1-⑤
昼下がり、私は
「ほしいものがあったら好きに持っていってくれていいからね。といっても、大したものはないと思うけど……」
おかげで、私は主を失った部屋にひとりきり――いや、簡易祭壇に置かれた菜々子の骨壺とふたりきりになってしまう。
実際のところ、骨壺よりも遺影のほうが怖かった。菜々子の顔を見るのが、目を合わせてしまうのが、たとえ写真でも嫌でしょうがない。
私は葬儀を通して、菜々子の遺影を絶対に視界へ入れないようにしていた。それどころか、生きている菜々子を――私とおそろいのセーラー服を着て、ポニーテールを揺らしながら颯爽と歩く姿を、直視したことさえない。
菜々子の遺影と目を合わせないようにしながら、部屋を見渡す。
白いカーテンとベージュ色のラグの組み合わせが印象的な六畳ほどの室内は、大量の服やら雑貨やらで散らかっていた。たぶん、菜々子が行方不明になった日から、そのままにされているのだろう。
だからこそ、生花を供えられた祭壇は異様なまでの存在感を放っていた。供花の百合と線香が混じりあったにおいに、ここは死者のための空間なのだと思い知らされる。
このままじっとしていても、気鬱さは増してゆく一方だ。私は本棚代わりのカラーボックスの前に立って、中身を物色してみる。
ぎっしりと詰めこまれた学校の教科書。ぼろぼろになった英単語帳に、使いこんだ形跡のある参考書。
九月の模試の結果が置いてあったから、なんとなく手に取ってみる。第一志望校は私が指定校推薦で合格した大学で、E判定だった。
見てはいけないものを見てしまったような気がして、隣のカラーボックスに視線を移す。
上の段には色とりどりの化粧品の放りこまれたケースが納められていて、下の段には漫画の単行本が並んでいた。私が読んだことがある本は、高一のころに友だちから借りた少女漫画だけだった。
足もとには、私服の積み重なったバスケットがある。洗濯済みなのか清潔感はあるけれど、掘り返す気にはなれない。菜々子の服をもらい受けたところで、私には似合わないだろう。私は菜々子よりも年上に見られることが多かったし、身長も高い。おまけに、色も装飾も私の趣味ではなかった。
結局、目につく場所にピンとくるものはひとつもなかった。しょうがないから、机の引き出しを上から順番に開けてみる。
一段目には筆記用具。二段目にはノート。三段目には、一枚の写真が入っていた。
私は目には見えない糸に操られるように、写真を手に取っていた。なぜか、そうしなければならない気がしたのだ。
被写体を確認して――菜々子と目が合ってしまう。
写真は中学の修学旅行中に撮られたものだった。今よりも少し幼い顔立ちの私と菜々子が、いっしょに写っている。
「どうしてこんなものが……」
数年ぶりに菜々子の顔を目にしてしまい、心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っていた。
視覚情報が引き金になって、菜々子に関するすべての記憶が同時によみがえり――ゆえにそのひとつひとつをつぶさに想起せずに済んで――あわてて胸の深いところにぎゅうぎゅうと押しこんで隠した。どんなに散らかった部屋でも、押し入れにものを詰めこんでしまえば、きれいさっぱり片づく。同じように、私の思考も呼吸も急速に平静を取り戻していった。
私は薄目を開けて、再度写真を見やる。
はつらつとした笑みを浮かべる菜々子が手前で、つまらなさそうにカメラへ視線を送っている私が奥。ふたりの雰囲気はまったく違うけれど、くっきりとした目鼻立ちはたしかに似ていた。少なくとも、血のつながりを否定するのが難しい程度には。
ひょっとすると、私たちは互いの顔面に親近感を覚えていたからこそ、行動を共にしてきたのかもしれない。逆にいうと、私たちを繋ぐものは肉体をはじめとした物理的要因のみだった。だから、中三のときに菜々子の心が決定的に変容してしまったときに、あっさりと関係が崩壊したのだろう。
「……こんな写真、さっさと捨てちゃえばよかったのに」
写真を元あった場所に戻そうとして、引き出しのなかに折りたたまれた紙が大量に入っていることに気づいた。びっしりと書きこまれた丸文字が、紙の裏にうっすらと透けている。
「これは……」
メモやノートの切れ端ではなくて――手紙だった。
菜々子が熱心に書き綴り、だれにも渡されることのなかった、無数の感情の墓標。みずみずしいと評するには激しすぎる情動が垣間見える。
『あーダメ好き。ヤバいかも。』
『わかってたけど、私、ここまで馬鹿だったなんて……』
『やっぱりむかつく! せいらちゃんなんて――』
視覚から流れこんでくる、菜々子の残滓。
私は写真を手紙の上に放り出した。叩きつけるような動作で引き出しを閉める。
手紙の入った引き出しをにらみつけたまま、しばらくのあいだ動けなかった。
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