花野の湖×砂の海
迷宮の
真下に広がるのは上空からでも一目で分かるほど澄んだ湖。その周囲には色とりどりの草花が咲き誇り、草木の爽やかな緑の匂いと花々の甘い香りが一帯に満たされている。
「地下の図書館の更に地下に湖畔!? 何がどうなっているんだここは……!」
「お、落ちる落ちます落ちちゃいます! わ、私泳げ……ひゃあぁぁっ!?」
落ちてきた穴から放り出されたサトラとマシロは湖へと真っ逆さまに落下していき、そのまま激しく水飛沫を上げて着水する。咄嗟に姿勢を整えたものの、上空から水面に叩き付けられた際の衝撃で一瞬意識を失いそうになるサトラ。鋼の精神力で何とか意識を繋ぎ止めるとマシロの姿を探し水中を見回し、沈んでいくマシロの姿を見つけると彼女の体を引っ張り何とか陸へと上がっていく。
「はぁ、はぁ……。あ、危なかった……。もし落ちた場所が湖の上じゃなければ一溜りも無かったな」
改めて上を見上げるサトラ。自分たちが落ちてきた穴は実に地面から30m以上はあるだろう。落とし穴から放り出された場所が丁度この湖の真上になったのは偶然か、
「それにしても、とても地下とは思えないな……。幻覚の類では無いようだし、花も草も全て間違いなく本物だ。ダンジョン化しているという訳でもなさそうだが」
「うぅ……。あれ、サトラ様……?」
「おお、気が付いたかマシロ。無事でよかった。怪我は無いか? どこか痛むところは?」
「けほっ、けほっ……。ちょっと水を飲んだくらいです、ありがとうございます……。流石に死ぬかと思いました」
着水時の衝撃で気を失っていたマシロも意識を取り戻す。幸運にも二人揃って特にこれといった怪我もしていないようだ。しいて言うなら頭の先から爪先までびしょ濡れになってしまったくらいだろうか。
「ああ、同感だ。下が水で無かったら……いや、それも十分な深さが無ければ二人揃って死んでいただろうな」
「いえ、私の場合泳げないので一人だったらどのみち終わってました。それにしても……とても地下とは思えない光景ですね、ここ」
「それも同感だ。私も丁度まったく同じ事を考えていたよ。落とし穴の先にあるものとは思えない、実に美しい風景だ。
水底が見えるほど透き通った湖、鮮やかな花畑。これでもし頭上に天井ではなく青空が広がっていればまさに絶好のロケーションだっただろう。サトラとマシロも、もしこれが探索や調査で無くただの散歩だったのなら一息ついてこの奇麗な景色をゆっくりと楽しんだのだが……これが地下に隠されていた迷宮図書館の更に地下にあるものだと思うと、折角の美しい光景もどこか不気味なものに思えてしまう。
「随分と落とされてしまったな。どこかに上へ登れる場所があればいいんだが……。流石にあの穴から戻るのは無理だろうしな」
自分たちが落ちてきた穴を見上るサトラ。マシロの氷魔法で足場を作ったとしてもゴーレムの背丈ほどの高さにある天井の穴までは届かない。例え届いたとしてもろくに起伏もない落とし穴の中を逆戻りしようとするのは現実的ではないだろう。
「まずはこの辺りを調べてみましょう。もしかしたら階段か梯子のような類のものがあるかもしれません」
「そうだな。だが罠にかかった者が落ちてくるところにわざわざ上に登れるものを用意してくれているかどうか……。ここで死ぬまで閉じ込められて花畑の養分になるなんて事は是非とも避けたいものだな」
「縁起でも無いことを言わないでください……」
兎にも角にも上に戻る手段を探すべく行動を開始するサトラとマシロ。だが二人がそう意気込んだ次の瞬間、頭上から何やら人の声が響いてきたのだった。
「お、落ちる落ちる落ちてるっ!! どこまで落ちるんだぁぁぁ!?」
「あははー。なんかこれおもしろいなぁウォッフー」
その声に気付き天井を見上げたサトラとマシロの目に飛び込んできたのは、自分たちが落ちてきたものとは別の穴から、まさについさっき自分たちがそうだったように湖目掛けて真っ逆さまに落ちてくる小さな二つの人影だった。
「あれは……そ、ソマリ!? どうしてこんなところにあの子が!?」
「もう一人は確か
天井に空いた落とし穴の出口から宙に放り投げだされたソマリとウォルフラムはサトラたちと同様に湖の上へと落ち、二つの大きな水柱が上がり、飛び散った飛沫が周囲の草花に、サトラとマシロに降り注ぐ。
