虚構の幸福×覚醒、オケアノス

「……ここ、は……」



 いつの間に眠ってしまっていたのだろう。ぼんやりと靄のかかる意識のままゆっくりと目を開くサトラ。意識同様にぼやけた視界に見えるのはどこか見覚えのある風景だ。



「私は、今まで一体何を……?」



 段々と目が覚めていくにつれ、周りの景色も鮮明になっていく。鮮やかな青空の下、木陰に置かれたベンチの上で心地よい風にそよがれているうちにうたた寝をしてしまっていたらしい。枝葉の隙間から差し込こんだ陽光に起こされたサトラはベンチから立ち上がるとドレスを軽くはたいて屋敷へと戻っていく。


 一体どれくらいの時間眠ってしまっていたのだろう、日の高さから既に昼近く、もしかしたらもう過ぎてしまっているかもしれない。良い天気だったので中庭でゆっくりしていただけだったのだが程良い陽気にいつの間にか眠ってしまっていたようだ。



「あらサトラ、もう起きたの? 夕食の時間になったら起こそうと思ったのに」


「おはようございますお嬢様。お目覚めの一杯にミルクティーは如何でしょう」



 屋敷に戻ったサトラを今日二回目の「おはよう」で出迎えたのは母のマリノアと執事のボルゾイだ。二人とも中庭ですっかり眠ってしまっていたサトラをからかうように笑っているが、外でみっともない姿を晒してしまっていたサトラは何も言えずソファーにマリノアと向かい合って座り、ボルゾイが淹れてくれたミルクティーに口をつける。



「……起こしてくださっても良かったではありませんか」


「だって、あんな心地よさそうにぐっすり眠っていたんだもの。起こしたら可哀想かなって。ねぇボルゾイさん?」


「ええ、それはもう天使のような寝顔でしたな奥様」


「もうっ、二人とも!」



 一体自分はどんな顔をして寝ていたのだろう、朗らかに笑う二人にサトラが抗議の声を上げる。この母も、乳飲み子の頃から世話になっているこの古株の執事もどうも自分をいつまでも少女扱いしているような気がする。



「……母上、私も今年で22になるんですよ? いつまでも子供のように扱うのはやめていだたけませんか」


「あら、ごめんなさいね。そういうつもりはなかったのだけど。でも私からすればサトラは幾つになっても小さい頃のまんまって気がするのよねぇ」


「はっはっ、そのお気持ち、私もよぉく分かりますとも。こうして目を閉じると幼いお嬢様の姿がまるで昨日の事のように鮮明に瞼の裏に浮かんできまして……うぅ、いつの間にかこんなにご立派になられて」



 本気で泣いているのか冗談なのか、実母のマリノアもだがこの老執事は兎にも角にもサトラに甘い。産まれた時から世話をしているのだ、ボルゾイからすればサトラは仕える主であると同時に孫も同然なのだ。当のサトラもそんなボルゾイを実の祖父同然に慕っているので今更子供扱いされたところで既に諦めてはいるのだが……。



「お、なんだなんだ。賑やかだな。私も混ぜてくれないか、一人除け者にされたら悲しいじゃないか」



 談笑するサトラたちの声が部屋の外まで聞こえていたのだろう、扉が開くと壮年の男性が話に混ぜてくれとテーブルを囲むサトラたちの元へとやってきてサトラの隣へと座る。



「……えっ?」


「どうしたサトラ? 私の顔に何かついているか?」



 自分の隣に座っている男の顔を見て、信じられないという表情を浮かべ絶句するサトラに怪訝そうに首を傾げる男性。そんな二人のやり取りにマリノアとボルゾイも思わず顔を見合わせる。



「……父、上……?」


「おう父上だぞ。なんだなんだ、まだ寝惚けているのか娘よ。お前ももう社交界デビューした一人前の淑女なんだぞ? いつまでも学生気分でいてもらっては困るな」


「す、すみません……」



 男性はサトラをそう窘めるものの口調にも表情にも険しさは無く、素直に謝るサトラの頭を撫でるその姿は娘が可愛くて仕方がない男親そのものだった。



(どうしてだろう、今一瞬、父上がここにいる筈が無いと思ったのは……)



