翻弄する迷宮×異形の怪物

「さ、さささ寒い寒すぎる凍え死ぬ……! い、いいい急いでどこか吹雪を凌げるところを探すぞ、このままじゃ間違いなく凍え死ぬ……!」


「……はて? 申し訳ありませぬ、よく聞こえませんでしたぞ……なんだか無性に眠気が……」


「起きろジャン!! 頼むから起きててくれ! ここで冬眠したら春になる前に凍死するだけだぞ!?」



 灼熱の洞窟温泉から吹雪が荒れ狂う極寒の銀世界へと飛ばされた影次とジャン。ほんの少し前まで蒸し風呂状態の洞窟の中で嫌というほど流した汗が冷気に晒され凄まじい勢いで体温が奪われていくのが分かる。

 常人よりも屈強な肉体を持つ影次でさえ生身では一溜りのに元々寒さに弱い鼠獣人族チューボルトのジャンは既にウトウトと冬眠しかけてしまっている。




「むにゃむにゃ……春になったら起こしてくだされ……」


「だから寝るな!! 起きろ、起きろってジャン! ああもうモコモコして暖かいなぁ!」




 本格的に眠りにつき始めてしまったジャンを必死に揺さぶり起こそうとする影次だったが、その間にも吹雪によってどんどん体力も体温も奪われ続け、次第に影次も気を抜いたら意識を失くしかけてしまう。

 せめてどこか吹雪をしのげるような場所でもあればいいのだが、ディプテス山で遭難したときのような都合のいい裂け目クレパスはおろか木や岩といったものさえ一つも見当たらない。右も左も見渡す限り真っ白な、雪以外には何も存在しない世界がどこまでも広がっている。



「こうなったら仕方ない……騎甲変身っ!」


〈It's! so! WildSpeed!〉



 左手首に出現した『ファングブレス』のスイッチを押し、光に包まれた影次の姿が一瞬にして騎甲ライザーへと変わり、全身から迸る流体因子エネルギーブラッディフォースが炎となって周囲の雪を、吹雪を溶かしていく。



「ライザー……インフェルノ!!」



 両手に宿した炎を胸の前で圧縮しバスケットボール大の火球を作り出すと、果ての見えない雪原に向けて発射する。紅蓮の炎が極限まで凝縮された火球はその膨大な熱量で吹雪を吹き飛ばし、腰近くまで積もる雪を蒸発させてわだちを作り上げる。



「よし、雪が弱まったこの隙に何とか出口を探すぞ!」


〈まさか除雪作業のためにライザーシステムを使用されるとは思いませんでした〉


「いいんだよ非常事態なんだし! ほらジャン起きろ行くぞ! ……ああもう面倒だ、このまま連れていくからなっ!」



 ファング影次はスヤスヤと寝息を立て始めてしまったジャンを担ぐと業火によって一時的に吹雪が弱まったこの機を逃すまいと雪が解けて露出した地面を歩き始める。

 どちらに向かえばいいのか、そもそも出口などあるのか、この雪の中を脱出するまでエネルギーは持つのか、不安材料は山積みだが仕方ない。それでも今はとにかく足を動かし続けるしかないのだ。


 そう覚悟を決めて一歩踏み出した ファング影次をまるで嘲笑うかのように、次の瞬間ガコン、となにの前触れも無く唐突に足元の地面が開き、またも大穴が露わとなって重力が消える。

 影次とジャン、本日二度目の落とし穴である。



「またかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


「うぅん……チーズはたっぷりめでお願いしますぞ……もうちょっと、もうちょっと多めに……」


「起きろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」











「……気のせいでしょうか。今、エイジの何ともいえない叫び声が聞こえたような」


「おー、きのせいじゃないかー? あたしにはなーんにもきこえなかったぞー」


「それよりも、どうしていつの間にかこんな森の中にいるんだボクたちは……。さっきまで花畑の中を歩いていた筈だっただろう。まったく何がどうなっているんだ……!」



 上に戻る方法を探すために湖畔を出発したマシロとサトラ、ソマリ、ウォルフラムの四名。だが何故か現在四人は深い森の中を歩いていた。

 地面に敷き詰められた鮮やかな花の絨毯から一転、隙間なく木々が鬱蒼と生い茂る森林へと何の前振れも無く風景が激変した事で出口を探すどころか益々道が分からなくなってしまったサトラたちだった。



