夢幻の誘い×サトラの涙

「あいだだだだっ! もうちょい丁寧にやれよ影次!」


「文句たれるならストレッチくらい一人でやれっつーの。ほら、反対側も捩じるぞ」


「今捩じるって言ったないだだだだだっ!!」



 公演本番も間近に迫り益々稽古に熱が入る影次たちの劇団。今夜も夜更けまで入念な打ち合わせと稽古が続き、つい先程ようやく終わったところだった。



「俺ぁ大道具だぞ!? それをお前がどうしてもって頼むから練習に付き合ってやってたんだろうが! ちったぁ感謝してもいいんじゃ……」


「次こっち折り曲げるぞー」


「関節はそっちには曲がらねぇ!!」


「おい影次、敦。もうすぐ公演なんだ、じゃれるのはいいがもし怪我でもしてみろ。その時はピンセットで一本ずつ丁寧にまつ毛を引っこ抜いてやるからな」


「うわぁ、地味に嫌ですねぇ」



 敦の悲鳴を聞いてやってきたのは脚本担当の麗矢と女子劇団員の夕陽だった。全体稽古が終わった後で敦を相手に自主練を続けていた影次だったが、気が付けばもう稽古場に残っているのは自分たちだけになってしまっていた。



「うわ、もうこんな時間だったのか……」


「熱が入るのは良いがオーバーワークになっては元も子も無いぞ。まぁ、今度の公演は今までで一番大きな会場でやる訳だしいつも以上に気負ってしまうの分からなくはないけどな」


「別にそんなつもりはねぇよ。観客が何人いようが、どんな場所だろうが、俺はいつも通り全力でるだけだ」


「えー? 聞いた話じゃ有名な演出家の人とか芸能事務所の人とかも見に来るらしいですよー? 私はいつもより張り切っちゃいますけどねー。だってもしかしたらスカウトされちゃうかもしれませんよ? そしたら芸能人ですよ芸能人! ドラマとか映画とか出られるかもですよ!」


「わーそれはすごーい。よぉーしおれもはりきっちゃうぞー」


「爽やかな満面の笑顔と感情の欠片もない口調のギャップが凄ぇ」



 いつものようにいつもの面子が集まり、いつも通りの他愛のないやり取りが始まる。今度の公演が成功すれば今よりもっと自分たちの劇団も有名になる。もし本当に自分たちがスカウトされたら、敦は大手の大道具会社ステージワークスからお呼びがかかるかもしれないと言って麗矢に一笑され、芸能界デビューしたら今巷で大人気のアイドルグループにも生で会えるかもしれないと夢を馳せる夕陽に呆れる影次。


 いつもと変わらない、学生時代からずっと、何一つ変わらない光景だった。

冬場でもタンクトップ一枚の寒々しい格好が改善されない敦、あまりに独特すぎる言い回しのせいで絶世のイケメンにも関わらず彼女いない歴更新中の麗矢、甘え方があざとく爪が甘いので今一つ可愛いげが足りない夕陽。


 そして……。



「あ、いたいた。みんな遅くまでお疲れ様ー」


「あっ、お姉ちゃーん!」


「はーいお姉ちゃんですよー。晩ご飯まだでしょ? 差し入れ持ってきてあげたよー」



 両手にビニール袋を持って稽古場に現れたのは影次たちの同級生の一人だった。学生時代からの仲間であり、夕陽の姉であり、そして影次にとっては少しだけ特別な存在の昔馴染み。



「もう影次ー。練習終わったなら連絡くらいしてよ。何度もメールとか電話とかしたのにさぁ」


「あ、悪い朝陽。電源切ったままだったわ。自主練してたから……」


「そんなことだろうと思ったよ。はい、いつものとこのお弁当。飲み物も買ってきたからみんなで食べよ? あ、飲み物代は影次持ちね?」


「ちょ、何でそうなるんだよ」


「連絡してくれなかった罰だよー。心配するからちゃんと返事くらいしてって、いっつも言ってるのに」


「いや、だからそれは……はい、俺が悪かったです。……うわっマジだ履歴凄ぇ」



 稽古中ずっと電源を切っていたスマホを起動させるとずらりと並ぶ着信履歴が目に飛び込んでくる。そんな二人のやりとりも付き合いの長い一同にとっては見慣れた光景なので特に気にも留めずに早速朝陽が差し入れてくれた弁当を物色しており、唐揚げ弁当争奪ジャンケンが始まったところだ。