「ぺっ、ぺっ!! し、死ぬかと思った……! 思わず今まで生きてきた自分の人生を振り返ってしまったよ……!!」
「あははっ! めちゃくちゃおもしろかったなー。なぁなぁウォッフもういっかいー。あたしもういっかいやりたいぞー」
「ボクは二度とご免だよ! まったく、たまたま下が水だったから助かったものの……。それに何なんだここは。どうして地下のまた地下にこんな花畑が……」
ずぶ濡れになったウォルフラムが愚痴を零しながら湖から上がってくる。濡れた服を絞り水を出していると、ふとその視線が周囲の花々からサトラとマシロへと注視される。どうやら今更二人の存在に気付いたようだ。
ちなみにソマリは湖の中で服を着たまま器用にスイスイと楽しそうに泳いで遊んでいたりする。何ともタフな子だ。
「おー、おねーちゃんだー。やっほー。きぐうだなぁー。おねーちゃんもあそぼうー」
「ソマリ、それにウォルフラムさんまで……。ど、どうして二人がこんなところに」
「えっと、いや……それはその……」
よりにもよって騎士団副隊長のサトラと魔術師学院所属のマシロの二人に鉢合わせしてしまい必死に頭の中でそれらしい言い訳を考えるウォルフラム。流石に好き勝手に調べたいから勝手に忍び込みました、なんて言える筈も無く、ソマリには悪いがここは口実に利用させてもらうことにする。
「ぼ、ボクは必死に止めようとしたんだけどね! 噂を聞いたソマリがどうしても行ってみたいといってきかなくてね……」
「あのなー? ウォッフがすきかってにしらべたいからこっそりしのびこんじゃおうってなー?」
「そ、ソマリ!」
秒で
「言わずとも自覚しているだろうが、貴方の行為は立派な不法侵入だぞウォルフラム殿。研究熱心なのは結構だが叱るべき手順と手続きを経るべきではないのか。しかもあんな幼い子に責任転嫁しようとするなど……。いいかい? あなたはなりは小さくとも立派な大人なのだから大人として最低限果たすべき責任というものが……」
「ソマリ、ソマリ。風邪を引いてしまいますから上がってきてください。あと泳ぐなら服じゃなくてちゃんと水着で遊ばないと駄目ですよ」
「おー? わかったー。いまそっちいくー」
「貴方は彼女の保護者なのだろう? ならばきちんと年長者としてソマリの先達となるよう普段からきちんとだな……」
騎士団や魔術師学院に悟られる事なく探索しようと忍び込んだウォルフラムだったが、その目論見もこうなってしまったら完全に破綻してしまった。これならば最初から素直に調査に同行して貰えるように頼んだ方がマシだった、と今更ながら後悔してしまう。少なくともこうして忍び込んできた事を屑々と咎められ窘められる事は無かったのだろうから。
(ああ、もう何もかも台無しじゃないか……っ! どうしてこう毎回毎回ボクばかり割を食ってばっかりなんだっ!)
「ウォッフー、それじごうじとくっていうんだぞー」
「心を読まないでくれないかっ!?」
「うおああああああああっ!?」
「おおおおおおおっ!?」
「にゃああああああああああああああああああーっ!?」
一方、転移魔法によってサトラたちと分断され、更に落とし穴に掛かった影次たちもサトラたちと同じく長い穴を抜けて宙に放り出されていた。
ただし違うのはサトラやマシロたちとはまた別の場所だと言う事、そして真下に見えるのは湖ではなく確かな地面だと言う事だ。
「にゃああああこんな高さから落ちたらグチャーだよ!! シャーペイちゃんグチャグチャになっちゃうよ!!」
「安心しろお前じゃなくてもグチャグチャになっちゃうよ!!」
「お二人とも、私にお掴まりくだされ!! いきますぞぉ……!」
宙に投げ出され勢いよく地面めがけて落下していく中、手を伸ばしてジャンの腕や足に何とかしがみ付く影次とシャーペイ。ジャンは二人が自分の体にしっかり掴まった事を確認すると大きく口を開き、目一杯息を吸い込み大量の空気を体に取り込んでいく。
そのまま吸い込んだ空気で頬袋を限界まで膨らませると、先程までの凄まじい落下速度が段々と緩やかになっていき、頬袋を膨らませたジャンはその見た目通りまるで風船のようにフワフワとゆっくり地面に落ちていく。