父の、アラノ・シェルパード・シンクレルの顔を見た瞬間突然サトラを襲った強烈な違和感。どうしてそんな事を思ったのだろうか。父はこうして今目の前にいるではないか。いつものように・・・・・・・王都の屋敷で母と自分と一緒に暮らしているではないか。


だが一瞬頭を過った、そんな事はありえない・・・・・・・・・・筈だとでも言うかのような違和感は何だったのだろうか。

まだ寝惚けているのかもしれない、などと考えているサトラに父と母がそれぞれ苦笑を浮かべる。



「もう、サトラったら本当に大丈夫なの? もうすぐが来る時間でしょう、そんなぼんやりした顔でお迎えするつもり?」


「はっはっ、もしや久しぶりにに会えると思って上の空になっていたのかな。サトラももうそんな年頃になったのだなぁ。嬉しいような、寂しいような」



 両親が言っている彼とは一体誰の事なのだろうか。心当たりのないサトラだったが実際に屋敷に訪れたその人物と会った瞬間にそんな疑問は頭の中から霧散した。

何故今まで忘れてしまっていたのか、という至極当然な違和感さえも、だ。



「……エイジ?」


「やぁサトラ。久しぶり」



 父母との挨拶を済ませサトラの元へとやってきたのは、紛れもなくサトラが知る、あの影次その人だった。



 








「……呆気ない。実に脆いものですね、人間の心というものは」



 魂を抜かれた人形と化し、足元に転がっている影次とサトラを冷たい眼差しで見下ろすノイズ。どれだけ鍛え抜かれた歴戦の騎士であろうが、その心中には誰しも必ず弱みというものがある。

 それは辛い記憶であったり、胸の内に秘められた罪悪感であったりと十人十色だ。そして心の中の弱い面というのは必ずしも痛みや苦痛の類だとは限らない。


 夢が、理想が、願いが叶えられた世界。

もしあの時こうしていれば、例えばもっと別の道を選ぶことが出来たならば。ノイズの術はそんな他者の心に秘められた願望に漬け込み、相手が心の底で願っていた理想の世界を夢として見せるのだ。

 苦痛な悪夢ではなく、至福の夢の中で、じわりじわりと真綿で首を絞めるように堕としていく。そうやって魔人の奏でる夢の中に捕らわれたら最期、幸福な世界がただの夢だと気付く事もなく、ただ静かに、ゆっくりと身も心も生を手放していくだけだ。



「後は竜の秘宝を手に入れるだけですね。騎甲ライザーに手負いとは言え魔人を倒した人間モルモット創造主様マスターもきっとお喜びになってくださる事でしょう」



 もはやこの二人が目を覚ます事は二度と無いだろう。抜け殻となった影次とサトラを床に転がしたままノイズは目下の目的である竜の秘宝、『神の至宝』を確保するべく再び海底神殿の最深部へと歩き出した。



「本当に人間相手に不覚を取るとは……遊びが過ぎるからですよ、そのまましばらく猛省していなさい」



 最深部の広間には自身の槍で貫かれ横たわる同胞ナイトステークの姿があったがノイズは一瞥するだけで目当ての秘宝が嵌め込まれている竜の石像へと近づいていく。

宝玉を手に取ろうとするノイズだったが、その指が触れる直前にサトラの時と同様に目には見えない結界のようなものに弾かれてしまう。



「成程、手にするべき相手を見定めようという訳ですか。ケダモノ風情の宝が、創造主様マスターの意向に逆らおうなどとは生意気にも程がありますよ」



 再び手を伸ばしすノイズ。またもその手は『神の至宝』から激しく拒絶されるがノイズは構わず石像の胸元に埋め込まれている宝玉を鷲掴みにする。

電流を流し込まれているかのような鋭い激痛が手指を襲うが、痛みも痺れも無視しノイズはそのまま強引に、力任せに石像から宝玉、『神の至宝』を抉り取ってしまう。

 竜の石像は宝玉を抜き取られた部分から亀裂が走り、ボロボロと崩れ崩壊する。魔人の手の中に堕ちた『神の至宝』は尚もノイズを拒絶し続け彼女の手に激痛を与え続けるがノイズの強烈な魔力が流し込まれ、力尽くで抑え込まれてしまう。



