後悔と懺悔×猛獣対決

 リリアックと合流した影次は彼女と共に迷宮の最深部、つい先程謎の怪物の群れが出没した部屋へとやってきていた。

 リリアックが見た時にあった大量の水槽はその全てが割れており床の上は水槽の中に充満していた謎の液体で水浸しになっている。幸いにも水槽の中で液体に浸かっていた人外の怪物の姿は既にどこにも無く、先程影次が倒したもので全てだったようだった。



「なるほど……ここからさっきの怪物たちが出てきたって訳か。しかし何ていうか、この部屋だけ他と雰囲気が全然違うな……。こう、近代的というかな」


「僕もこれまで遺跡や美術館や貴族の屋敷とか、色んなところに行った事があるけれどこんなのは初めて見るよ。全然芸術的アーティスティックじゃないし。君も見ただろう? さっきの化け物たちの醜悪な事といったら溜らないよ。あれならまだ君の方がいささかマシってものだよ」


「このびっちゃびちゃの床の上に落としてやろうか」



 エイジが背におぶさっているリリアックの足を抱えている両手を離そうとすると慌てて両手両足を影次の首と腰に巻き付けてしがみつくリリアック。

 普段も怪盗活動時も男装なので傍目では分からない胸の膨らみが背中に押し当てられるが、黙っておこう。



「鬼畜か君はっ! こんな得体のしれない液体でドロドロネバネバした床の上に怪我人を突き落とそうとするなんて!」


「怪我って、頭の傷はもうとっくに治ったんだろ? 何でただの捻挫の方が回復に時間かかってるんだよ」


「外傷よりこういった内傷の方が治癒に時間がかかるんだよ。でなきゃこの僕が好き好んで男の背に身を預けるなんて屈辱に甘んじる訳が……あぁっコラ!手を話そうとするな落ちる、落ちちゃう!」



 こんな調子で若干緊張感のないやり取りを繰り返しながら割れた水槽が並ぶ部屋の中を探索していく影次とリリアック。最初は散々不平不満を吐き続けていたリリアックだったが何だかんだと言いながらすっかり馴染んでしまっている。



(水槽、というよりカプセルだな……。この中で怪物を培養していた? 誰かが意図的に、人為的に怪物を作っていたって事か?)


「何をボーッとしているんだい? ほら、奥にまだ部屋が続いているようだよ」


「ちょっと考え事してただけだよ。って言うかさっきまであれだけビクビクしてたくせに」


「いざとなったどこかの誰かが命を賭して守ってくれるんだろう? ほら、さっさと進みたまえ何をモタモタしているんだ。もしかしたらこの奥にこそお宝があるかもしれないじゃあないか」



 背に乗ったままぺしぺしと肩を叩いて急かすリリアックを本気でドロドロの床の上に投げ落としてやろうかと思いながら、足元に散乱する水槽の欠片を踏まないよう気を付けながら更に奥へと進んでいく影次。

 更に先にった部屋は広さも内装もほぼ前の部屋と同じではあったが、今度は水槽の代わりに丁度人が一人乗れるほどの大きさの台が並んでおり、さっきとはまた違う意味で異様な光景が広がっていた。



「何だここは、気味が悪い。これはテーブル、いやベッドかな? だとすればここは寝室という事だろうか」


「そんな訳あるか。どれだけ大家族なんだよ」



 テーブルにしては大きさも中途半端だし反りが入っているのはおかしいし、ベッドにしては少し小さい気がするしシーツの一枚も無いのは不自然だ。これではまるで診察台……いや、手術台のようではないか。前の怪物が入っていたという水槽が並んでいた部屋の光景を思い出すと、どうしても頭の中でろくでもない連想を浮かべてしまう。



「もしこれが手術台だとしたら大きさから見ても動物やモンスターじゃなくて、やっぱり人間用だよな。だとするとさっきの怪物たちは……」


 人体実験。それは騎甲ライザーとして肉体を改造された影次にとっても決して他人事ではない言葉だ。

 ここで誰が、何のために、何をしていたのかはまだ分からない。だが少なくともさっきの怪物たちは何者かの手によって人工的に造られたものだという事は間違いない。そしてそれが、他でもなく人間を元にした可能性が高いということも……。