「……? どうしたの影次、ボーッとしちゃって」


「あ、いや……。何でだろうな、何かこういうやり取りが凄く懐かしいような気がしてさ」


「何言ってるの、毎日顔合わせてるじゃない」


「そう、だよな……。うん、そうだよな」



 いつもの面々、いつもの会話、いつもの光景。だが、その中でほんの僅かに感じる原因不明の違和感。それが一体何なのかは分からない。ただ、頭のどこかでこれは違う・・・・・と何かが訴えかけてきているような、そんな何とも言えないもやもやとした違和感が胸の奥にずっと引っかかっていた。


 何かとても大事な事を忘れてしまっているような気がする。だが、それが一体何なのかは全く思い出せない。忘れてはいけない事を忘れてしまっているような得体のしれない漠然とした不安。



「公演も近いし珍しく緊張しちゃってるのかな? 大丈夫だよ、みんな毎日こんな遅くまで一生懸命練習してるんだし、いつも通りやれば上手くいくって」


「緊張……どうだろうな。無意識にプレッシャー感じてるのかな」


「んっふっふっ。不安になっちゃってるならギュッてしてあげよっかー?」


「……後でな」



 彼女との他愛のないやり取り。茶化す仲間たち。それは影次が過ごしてきた・・・・・・日常の風景そのものだ。

 今となってはもう、二度と戻る事の出来ない日々。二度と見ることのできない光景。二度と会うことの出来ない仲間たち。


 ここには影次が失ってしまった全てがある。苦痛に満ちた悪夢ならば一刻も逃れようと目覚めることも出来るかもしれない。だがここは影次自身が心から渇望した世界。失ってしまった筈の幸せな日々。ここから逃れるという事はつまりもう一度全てを失い、残酷な現実へと戻らなければならないことを意味する。


 例えこの世界がただの夢だという事に気付いたとしても、果たして幸せに満ちた理想の世界を手放す事が出来るだろうか。



「ほら、私たちも食べよ。影次」


「ああ」



 差し伸べられた彼女の手を取り仲間たちの輪の中へと戻っていく影次。

一瞬長い金髪の女性の姿が脳裏に浮かんだ気がしたが、すぐにそんな事も忘れてしまうのだった……。











 広間で繰り広げられていたサトラとナイトステークの戦いに決着がついたのとほぼ同じ頃、少し離れた海底神殿の通路のシャーペイとノイズの戦いも終わりが近づいていた。



「キヒヒッ! ほらほらどうしたのかなぁ。アタシを処分するんじゃなかったのかなぁ後輩くん?」



 シャーペイの足元から伸びる触手のような黒い腕が次々とノイズに向かって伸びていく。弦楽器リュートを鳴らし、その音を衝撃波に変え応戦するノイズだったが次第に両者の均衡は崩れ始めていた。

 触手で直接ノイズを攻撃するだけでなく、お互いの魔法によって破壊された神殿の壁や石床の瓦礫を触手で拾い上げノイズ目掛けて投げ付けるシャーペイ。影の触手と瓦礫の投擲。二種類の攻撃にもノイズは冷静に衝撃波で瓦礫を、触手を破壊していく。だがシャーペイが瓦礫を投げ始めたのは攻撃手段としてではなく別の意図があった。



「……っ! これは、いつの間に……」



 気づかない内に自身の足にシャーペイの影触手が絡みついており、ノイズが気付いた時には既に両足の自由は奪われてしまっていた。



「キヒッ、注意力が足りないみたいだねぇ後輩くん。足元がお留守だったよ?」


「……成程、瓦礫を投げたのは影魔法の目眩ましだった訳ですか。流石に悪知恵が働きますね」



 ノイズに向かって投げていた瓦礫の陰に影魔法による触手の一部を隠しノイズの足元へと伸ばしていたシャーペイ。両手は空いているとは言え両足を押さえ付けられてしまったノイズはもうシャーペイの攻撃を避ける手立てが無い。