「さぁ、オケアノスの封印を解きなさい竜の秘宝よ。古代兵器ゴーレムを我が、創造主様マスターへと差し出すのです」



 『神の至宝』を魔力で強引に捻じ伏せるとそのまま魔力を注ぎ続け竜の秘宝の力を操り始めたノイズは早速海底に眠る古代兵器ゴーレムオケアノスの封印を解き始めた。


 古の大戦でドラゴンによって深い海の底に封印された『終末の六機』が一つ『海のオケアノス』。そしてそのオケアノスを封じ込めたドラゴン、黒竜ノースルツが秘宝、『神の至宝』が一つ『竜の牙』。

当初の目的である一つ、『竜の牙』は今こうして魔人ノイズの手中に堕ちた。もう一つの目的である『海のオケアノス』も封印が解かれればディプテス山に眠っていた『大地のティターン』のように目覚める

だろう、というのが、創造主様マスターの見解だ。



「今こそ悠久の眠りから目覚めなさいオケアノス。かつて大陸を蹂躙した破壊の化身が一角よ、我らが偉大なる創造主様マスターしもべとして」再びその力を振るいなさい」



 手に持った『神の至宝』に更に魔力を注ぎ込んでいくノイズ。古代兵器ゴーレムの目覚めを抑え続けていたドラゴンの力がノイズの魔力によって次第に綻び始め、封印が解かれていくのと共に神殿全体が揺れ始める。

 いや、正確にはこの海底神殿が揺れているのではなく、神殿の近くにある、もっと巨大なもの・・・・・・・・が動き始めたのだ。

揺れは次第にどんどん激しくなっていき、振動の影響か神殿の壁や天井に亀裂が生じ始める。この海底神殿は結界によって周囲の海水から守られているとは言え建物自体が崩壊してしまっては元も子もない。



「長居は無用ですね。騎甲ライザーと実験体モルモットを回収して私も退散するとしましょう」



 宙に魔方陣を描き転移魔法を発動させ再び影次とサトラを放置している場所へと戻っていくノイズ。

彼女の姿が消えてから少し間を置いてから、広間の床に一人取り残されていたもう一人の魔人が腹部から背中にかけて体を貫通している槍もそのままにむくり、と徐に起き上がる。



「はぁ……堪能した、堪能した……。死ぬかと思ったけど、それはそれでまた悪くない、それはそれで。……ん? あれ、誰もいないのか?」











 観光都市ミラーノの海岸は魔術師学院の調査隊による海底調査が行われているという事で地元民、観光客問わず大勢の見物人が集まり大騒ぎになっていた。

調査中の海岸は立ち入り禁止にされていたが少しでも様子を見物しようと大勢の人が集まっており、更にその見物客たちを目当てに地元の商人たちも露店を開いており、海岸の入り口はすっかりお祭り状態で大賑わいだ。



「エイジとサトラ様、大丈夫でしょうか……」


「あのお二人方の事です、心配ないと思いますぞ」


「でもシャーペイも一緒なんですよ?」


「エイジ殿もサトラ殿も大丈夫ですかな……」



 見物人たちと、彼ら相手に記念品やら因んだ飲食物を売りつけている商人たちで賑やかな海岸を少し離れたベンチで眺めているマシロとジャンの留守番組。先程屋台で購入した巨人像ラムネを一口、うん、ただの蜜ラムネだ。