「さっきのバケモノたちが人間? やめてくれ、冗談にしても悪趣味が過ぎる。……と、言いたいところだけど、正直僕も同じ事を思ってたところだよ。ああ、だから考えないようにしてたのに君が口に出すからもうっ!」


「そりゃ悪かった。けど、だとするとあの怪物たち……いや、あの人たちもただの被害者だったのかもしれないんだよな」


「まさか手にかけた事を悔いているのかい? 考え過ぎだよ、もし君が倒さなかったら僕は今頃どうなっていたかも分からないんだよ? それにあんな化け物になってしまったらもう手遅れだと思うけどね。君が元に戻す術を知っているというなら別だけど、そうじゃないのなら君のした事は別に間違ってはないと思うよ。むしろ君に倒されて彼らの魂はようやく救われたんじゃあないかな」



 リリアックの言う通り、今更後悔したところでどうにもならないのは影次自身も重々承知している。あそこで怪物たちを倒さなければリリアックは勿論、地上にまで現れ観光都市ミラーノの人々にも被害が出ていたかもしれない。例え彼らが元は人間だったとしても、だ。

 そう自分に言い訳をしていた影次にとって、リリアックからの意外な慰めの言葉はそれこそまさに救いだった。



「お前、もしかして慰めてくれてるのか?」


「ばっ、莫迦を言うな気持ち悪い! 淑女レディならいざ知らず何が悲しくて君みたいなむさ苦しい輩を僕が慰めなければならないんだ! 鳥肌がたつような事を言わないでくれっ!」


「……悪い」


「えっ? いや、別にそこまで落ち込まなくても……ぼ、僕も少し言い過ぎたというか」


「いや、そうじゃなくて」



 影次は自分たちが怪盗リリアックにわざと予告通り図書館に侵入させ、この迷宮図書館に入らせた事、そしてどんな罠があるか分からない迷宮の中を先導させ、その後を追う事で自分たちの安全を確保しようとした事を正直に話した。



「……要するに、君たちはこの僕を利用しようとした、と言うことかい?」


「勿論本当にお前が危なくなったら助けるつもりだったけど、その前にこっちが先に罠にかかって全然それどころじゃなくなっちゃったからな。お前の言う通り、怪盗リリアックを迷宮攻略に利用しようとしてたって訳だ」



 影次自身、改めて考えてもらしくなかった・・・・・・・と思っていた。仲間たちの安全とリリアックの安全を天秤にかけ、魔族をも出し抜くリリアックならば多少の罠でも平気だろうと彼女を危険な目に晒す提案を自ら率先したのだ。



(目先の事しか考えられずに周りが見えなくなるなんて、これじゃああの時・・・と何も変わってないじゃないか。海底神殿で昔の夢を見たせいか……いや、人のせいにするのはみっともないな)



 こんな事、あいつ・・・だったら絶対にしなかった筈だ。仲間もリリアックも等しく守ろうとした筈だ。自分のように醜い策略など巡らせず、ただ単純に目の前のもの全てを守った筈だ。

 そんな風に、自分も在りたいと思っていた事を何故忘れてしまっていたのだろうか。



「どんな危険があるかもわからない迷宮ここにお前を放り込んで、どんな罠があるか確かめようと生け贄にするような真似をしてたんだよ。謝ってどうにかなる話じゃないだろうけど、本当に悪かった、ごめん」



 背中に乗っかっているリリアックが自分の告白を聞いてどんな顔をしているのかは影次からは伺い知れない。当然怒っているだろうか、もくしくは「やはり男なんて」と見下げ果てているだろうか、今頃嫌悪に顔を引きつらせているだろうか。


 だが、リリアックはただ一言――



「ふぅん?」



 とだけ呟いただけで、自分を迷宮の罠除けに利用しようとしていた影次を詰る訳でもなく、怒り罵る訳でもなく、ただその一言で済ませてしまった。



「……怒らないのか? 恨まれて当然の事をしたと思うんだけど」


「むしろ君にもそういう打算的な一面があったんだなぁ、って感心していたところだよ。芸術都市パーボ・レアルの時は出会ったばかりの僕のために無抵抗でズタズタにされて、正直少し気味が悪かったからね。どうして赤の他人のためにそこまでするんだろう、ってね」


