母の願い、娘の想い×テネリフェの要求

「……ぷはぁ!! あーもう溺れ死んじゃうかと思ったよ!!」



 水面から顔を出したシャーペイは数分ぶりの酸素を思うさま吸い込んでから両脇にそれぞれ影次とサトラを抱えて海の中からようやく辿り着いた陸地に上がる。

 ノイズの転移魔法によってよりにもよって海中に放り出されたシャーペイだったがすぐに水中呼吸の魔法道具を起動させ海底神殿に戻ろうとしたのだが、その途中で海底に眠っていたゴーレムが突然動き出した事により調査隊同様、ゴーレムが起こした海流に飲まれてしまっていたのだった。



「けっ、けっ! 魔法道具も無くしちゃうし、ほんとにもう冗談抜きに終わりかと覚悟したよぅ……魔法道具、弁償なんてことにならないよねぇ?」


「あぁ……すまない、助かった……まさか君に助けられるとは、な……」


「うんうん感謝してねぇ。弁償になったらサトちゃんヨロシクね」


「あいがとごわした」


「うんうんエイジはエネルギー切れだねぇ何言ってるのかさっぱりだよ」



 古代兵器ゴーレムオケアノスを撃破したものの、優に十数mを超えるオケアノスの上から海へと落下した影次とサトラ。しかも全身全霊を振り絞った直後でもはや泳ぐ余力も残っておらず危うく溺れかけていたところに丁度タイミングよく必死に水面を目指していたシャーペイと遭遇し、こうして三人無事(?)地上に戻ってくることが出来た。



「エイジ! サトラ様!」


「おお、お二人ともご無事でしたか」



 三人の姿を見つけ駆け寄るマシロとジャン。既に疲労困憊で気力体力共に底を尽きかけていた影次はマシロたちの出迎えに弱々しく手を振るのが精一杯の状態だ。特にサトラは『竜の牙』と一体化した副作用か、特にグッタリとしてしまっており気を抜くとそのまま眠ってしまいそうだ



「大丈夫ですか二人とも。ど、どこか怪我はしていませんか? 意識はありますか? 私のこと、ちゃんとわかりますかっ?」


「たばくまんしよーたい……」


「なんて?」


「サトラ殿、サトラ殿。気をしっかり持ってくだされ。こんなところで寝てしまってはお風邪をひいてしまいますぞ。これサトラ殿っ」


「う、ん……だいじょうぶ、だいじょうぶ……まま……」


「これは駄目ですな。もう8割方寝落ちておりますぞ」


「どーでもいいけど誰か一人くらいアタシの事も心配してよぅ!!」



 その後、当然と言えば当然だが観光都市ミラーノは今回のゴーレムの一件により街が出来てから一番の大騒ぎとなった。

 ゴーレムが出現した時は大慌てで逃げて行った住民たちも、そして訪れていた観光客たちも危険が去ったと知った途端回れ右で街に戻り、あるところでは街と人々の無事を祝い宴会を開き、またあるところでは早速今回のゴーレム事件に便乗し「安全祈願ゴーレムお守り」やら「無病息災ゴーレムクッキー」を売り出す店が軒を連ね、観光都市は瞬く間に元通りの……今まで以上の活気に満ち満ちていた。


 今回のゴーレム騒動を収束させた一番の功労者であるサトラ・シェルパードが目を覚ましたのは、ゴーレム、オケアノス撃破から三日後の昼過ぎになってからの事だった……。







「……ママ?」


「本当にこの子ったらもう……。このまま二度と起きないんじゃないかって心配したじゃない。寝坊助にも程があるわよ」



 数日間泥のように眠り続けていたサトラがベッドから体を起こすと、真っ先に視界に飛び込んできたのは母親であるマリノアの顔だった。

 赤く腫らした目元、ろくに食事も取っていなかったのだろう、心無しか少しやつれてしまったようにも見える。深い眠りから覚めたばかりでぼんやりとしていたサトラの意識も、そんな母の痛ましい姿を見て否応にも覚醒する。



