サトラの信念×竜の牙

 観光都市ミラーノは突如海から姿を現した巨人、古代兵器ゴーレムによって未曽有の大パニックとなってしまっていた。

何せ街のどの建物よりも巨大な怪物が目と鼻の先に突然現れたのだ、その巨体は海岸から離れた街の中からでも見え、観光客も地元民も問わず街中の人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う。

 年中賑やかな観光都市は今、ゴーレムという前例の無い災厄に混乱の坩堝と化してしまっていた……。



「私たちのことはいいので……はやく、街の人たちを……避難させてください……」


「そんな事言ってもテネリフェたちも酷い怪我じゃないですか!」



 海底で巨人像を調べてていた魔術師学院の調査隊だったが突如動き出した巨人像、ゴーレムによって引き起こされた海流に飲まれてしまい、何とか命からがら浮上してきたのだった。だがテネリフェも他の調査隊員も海中で激しく振り回され、岩肌に叩き付けられ、全員自力では立ち上がれない程ボロボロになってしまっていた。



「とにかくここを離れましょう。調査隊の皆さんをどこかで治療しないと」


「そうですな。ささ、肩にお掴まりくだされ」



 地上で待機していた調査隊員と共に傷ついたテネリフェたちを連れて海岸を離れるマシロとジャン。海を振り返るとゴーレムは海面から姿を現してからそれ以上何も行動はしておらず、ただ海の中でじっと佇んでいるだけだ。

 だからと言って安心は出来ない。いつ動き出すかもわからない上に現状マシロたちにはあのゴーレムを止める手段が無いのだから。ゴーレムに対抗する唯一の心当たりは、まだ海に潜ったまま戻ってきていない。ゴーレムが動き出したのだから当然それを調べに行った影次やサトラも異変には気付いている筈なのだが……。



「マシロさん!! ジャンさんっ!! こ、これは一体……!?」



 騒ぎを知って海岸にやってきたのはサトラの母マリノアとその執事ボルゾイだった。傷だらけの調査隊員たちの姿と海に立っている巨大ゴーレムに状況を把握した二人はマシロたちを手伝い調査隊を連れ海岸から避難する。



「皆さん居住区に! 屋敷なら治療に必要なものが揃っておりますから!」



 マリノアに案内され彼女の屋敷へとテネリフェたちを連れていくマシロとジャン。居住区も当然の如くゴーレムの出現に大騒ぎになっていたが戻ってきたマリノアが説得すると住民たちは何とか落ち着きを取り戻し、最低限の荷物を纏め避難していく。的確な指示と住民たちからの厚い信頼。見事な立ち振る舞いはやはりサトラの母と言ったところだろうか。



「この屋敷も安全とは言えません。奥様、皆様の治療を済ませ次第私たちも避難を……」


「いえボルゾイさん、街はまだ大勢の人たちが残っているわ。きっとみんなパニックになってしまっているのでしょう。そんな人たちを置いて逃げるなんてできないわ」



 街からの避難を推奨するボルゾイに調査隊に治癒魔法をかけながら首を横に振るマリノア。だが治療を受けていたテネリフェが余りにも危険だと、街に残ろうとするマリノアに異を唱える。



「いけません……ゴーレムが、いつ動き出すか……わからないのです、から……」


「だったら猶更です。街の人たちを安全なところにまで避難させないと」



 テネリフェに治癒魔法をかけ続けるマリノアは一度言葉を区切り、他の調査隊員たちの手当てをしていたマシロへと振り返る。



「あの子は……サトラは今、もっともっと危険なところで頑張っているんでしょう? そんな娘を置き去りにして自分だけ我が身可愛さに逃げるなんて、私には出来ません」


「マリノア様……」


「マシロさん、ジャンさん。調査隊の方々と街の事は私たちにお任せください。どうかあなた方はあなた方のやるべき事をなさってください。……サトラの事を、どうかお願いします」



 サトラを頼むとマリノアから託されたマシロとジャンは力強く頷き、テネリフェたちの治療と住民たちの避難をマリノアたちに任せ再びゴーレムが佇む海岸へと向かい、走り出す。