「本当はちょっと恨んでるだろ」


「クックッ、そうかそうか。いやぁ、やっと君に人間味を感じた気がするよ。思ってたより食えない奴というか、それともそっちが本性なのかな?」



 てっきり恨みつらみをぶつけられると思っていた影次だったがリリアックは文句の一つも言わず、むしろ何故か愉快だと笑みさえ浮かべている。



「それにだ。君たちが攻略困難と判断したこの迷宮も僕ならばいかなる罠も掻い潜り突破できると見越しての悪知恵だったという訳だろう? その通りだ、この華麗なる怪盗リリアックにかかればこれくらいの迷宮なんてモーニングコーヒーを淹れている間に片付くというものだよ。よく分かっているじゃあないか。ハッハッハッ」



 どうやらリリアックは影次が自分たちだけでは迷宮を攻略する自信が無かったので、リアリックの怪盗としての技能を利用した、という認識をしているようだ。利用された事には何の変わりも無いのだがその腕前を買われ、頼られたと思っているらしい。成程、道理で機嫌良く笑っている訳だ。



(確かにある意味ライ……リリアックの力を信頼していたと考えられなくもないけど、物は言いようだよな)


「ふふ、それにしてもいちいち回りくどい事をするな君も。僕に助力を請いたければ素直にその額を地面に擦り付けながら誠心誠意思い付く限りの懇願の言葉を並べ立てればよかったものを」


「実際そうしたら力を貸してくれたのか?」


「冗談を言うな。むさ苦しい野郎が何をしようと見苦しいだけだよ。僕に頼み事をしたくば見目麗しい淑女レディを連れてくるんだね! そうだな……取り合えず街に戻ったらサトラ嬢とマシロ嬢、あとシャム嬢とそれぞれ二人きりでお茶をさせてもらおうじゃあないか!」


「何て清々しいやつだ」



 サトラやマシロに迷惑はかけられないのでこの一件が片付いたらシャーペイを押し付けるとしよう。



「……ありがとうな」


「ふん、礼を言われるような事をした心当たりは無いんだが? まぁ、そこまで言うなら芸術都市パーボ・レアルでの借りはこれでチャラという事にしておこうじゃあないか」


「あの時の借りは見舞いのサンドイッチでチャラにしてなかったっけ?」










「グルァアアアアアアアアアアアアッ!!」


「ウォァァアアアアアアアアアアッ!!」



 影次とリリアックが迷宮深奥部を探索を続ける一方、影次たちとは別の場所では二匹の凶暴な獣が激しい戦いを繰り広げていた。

 一匹はソマリが変身した百獣魔人アビスキマイラ。そしてもう一匹は迷宮の奥にあった転移魔方陣から現れた謎の青年が変身した牛型魔獣ミノタウロスにも似た怪物だ。


 仮称するならば魔牛とでも呼べばいいだろうか。サトラを一撃で倒して魔牛の剛腕をアビスキマイラは跳躍して躱すと頭上から左右五指の爪を矢のように放ち魔牛の体に打ち込む。だが鉄鎧をも引き裂くアビスキマイラの爪も魔牛の強靭な肉体の前には通らない。



「ガァァァッ!!」



 魔牛の首に蛇のような尻尾を巻き付け締め上げながら背後へと回り込み、首筋に牙を突き立てるアビスキマイラ。だが魔牛の丸太のように太い首には文字通り歯が立たず、首を絞めていた尻尾を捕まれ凄まじい剛力で引き剥がされると床に叩き付けられてしまい、部屋中に地震のな振動が響く。



「グッ、ガ、アァッ……!」


「嘘だろう……アビスキマイラソマリでも歯が立たないのか、あの牛型魔獣ミノタウロス擬きには」


「ボサッとしてる暇はないよ。ソマリちゃんが時間稼ぎしてる隙に逃げなきゃアタシたちもやられちゃうよぅ!」



 魔牛にやられたサトラとマシロは息はあるものの怪我は決して軽いものではなく、現に今も意識が戻らない。すぐにでも治療しなければ命の危険もあるかもしれない状態だった。

 シャーペイとウォルフラムは二人を引き摺りながら何とか外に、少しでもあの怪物から逃げようとするが如何せん二人とも肉体労働をするタイプでは無いのでサトラたちの体を引き摺るだけでも一苦労だ。



