禁断の扉×災厄の凶獣

「書類……いえ、何かの走り書きのようにも見えますけどやはり全く読めませんね。けどエイジなら解読出来るかもしれません。この部屋の持ち主には悪いですが、幾つか持ち帰らせて貰うとしましょう」


「うーん、古代言語ともちょっと違う気がするね、この文字。けどこの感じ、それに所々に書かれている図式……多分これは何かの研究資料だと思うよ。ちょっとそっちの方にあるのも見せてくれないかな」



 迷宮図書館の最深部へと到達したサトラ、マシロ、シャーペイ、そしてウォルフラムとソマリの五名。隠し通路の先で一同が見たのは夥しい量の資料の山だった。

 壁に描かれていたのはサトラたちが僅かな可能性でもあればと願っていた古代兵器ゴーレムの姿。少なからず期待を持って足を踏み入れた迷宮だったが、当たりも当たり、まさかの大当たりだ。


 残念ながら壁や紙に書かれている文字はどれ一つとして読めなかったが魔術師のマシロと錬金術師のウォルフラムの研究職コンビは早速手当たり次第に部屋中に散らばっている紙を書き集めて早速解析を試み始める。



「文字は読めないけど書かれている図から察するに、ここは実験施設のような場所だったんじゃないかな。このグラフが魔力波長を測定したものだとするとこっちは……いや、だとするとこっちの図式と矛盾するな。だったらこっちが……」


「魔法術式に用いられる記号とよく似ていますが配列が滅茶苦茶ですね……似ているだけで全くの別物なのか、それとも何か特別な方式があるのか……」



 文字通りまさに山のように連なる未知の資料を前に最深部にやってきた時に感じた恐怖心もすっかり忘れて没頭してしまっているマシロとウォルフラム。それぞれ魔術師として、錬金術師としての観点から書かれている内容を推察するが、やはり肝心の文字が読めないせいで中々読み取る事が出来ずにいた。



「シャーペイ、君はいいのか? さっきから随分と大人しくしているが、君らしくもない」


「キヒヒ、アタシは後でゆっくり見せて貰うからお構いなくー。それよりサトちゃん、この部屋の奥にもまだ何かあるみたいだよ?」



 魔族側の研究者であるシャーペイがこの資料の山を前にマシロたちのように反応を示さない事に強い違和感を覚えるサトラだったが、彼女の言う通り確かにこの部屋の奥にもまだ先へと続く道が見える。



「どうする? ここはマーちゃんたちに任せて先に進む?」


「……いや、ここではぐれてしまう事だけは避けたい。出来れば全員で行動しよう。マシロ、ウォルフラム殿。二人とも気にはなるだろうがこの部屋の調査は一旦置いておいて先に進もう」


「あ、はいっ! 今行きます! えっと……じゃあこの辺の書類全部持ってっちゃいましょう」



 解析途中だったものを片っ端から掻き集めてローブのポケットに詰め込んでいくマシロ。一方のウォルフラムはと言うとまだ資料と睨み合っており、ああでもない、こうでもないと唸り続けていた。



「ちょっと待ってくれ。もう少し、もう少しで何か分かりそうなんだ……。あと5分、いや10分……5時間ほど」


「おー、どんどんながくなってるぞウォッフー。いいからいくぞー、だんたいこうどうできょうちょうせいがないやつはめいわくなんだぞー」


「あ、こら引っ張るなソマリ! もう少しなんだ、もう少しで何か閃きそうなんだ! わ、わかった、わかったから一旦その手を放せ! 首が締まってる! 締まってるから……ぐぇぇっ!」



 ウォルフラムもまたソマリに襟首を捕まれ引き摺られていき、五人は更に奥へと進んでいく。隠し通路からまずは何もない白い部屋、そして無数の資料が散乱する部屋、そしてその先にあったのは……。



「これって……まさか」



最初の部屋と同じく一面真っ白な部屋。ただ違うのは先程通ってきた部屋よりも一回り……いや、有に倍はありそうな面積と、そして正面の壁に描かれていた巨大な魔方陣の存在。

 その魔方陣に描かれている術式にマシロは見覚えがあった。それはマシロやサトラが駐留している城門都市アルムゲートから近い森の中で発見されたダンジョン……。そう、彼女たちが影次と初めて出会ったあの時に訪れたダンジョンの奥で見たものとまったく同じものだったからだ。