「おぉーっ! 凄いよネズミ君! こうしてゆっくり降りてくと中々悪くない景色だねぇ。見晴らし抜群って感じでさぁ」
「ちょっとしたスカイダイビング気分だな。ありがとう助かったよジャン。大丈夫か、重くないか?」
足にしがみ付いていた影次が見上げると「任せてくだされ」とばかりに頼もしく親指を立てるジャンと目が合う。冷静に考えるとそうはならないだろ、という気もしなくもないが、ここは
頬をパッツンパッツンに膨らませた人間大ハムスターがフワフワと緩やかに空から降りていく光景は恐らく傍から見れば中々にシュールな光景だろうが……。
「しっかしどういう理屈なのさ、その頬袋風船。ま、助かったからどうでもいいけどさぁ」
「あ、やっぱり不思議現象なのかこれ」
「ぷはーっ。なに、この程度
ジャンのお陰で何とか無事に着地することが出来た影次たち。降り立った地面は上の迷宮のような木造のものではなく大量の砂が敷き詰められており、改めて周囲を見回してみると右も左も見渡す限り一面砂で埋め尽くされており、それ以外には壁や道はおろか石ころ一つ無い。殺風景という言葉で片づけるにはあまりにも不気味な風景だった。
「まるで砂漠だな……地下だから日差しが無いのが救いだけど」
「キヒヒ、その代わり出口や上に戻れるようなところも見当たらないけどねぇ
シャーペイの言う通り、遥か頭上の天井に自分たちが落ちてきた落とし穴が見えるだけで、後はひたすら砂、砂、砂といった風景が広がっている。それもどの方向を見ても果てが見えず、どう考えても上階の迷宮図書館の比ではない規模の空間が広がっていた。
「この砂自体はどこにでもある普通の砂みたいだねぇ。っていうか意味がわかんないよ。転移魔法の罠に気持ち悪い植物に、挙句の果てに落とし穴の先に砂漠? 一体どこの根性ひん曲がったやつが作ったんだろうねぇ」
「作った? っていう事はやっぱりここはダンジョンとは違うのか?」
「ダンジョンっていうのは基本的に地面や岩の中に混入してる魔石の魔力でその辺一帯の地形ごと変質したもので、要するに自然発生するものなんだよ。それに比べてここはどう見ても人為的に作られたものだね。この砂漠といい、さっきまでのヘンテコな罠といい、何ていうか製作者の陰険さが伝わってくるよねぇ」
確かに思い返してみればここまでの
まるで意図的に命を奪うような罠を避け、足止めや嫌がらせに徹しているかのような……。
「確かに。ダンジョンにも稀に
「……い、言っとくけどアタシじゃないからね!?」
転移魔法と言えばやはり真っ先に思いつくのはシャーペイだが、もしこの迷宮を作ったのが彼女だとしたら自分で自分の罠にこうも引っかかるのは流石に間抜け過ぎる。
……いや、案外本当にただの間抜けだったりするかもしれないが。だってシャーペイだし。
「もし万が一シャーペイじゃないとしたら……他に転移魔法を使える心当たりと言えば」
「ふむ、エイジ殿とサトラ殿が海底神殿で遭遇したという魔族、
「女の子にはもうちょい優しくしようよぅ!」
「何が女の子だ200歳。まぁそれはさておき、ここでじっとしていてもしょうがないし上に戻る道か、先に進める道を探そう。マシロやサトラも心配だしな。ついでにリリアックも」
そう言って改めて周囲を見回す影次。右も左も果てしなく続く砂の海。さしずめ彼方に見えるのは水平線ならぬ砂平線と言ったところだろうか。本物の砂漠のような日差しが無い分、今のところ暑さは感じないが出口どころか木陰の一つすら無いこの砂海で何日も彷徨う事にでもなれば十分命取りだ。どうか梯子か階段がどこかにある事を祈るしかない。
(最悪の場合、変身して天井をブチ抜くしか無いか……。迷宮自体が崩れるかもだし、マシロたちがどこにいるかも分からないし本当に最後の手段だけど)
「ねぇエイジ。変身すれば天井にあるアタシたちが落ちてきた落とし穴から戻れない? ほら、必殺ライザー落とし穴逆戻り! とかないの?」
「ある訳無いだろ限定的過ぎるわ」
「じゃあネズミ君。さっきみたいに頬袋に空気溜めてプカプカ浮いて天井まで行けない?」
「行ける訳ありませんぞ頬袋にどれだけ期待しておるのですか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます