突入×迷宮の洗礼

 日も沈み黒に染まった空に三つの月が浮かぶ夜の刻。観光都市ミラーノの山林地区に建てられた図書館に怪盗リリアックが姿を現した。

 漆黒のタキシードと夜風に靡くマントに身を包んだ長身痩躯。手袋と首元のタイ、そして顔の上半分を覆い隠す蝙蝠を象った真っ赤な覆面。月を背に木の上から図書館と、警備にあたっていたテネリフェたち魔術師学院の術師たちを不敵に見下ろす月下の怪人。



「お集まりの諸君御機嫌よう。それではこれより予告通りこの図書館の地下に眠る秘宝を頂戴しに……って、何だろう、警備の数が少なすぎやしないかい?それに予告状を出したというのに観客たちギャラリーも全然いないじゃないか」



 リリアックの侵入を防ぐ(フリ)ために警備していたのは本来ゴーレムの調査にミラーノにやってきていた学院の調査隊、約10人弱だけだ。そして街の人々のほとんどは今頃マリノアの屋敷で夕食会に参加しており野次馬の一人もいない状態だった。

 ミラーノの街にも自警団はあるが彼らには万一に備えて街とマリノア邸の人たちの方を任せているので、リリアックがあまりの人の少なさに露骨にがっかりしてしまうのも無理はない。


 と言うか予告状まで出して人々の関心を引こうとしたのにマリノアの人気に惨敗する怪盗というのもどうなのだろうか……。



「えぇ……何だこれ、テンション下がるなぁ……。これじゃあ全然盛り上がらないじゃないか。僕の予告状はちゃんと届いたんだろう? 何でこんなに人がいないんだ」


「お生憎様でしたね。興が削がれてしまったのでしたらどうぞこのままお引き取りくださっても結構ですよ。我々としてもあなたに構っている暇は無いのですから」


「そうだそうだ! 第一予告した時間はもう過ぎてるぞ!」


「怪盗のくせに遅刻するなっ! 時間くらい守れ子供じゃあるまいし!」


「ばーか!」



 観客も無く警備も少なく露骨に張り合いを失ってしまったリリアックに向けてテネリフェたち調査隊から容赦のない言葉が次々と放たれる。テネリフェの言う通り彼女たちは本来ならばゴーレムの一件に専念したいのに、一旦作業を止めてこうして図書館の警備を行っているのだ。その原因である怪盗に対して当然文句の一つも言いたくなるのは当然の話だ。



「むぐぐ……っ! じ、時間に遅れたのは申し開きのしようもないがそこまで言わなくてもいいじゃあないか! ええい、君たちなんぞに用はない、道を開けて貰おうか!」



 マントを広げて立っていた木の枝から羽ばたくように夜空を舞うリリアック。対するテネリフェたち学院の調査隊も図書館に入れまいと各々リリアックに向けて魔法を放ち迎撃し始める。



「ハッハッ! どこを狙っているんだい? 騎士団や冒険者ならいざ知らず君たちみたいの警備なんて目を瞑っていたって通り抜けられるさ!」


「くっ……、ここは絶対に通しません!」


「いいや、通らせてもらうよレディ。なに、悔やむ事はない。君たちはただ相手が悪かっただけさ。そう、この天下の怪盗リリアックが相手だったのだからね!」



 テネリフェたちが放った火球や電撃、衝撃波といった攻撃魔法をひらりひらりと軽やかに掻い潜り、図書館の屋根に飛び移るとそのまま天窓の鍵を袖から取り出した針金で手際よく抉じ開けてしまうリリアック。慌てて追いかけようとするテネリフェたちを不敵な笑みを浮かべて見下ろし、そのまま図書館の中へとまんまと入り込んでしまうのだった。



「それでは皆様方、良い夜を」


「ま、待ちなさい怪盗リリアック!」


「ハッハッハッ! せいぜい僕の華麗なる活躍を世間に吹聴してくれたまえ!」



 勝ち誇った笑い声と共に図書館の中へと消えていった怪盗リリアック。その姿が完全に見えなくなるとテネリフェたち調査隊の面々が揃って「ふぅ」と作戦が上手くいった安堵の息をつき、肩を撫で下ろす。

 ここまでは当初の作戦通りだ。野次馬の一人もおらず、あからさまにガッカリしやる気を無くしていたので先程の「そのままお引き取りください」もテネリフェとしては本気で言ったのだが……。と言っても相手は怪盗、捕まえられるのならばそれに越した事はないだろう。



「しかし怪盗、こっちが手加減してるのも知らずに好き勝手な事を言ってくれたもんだ。本気で燃やしてやろうかと思ったよ、俺」


「予告の時間になっても来なかった時は焦りましたよね……。流石は怪盗、事前にこちらの作戦を察知したのかって思いましたよ。それがまさか、ただ遅刻しただけって……」


「それにしてもテネリフェ、随分と芝居が上手いんですね。お陰で怪盗にも全然怪しまずに済みましたよ」


「ええ、まぁ……事前に少し演技指導を受けたので……」



 今夜の作戦の打ち合わせの後、この少ない人数での警備をリリアックが怪しまないようにとある元舞台役者・・・・・・・・から受けた指導を思い出すテネリフェ。ほんの短い時間の付け焼刃の稽古だったが上手くいってよかった。



(こちらは作戦通りです。後は頼みましたよマシロ……)







 図書館の中へと侵入してきたリリアックの姿は薄暗い館内で物陰に身を潜めている影次たちにもはっきりと確認が出来た。どうやら建物の中に警備が一人もいない事を訝しんでいるようだったが、すぐに気にせず目的である地下への隠し通路を探し始める怪盗に影次たちは安心半分、呆れ半分といった複雑な気分になっていた。



(少しは罠かもしれないと怪しまないんですか、あの怪盗は)


(怪しまれないよう私とジャン殿が飛び出して捕まえようとするフリをする、という打ち合わせだったが……あ、隠し通路を見つけたようだな。何の警戒もせずに降りていったぞ)


(何とも豪胆と言いますか勇敢と言いますか……中々に大物ですな)


(えー? 単に細かいこと考えてないってだけじゃないの?)


(ほらみんな、気持ちは分かるけど俺たちも行こう。急いで追いかけないと見失ったら元も子もないからな)



 リリアックが隠し通路から図書館の地下へと降りていくと隠れていた影次たちも後を追い地下の迷宮図書館へと向かう。



「おお……これは何と浪漫溢れる光景なのだろう。本棚によって作られた広大な迷宮とは何とも雰囲気があるじゃあないか。フフ、こうなるとお宝にも期待が持てるというものだ」



 影次たちが図書館の地下に降りると迷宮図書館を目の当たりにして感慨に耽っているリリアックの後ろ姿が見えた。どうやらまだ後ろから影次たちが尾行している事にも気付いていないようで早速マントを翻し足を踏み入れていくリリアック。



「キヒヒ、取り合えず入口に罠の類は無いみたいだねぇ。この調子で怪盗君に人身御供……もとい斥候になってもらっていこうか」


「今更こういうのも何ですけど、私たちも大概酷い事してますよね……。流石にちょっと胸が痛むんですが」


「えっ? マーちゃんに痛む胸なんて」


「それ以上言ったら氷漬けにしますよ。どちらの意味でかは知りませんが」


「二人とも遊んでないで早く行くぞ。見失ってしまいそうだ」



 腐っても流石は怪盗というべきだろうか、本棚によって作られた通路を軽快な足取りで走るリリアックは気を抜くとあっという間にその姿が見えなくなってしまいそうになる。更に迷宮の中は頻繁に右に左にと曲がり角があるので、気付かれないよう注意して距離を取り過ぎても見失ってしまいそうになる。


 迷宮図書館とは本当によく言ったもので、ずらり並んだ天井まで並ぶ棚にはぎっしりと隙間なく本が詰まっており、地下空間という事もあってか、この広大な広さにも関わらず本特有の紙とインクの混ざり合った匂いが漂っている。



「みんな、怪盗を見失わないようにするのもそうだが、はぐれないように注意してくれ。こんなところではぐれてしまったら大変だからな」


「そうですね、特にシャーペイ! あなたは足が遅いんですからちゃんと……」



 リリアックを追いかけ走りながら最後尾にいた筈のシャーペイに特に釘を刺しておこうとマシロが振り返ると、既にシャーペイの姿はどこにも見えなくなっていた。

 案の定というか危惧した傍からというか、早速はぐれたのかと呆れ顔を浮かべるマシロだったが、既に異常事態・・・・が起きてしまっている事に気付いたのは視線を正面に戻した時だった。



「……っ!? サトラ様っ!」


「ああ、わかってる!」



 リリアックの後を追うのを一旦やめて足を止めるマシロとサトラ。気付けば姿が無くなっているのはシャーペイだけでなく、影次とジャンも姿まで、いつの間にか無くなっていたのだった。



「エイジ! ジャンさん! 一体いつの間にはぐれたんでしょうか……ここまで一本道で分かれ道なんてどこにもありませんでしたよね……?」


「私はエイジとジャン殿のすぐ後ろを走っていたのだが……気が付けば音もなく消えてしまっていたんだ。……気をつけろマシロ。やはりこの迷宮、何かあるぞ」



 一見棚の並びがおかしいだけで、それ以外は何の変哲もない大きな本棚が並んでいる図書館にしか見えないのだが、今や逆にその変哲も無さが酷く不気味に思えてきてしまう。

 リリアックも既に姿はおろか足音すら聞こえなくなってしまい、迷宮の中にあっという間にたった二人だけになってしまったマシロとサトラ。一度引き返すか、それとも影次たちを探しながら先を進むか、どちらを選択するか二人が考え始めたところで……。



「さ、サトラ様!? 後ろ、後ろの本棚がっ、本棚が!!」


「な、なんだあれは!?」



 まるで考える暇など与えない、とばかりにバタバタと凄まじい轟音を響かせ、サトラたちがたった今来た道を押し潰さんと次々と本棚が勢いよく倒れてきた。通路を完全部埋め尽くすほどの本棚の雪崩。あのサイズの、しかも隙間なく本が詰め込まれた棚だ、例え一つだけでも下敷きにされれば一溜りも無いだろう。それが雪崩のように迫ってきているのだ。



「あ、明らかに本棚の数が合わないですっ! どうなってるんですかこの図書館!?」


「いいから逃げるぞマシロ! あんなのに巻き込まれたら一巻の終わりだ! とにかく走れ、全力で走るんだっ!!」



 退路を塞がれただけでなく、怪盗を追いかけていた筈が一転して本棚に追われる事になってしまうマシロとサトラ。一本道の通路をひたすら走って背後から迫る本棚の雪崩から逃げ続ける。マシロがちらりと逃げながら後ろを振り返ると、倒れてくる本棚の数は益々増え続けており、磁針のな振動と耳をつんざく轟音が地下に響き渡る。



「ま、マシロ……! 氷魔法であれを止められないか……!?」


「さ、流石に、あれだけの質量と勢いでは……! はあ、はあ……」



 どこまで、いつまでこうして走り続ければいいのだろう。既に体力も尽き欠け足が思うように動かなくなり始めた頃、更なる絶望が二人の前に文字通り立ち塞がった。



「い、行き止まり……だと」


「そ、そんな!?



 必死に逃げ続けていたマシロとサトラだったが突然通路が途絶えてしまう。ここまでずっと一本道で他に道らしきものも無かった。もしあったとしても、もう間に合わないだろうが。

 破れかぶれで杖を構えて雪崩を止めようと氷魔法を唱え始めるマシロ。サトラも懐から取り出した宝玉の形をした『神の至宝』を取り出し、それを『竜の牙』と変えて、身構える。



「こうなったら一か八かだ……いくぞマシロ! 私たちはこんなところで終わる訳にはいかないんだ!!」


「はいっ! 静謐なる白銀回廊、咲いて誇れ、抱いて……えっ?」



 少しでも足止めになればと最大級の氷魔法を詠唱し始めるマシロだったが、次の瞬間、重力が消えて突如ふわりとした浮遊感に包まれる。いや、正確には消えたのは重力ではなく足元、床なのだが……。



