼女を此処に連れ出した子供達はといえば、話の途中で大海原の青さに夢中で話を聞いていたかどうかも怪しいものだが。


 お人好しな彼女はそれを咎めることもなく、仕方ないかとばかりに微笑んだ。

 何しろ元々は内陸出身の子供なのだ。海を見るだけでも心が踊るのも分かるし、船に乗って大海原を走るともなれば尚更である。



 「あまり身を乗り出すのは駄目だよ。海に落ちちゃったら大変だからね」



 話を聞かないのは別に構わないが、子供達が海に落ちたら危険だ。優しく注意するも余り効果は無さそうで、子供達が飽きるまで見張るしかないなと軽く息を吐いた。


 と、そこで微かな違和感を感じる。


 潮風の音でも海の音でもない何かの鳴き声が聞こえた気がして、空を見上げたが其処には紅き星アルケディシアがいつもと変わらぬ光で地上を照らしている姿だけしか見えなかった。



 「……気のせいだよね」



 口から出たのは気のせいだと自らを安心させる為の呟き。

 

 病に侵されているこの星は、未だ人々を恐怖に陥れる存在が度々生まれている。

 この船旅だって護衛の神殿騎士も付いてきてくれてはいるが、それでも安全が確約されているわけではないのだ。


 彼女も才あって多少は戦う力は持っているがアルケディシアから力を授かっている巫女や神殿騎士に比べたらほんの小さな力であるから、もし護衛が近くに居らぬ間に守護者に襲われでもしたらと考え恐怖で身体が震えた。

 どこか不安になった彼女は子供達を船室に帰そうと声をかけた。


 もし船上で戦いが起きた場合、十中八九甲板が舞台になるだろう。

 そこに子供達が居たらなす術なく命を奪われてしまう。そんな事絶対にあってはいけない。

 そう考えた矢先、無情にも彼女の不安は最悪の形で的中する事となってしまう。


 まだ船室へ戻りたくないと駄々をこねる子供の背中を半ば強引に押しながら甲板を離れていると、日の光が一瞬途切れたような気がした。

 同時に周囲の見張りをしていた船員の怒号が響き渡った。



 「上だ! 空に何かデカいのが飛んでやがる!」



 その声につられて再び空を見上げる。そして、彼女は絶望のあまり声を震わせた。



 「守護者……嘘でしょ!? こんな時に!」



 空の支配者は自分だとばかりに巨大な翼を拡げ、彼女達の頭上を駆けるのは漆黒のドラゴン。

 その冥き身体と不気味なほどに紅い瞳は守護者の証。病に苦しむ星が産み落としたそれは、人にとっては暴力の嵐を巻き起こすだけの紛れもない災厄である。


 紅い瞳は無情にも彼女達が乗っている船を見ていた。船の速度では逃げる事など到底不可能である以上、戦うしか生き残る道は無い。



 「貴方達は逃げて!」



 パニックを起こす子供達を何とか船室へ誘導しようとするが、腰を抜かしている子もいれば、放心状態でただドラゴンを見つめているだけの子もいて思うように進まない。

 そして、そんな彼女達を災厄は待ってくれる事などない。無慈悲な急降下で一気に船へと接近すると、勢いそのままに鋭い鉤爪を振るった。

 

 その標的は甲板に出ている人間ではなく船その物。容赦ないその一撃を受けたのは、唯一ドラゴンを倒す力を持っているかもしれなかった巫女や神殿騎士が乗る船室だった。

 バラバラに散る木片がその威力を物語る。甲板からその光景を見た彼女の瞳が絶望に染まった。



 そこに居るはずの巫女はドラゴンを倒せるかもしれないというだけでは無い。

 彼女の親友だった。同じ街で生まれ育ち、子供の頃は毎日のように遊んだ。

 巫女の才があるからと共にアルケディシア教に引き取られてからは同じ部屋で過ごし、厳しい修行も励まし合って耐えることが出来た。



 力の差こそ開いてしまったが、親友が聖女候補として聖地であるベルフィディアへ行くこととなった時は我が事のように嬉しかったし、たとえ長い旅路になろうとも着いていかないという選択肢は無かった。

 

 親友が聖女としてアルケディシアの宝玉へ祈りを捧げる光景をこの目で見るのだ。

 それが彼女の夢だった。

 

 しかしその夢は夢のまま終わってしまった。

 鉤爪の一撃の後にトドメと言わんばかりに振り下ろされる尾の追撃。

 

 更にもう一撃、もう一撃と災厄を振りまくドラゴンの尾はまるで鞭打ちの罰の如く、何度も船室に叩きつけられた。

 当然それだけ叩きつけられたら殆どが木で造られている船など無事で済むはずもない。

 何せ四十名ほどの乗員が居るこの船の凡そ三倍はある巨体の尾だ。その破壊力は尋常ではない。

 

 崩れゆく船に必死にしがみついていたが、周りの子供達は一人また一人と海へと落ちていく。

 地獄のような光景に涙が止まらなかった。

 しかし泣いても喚いても災厄は帰ってはくれない。ドラゴンが最後の一撃のつもりか、一際大きく尾を振りかぶった。


 冷酷なる攻撃が船の命を完全に奪い、遂には彼女も衝撃で宙へ投げ出された。

 海へ落ちるまでの間に親友との思い出が次々と脳裏に浮かぶ。

 彼女が最後に見た光景は、真っ赤に染まった船室だった。


 


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