「決着。アタシの勝ちだねぇ。さてさてどうしようか。取り合えず手足の三、四本くらいは折っといたほうがいいかなぁ? あ、でもあんまやり過ぎるとエイジたちにシャーペイちゃん実はちょー強いってバレちゃうかなぁ」


「目の前の相手を仕留めもせずにもう勝ったつもりですか。随分おめでたい人ですね」


「キヒヒ、別にアタシはこのまま首をへし折っちゃっても全然構わないんだよ?」



言うや否やノイズの首元に触手の一本が這い上がっていき、首に巻き付くとそのままギリギリと締め上げ始める。だがノイズはこの追い詰められた状況にあっても表情を一切変えず、すぐに止めを刺そうとしないシャーペイを一笑する。



「ここであなたを始末する事ができれば僥倖だったのですが、優先するべきは本来の目的。裏切り者の後始末は、また次の機会にするとしましょう」



 足を取られ首を絞められながらのノイズの言葉をただの負け惜しみかと一瞬思ったシャーペイだったが、してやられた・・・・・・のはむしろ自分の方だったのだと、背後に浮かぶ展開された魔法陣に気付いた時だった。



「ありゃりゃ、いつの間に」



 シャーペイの背後に描かれた魔法陣の中心部から黒い穴がみるみる広がっていく。それはシャーペイ自身もよく知る、使用する転移魔法のゲートだ。追い詰めたと思ったシャーペイだったがどうやらノイズの方が一枚上手だったようだ。



「転移魔法の構築にはそこそこの時間が掛かる筈なのに。キヒヒ、まんまとしてやられたよ」


「ここで裏切り者のあなたと遭遇したのはあくまで偶然です。今の私にはあなたの処分よりも優先すべき任務がありますので」


「キヒヒ、それはそれは残念だったねぇ。ま、アタシは久しぶりに暴れられて楽しかったよ。せいぜい気を付ける事だね、アタシを追い出したところで、ここにはまだ一番怖いやつ・・・・・・が残ってるんだからさ」



 素直にノイズの冷静な判断力を称賛してなのか、単なる負け惜しみなのか。その言葉を捨て台詞にしてノイズが展開した転移魔法で作られた穴の中へと吸い込まれていくシャーペイ。空間に空いた穴と魔法陣はシャーペイを吸い込むと光の粒子となって霧散し、その場に残ったのはノイズ一人となった。



「生憎と転移魔法の技量はあなたより私の方が数段上なのですよ、裏切り者のシャーペイ。せいぜい僅かに永らえた生を満喫していなさい」



 裏切者シャーペイを始末出来なかったのは残念ではあるがノイズがこの海底神殿にやってきたの目的は彼女ではないのだ、本来の目的を遂行する妨げになってしまうのならば、シャーペイに固執する必要はない。こうしてこの場から追い出してしまえば十分なことだ。



(とは言え、例の騎甲ライザーの方はこの機会に何としても鹵獲したいところです。それが不可能ならば最悪でもここで息の根を止めるべきですね)



 まずは本来の目的である『神の至宝』の回収のために最深部の広間へと再び向かい始めるノイズ。残りの邪魔者は今頃ナイトステークが片付けただろう。後はこの神殿の秘宝を回収し、古代兵器ゴーレムを確保する。

 そして、魔族にとって最大にして最悪の障害である騎甲ライザーの捕獲、それが困難ならば抹殺を。やらなければならない事はまだ沢山残っている。ノイズとしてもこんなところで手間取っている暇など無いのだ。











「……ジ、エイジ! 起きてくれエイジ!!」



 影次を探しに広間を出て元来た道を辿っていたサトラは神殿内の一室に倒れぴくりともしない影次の姿をようやく見つけた。

相当の深手を負っていたが治癒魔法で取り敢えず傷口も塞いだサトラだが大量の出血や応急処置態度の治癒を施して動き回ったせいか影次の姿を見つけ気が緩んだ途端に意識が朦朧としてしまい、危うくまた気を失いかけてしまうのを鋼の精神力で堪える。



