長嶺誠治の林間学校 その1


「うーし、みんなお待ちかねのホームルーム始めっぞ〜」


 チャイムの余韻が消え、帰りの学活が始まった。

 うちの担任、根室浩輔先生。パーマのかかった髪に、常に目の下に隈を浮かべている。顔色も悪く、見ようによっては今にも倒れそうなほどだ。だが顔立ちは整っていて、妙にアンニュイな雰囲気もあいまって、一部の女子から人気があるらしい。


 普段の根室先生なら「みんないるな? じゃ、解散!」で一瞬で終わる。

 そんな人間が、今日はわざわざ椅子に腰かけ、前を向かせてまで話す――これは何かあるに違いない。


「お待ちかねの林間学校の班決めをしたいと思う。……まあ、教員にとっちゃ林間なんて地獄みてえなもんだけどな。手当は出ねえし、生徒が問題起こさねえか常に監視。マジなサバイバルだ」


 教室に笑いが起きる。根室先生は、良くも悪くも包み隠さない人だ。


 だが、俺にとっては笑えない。班決め……つまり、ボッチ最大の試練だ。

 集団行動が苦手な者にとって、これは避けて通れない地獄の儀式。ここで余る=公開処刑みたいなもんだ。


「誠治どの……」


 隣から低く響く声。振り返れば、そこにいたのは村を救いに現れた侍のような清々しい顔――草間半蔵。


「まさか……俺を誘ってくれるのか……?」

「……是非もないこと……!」


 腐れ縁に、乾杯。


 ***


「と、いうわけで。班のリーダーは拙者が務めるでござる!」


 班は六人。剣道部の飯島、萩谷、田所、吉崎。そして半蔵。……俺以外、全員剣道部。


 勇者パーティに例えるなら「戦士5人+無職1人」。しかもこの無職、装備もなく荷物持ち。最終的に「お前は役立たずだから追放」って展開が目に浮かぶ。


 ……まあ、そんな不安を抱えていた時。


「長嶺くん、だっけ?」


 声をかけてきたのは吉崎綾女さん。赤みのあるショートボブに、猫みたいな大きな瞳。クラスの男子の間でも“トップクラスに可愛い”と噂されている子だ。しかも剣道部というギャップ。そりゃ人気も出るわけだ。


「あ、ども。話すの初めてだよね」

「うん! 私、吉崎綾女。周りみんな剣道部で固まってるから入りづらいでしょ?でも気にしないで、みんな気さくだから!」


 その言葉に合わせて、周りの剣道部員たちも笑いながら声をかけてくれる。

「おう、気にすんな!」

「仲良くやってこうぜ!」

「そして剣道部に入るでござる」


 ……最後は絶対半蔵だな。


「ありがと、よろしくな」


 この流れなら、ボッチから脱却できるかもしれない。……まあ正直、交友は広げすぎたくないんだけど。


「おーし、班は決まったな? ボッチはいねえか〜?どこだ〜ボッチ〜?」


 根室先生の視線が、あからさまに俺へ突き刺さる。このじじい……!

 クラスの笑いが一斉に俺へ向けられ、耳が熱くなる。やっぱり俺って、クラス全員公認のボッチだったのか……?


「とにかく!林間ではしゃぎすぎて問題起こすなよ。俺がめんどくせえからな!」


 ……ほんと、飾らない人だ。


 ***


 学活が終わり、帰り道。夕焼けの光が校舎の窓に反射して眩しい。

 半蔵は部活へ行ったので、一人で歩くのは久しぶりじゃない。けど、ふと――思い出す。


 花蓮と付き合いたての頃。校門から少し離れた場所で待ち合わせて、二人で歩いた帰り道。ときには寄り道して、コンビニのアイスを半分こしたり。

 ……あの時間は、俺の中で確かに本物だった。


「……いかんいかん、引きずりすぎだ俺」


 無視すると決めたはずなのに、胸は簡単に揺れる。もし校舎の角から花蓮が現れたら――。そんな想像を振り払い、歩調を速めた。


 その時。


「おーい長嶺くーん!」


 軽やかな声が響く。クロックスの軽い足音が、等間隔で近づいてくる。振り返ると――吉崎綾女さん。


「あ、吉崎さん」

「長嶺く……きゃっ!」


 声をかけた途端、彼女の体がバランスを崩す。

 咄嗟に腕を伸ばして支えた。軽い衝撃。華奢な肩越しに、シャンプーの甘い香りが鼻先をかすめる。


「だ、大丈夫か?」

「わ〜ごめん! ナイスキャッチ!」

「あー気にすんな。……ナイスタックル?」

「ぷっ、ナイスタックル!? 長嶺くん面白いね!」


 笑い声に、心臓が変に跳ねた。花蓮以外の女子と、こんな距離で触れたのは初めてだ。これで「セクハラ!」なんて言われたら終わりだが……彼女は屈託なく笑っている。


「それで、俺に用事でも?」

「ううん、特に?」

「ないんかい……」


 肩の力が抜ける。わざわざ走ってこなくても。


「そういや、今日は部活じゃないのか?半蔵と同じ剣道部だろ?」

「今日は病院行くから休みにしてもらったの」

「体調悪いのか?」

「んー……女の子が病院行く時は深く聞かない方がいいんだよ?」

「……そ、そうなんか。すまん」


 花蓮と付き合って、少しは女子への気遣いを学んだつもりだったが、まだまだ甘いらしい。


「ふふ。ね、せっかくだしLIME交換しない?同じ班だし、何かと便利でしょ?」

「あー、それもそうだな。……どうやんだっけ、フルフル?」

「え、フルフル知らないの!? 」

「ボッチにそんな機会あるわけないだろ……」


 自嘲気味に言ったが、彼女はケラケラ笑って答えた。

「あはは! でも、もうボッチじゃないじゃん。ほら、これがフルフル!」


 スマホを近づけると、彼女の指先が触れる距離。小さな端末が震え、通知音が重なった。


「おー、出た。……ありがとな」

「全然いいよ! じゃ、またね!」


 渋谷駅で手を振って別れた。人波に消える背中を見送りながら、ふと気づく。――さっき彼女が転んだ場所、地面に段差はなかった。


 わざと……じゃないよな?


 胸の奥に小さな引っかかりを抱えたまま、俺は人混みに紛れて満員電車へと乗り込んだ。






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