「奥様……」


「さぁ、皆さんの手当が住んだら逃げ遅れている人がいないか探しに行きましょう。あの子もきっと今頃命懸けで街を守ろうとしてくれている筈だわ。なら私だってそんな娘に恥ずかしくない母親でいなきゃ。でしょう?」


「……仰る通りで御座います。では奥様の御身はこの私めがこの身に代えてもお守りいたしましょう」


「駄目ですよ、ちゃんとボルゾイさんも一緒にあの子がかえってくるのを迎えてあげましょう? さぁ、まずは調査隊の皆さんの治療からですね!」



 安否の知れぬサトラの心配を一旦胸中に収め、負傷した調査隊への治癒魔法に専念するマリノア。本当は不安で仕方がない筈だというのに、そんなマリノアを誇らしく、同時に労しく思うボルゾイ。

 一年ぶりの母子の再会だというのに、なぜ天はこのような試練をこの母子に与えるのだろうか。

夫を、父を失い王都から迫害され、その上この母子に尚も試練を課すというのだろうか。



(一の月の女神シェルティよ……この老いぼれはどうなろうと構いません。ですからどうか、どうかサトラお嬢様をお守りください……。どうか、これ以上マリノア様から何も奪い取らないでください……)













 穏やかな昼下がり。再び屋敷の中庭に出ていたサトラは不意に誰かが自分を呼んだかのような錯覚を覚えた。

 辺りを見回しても特に誰の姿もない。今この中庭には使用人や庭師もおらず、サトラともう一人、影次の二人だけだった。



「サトラ、どうかしたのか?」


「いえ、誰かが私の事を呼んだような気がしたのだけれど……気のせいだったみたい」


「さっきまでここでぐっすりとお昼寝していたそうだし、もしかしてまだ寝足りないんじゃないか?」


「ちょっと! ボルゾイさんから聞いたのね?」


「はは、残念だったな。もう少し早く来れたら俺もサトラの寝顔が見られたのかもしれないのに」


「見世物じゃないわよ、もうっ!」



 執事のボルゾイもちょっぴり意地悪な時があるが影次はそれ以上だ。とは言え本気で相手を不愉快にさせるような事は言わないのでサトラも本気で怒ったりはしないのだが……でも取り合えず軽くぽかぽかと叩いておく。



「今日は天気に恵まれてるな。ようやく久しぶりにサトラに会えるんだからな、晴れて良かったよ」


「ふふ、底意地の悪いエイジのことだから、日頃の行いの悪さから今から大嵐にでもなるんじゃない?」


「もしそうなったら明日にでも一の月の女神から二の月の女神に改宗するとしよう」


「協会の人が聞いたら怒られるわよ、ほんとうにもう」



 海からそよぐ潮風になびく髪を抑えながら影次のいつもの軽口にクスクスと笑みを零すサトラ。

 彼の言う通り空は晴れ晴れとした良い天気だ。今日は海も静かで心地の良いゆったりとした風がそよいでくる。まるで絵に描いたような穏やかな一時だ。



「巡演お疲れ様。どうだった? 色んな街に行ったんでしょう。話を聞かせてくれない?」


「ああ、勿論。まずはどこから話せばいいかな……」



 つい最近まで大陸のあちこちを巡演していた影次が土産話として訪れた各地の様子を、人々の暮らしを、文化を語っていく。そこは流石舞台役者と言うべきだろうか、時に大仰に身振り手振りを踏まえたり先々で出会った人たちとのやり取りを一人芝居で演じてみせたりと、もはや即興劇だ。


 女学院を卒業し本格的に社交界入りし始めたある日、丁度サトラが出席した夜会に呼ばれた劇団の一員だった影次と知り合い、意気投合してから個人的に会うようになり……いつの間にやら今ではこうして家族公認の仲になっていた。人当たりの良い彼の事を両親も気に入っており、彼が平民である事も役者という職業である事も父母は何一つ異を唱えなかった。