「エイジ、頼むから目を覚ましてくれ……」



 体を揺さぶろうが叩こうが、どれだけ呼びかけようが床に伏した影次は微動だにせず何の反応も返さない。見つけた時はもしやと思い慌てて脈拍と心音を確認したサトラだったが心臓は動いており死んでいる訳では無いと分かり一安心する。

 だが虚ろに開いた瞳からは一切の生気を感じられず、まるで魂の抜けた人形、抜け殻のような状態の影次はサトラがどれだけ懸命に呼びかけても動かない。果たしてこんな姿を生きていると言えるのだろうか。



-ノイズの術は相手の心の中に介入するんだ。体には傷を付けず、心を、精神を、魂を揺さぶり、誑かし、狂わせて、そして壊す。

 安心しなよ、大切なお仲間に怪我はさせてないから。ただ二度と覚めない夢の中に行って貰っただけだ-


(心を壊す……エイジの心を、壊してしまったというのか……!)



 先程、辛うじて倒した狂乱魔人ナイトステークの言っていた事を思い出す。もう一人の魔人の術により影次は心を壊されてしまったのか。

 サトラは力の入らない腕で影次の体を抱き起す。影次は全くの無抵抗でされるがままだ。ただ死んでいないというだけの魂の無い人形となってしまった影次をそのまま抱き締め、サトラはなおも呼びかけ続ける。



「起きてくれエイジ……。お願いだ……マシロやジャン殿も地上で私たちの帰りを待っているんだぞ? 君がこんな様子ではみんな心配してしまうじゃないか」



 頬に手を添え、影次の頭を胸元に抱えるサトラ。どれだけ呼びかけても影次は光のない瞳で虚空を見つめたまま何の反応もしない。

さこにはサトラもよく知るいつもの影次の姿はどこにも無い。変わり果てた影次に、サトラはそれでも声をかけ続ける。魔人の言っていた通り、影次は今深い夢の中に落ちてしまっているというのならば何とか夢から目覚めさせることはできないだろうか。サトラに出来る事はもはやこうして必死に呼びかけ続ける事だけだ。



「何でもいい、声を聴かせてくれないか。いつものような冗談や軽口でいいんだ……。君がどんな夢を見ているのかは分からない、無理やり起こしてしまって怒ってくれたって構わない。だから、目を覚ましてくれ……エイジ」



 サトラの声はノイズの術により深い夢の中に落とされた影次には届かない。だがそれでもサトラは呼びかけ続ける。名前を呼び続ける。一向に反応を返さない影次に次第に不安が大きくなっていき、負傷の事もありサトラ自身も心身ともに弱っていたせいか、呼びかけ続けているうちに次第に視界がぼやけ始め、目元から一滴、影次の顔の上に零れ落ちると堰を切ったようにぼろぼろとサトラの目から大粒の涙が溢れ出す。



「エイジ、エイジ……返事を、してくれ……エイジ……」


「ならば、あなたも同じように夢の中へと落ちなさい」



 背後からの声に影次を抱きかかえていたサトラが振り返るよりも早く、幻影魔人ノイズが手に携えた弦楽器リュートを鳴らす。



「……っ、あっ、ぅ、あ……」


「眠りなさい、永遠に」


「……エ、イ……ジ……っ」



 ノイズの魔力の込められた弦楽器リュートがサトラの脳を、魂を揺さぶり意識を刈り取る。サトラは何の抵抗も出来ないまま、影次を抱えた状態で意識を手放してしまい……その意識は影次同様、ノイズが作り出した夢幻の中へと落ちていく……。



「まさか狂乱魔人がただの人間に遅れを取るとは思いませんでしたが、これで邪魔者はいなくなりましたね。後は秘宝を回収して……折角ですし魔人を倒したこの人間も連れて帰るとしましょう。良い実験体になるかもしれませんしね」

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