「……ごめん、なさい。またママに心配をかけて……」


「まったくよ。私がどれだけ……。まぁでも、そうやって親に心配かけてるって自覚がある分、サトラも大人になったって事かしら」


「うぅ……」



 からかうように笑うマリノアのその言葉に、母の元を飛び出して士官学校に入った頃の事を思い出すサトラ。あの時もこうしてマリノアに散々心配をかけ、不安にさせ、そして寂しい思いをさせたのだろう。

 今更も今更の話だが、本当に当時の短慮な自分が恥ずかしくて仕方がない。出来ることならシーツを頭から被ってこのままもう数日眠っていたいくらいだ。



「聞いたわよ。サトラがどれだけ頑張ってくれたか。サトラがゴーレムを止めてくれたんですってね」


「それは違います! 私一人では何も……」



 古代兵器ゴーレムから街を救ったのは影次、それと『竜の牙』の力であって今回の一件で自分が何か出来たとは思えないサトラだったが、マリノアはそんな娘の心境を見透かしているかのようにサトラの手を握り、感謝の言葉を告げる。



「王立騎士団第四部隊副隊長サトラ・シェルパード様。此度はミラーノを救って頂きありがとうございます。勝手ながらこの街に暮らす住人を代表して私、マリノア・シェルパードが心からの感謝を申し上げます」


「マ……母上……っ」


「……と、いうのがミラーノの住人の一人としての、ミラーノ居住区域代表責任者としての言葉ね」



 そう前置きするとマリノアはベッドの上で上体だけ起こしている姿勢のサトラに両手を伸ばし、その体を引き寄せるようにして抱きしめた。小柄な自分よりもすっかり大きくなってしまった娘を、その小さな手で精一杯包み込むように。



「あなたがこうして無事に帰ってきてくれて良かった……。本当に、本当に……」


「……うん、ありがとうママ。それと……ごめんなさい」


「いいの、いいのよ」



 母の腕の中に抱かれるサトラには母の顔は見えなかったが、自分を優しく包み込む腕が微かに震えていることや、時折聞こえてくる嗚咽にサトラもまた、下手をすれば妹と間違われてしまうこの小さな母の体を抱きしめ返す。ちゃんと自分は戻ってきましたと、散々心配をかけ続けてきた、唯一の肉親が少しでも安心してくれるように……。



「それにしても、本当に立派になったのねサトラったら。騎士姫ヴァルキュリアだなんて呼ばれているのはミラーノにも伝わってきてたけど」


「王族血縁者で騎士になった物好きという揶揄として周囲が勝手に言っているだけですよ」


「ふふ、でもサトラも一人前の騎士になったのね……。これならもう私があれこれ言う必要もないわね」



 てっきり今回のゴーレム騒動で「やっぱりサトラに危険な目にあってほしくない」とマリノアから改めて騎士を続ける事を反対されると思い内心覚悟していたサトラは、肩の荷が下りたと言わんばかりにすっきりとした表情を浮かべるマリノアの様子に拍子抜けしてしまった。



「は、母上は私が騎士である事を今も反対していたのでは……? 士官学校に入ると言った時もあれほど反対なされたではありませんか」


「だってサトラ、あの時騎士になろうとしてたのは王都の陰険貴族たちを見返してやろうってだけの理由だったじゃない。そんなの反対するに決まってるでしょ。まぁでも思ったより頑固だったし、そんな半端な気持ちでなれるようなものじゃないし、一年か二年で帰ってくるかと思ってたのだけど……本当に正騎士になっちゃうんだもの。びっくりしたわよ」


「びっくりはこっちの台詞ですよ! そんな事を思っていたんですか」


「ちなみにボルゾイさんは二年、私は一年で帰ってくると予想してたわ。とっておきの葡萄酒ワインを賭けてたのに」


「娘の人生で賭け事ギャンブルしないでください!」



 流石に賭けは冗談(?)だろうが、やはり母親というべきか、サトラがずっと後ろめたく思っていた事の一つである騎士になろうと思った動機についてマリノアはとっくに見抜いていたらしい。だからこそ、そんな半端な気持ちで騎士になろうとしていた当時のサトラに反対していたのだ。

