ミラーノ海底×巨人像と遺跡

(おお……!)



 その余りにも幻想的な光景に影次は泳ぎを止めて思わず見入ってしまった。


 岩場から木々のように伸びる赤や青の珊瑚礁が群生して作られた海中の森。周囲を泳ぐ煌びやかな模様の様々な魚たち。海面越しに頭上から差し込む陽光に照らされたその世界は、右も左も見渡す限りまるで一枚の鮮やかな絵画のような光景だった。


 観光都市ミラーノの東部海岸から魔術師学院の調査隊と共に海中へと潜った影次とサトラ、シャーペイ。ゴーグルも酸素ボンベも無い潜水ダイビングだったが魔法道具のお陰で当たり前のように呼吸が出来る。そのせいか広大な海が作り出したこの眼前に広がる色鮮やかな景色に圧倒され、自分が今海の中にいるという事さえ忘れてしまいそうになる。



(綺麗だな……いや、もう綺麗って言葉じゃ言い表せない……あぁ、でもそれ以外の語彙が思いつかない……!)



 俗に水の透明度の高さというのはそれだけ海中におけるプランクトンなどの栄養素の少なさを表すと言われているが、ミラーノの海は珊瑚や海藻も生い茂っており魚も多い。影次は以前にミラーノの海は魔力を豊富に含んでいるという話を聞いた事を思い出し、この海の生き物たちは栄養素の代わりに潤沢に魔力を含んだ海水の恩恵を受けているのだと納得した。



(身も大きくて引き締まって美味そうだな。模様の艶の良さはそれだけ脂がたっぷり乗ってるって証拠だし。あ、あそこに見えるのって昨日食べたニジアジの群れじゃないか?)


(エイジ、はしゃぎたくなる気持ちは分からなくはないが後にしてくれないか。調査隊から大分遅れてしまっているぞ)


(おっと。ごめん、つい……。こんな景色生まれて初めてだったからさ)


(確かに美しい光景だな。私も職務抜きにゆっくり眺めていたいところだ。本当に残念だよ)


(まったくだ。全部片付いたら今度は遊び目的でまたこうして潜りたいもんだ)


(あのさ……エイジたち目と目で会話成立させるのやめてくんない? アタシだけさっぱりなんだからさぁ)



 調査隊から渡されたペンダント型の魔法道具は水中に含まれる酸素を使用者の体に纏わせる効果があり、体を目に見えない空気の膜に覆われ透明なバリアを張られているかのような状態だ。

だがその効果はあくまで水中での呼吸を可能にし、水圧から身を守るものであって流石に水の中での会話などは当然不可能だったので影次とサトラは視線の動きや目配せによってやり取りをしていたのだった。

本当にどうやって成立しているのだろう?



(む、そろそろ例の巨人像が発見されたというポイントだそうだ。私たちも急ごう)



 既に影次たちより深くまで潜っていっている学院の調査隊からのハンドサインによる合図を確認したサトラが海中の景色にすっかり心奪われていた影次を急かす。



(それにしてもこの魔法道具凄いな。空気の幕に包まれてるから息ができるどころか濡れもしないなんて。あれ、それじゃあわざわざ着替える必要無かったんじゃあ……)


(水中の酸素を身の回りに集めるという代物だからな。出来るだけ表面積が少ないほうがその分長く潜っていられるんだ。ちなみにあのセッター教授の発明品だぞ)


(マジか。あの爺さん本当にただの変人じゃなかったんだな)


(ちなみにこの魔法道具が三つもあれば屋敷が建てられる。くれぐれも壊さないようにな)


(マジか)


(だから二人だけでやり取りするのやめてってばぁ)



 サトラの言う通り、それから程無くして影次の視界にも海底が見え始めてきた。海の底だというのにまるで昼間の地上のように明るいのは岩盤そのものがキラキラと宝石を散りばめたように輝いているからだ。そして、そんな光る岩盤に照らされて影次たちの前に姿を現した、件の巨人像。


