魔剣、竜の牙×そして彼は絶望を選ぶ

 サトラの手の中で剣と化した黒竜ノースルツの『神の至宝』、『竜の牙』。彼女の髪と同じ金色に輝く刀身はサトラが剣を振るう度に空に眩い残光を描く。

 ノイズの放った音の衝撃波は視認する事はほぼ不可能な筈だがサトラはあろう事かそれを初見で見切り、そして手にした『竜の牙』で切り裂いたのだった。


 間違いなく自分の術中に堕ち、永劫覚めることの無い夢を見ていた筈だ。もし万が一夢を夢だと認識したとしてもその世界は当人にとって理想の世界だ、誘惑などという生易しい次元の話では無い。

 それを騎甲ライザーならまだ分かるが、こんな一介の、騎士と言えどただの人間が自力で破ったというのだろうか。表情にこそ出さないもののノイズは内心激しく動揺していた。



(軽い……いや、ちゃんと剣としての重量はあるが全く重さが苦にならない。まるで自分の手足のような感覚だ)



 剣へと姿を変えた竜の秘宝『竜の牙』はこれまでサトラが振るってきたどの剣よりも自然と手に馴染み、まるで長年愛用しているかのような一体感すら覚える。

 サトラの髪の色と同じく金色に輝く刀身はノイズの放った音魔法のような形のないものさえ斬り裂いてしまい、ナイトステークとの戦いでボロボロだった筈の体には体力も魔力も存分に漲っている。



「……成程。反抗的だと思ってはいましたが、私が手にした時には既にその娘を選んでいたという訳ですか。ならば唯の人間が夢の中から戻って来られた事にも納得がいきます」



 サトラがノイズの音魔法により深い夢の中に堕とされた時には、既に『竜の牙』はサトラを自身の所有者と認めていたのだ。ノイズの術を受けた時にサトラと『竜の牙』との間には魔力の繋がりが出来てり、それが結果的に異物となってノイズにかけられた術はサトラに対して不完全な形となったのだ。



「つまり、あの時もう私のことを認めてくれていたというのか? ならどうして拒絶したんだ。あの問答は何だったんだ」



 それは至極当然の疑問だったが、『竜の牙』には『竜の宮殿』のおける案内人リザのような存在は無いようでサトラの問い掛けにも何の反応を返さない。自分は散々力を求める理由をしつこく聞いてきたというのに、何とも勝手なものだ。


 弦楽器リュートを鳴らし再度サトラに音魔法を放つノイズ。だが不可視の音の砲弾は完全に見切られまたも切り払われてしまう。ならばと今度は影次とサトラを夢の世界へと堕とした音を奏でるが、『竜の牙』の影響なのか、サトラにはそれさえも通じない。

 振り下ろされた剣を弦楽器リュートで受け止めるノイズ。人間と魔族、基本的な身体能力スペックは比較するまでも無いがノイズは本来音魔法による遠距離戦闘と幻術を得意とする魔族なのに対し騎士団最強の剣士であるサトラは言わば近接戦の達人。接近戦に持ち込まれるとノイズには分が悪い。



(何よりこの剣……、音魔法さえ斬るだけでは無くこの女騎士の身体能力を向上させているようですね……。まったく、想定外にも程があるというものです)



 サトラを振り払い距離をとって弦楽器リュートを鳴らそうとするノイズに、そうはさせまいとすかさずサトラが追いすがり、斬りかかる。一進一退の攻防を繰り返す両者だったが海底神殿がまたも大きく揺れ、亀裂の入った天井から小さな破片がぱらぱらと二人の頭上に降り注ぐ。



「……もう余り時間も無さそうですね。元々この海底神殿はゴーレムを封印するためにあったもの。封印が解かれた今、役目が無くなったので崩壊し始めたようですね」


「ゴーレムを……? 何て事を、ここからミラーノは、街は目と鼻の先なんだぞ!? ゴーレムが動き出せば一体どれだけの犠牲者が出ると思っているんだ!!」


実験動物モルモットの数が多少減ってしまうのは私の本意ではありません。どうせならその命、創造主様マスターの為に消費させたかったところですが、致し方ありません」


「本当にお前たち魔族は……!」


「勘違いしないでください。『神の至宝』を解析すれば起動したゴーレムを再び眠りにつかせる事や操る方法も分かったかもしれなかったのですよ」


「その解析とやらが済むまでに、どれだけの被害が、犠牲が出ると……!」


「どうでもいいでしょう、そんなこと」



 怒りに震えるサトラの一撃を後方に飛び退き躱したノイズは転移魔法を発動させ崩壊寸前の海底神殿から一人脱出しようとする。



「無用な手間になってしまいますが、その『神の至宝』は後で改めて回収しに来るとしましょう。あなた方は仲良く海の藻屑となりなさい」


「待てっ! 逃がすかっ!!」



 サトラの振るった剣先は魔法陣の中へと消えていったノイズに一瞬間に合わず空を切った。ゴーレムの封印という役割のために存在していた海底神殿はその役目を失ったせいか揺れがどんどん激しくなり、壁も天井も次々と崩れ始め崩壊寸前といった状態だった。