 サトラとしてはいつか自分から打ち明けようと思っていた事の一つだったので、ずっと前からマリノアにはバレていたのだと分かると何とも言いようのない恥ずかしさが込み上げてくる。



「本当はね? 今回のゴーレムの事でも、もしサトラが真っ先に私を助けに来たりしたら、何としてでも騎士を辞めさせようと思ってたの。でもあなたは私だけじゃなくてちゃんとこの街を、街のみんなを守ろうとした。ああ、もうサトラは立派な騎士なんだなって思ったわ。だったらもう、親がどうこう口を出すものじゃないわ。サトラは、サトラ・シェルパードは自慢の娘で、誇らしい騎士なんだから」



 抱きしめられて顔が見えなくてよかった。多分だが、今の自分はとてもみっともない顔をしてしまっているのだろうから。

 母がどれだけ自分の事を想ってくれていたのか、どれほど深く愛してくれていたのか。そんな最愛の母があなたは自慢の娘だと、立派な騎士だと言ってくれた。その言葉はサトラにとってどんな勲章よりも、どんな功績よりも嬉しいものだった。



「ごめなさい、ごめんなさい……ずっとママを一人にさせて。ママを置いて家を出てしまって」


「馬鹿ねえ。子供が親の元から離れていくのは当たり前の事よ? 子供がそんな事を気にするものじゃないわよ。それに私の方こそごめんね? ずっとあなたの事を試すようなことをして。でもどうか許して頂戴? どれだけ立派な騎士になっても、私にとってあなたはいつまでも可愛い大切な一人娘なんだもの」


「うん、うん……っ」


「あなたが今の自分に誇りを持っているのなら、ママはもう何も言わないわ。あなたはあなたの信じる道を進みなさい」


「うん、うん……」


「あ、そうそう。あなたの気持ちも考えずに勝手に婚約話なんて持ち掛けちゃったのも悪かったわね。そうよね、サトラだってもうお年頃だもの、自分で選んだ男の子くらいいても不思議じゃないもんね」


「うん、うん…………うん?」


「礼儀正しくていい子じゃない、エイジさんて。今度ゆっくりお話聞かせて欲しいわ」


「あ、あのマ……母上? 何か誤解なさっているようですが……」


「うふふ、もしかしたら次にサトラが顔を見せに来てくれた時には家族が増えていたりするのかしら」


「ちょ、ちょっと母上何やら盛大な誤解があるようですが……あの話を、私の話を聞いて……! ママってば!!」










 マリノア邸でサトラが目を覚ました頃、マシロは海岸で丁度ゴーレムの調査を終えた魔術師学院の調査隊から報告を聞いている最中だった。

 海には頭部に大きな風穴を開けられ完全に機能を停止したゴーレム、オケアノスが立ち尽くしたままで今ではすっかり地元の新たな観光名所になってしまっている。流石に危険なので一般人が海に立ち入らないように規制線が張られているのだが、物凄い騒ぎとなっている。つい数日前このミラーノの街を滅ぼしかけたゴーレムが今やまるで街のシンボル、記念像のような扱いだ。



「結論から申し上げますと、分からないということが分かった、という事が判明しました」



 調査隊のリーダーであるテネリフェはゴーレムの調査結果を開口一番そう語りだした。

ゴーレムに使用されている素材、技術、それら全て判明している限りこのシンクレル大陸には存在しない未知のものだと言う。装甲一つ取っても金属なのか生物なのかさえ判断がつかない全くの未知の代物で、内部構造も現在の技術力では有り得ないものだと言う。



「一つだけ言えるのは、このゴーレムは明らかに何者かの手によって、それも魔術的なものではなく物理的に作られたものだという事です。このゴーレムを作った当時の技術力は今の我々とは比べ物にならないほど発達していたのでしょう」