 ディプテス山で氷の中で眠っていた古代兵器ゴーレム、ティターン。奥の手である騎甲巨神ダイライザーでかろうじて倒した、あの巨人に匹敵する大きさだ。



(予想はしていたが……本当に大きいな。大きすぎて全貌が見えないぞ)


(随分長いこと海の中にあったんだろうねぇ。でもこれ本当にゴーレムなのかなぁ? 岩の形がたまたま人の形に見えてるだけって気もするけど)


(あっちに見える建物みたいなのが海底神殿ってやつか。確かに神殿にしか見えないな……海の底だっていうのに)



 魔術師学院の調査隊は各々腰に巻いたベルトから器具を取り出し早速巨人像を調べ始める。影次たちも顔を見合わせると頷き合い、調査隊の邪魔にならないように巨人像に近づいていく。

遠目では偶然人の形をした岩盤という風にも見えなくは無かったが間近で見ると偶然人型になったというものではなく、明らかに人為的に作られたものだという事が分かる。長い年月を、恐らくはこの海のもっと深く、岩盤の奥に眠っていたのだろう。

辺りをよく見ると崩れた岩盤の破片があちこちに転がっており、巨人像自体もそのフォルムに沿って半ば一体となって埋まっていた岩盤との境に亀裂が生じている。

この亀裂が岩盤の中の巨人像の存在を浮かび上がらせていたのだ。



(地震……いや、地殻変動か? 割と最近になって地盤の中から露出してきたって感じだな。『ルプス』、何か感知できるか?)


〈未だ各種センサーにエラーが残っており情報探知スキャニングの精度が従来の40%を下回っています〉


(ダイライザー召喚の反動がまだ直らないのか……。しかしこれはどう見ても人工的に作られたものだよな。ただの石像……って考えるのは流石に楽観的過ぎるよな)



 巨人像の表面部分は長い年月を経て岩石や砂などが幾層にも張り付いており、調査隊の手によって一層ずつ、巨人像本体を傷つけないよう慎重かつ丁寧に剥がされていく。

影次やサトラも直接触れてみたり間近で観察したりと試みたのだが……如何せん専門知識も無いのでさっぱりた。ただ、シャーペイだけは興味深いといった様子で調査隊の作業を眺めながらしきりに頷いていた。



(……同行させて貰ったのはいいが、シャーペイは兎も角、私たちでは何も分からないな)


(これじゃ俺たちはただダイビングしに来ただけになっちゃうよなぁ……。そうだ、あっちの神殿みたいなやつも調べるんだろ?こっちは学院の人たちに任せて俺たちは向こうを調べないか)


(海底神殿か。そうだな、私たちがここにいても役には立てそうに無いしな。待っていてくれ、テネリフェ殿に伝えてくる)



 そうと決まるや否やサトラが巨人像を調べていたテネリフェの元へと泳いでいき、身振り手振りで自分たちが海底神殿の調査に行くと伝える。こちらの意図をテネリフェもすぐに理解したようで少し考えるような素振りを見せたものの、親指と人差し指で輪を作りあっさりとOKをくれた。



(よし、この巨人像は調査隊に任せて私たちは向こうの海底神殿に行くぞ)


(向こうは向こうでまたデカいな……ほら、何してんだシャーペイ早くしろって)


(だからアタシには伝わらないんだってばぁ!!)






 それはまさに読んで字の如く海底に建てられた神殿そのものだった。


 ごつごつとした岩肌が続く海底の中に不自然に敷き詰められた石畳の上に建てられた、巨人像に勝るとも劣らない巨大な建造物。四方を円柱が並んでおり、中心部分には本殿らしき建物が円柱に囲まれる形に建っていた。

近づいてみると周囲の円柱も巨人像のように長年このミラーノの海の底にあったせいか、表面にびっしりと海藻が生えてしまっており元の色味が完全に塗り潰されてしまっている。だが……。



(……? なんだこれ?)