「キヒッ……出来ればマーちゃんたち放って逃げちゃいたいところだけど、そんな事したら後でエイジがメチャクチャ怖いだろうし……ひぃひぃ」


「ソマリ! 何とかもう少し踏み止まってくれ! 頼むっ!!」


「ウゥ……、オネ、エ、チャン……、ウォッ、フ……!」



 魔人と化し獣の本能によって塗り潰されたソマリとしての理性。ほんの一欠けらほど残されていたそれ・・にウォルフラムの言葉が届いたのか、段々と劣勢になり追い詰められ始めていたアビスキマイラの闘争心が再燃する。叩き付けられた際に砕けた床を蹴り、再度魔牛へと飛び掛かる。



「グルゥァアアアアアアアアアッ!!」



 力勝負では分が悪いと悟ったアビスキマイラは持ち前の俊敏性を生かして魔牛の側面に、背後に回り込む。当然魔牛もそれを追おうとするがアビスキマイラは更にギアを上げ、床だけでなく壁を、更には天井をも蹴り前後左右、上下へと縦横無尽に魔牛の周囲を駆け回る。


 目にも止まらぬスピードで魔牛を翻弄しながら爪と牙で多方から攻撃していくアビスキマイラに今度は魔牛が追い詰められていく。鋼鉄をも凌ぐその肉体は一撃一撃は有効打にならないが、それが二十、三十と積み重ねられていくうちに次第に魔牛の皮膚が裂け、肉が切られ、鮮血が飛び散り始める。

 だが……。



「ウォォオオオオオオオオオオオッ!!」



 魔牛の角が眩い電光を放ち、アビスキマイラの全身に超高圧の電流が流れ込む。常人なら一溜りもない電撃だがアビスキマイラは意識を失う事無く、すぐに体勢を立て直そうとする。だが電撃を浴びて足が鈍ったほんの僅かな隙を、魔牛は見逃さなかった。



「……っ!! ソマリっ、ソマリっ!?」



 魔牛が放った電撃の光に思わず顔を背けたウォルフラム。彼が再び視線を戻した時、真っ先に目に飛び込んできたのは、魔牛の巨大な角に腹を貫かれ無残な姿となっていたアビスキマイラだった……。



「グ、ア、ア、ガァ……ッ」



 腹部から背にかけて貫いたアビスキマイラを早贄はやにえのように角に刺したまま勝ち誇ったように悠然と立つ魔牛。何とか逃れようと角を掴むアビスキマイラだったが、刺し貫かれたまま追い打ちをかけるように二度、三度と体内を貫いている角から直接電撃を流し込まれ……十数回目の電撃でとうとう動かなくなってしまった。



「ソマリっ!! ソマリーっ!!」



 相手が動かなくなると魔牛は頭をブン、と振り角に刺していたアビスキマイラの巨体を無造作に床の上へ放り投げる。それと同時にみるみるうちに百獣魔人の肉体から元の幼い少女の姿へと戻っていくソマリ。腹部に空いた風穴から床の上にみるみる血が広がっていく。



「ソマリ、目を開けろソマリ! おい、しっかりしろ! いつもの生意気な態度はどうしたんだよ……っ!」



 慌てて駆け寄りソマリの体を抱き起すウォルフラム。だが腹部から夥しい出血を続けるソマリは返事をする事も目を開ける事もなく動かない。



「キヒッ……過去一ヤバいかもね、この状況……。魔人でも勝てないとなるとアタシももうお手上げだよ」



 魔獣とも魔人とも違う怪物はサトラとマシロ、更にはアビスキマイラソマリさえも倒すと残る二人の獲物、シャーペイとウォルフラムへと迫っていく。

 魔牛の角が再び眩い電光を放ち、二人へと向けられーー



「そうはいきませぬぞ」



 魔牛が放った電撃はシャーペイたちに届く寸前で背後から投げられた剣が避雷針となって軌道が逸れる。シャーペイたちが振り返るよりも速く、その人物はたった今投げつけ電撃を受けて床に落ちた剣を拾い上げると負傷したマシロたちを抱えるシャーペイたちを庇う様に剣の切っ先を魔牛へと向け、立ち塞がる。



「遅ればせながら不肖、ジャン・ガリアンフォード。さぁ、ここからは紳士的ジェントルにいかせて貰いますぞ」

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