「こんな事なら私も泳ぎの訓練くらいしておけば良かったですな。いやはや、鼠獣人チューボルトは浮くのは得意なのですが。このように頬袋に空気を溜めてですな」


「ここで実践してどうするんですか」



 泳げないので海の中に潜れず影次たちに同行する事も出来なかったマシロとジャンは海底の調査が終わるまでこうして海岸の喧騒を眺めながらぼんやりと待っているだけだった。

 有り体に言えば、暇を持て余していた訳だ。



「それにしても本当に賑やかな街ですね。芸術都市パーボ・レアルも別の意味で騒々しい街でしたけど、ここはその比ではありませんね」


「ほぼ毎日何かしらの催し物が開かれているそうですからな。中々来る機会もありませんし調査が済んだらゆっくりと街を見て回ってみたいものですな」


「そうですね。ここにはサトラ様の御母君もおられる事ですし、急ぎの用が無いならちょっとだけ観光してみたいですね」


「はっはっ、何せここは観光都市ですからな。……っと、何ですかな、海岸が騒がしいようですが」



 先程まで観光客や商人たちで殷賑いんしんな海岸沿いだったが何やら様子がおかしい。集まった大勢の人々のどよめきが、戸惑いの声が離れたところに座っていたマシロたちにも聞こえてくる程だ。



「……調査隊に何かあったのかもしれません。行ってみましょう」


「ですな」



 異変を察知し、人集りを掻き分け影次たちや調査隊が海に潜った海岸へと向かうマシロとジャン。丁度海中から巨人像の調査に潜っていた魔術師学院の調査隊が海から上がって来たところだったようで、地上で待機していた他の調査隊員と共にマシロたちも一体何が起きたのかと駆け寄っていく。



「テネリフェ! 大丈夫ですかっ!?」


「……マ、シロ……っ」



 海底から上がってきた調査隊は全員潜水服も体もボロボロの状態だった。それは調査隊のリーダーであるテネリフェも例外では無く体中に擦り傷や打撲の痕が見られ痛々しい姿になってしまっていた。



「一体海の中で何があったんですか。エイジやサトラ様はどうしたんですかっ」


「……逃げ、て……くださ、い……」


「えっ?」


「まち、の、人たち……はや、く、ひな……ん……」



 次の瞬間、マシロは学院の調査隊をこんな姿にした原因の正体を否応にも理解する羽目になる。

海面が大きく盛り上がり、豪雨のような大量の水飛沫が海岸に降り注ぎ防波堤を叩き壊すような勢いで津波が押し寄せる。突然の津波と降り注ぐ海水に海岸の入り口に集まっていた人々は一瞬でパニックとなり……海の中から現れたそれ・・の姿を見て更に混乱し、悲鳴を上げて我先にと海岸から逃げていく。



「な、何ですか、あれ・・は……」



 海の底から現れたそれ・・は海岸からずっと離れた海の真ん中にあっても尚、その異様な大きさと姿を見せつけていた。

 腰から下は海の中に入っているが、それでも上半身だけでこの観光都市ミラーノにあるどの建物よりも大きい。更にその姿も奇怪で特に目を引くのがその両腕と頭部だ。

 本体の幅よりも大きく横に伸びた肩当てから伸びる腕は触手のように異様に長く、二の腕の細さに対し肘から下は太く見るからに頑強そうな鋭い四本の爪が生えている。

また頭部は胴体とほぼ一体化しており首にあたる部分が存在せず、赤く光る一つ目が胴体の上部に生えていた。

 人型というにはあまりにも異形な、甲殻類を彷彿とさせる形状。その全身は海の青よりも深い濃紺の装甲に覆われており、その巨人が魔獣の類とは異なる存在だと言う事を物語っている。



「あれが、海底に沈んでいたという古代兵器ゴーレム……?」



 悲鳴轟くミラーノの海岸、誰にでもなく呟いたマシロに、まるで応えるかのように海から現れた巨人、『終末の六機』が一つ『海のオケアノス』が空と大地を揺るがす咆哮を上げた……。

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