「いつまで経っても出口どころか見覚えのある場所にさえ戻れないな。エイジたちも無事ならばいいのだが……。これでは流石に怪盗の事も心配になってくるな」


「エイジの事ですから大丈夫だとは思いますけど、シャーペイが一緒だとちょっと心配ですね……。それにしても本当にここは地下なんでしょうか? どう見ても本物の森ですよね……これは」



 以前訪れたエルフの森も壮観だったが、この森林の密度はそれ以上だ。まずまともな道も無いのでかろうじて人が通れる木の間を潜って進むしか無い。騎士として訓練を受けているサトラや身軽なソマリはこんな悪路でも平然と歩き続けているが、魔術師であるマシロと錬金術師のウォルフラムはどちらかと言えば元々研究職なので基礎体力に乏しく二人に付いていくのがやっとだった。



「おー、おねーちゃんだいじょうぶかー? つかれたかー? ソマリがおんぶしてあげるぞー」


「ありがとうソマリ。でもソマリにおんぶしてもらったら潰しちゃいそうだし気持ちだけ受け取っておきますね」


「そっかー。でもつらかったらちゃんというんだぞー? おそいぞウォッフー。いちばん年上のくせにいちばんおそいぞー。だらしないなー。だめだめだなー」


「何でお前はそうボクにだけ優しくないんだ……っ!」


「まあまあ、ソマリもそれだけウェルフラム殿を信頼しているという事なのだろう。なぁ、ソマリ?」


「んー? べつにー」


「お前なぁ! ボクが日頃からどれだけお前の面倒を見てやってると……」



 出口どころか一歩先に何が起こるかも分からないこの状況下ではあるが悲観的にならずにいられるのは不幸中の幸いと言えるだろう。その代わり緊張感も無くなってしまっているが……。

 ソマリがマシロに甘えながらウォルフラムを煽り、サトラがそれを宥める。そんなやりとりを繰り返しながら森の中をしばらく歩き続けていると、先頭を歩いていたサトラが異変を察知し足を止め、後ろの三人を制止する。



「みんな止まれ。……何かいるぞ」



 前方に気配を感じ取ったサトラに倣い、茂みや木の陰に隠れるマシロたち。耳を澄ませると確かに前方から何やら鳴き声のようなものが聞こえてくるのが分かる。

 地下にあるせいか、それとも別の要因があるのか、これだけ草木が生い茂っているにも関わらず動物どころか虫の一匹も見掛けなかった事からすっかり油断していた一行だったが、元はと言えばここは迷宮のトラップの渦中、何が待ち構えていても不思議は無いのだ。



「どうしますサトラ様。もしこんなところで魔獣に遭遇したら……」


「取り合えずもう少し近付いてみよう。幸いまだ我々には勘付いていないようだが、くれぐれも慎重にな」


「おー? かくれんぼかー?それじゃウォッフが鬼なー」


「何でだっ! って騒ぐな大きな声を出すなソマリっ……!」


「さわいでるのも声がでかいのもウォッフのほうだぞー」



 音を立てないよう注意しながらゆっくりと進んでいくサトラたち。謎の鳴き声はどんどん近くなっていくに連れ、次第に鮮明に、はっきりと聞き取れるようになっていく。そして同時にサトラとマシロの表情から緊迫の色が消えていく。