 もし神殿の周囲を海水から守っている結界まで機能を停止してしまえば、次の瞬間サトラも影次も海の底に投げ出されてしまう事になる。ましてや影次はまだノイズの術で意識が戻らないままだ。



「エイジ、エイジ! 目を覚ましてくれ、エイジっ!!」



 崩れた天井から落下してくる瓦礫を避けながら抜け殻状態の影次を抱きかかえ何とかここから脱出しようとするサトラ。ノイズの言う通り『神の至宝』にゴーレムを封印する力があるのなら何としても地上に戻らなくてはならない。もしこのまま影次が目を覚まさなければ、ゴーレムを止められる可能性があるのはもはやサトラしかいないのだから。



「『竜の牙』よ、私を夢の中から戻してくれたようにエイジの事も起こせないのか」



 剣となった『神の至宝』、『竜の牙』は何も応えない。いや、応えないという事がサトラへの返答ということなのだろう。『竜の牙』がノイズの術からサトラを起こす事が出来たのは術を受けた時、既にサトラと『竜の牙』の間に魔力の繋がりがあったからだ。つまり内側から起こされたサトラと違い何の繋がりもない影次に対し『竜の牙』は干渉する事が出来ないのだ。



「駄目だ、このままでは……」



 振動はどんどん激しくなり、壁も天井も、そして床も次々と崩壊していく。出口を目指すどころではない、もはやまともに歩くことすら困難な状態になってしまっている。

 影次を起こそうと必死に呼びかけ続けるサトラだったが、そんな彼女を嘲笑うかのように無情にも海底神殿は崩壊し続けていき……ついに神殿の周囲を覆っていた結界さえその力を失い、それまでずっと阻まれていた海水が一気に神殿を飲み込み、砕き、押し潰し、海の藻屑と変えていく。



(エイジ、エイジ……っ!)



 濁流に飲まれ為す術も無く海底へと投げ出されていくサトラと影次。サトラは凄まじい勢いで海流に巻き込まれ海中を左右に、上下にと振り回されながらも意識のない影次をせめて離すまいと懸命に抱き締める。



(絶対に、絶対に守って見せる……!ミラーノも、母上も、エイジ、君の事も……!)



 そんな彼女の決意が、想いが届いたのだろうか。その時、影次の左手首の『ファングブレス』に微かな光が灯った事など、今のサトラが気付く筈も無かった……。













 舞台袖から客席を覗く影次たち。流石は有名な劇場だけあって集まった観客たちの数もこれまで影次たちが行ってきた公演の中でも類を見ない規模だ。それも客席のほとんどが埋まっている。これは単に会場の知名度によるものだけでは無い、影次たち自身の実力が、名がそれだけ世に知られるようになってきたという事なのだろう。



「……とうとうこの時が来たな。今更ビビッたりしてねぇよな、お前ら」


「何を馬鹿な事を。ようやくだ、ようやくこれだけの大舞台に立てるようになったんだ。武者震いはしても怖気づいたりする筈がないだろう」


「ここに集まってくれた人たちは、みんな私たちの舞台を見に来てくれたんですよね……。旧校舎のプレハブを部室代わりにして、体育館の檀上で芝居してた私たちが、こんな大きな劇場で、こんな大勢の人たちの前で……」



 ついにやってきた大舞台、その本番当日。学生時代の部活から始まったこのメンバーによる舞台もこんな大人数を集めるまでのものになったのだ。今から本番だというにも関わらず早くも感極まって涙ぐんでしまう夕陽。敦も麗矢もそんな彼女にまだ早いと言いながらもその目には涙が溜まっている。勿論、今までずっと苦楽を共にしてきた他の劇団員たちもみんな同じような有り様だ。



「……でも、これで終わりじゃないんだよな。ここから、なんだよな」


「ああ、その通りだ。俺たちが目指すゴールはこんなところじゃあない。俺たちはもっと上を目指す。俺たちなら、それが出来る」


「そうですね……よーし、まずは今日の舞台をバッチリ決めましょう! ね、影次先輩!」


「……ああ」



 会場に流れるアナウンスがまもなく公演が始まると館内に告げ、劇団員たちがそれぞれの持ち場へと移動する。裏方の敦と麗矢は舞台袖に待機し、役者の影次と夕陽はまもなく幕が上がるステージへと。


だが……



「……影次先輩?」



 一歩、ステージへ足を踏み出そうとしかけた影次の足が、止まる。ステージを照らすライトの下の夕陽が薄暗い舞台袖から出てこない影次に怪訝そうに首を傾げ、敦や麗矢、他の仲間たちも影次の様子に思わず顔を見合わせる。



「悪い……俺は、みんなと一緒には行けない」


「おいおい、どうしたんだよお前らしくない! ビビッてんのか?」



 声を荒げながら近づいてくる敦に、影次は一言すまないと呟くと踵を返し、ステージとは反対方向へと歩き始める。



「え、影次!? どこに行く気だ、もう幕が上がるんだぞ!?」


「おい影次!! どうしちまったんだよ!!」


「影次先輩っ!! どうしちゃったんですか! どうしてですかっ!!」



 背後から聞こえる仲間たちの声。肉親のいない影次にとって家族同然だった、掛け替えのない仲間たちが必死に呼び止めようとする声。だが影次は振り返らずにそんな彼らを残して舞台を去っていこうとする。