「エイジ、王都にはどれくらいいられるの?」


「ああ、ずっとあちこち行ったり来たりしてたしな。劇団のみんなも流石に旅疲れしてるし、しばらくは王都にいるつもりだよ。アラノ様の御厚意で劇場の目途もついてるし」


「そう、よかった」



 ただでさえ遠縁と言えど王族であるサトラと平民の影次では中々会う機会は中々作れない。そのうえ影次は劇団の公演のため頻繁に色々な街へ行くのでこうしてゆっくりと時間を取って会えるのは本当に貴重だった。

 木陰に設けられたベンチに座り影次はサトラに尽きる事のない土産話を、サトラもまた王城での他愛のない出来事をお互いに教え合い、この一時を楽しんでいた。

 枝葉の隙間から注ぐ暖かな陽光、穏やかな潮風。ここでは大切な人たちとの平穏な時間がサトラの望むままいつまでも、いつまでも続いていた。



「それにしても本当にいい天気……。あの日もこんな晴れやかな空だったわね」


「あの日って?」


「ほら、エイジと初めて会った日。アルムゲートの森の中で」


「何を言ってるんだ、サトラと出会ったのは夜会の日が初めてだろ?」


「えっ?」



 影次にそう指摘されてから、サトラは今自分の口から自然と出てきた言葉に自分自身で驚き、困惑していた。

 そうだ、彼の言う通り初めて自分たちが出会ったのは社交界入りして間もない時の夜会だった筈だ。それをなぜ今自分は森の中などと言ったのだろう。城門都市アルムゲートなど訪れた事も無いのに。



「そ、そう……だな。おかしいな、どうして私は今アルムゲートの森などと……」


「……大丈夫かサトラ、何か喋り方もいつもと違うぞ?」


「えっ……」



 まただ。自然と口から出てきたのはまるで父アラノのような男っぽい口調だ。女学院出身のサトラには似つかわしくない喋り方だ。



(女学院……? いや違う、私が入ったのは士官学校だった筈……士官、どうして、私が……?)



 自分の言動の違和感、記憶を呼び起こそうとすると生じる矛盾。父母と王都で暮らす女学院出身の自分という記憶は確かにあるにも関わらず、何故かもう一つ、決定的に矛盾した別の記憶がサトラの脳に混同している。

 それはあろう事か父が没し、そのせいで母と自分が他の王族縁者たちから王都を追いやられるというものだ。今のこの穏やかで平和な日常とは余りにも懸け離れた、母にとっても自分にとっても辛いだけの記憶だ。

 しかもあろうことか、その記憶の中でサトラは夫を失い悲しみに暮れる母を残し騎士を目指し士官学校に入るのだ。当然危険だからと反対する母の言葉など聞かず、全ては自分たちを迫害した王都の老害たちを見返す為に、だ。



(違う、私は……私はそんな事したりしない……っ! 父上はちゃんと生きているし、母上をそんな身勝手に悲しませたりする訳がない……!)



 そうだ、この世界・・・・では父は間違いなく自分と母と共にいてくれている。母も毎日笑顔でいてくれている。一体何の問題があるというのだろうか。一体何故、自分はこんな悪い夢のような記憶を持っているのだろうか。



(違う……)



「なぁサトラ、本当に大丈夫か? 具合が悪いなら……」


「違う……」



 頭を抱え呻き苦しみだしたサトラを心配する影次。中庭の様子が屋敷から見えたのだろう、父や母、ボルゾイもサトラを心配しこちらへと向かってくる。



「どうしたのサトラ。頭が痛いの?」


「サトラ、おいサトラ。大丈夫なのか?」


「どうなさいましたお嬢様。ご気分が悪いのですか」


(違う……違う……!)