「マシロ。これはもしや……」


「……ええ。もしかしなくても、ですね」



 ハァ、と溜息をつくと隠れるのをやめて声の主へと近づいていく二人。案の定、そこにいたのは……正しくは吊られていたのは見覚えのある人物だった。



「うえーんエイジー、ネズミ君ーどこだよぉー。動けないよぉー助けてよぉー」


「はぁ、何してるんですかあなたは」


「あっ! いいところに来てくれたねマーちゃん!あ、サトちゃんも! 早く助けてー降ろしてー!」

 体中に蔦が絡みついた状態で木の枝から宙吊り状態になりめそめそと泣いていたシャーペイ。マシロとサトラの姿に気付き必死に助けを求める彼女の事は一旦さておき、マシロは周囲を見回し影次たちの姿が見当たらない事を尋ねる。



「エイジとジャンさんは? 一緒じゃなかったんですか? まさかあなた、二人を置き去りにして……」


「ノンノン! アタシだっていきなりこんなところに飛ばされてきたんだよぅ! いきなりエイジたちとはぐれたと思ったら木の上で、降りようとしたらこんな風に絡まっちゃって。いいから助けてよぅ!」


「やはりそっちも同じような目に合っていたようだな……。動かないでくれ、今降ろしてやる」



 サトラがシャーペイの体に巻き付いていた蔦を切り払うと自由になったシャーペイがドサッ、と上から落ちてくる。ところで何故彼女は上着を脱ぎポニーテール姿になっているのだろう……?



「いたた……酷い目にあったよぉ。落とし穴で砂漠に放り込まれたと思ったらグツグツの洞窟で蒸し焼きにされたりさぁ」


「それはまた……。こっちは湖と花畑からの森の中ですよ。本当にどうなっているんでしょうか、まるでシャーペイみたいですね、この迷宮は」


「はは、確かにシャーペイっぽいな」


「数秒前まで一人宙吊りにされてシクシク泣いてたシャーペイちゃんに対して優しみの欠片も無い! ……あれ? 何でちびっこコンビまでここに?」



 そこで初めてウォルフラムとソマリがマシロたちと同行している事に気付くシャーペイ。ウォルフラムの方も思わぬ形でシャーペイと再会した事で内心では一瞬動揺したものの、すぐに平静を装い調査の為に勝手に忍び込んだ事を説明する。



「キヒヒ、悪い子だねぇ。ま、気持ちは分かるけどもさぁ。アタシが同じ立場でも多分コッソリ忍び込むだろうし」


「もう勘弁してくれないか、その話は。散々そこの副隊長さんに絞られた後なんだ」



 お互い敵側に情報を流し合っている内通者同士、バレないように当たり障りのない会話を交わすシャーペイとウォルフラム。ただし言葉とは別に「余計な事は言わないように」、「くれぐれも口を滑らせたりするなよ」とアイコンタクトが行われているなど、サトラやマシロは当然気付く筈も無かった。










「はぁ、はぁ……! な、何なんだここは! 何なんだあれは……っ!!」



 無数の水槽、そしてその中に入れられていた人外のなにか・・・。余りにも悍ましく、得体のしれない光景を目の当たりにしたリリアックは死に物狂いで深層部から脱出して本棚の迷路へと戻ってきていた。

 これはもはや宝どころではない、急いで外に逃げなくては。ここまで全力疾走し続けて激しく乱れた呼吸を少しでも早く整えようと深呼吸を繰り返す。だが、自分が開けた隠し扉の向こうから大量の足音と呻き声が聞こえてくると小休止を取っていたリリアックは慌てて再び走り出す。

 ちらりと後ろを振り向くと隠し通路の向こうから水槽に入っていた何かが自分を追うようにこちらへと向かってきているのが見え、つい振り返ってしまった事を心底後悔しながら一目散に逃げるリリアック。


 色素が抜けたような真っ白な肌、真っ赤な宝石を埋め込んだかのような眼球。だが共通しているのはその二点だけで後は皮と骨だけしか残っていないようなものもいれば不自然に肉が盛り上がった巨体、酷いものになると手足が何本もあったり頭部が腹部にある異形、頭部や上半身が二つ繋がっているものもいれば逆に部位が足りないもの。


 そしてそのどれもが、かろうじて人の姿・・・・・・・・を朧げに残している事が、何よりも言い様の無い不気味さを増していた。



低級霊レイス? 屍人グール? い、いや違う……。あんなものが自然に発生する筈が無い! さっきの変な水槽……まさか、誰かがあのバケモノたちを意図的に作ったっていうのか!?)