「影次……?」



 去ろうとする影次の袖を一人の女性が掴み、呼び止める。それは劇団員では無くとも、他の仲間たちと同じく今までずっと苦しい時も楽しい時も共にいた女性。



「朝陽……」


「ねぇ、どこに行くの? みんなで一緒にずっと頑張ってきたんでしょ? 夕陽たちを、みんなを置いてどこに行くの……?」



 腕を引く彼女の手には力は入っておらず、影次が振り払うと簡単に彼女の、朝陽の手は離れてしまった。

 彼女は今、どんな顔をしているのだろう。仲間たちはどんな顔をしているのだろう。自分を呼び止める悲痛な声を、伸ばされる手を、その全てを振り払い影次はスポットライトに照らされる眩いステージと、かけがえのない家族たちに背を向け歩き続ける。



「待てよ影次っ!!」


―夢でも幻でも、お前たちにまた会えて良かった―


「影次! どこにいくんだ! 俺たちこれから……これからだっていうのに!」


―ごめんな、でも……俺は、忘れないから―


「先輩、どうしてですか……私たち、これからもずっと一緒にやっていくんでしょう……?」


―本当に、このままずっと、ずっとここにいられたら、どれだけ幸せなんだろうな―


「……私たちを見捨てるの? 影次」



 自分を呼び止める声はまだ聞こえ続ける。だが影次は振り返らない。振り返る事は、もう出来ない。

 段々と遠くなる仲間たちの声。ふと、舞台裏に置かれた姿見に映った自分の姿が「何を今更」と、責めているかのように見え、自嘲気味に笑みを零し、呟く。



「わかってる。地獄まで付き合ってやるよ、化け物・・・



 鏡の中に映る黒い鎧の異形騎甲ライザーが、影次の言葉を肯定するかのように頷いたような気がした……。


















 崩壊する海底神殿から転移魔法で地上に脱出したノイズはミラーノの海岸からすぐ傍のところで古代兵器ゴーレムが未だ沈黙を続けている様子を見ると再び転移魔法を唱え、今度はゴーレムの肩の上へと移動する。

 封印は確かに解いた。実際こうして海底から起き上がってきたのだ、後はもう少し切っ掛けを与えてやれば完全に目覚めるだろう。ノイズは強制的に封印を解いた際に干渉した『神の至宝』の魔力波長に寄せて自身の魔力をゴーレムへと注ぎ込んでいく。


 ゴーレムを制御するために必要な『神の至宝』は今頃崩壊した神殿と共に海の底だろうが問題ない。後で回収すればいいだけだ。その間ゴーレムは人間の街に破壊の限りを尽くすだろうが、そんな事は些細な事だ。今はこの破壊の神を・・・・・・・・・目覚めさせる事が・・・・・・・・何より重要なのだから・・・・・・・・・・



「さぁ目覚めなさいオケアノス。あなたの力でこの世界の全てを破壊し尽くしなさい。街を、海を、大地を、空を、何もかもを!」



 目に狂気の色を浮かべるノイズの魔力に呼応するようにゴーレム、オケアノスがゆっくりとその長い異形の両腕を振り上げ、目の前にある観光都市ミラーノへと向かって動き出す。


 ゴーレムの確保という本来の目的は、既にノイズの頭には無かった。一歩海の中を歩くたびに撒き散らされる水飛沫を防ぐために被ったフードの中の瞳にはそれまでの超然とした冷静さは無く、まるでゴーレムと同期リンクしているかのように激しい破壊衝動に理性を塗り潰されてしまっていた。



「壊しなさいオケアノス! 破壊しなさい! 全てを、何もかもを! もう一度・・・・この世界を滅ぼしなさい!」


 

-させるかよー



 ミラーノの街へと迫るオケアノスの行く手を阻むように海から激しく水柱が上がる。海中から飛び出してきたのはサトラを抱きかかえた全身を漆黒の鎧に包んだ、異形の戦士。



「馬鹿な……」



 ゴーレムの破壊衝動に支配されかかっていたノイズだったが、その姿を見て有り得ない、と本来の冷静さを取り戻す。

 確かに術に堕ちていた筈だ。それとも彼もまた『神の至宝』によって起こされたのだろうか。いや、そもそもあの怪物には自分の幻術すら通じないというのか。



「エイジ、ゴーレムがもう動き出している。このままではミラーノの街にまで到達するのも時間の問題だ」


「分かってる。守ってみせるさ……これ以上、もう何も奪わせるかよ!」







 懐かしい夢は十分堪能した。


 だが、あの幸せな日々は二度と戻らない。


 幸福な夢なんて、いらない。地獄のような現実であろうと、自分がいるべき場所はここなのだから。




「さぁ、ここからはワイルドに行こうか」

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