 自分を心配してくれる両親も、ボルゾイも、影次も、どう見てもサトラの知る彼らの筈なのに違和感が払拭できない。これは違う、彼らは違う、ここ・・は違うと、心の中で誰かが激しく警報を鳴らしている。


 確かにここはサトラにとっては理想の世界だ。何事も無く両親が揃い家族みんなで暮らしている世界、サトラが剣を握らなかった世界。そして……。



「サトラ」



 サトラの手に添えられたのは、既にこの世にいない筈の父の手。その上から母が、マリノアが自分の手を重ねる。

 二人の手はとても暖かく、心地がよく、まるでサトラをずっとここに留まらせようとするかのようだ。



「もういいじゃないか。サトラ。お前は今まで十分頑張ったじゃないか」


「そうよ、家族みんな一緒に、ずっとここで幸せに暮らしましょう? サトラがいなくなるのはママ悲しいわ」



 父母の甘く優しい言葉。その後ろでボルゾイも微笑みながら頷いている。本当に、このまま両親の言う通りここにずっといられたらどれだけ幸せだろうか。

 だが、サトラは自分の手からそっと父母の手を離し、立ち上がる。目を閉じ、大きく深呼吸するとありったけの声を張り上げ、海に向かって喉が裂けんばかりに、叫ぶ。



「私は王立騎士団第四部隊副隊長サトラ・シェルパードだ!! 母を泣かせ、それでもドレスではなく鎧を纏う道を選んだのは私自身だ!! 母を虐げたものたちを見返す為に騎士になったのも、人々を守る剣になると誓ったのも、全て私自身が選択し決めた道だ!!」



 母に対する罪悪感は勿論今でもある。騎士を目指すと決めた動機の不純さに対する後ろめたさも消えてはいない。だがシンクレルに住む民の為に剣を振るうと、盾になると誓った事もまた紛れもなく嘘偽りない真実だ。



―答えよ、この『神の至宝』たる力に汝、何を求む―


 声が聞こえる。


 目を開けたサトラの目の前には,王都の屋敷の中庭では無く、右も左も、上も下も分からない真っ暗な空間が広がっていた。そこにはもう両親たちの姿も、どこにも無かった。



―答えよ、この『神の至宝』たる力に汝、何を求む―



 その問いかけに、サトラは声のする方へと手を伸ばしながら答える。それはさっきと同じ言葉。だがそこに込められた想いは、願いはさっきよりも強く、硬く。



「力を貸して欲しい。守りたいものを守れる力を、私が守りたいと願うもの全てを守り抜けるだけの力を……! 私は、私のこの想いを貫くための力が欲しい……っ!」



―それが、我を求めし汝の答えか―



 次の瞬間、何も見えない真っ暗だった空間は突如光に包まれ……。



 翼を広げた漆黒の竜が、サトラの前に降り立った____。











「そんな馬鹿な……、こんな事が……」



 信じられない、といった表情を浮かべるノイズの目の前でゆっくりと立ち上がるサトラ。その手には眩く光輝く『神の至宝』が握られている。

 自分の手から突然サトラの手へと移った『神の至宝』取り返そうとしたノイズも宝玉が放つ強烈な光に思わず怯んでしまい、逆にサトラはその光によってナイトステークとの戦いで傷ついていた体が癒されていく。



「力を貸してくれるんだなドラゴン……黒竜ノースルツよ」


―汝の答え。魂の答え、確かに聞き届けた。その渇望、欲望、我、汝の刃となって叶えよう―



 サトラの手の中で黒竜の『神の至宝』が輝きの中で形を変えていく。尾を模した柄、広げた翼を象った鍔飾り、中心には宝玉を咥えた竜の顔。そして光沢のある濡羽色の柄から伸びるサトラの髪と同じく透き通るような金色の刀身。


 白竜ヴァイエストの『神の至宝』、『竜の神殿』と同じ黒竜の秘宝『竜の牙』。サトラの想いにドラゴンの秘宝は剣となって応えたのだった。


 想定外の事態が起こり困惑するノイズに魔剣と化した『竜の牙』を構えるサトラ。後ろで未だ倒れたままの影次を守る為に、地上にいる母を、仲間たちを、大勢の人々を守る為に。



「お前たち魔族が何を企もうと、私は何一つとして奪わせはしない。王立騎士団第四部隊副隊長サトラ・シェルパード、推参おしてまいる!」

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