 幸い異形たちの動きは緩慢ではあったが、それでもあんなグロテスクな、それも大量の怪物たちに追われるとなるとその恐怖心と嫌悪感は凄まじく、実際リリアックも腹の底から込み上げてくる吐き気を堪えながら逃げ続けていた。



(あんな醜いバケモノに襲われたらどうなるか分かったもんじゃない! 取り憑かれるか生きたまま食われるか……何にせよそんなのは真っ平ご免だよ!)



 元来た道を辿り地上に続く出口へと向かい走り続けるリリアック。だがその途中で突然行き止まりに行き着いてしまった。来た道を逆から辿っていたとは言えリリアックも世間を騒がせる怪盗だ、当然ここまでの道順は覚えていたし実際間違ってはいない。



「な、何でここが行き止まりに……。まさか道が変化したっていうのか!? そんな滅茶苦茶があるかっ!」



 理不尽に憤っていても仕方ない。ここは急いで引き返して追いつかれる前に別の道を、そうリリアックが踵を返したところで、既に異形の怪物たちは視界に見える距離まで近づいてきていた。



「くそっ! こんな芸術的アーティスティックじゃないところで僕の華麗な怪盗人生が終わってたまるか!」



 怪物たちの上を飛び越えていこうと翼を生やし天井近くまで飛び上がるリリアック。だがそんな彼女を逃がすまいとするかのように左右の本棚が突然傾き、リリアック目掛けて倒れてきたのだった。

 すかさず本棚の間を潜り抜けて避けたリリアックだったが、棚に収められていた大量の本が雪崩のように真上から降り注ぎ成す術も無く地べたへと叩き落とされてしまう。


 大量の本に埋もれながらも何とか抜け出し、逃げようとするがその場から身動きが取れないリリアック。足元を見ると落ちた際に倒れた本棚と地面の間に足が挟まってしまっていたのだ。

 幻人ライカンスロープの変化能力で抜け出そうとするが、落ちてきた本で頭を打ってしまったようで変化もままならない。こうして藻掻いている間にもどんどん怪物たちは迫ってきているというのに……。



(いやだ……こんなところで、あんな醜いバケモノたちに殺されるなんて絶対に嫌だ……!! くそっ、くそっ!! ハニーが、ハニーが待っているんだ!!)



 必死に足を引き抜こうとするが、巨大な本棚は当然びくともしない。怪物たちはもう呻き声がはっきりと耳に届くほどの距離まで近づいている。

 次第にリリアックの頭に死というものが過り始める。いや、ただ死ねるだけならばまだ幸せかもしれない。自分はこれからあの醜い怪物たちにどんなに惨い殺され方をするのだろう。それとも自分も同じように水槽に入れられ醜い化け物にされてしまうのだろうか。



「誰か……」



 怪物たちが迫る。リリアックという新鮮な餌を求めて、ゆっくりとした歩みで、だが確実に。



「た、助けて……だれか、誰か……っ!」



 異形の怪物の一匹が、その手を地面に倒れているリリアックに伸ばす。思わずリリアックも顔を伏せ……。



「ライザーインパクト!」



 死を覚悟したその時、水槽の中にいた怪物とは別の異形の拳がリリアックに迫ろうとしていた怪物を殴り飛ばした。



「……やれやれだ。よりによって君に助けられるとはね」


「そいつは悪かったな」



 絶体絶命だった怪盗の前に現れたのは黒い鎧に身を包んだ見覚えのある異形、騎甲ライザーファングだった。

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