「キヒヒ、マーちゃんは当然見覚えあるよねぇ。遠距離転移の魔法陣、アタシたち魔族ゲートって呼んでるものだよ」



 アルムゲートのダンジョンで実際にマシロと影次の前でゲートを起動させ、魔人デーヴァ

呼び出したのは他でもない、ここにいるシャーペイだ。あの時彼女が使用した魔法陣と同一のものがここに存在するという事はつまり、ここにある魔法陣とは……。



「じゃ、じゃあこの魔法陣は魔族の本拠地に、暗黒大陸に繋がっているという事ですか!?」


「キヒヒッ、見たところこのゲートはまだ活動中みたいだから繋がってると思うよ? でも前にも言ったけど暗黒大陸あっちに繋がる ゲートは作った主様マスターと許可された者しか使えないようにされてるからねぇ。当然裏切り者のアタシは無理だし」


「こちら側から向こうに行く事は現状では不可能という訳ですか……。でもまさかこんなところで稼働中の転移魔方陣、ゲートを発見出来るなんて。ゴーレムの手掛かりと言い、これは大収穫ですねサトラ様」


「ああ。港湾都市シーガルの一件でゲートから魔族を追う線は一度は途絶えてしまったが、よもやこんな形で再び手掛かりが掴めるとはな。マシロ、何とかこの魔方陣を解析する事はできないか? こちら側から魔族の本拠地に踏み込めれば今までずっと後手に回っていた私たちが逆に先手を取れるかもしれない」



 そもそもサトラたちがこの迷宮図書館に来たのは魔族を追う足掛かりになる可能性として古代兵器ゴーレムの情報を求めてだった。そして実際に目当てのゴーレムに関する情報を見つけたと思いきや喜びに浸る暇も無く、その先にあったのは一番の目的である魔族に関する最も重要な手掛かり、敵の本拠地への扉だったのだ。

 もはや幸運や僥倖などというレベルの話ではない。宝の地図を探しにきたら宝自体を発見してしまったようなものだ。



「……君はいいのかい? 仮にも魔族の一員だろう。このままお仲間が本拠地を攻め込まれようとするのを黙って見ているつもりなのかい?」


「えっ、別に全然? できれば主様マスターも他の連中もみんないなくなってくれた方がアタシも思う存分好き勝手出来るし。むしろ喜んでマーちゃんたちに協力するよ。キヒヒッ」


「魔族なんてどいつもこいつもろくでもない連中ばかりだとは思っていたけど、ここまで来るといっそ清々しいね。いや、君が特出して鬼畜外道なだけか」


「キヒヒヒッ。そんな褒めたって何も出ないよー? さてと、それじゃアタシもマーちゃんのお手伝いしよーっと。ほらウォッフ君も手を貸して貸して。アタシたちが魔族を倒したらあいつらの持ってる技術もデータもぜーんぶアタシたちのものなんだよ?」


「君にまでウォッフって呼ばれる謂れは無いよ! ……まぁ、確かに君の言う通り連中の技術力はボクにもまだ分からない点も多いし、手に入れられるのならば願っても無いけど」



 早速転移魔方陣、ゲートの解析にかかっているマシロにシャーペイとウォルフラムも加勢し、魔術師学院の魔術師、錬金術師組合アルケミーギルドの錬金術師、そして魔族の研究者が協力して魔族の総本山である暗黒大陸へと続く扉を調べ上げていく。


 しかし研究職トリオが魔法陣の調査を行うその一方で、ソマリだけは目の前のゲートから言葉には形容し難い不穏な気配を感じていた。



「んー……うぅー……なんだろなぁー、なんだろうなぁー、むずむずするなー」


「どうしたんだソマリ。何をそんなにそわそわしているんだ?」


「なんかなー? すっごくむずむずするんだー。あのへんなやつからなー、すっごくいやなかんじがしてきて体がむずむずしてぞわぞわするんだー」



 ソマリだけでなくサトラたちもまた、隠し通路の先に足を踏み入れてから漠然とした畏怖を抱いてはいたが、それが何に対してなのかまでは分からなかった。

 だがソマリだけは、虎獣人トラボルト族である彼女だけは生まれ持った野生の勘によって本能的に察知していた。



「……くる」



 刹那、全身の毛が逆立つような寒気を感じるソマリ。ずっと漠然としていた気配が色濃くなっていくのを感じる。その根源がすぐ近くまで来ている事を野生の本能が告げてくる。



「ウォッフ! おねーちゃんたち! そこにいちゃだめだー!!」

 