「けど、そんな凄い技術力を持っていたのに今やほとんど文献にも残っていないんですよね……。もしかしたら、自分たちが作ったゴーレムに、技術によって滅んでしまったのでしょうか」


「さぁ、歴史学は専門外なので何とも言えませんが」



 改めてそんな恐ろしい破壊兵器ゴーレムを見上げるマシロとテネリフェ。こんなものがこの世界のどこかにあと四機もあるというのだ。そしてそんなゴーレムを作った誰かが確かに存在したのだ。それも今からずっとずっと昔に、数百、数千年も昔に。



「ありがとうございましたテネリフェ。貴重な情報を、感謝します」


「いえ、そういう約束でしたから。それに恥ずかしながら我々にも何も分からなかった訳ですし。応援が到着次第ゴーレムは王都へ移送しより本格的に調べていくので、また何か分かり次第ご連絡します」


「何から何までありがとうございます。本当に助かります」


「いえ、約束ですから」



 そう、ゴーレムの調査結果を包み隠さずマシロたちにも教えると確かにテネリフェと交わした約束。本来なら部外秘である筈の魔術師学院の調査結果を得る代わりにテネリフェはマシロにある要求・・・・をし、マシロもそれに応じた。

とは言え、やはりこの取引はどう考えても割に合わないのではないかとマシロは困惑を隠せずにいたのだが、テネリフェはこうして約束を守ってくれた以上、マシロも応えなければならない義務がある。



「そ、そうですね。えっと、本当に……こんな事・・・・でいいんですか?」


「お願いします」


「いいのかなぁ、ゴーレムに関する調査結果なんて国家レベルの機密事項だと思うんですが」


「特別何か分かったという訳でもありませんし問題は無いでしょう。では、お願いします」


「はぁ、それじゃあ……」

 


 テネリフェに要求された通り、彼女が差し出した色紙に同じく彼女が差し出したペンでさらさらと自分の名前を書くマシロ。何故か下の方に「テネリフェへ」と一言足してくれと頼まれたので言われるままに、一筆。



「確かに。では私たちは王都への報告書の作成がありますので。また機会がありましたら、マシロ」


「え、ええ。あなたもお元気で。テネリフェ」


「やった。やった。……うふふ」


「……うふふ?」



 何の事はない。要するにテネリフェはマシロの大ファンだったのだ。


 もしかしたら表情に出ないタイプというだけでマシロと再会してからずっと内心では大はしゃぎしていたのかもしれない。何せサイン一枚で機密事項を差し出す程だ、きっと学生時代からの熱烈なファンなのだろう。


 マシロのサインが書かれた色紙を胸に心なしか浮足立って去っていくテネリフェ。今度は入れ替わり影次がマシロの元へとやって来ると、怪訝そうにたった今擦れ違ったテネリフェの方を振り返りながらマシロに尋ねる。



「何かテネリフェさん満面の笑顔だったけど何かあったのか?」


「彼女が? うーん、あんまりイメージ出来ないんですけど……。エイジの見間違いじゃないですか?」


「そうかなぁ、見間違いだったのかな……」


「それにしてもテネリフェ……一体私のサインなんてどうする気なんでしょうか」


「サイン?」


「ええ。それがゴーレムの調査結果を渡す条件だと」


「……あー、なるほど。そういうことか」



 マシロ自身は姉であるセツノの存在にコンプレックスがあったので学院在籍中は気付かなかったが、他の学生からすればマシロ本人もまた紛れもない天才であった。

 姉と比較する者もいたがマシロ個人に羨望の眼差しを向けていた学生も少なくない人数がいたのだが、当時は周囲に一切興味を向けなかったマシロがそんな事を知る由も無く……。



「どうしましょうエイジ。何か変な呪術とかに使われたりしなければいいんですが……」


「大丈夫だろ。今度会ったら握手くらいしてあげたらどうだ? きっと喜んでくれると思うぞ」


「まさか、だって私学院では嫌われ者だったんですよ? 見たでしょう、テネリフェの私に対するあの素っ気ない態度を」


「そりゃ推しを実際目の当たりにしたら緊張もするだろうよ」

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