「お、落ちるっ! 落ちるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


「次から次へと何なんですかここはああああああぁぁぁぁ!?」



 突如扉のように大きく開いた足元から真っ逆さまに真っ暗な奈落の底へと落ちていくマシロとサトラ。二人を飲み込むとすぐに床は閉じ……数秒後、さっきまで二人が立っていた袋小路が夥しい量の本棚の洪水に飲まれたのだった……。









 怪盗リリアックと、それを追って影次たちが迷宮図書館へと突入した後、ウォルフラムとソマリもまた少し遅れて同じく迷宮に足を踏み入れていた。



「まさか本当に都合よく騒ぎが起こるとはね。ボクは無神論者だけど今日ばかりは天上の女神に感謝したい気分だよ」


「おー、ウォッフいいのかー? ここかってに入ってー。またおこられてもしらないぞー」


「いいんだよ。それよりもソマリ、くれぐれも大人しくしているんだぞ? 君があんまりにも駄々を捏ねるものだから仕方なく連れてきたけど、ボクの調査の邪魔をするようなら宿に帰って貰うからな。いいね?」


「わかってるってー。ちゃーんとウォッフがあぶないことしないようにみててやるからー。あんしんしていいぞー」


「だから何で君が保護者面をするんだ……っ!」



 図書館の正面入り口でテネリフェたちとリリアックがやりあっている隙に裏口の鍵を抉じ開けて図書館の中に侵入したウォルフラムたち。館内で怪盗を待ち構え潜んでいた影次たちとかち合わなかったのは、ただの偶然だった。


 それにしてもこんなところで鍵開けの魔法が役に立つとは思わなかった。見た目で子供と勘違いされ組合ギルドが管理する資料館や遺跡などに立ち入る際にいちいち身分証を呈示するのがいい加減面倒になり、ついカッとなって作った魔法術式だったが……。



(まぁ、もし今までの不法侵入がバレて錬金術師組合アルケミーギルド除籍クビになったとしても鍵屋として食っていけるだろう。それともリリアックのように怪盗にでもなってみようかな?)


「どうしたウォッフー。ところでここでなにするんだー? どろぼうかー、ウォッフどろぼうになったのかー。わるいやつだなぁー」



 実際やっていることは絶賛不法侵入中なのでいつものように強くソマリを叱れないウォルフラム。館内は薄暗く視界もままならなかったが運よくすぐに例の隠し通路を見つけられる事が出来た。……まるでたった今誰かがここを通っていったかのように不自然に入口が開きっぱなしにされていたのは気になるが、この先に何があろうと、だれが待ち受けていようとこの機を逃す気は無かった。



「おお……、まさに図書の迷路。ここなら期待できそうだ」


「おー? すげー、でっけーほんだながいっぱいだー。ほんやかー? ここほんやかー?」



 自分が見つけた隠し通路、そしてこの迷宮図書館。改めてこうして目の前に来るとその異様な光景に、雰囲気に圧倒されそうになってしまう。後ろで呑気な声を上げキョロキョロとしているソマリが程よく緊張感を削いでくれるのが幸いだ。



「さぁいくぞソマリ。ここならボクの目的・・に必要な手掛かりが見つかるかもしれない。くれぐれも足を引っ張らないようにしてくれよ?」


「おー、まかせとけー。ソマリがばっちりウォッフのことまもってやるからなー」


「だから保護者はボクの方だと……んっ?」


「どうしたー? おー?」



 もはや恒例のやり取りを交わしながら迷宮に足を踏み入れるウォルフラムとソマリ。その第一歩を踏みしめた瞬間、カチリ、とまるで何かのスイッチが入ったかのような音が微かに聞こえたような気がして怪訝そうに周囲を見回すウォルフラム。数秒後、重力が消えて突如ふわりとした浮遊感に包まれる。いや、正確には消えたのは重力ではなく足元、床なのだが……。

 


「う、うわあああああああああああ!!な、なんだぁぁぁぁぁ!?」


「おーーーーー」



 突然大きく開いた床から真っ逆さまに落ちていくウォルフラムとソマリ。小さな二つの影はあっという間に真っ暗な奈落の底へと落ちていってしまったのだった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る