 ソマリの叫び声に振り向いたマシロたちの後ろで、魔方陣が光り輝き出す。描かれた術式をなぞるように妖光が奔り、部屋が、空気が震え出す。



「転移魔法が、発動した……? いけない、みんな離れて!! 来ます・・・っ!」



 転移魔法が発動したということはつまり 向こう側・・・・から何かがこちらにやってくるという事だ。そして向こうとは魔族の本拠地であり、そこからやってくるものとすれば……どう考えても自分たちの味方では無いだろう。


 輝き出した魔法陣が揺らぎ、歪む。壁に描かれた術式は魔力を帯びて本来の機能を、空間と空間をつなぐ扉としての真価を発揮する。



「マシロ、ウォルフラム殿とソマリを下がらせるんだ! 魔人か魔獣か、何が現れても不思議じゃないぞ!」



 腰に下げた剣に手をかけようとしたサトラだったが、代わりに懐から『竜の牙』を取り出し宝玉から剣の形へと変えると他の四人を守るべく武器を構えて前へと出る。マシロもまたサトラの指示通りに二人を下がらせると杖を構えいつでも魔法を使えるように魔力を練り始める。



だが、 魔族の本拠地向こう側から姿を現してきたのは魔人でも魔族でも無く……一人の男、それもサトラやマシロと変わらない、ごく普通の若い青年だった。



「……えっ?」


「人間……なのか?」



 完全に意表を突かれ、思わず唖然とする二人。魔方陣を潜りやってきたのは年の頃はサトラと同じくらいの、体格の良いごく普通の青年にしか見えなかった。

 ただしその姿はこれ以上無いという程にボロボロで、服も元の色や形が分からないほど汚れており、顔や腕など露出している肌にも無数の裂傷痕、火傷痕などが痛々しく残っている。

 だが何より目を惹いたのは痛ましい姿よりも、ここシンクレル大陸では滅多に見る事の無いその黒髪。影次と同じ髪の色だった。



「何て酷い……まるで長い間拷問でも受けていたかのようじゃあないか。君、大丈夫か? 今治癒魔法を……」


「待ったサトちゃん! 近づいちゃ……」



 ボロボロの青年の姿に思わず駆け寄ったサトラを制止しようとしたシャーペイだったが、次の瞬間彼女のすぐ横を掠めて凄まじいスピードで何かが通り過ぎ、後ろの壁に叩き付けられる音と振動が室内に響く。



「……え?」



 何が起きたのか理解できず茫然とするマシロたちだったが、無造作に片腕を振り上げるボロボロの青年と壁に叩き付けられピクリとも動かないサトラの姿を見て、この青年がサトラを殴り飛ばしたのだと瞬時に理解し、同時にこの青年が紛れもなく自分たちの敵である事を確信する。


 殴り飛ばされ、壁に打ち付けられたサトラは今の一撃で完全に気を失ってしまっており、力無く倒れた彼女の頭から床の上にみるみる鮮血が広がっていく光景を目にしたマシロの胸に猛然と怒りが込み上げる。



「よくもサトラ様を……っ!鋭き氷刃、駆けて廻れ! 銀氷爪乱陣フロストリッパー!」



 青年の見た目から魔族から逃げてきた被害者かと思ってしまい反応が遅れたとは言え、王立騎士団最強のサトラを無造作な一撃で倒した相手だ。見た目に惑わされていたら自分も一瞬でやられると判断して目の前の青年に向けて怒りに魔力を燃やし氷の刃を放つマシロ。


 だが、青年は自分に迫る薄氷の刃に対し避けるどころか身を守るような素振りも一切見せず、背を反らし、大きく息を吸い込むと――



「ウォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」



 耳が引き裂かれるかのような咆哮が空気を震わせ、広大な部屋を揺さぶる。マシロが放った氷刃も青年の雄叫びによって彼に届く前に空中で粉々に砕け氷粉となって床に落ちる。



「くっ、うぅ……っ!」


「キヒッ、ヤバい感じがビンビンするねぇ」


「な、何なんだあいつは……!」


「うあー、みみがー、みみがぁー」



 凄まじい叫び声に溜まらず耳を塞いだマシロたちだったが鼓膜どころか頭蓋をも割られてしまいそうな轟音に溜まらずその場に倒れ伏せてしまう。



(違う……ただの人間じゃない。この男は一体……)


「ウゥ……ア、アァァ……アアゥ……」



 焦点の定まらない視線、口から発するのは言葉として成り立たない呻き。理性も思考も感じ取れない佇まいに不釣り合いな異常な力。明らかに普通の人間では無い事は確かだったが、かと言って今まで遭遇してきた数多の魔人達とも違う何かを、マシロは感じずにはいられなかった。



「アゥ、ア、アア……、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


〈fall down! bison! degeneration〉



 二度目の咆哮。それと共に青年の屈強な体に鮮血のように鮮やかな赤い亀裂が走る。苦悶とも憤怒とも思える猛々しい叫びを上げながら、青年の姿が、肉体が、変わっていく。

 皮膚はみるみるうちに黒ずんだ栗毛に覆われていき全身の筋肉が膨張し、元々大柄な部類だった体格が倍以上に肥大化していく。大木のような足の先は鉄足具のような蹄と化し、頭部の左右から生え始めた二本の角はあっという間に本人の身長程のサイズにまで伸び、人間にしか見えなかった青年は数秒も経たずして屈強な怪物へと変貌したのだった……。



「グォォォ……、ウォォォォォォォォオオオアアアアアアアアア!!」



 顕現せしは剛腕剛角の怪物。その姿は牛獣人族ギューボルトとも牛型魔獣ミノタウロスとも異なる、未知なる異形。周囲を、いやそれどころかこの地下にある迷宮そのものを揺るがすかのような雄叫びは全身に痛々しく奔る血のように赤い亀裂も相まって、さながら手負いの獣の断末魔のような壮絶な迫力を振り撒く。



「シャーペイ! サトラ様とソマリたちを連れてここから逃げてください! 早くっ!!」



 駄目だ。この怪物には勝てない。怪物の姿を一目見てそう悟ったマシロだったが、それでも他の面々が少しでも逃げる時間を稼ぐべく決死の覚悟で最大級の氷魔法を唱え始める。

 流石に事態の深刻さにいつもの軽薄な軽口も叩かず素早く倒れたサトラの元へと駆けていくシャーペイ。ソマリは怪物に立ち向かおうとするマシロを止めようとして、ウォルフラムに抱きかかえられ引き剥がされていく。



「だめだおねーちゃん! にげて、にげておねーちゃん!!」


「静謐なる白銀回廊、咲いて誇れ、抱いて眠れ!」



 魔人をも凍て付かせる氷魔法。だがそれが発動されようとした刹那、怪物の頭から伸びる巨大な角がバチバチと眩い火花を放ったかと思うと次の瞬間、角の先から放たれた電撃がマシロを撃ち抜いた。

 一瞬にして全身を超高圧の電流で焼かれ、呻き声の一つも上げる暇も無く意識を断ち切られるマシロ。その瞳からフッ、と光が消え、床の上に崩れ落ちていく。



「おねーちゃん! おねーちゃん!!」


「騎士団最強の剣士と学院序列十三位をこうもあっさりと……逃げるぞソマリ、アレは危険過ぎる。ボクたちだけでも逃げるんだ!」



 ソマリの小さな手を掴んでここから逃げ出そうとするウォルフラムだったが、その手をソマリに振り払われてしまう。振り返るとさっきまで泣き叫んでいたソマリの表情は一転して激しい憎悪に満ちたものへと変わっていた。



「よくも、よくもおねーちゃんを……おねーちゃんをいじめたな……おねーちゃんにけがさせたな!!」


「や、やめろソマリ! 馬鹿な事はよせ、逃げるんだよっ!」


「ころしてやる、おまえなんかころしてやる!! 爪着そうちゃく!!」



 懐から取り出した魔石、その身を魔人へと変化させる魔核を頭上に放り投げるソマリ。宙を舞う魔核は彼女の頭上で粉々になり怪しく光る粒子となって空中に魔法陣を描き、幼いソマリの体を獰猛な牙と爪を生やした猛獣のような異形に、百獣魔人アビスキマイラへと変えていく。



「ォォォォォォオオオオオオオオオオオーーーッ!!」


「ウォアアアアアアアアアアアッ!!」



 狂獣と凶獣、二匹の獣の咆哮が迷宮を揺るがし……どちらからともなく、まずは一匹が唸り声と共に目の前の獲物へと襲い掛かっていった……。

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