 海底から伸びる十数mはあるであろう四方を囲んでいる円柱を境目にして、その内側は完全に別世界だった。

海藻にまみれ深緑色に染まっている円柱とは真逆に藻の一つも付着していない真っ新な石畳と、その奥にそびえる本殿。まるでそこだけつい先日建設されたかのように綺麗な状態だ。ここは海の底だと言うのに。



(これ、何か結界みたいなのがあるねぇ。この柱みたいなのが核になってるのかな?)



 シャーペイが円柱の向こう側へと手を伸ばすと海中だというにも関わらず目に見えない壁……いや、柔らかな膜のような感触を確かに感じ取る。そのまま手を押し込んでいくとほんの僅かな抵抗感はあったものの、すんなりと見えない膜の向こう側へと入ってしまった。



「何がどうなって……おっとと!? く、空気があるのか、ここ……」


「大丈夫かエイジ! 何がどうなって……!?」


「キヒヒッ、面白いねぇ。見てよほら、この柱に囲まれたあっち側とこっち側で結界に隔てられてるみたいだよ」



 円柱の内側へと進んだ途端それまで感じていた浮力が無くなり、そのまま石畳の上へと落ちてしまう。辛うじて着地した影次たちはそこに地上と同じように空気があり普通に呼吸が出来る事に気付き、振り返ると神殿を囲む柱の向こう側に見えない膜に隔てられた海が広がっていた。

まるで透明な水槽だ。試しに境い目に触れてみるとゼリーのような感触がする。



「多分だけどこの柱に結界と、この魔法道具と同じように空気を集める効果があるんだろうね。キヒッ、この神殿を建てた人は中々の術師だったんだろうねぇ」


「不思議な気分だな……海の底にいるというのに地上と変わらないなんて。まさかこうして下から海を見上げる機会が訪れるとは思わなかったな」


「ははっ、ここにテラスでも作って海中レストランとかやったら大繁盛しそうだよな」


「あ、いいねぇ。ならアタシ、ウェイトレスやるよー」


「なら俺はウェイターだな」


「それじゃあ誰が料理をするんだ……って違う。二人ともふざけていないで早速調査を開始するぞ」



 神殿内は空気があるので一旦首にかけていた水中呼吸の魔法道具を外し、本殿へと向かう影次とサトラ、シャーペイの三人。

本殿には扉らしいものは無く大きく開かれた入口から建物の中に入るとまるで待っていたかのように壁に添え付けられていたランプが灯り、内装が露になる。


 全体的な雰囲気で言えば豊穣の都ネザーランドで見た三月教会の大聖堂に近いが細かな装飾や建物の造りは明らかに系統が違った。特に柱には凝った彫刻が施されており、これで海の底でなく、絵画や彫像などが並べられていたら神殿ではなく美術館に見えていただろう。壁や柱のあちこちに彫り込まれた彫刻レリーフによって神殿らしい厳かな雰囲気が感じさせられる。



「まるで神殿これ自体が美術品みたいだな……。それにしても広いな、大聖堂くらいあるんじゃないか?」


「今のところ特にそれらしい気配は感じないが二人とも警戒はしておくようにな。何があるか分からないんだ」


「神殿の周りの結界のせいだろうけど魚の一匹も入ってきてないし魔獣の類が住み着いてるって心配は無いと思うけどねぇ。それにしても小綺麗だねぇ。とてもじゃないけど何千年も海の底にあったとは到底思えないよ」


「何千年!? そんなに古いものなのか? こんな奇麗だというのに……」


「キヒヒっ。ま、ゴーレムの表面にひっついてた岩の層からざっと推察しただけなんだけどねぇ。少なくとも三百年、四百年ってレベルじゃあないねぇ。勿論この神殿とゴーレムが何の関連性も無いって可能性もあるけどさ」


「いや……どうやら関連性はあるようだぞ。サトラ、シャーペイ、あれを見てみてくれ」



 神殿の奥を入口から真っすぐ進んでいくと程なく開けた場所へと出てきた影次たち。外にあったものと同じような円柱が立っているだけで他には特に何もない広間だったが、正面の壁に一際巨大な彫刻レリーフが、それこそ一枚の壁画のように彫り込まれていたのだった。



「これは……人か? いや、それにしては大きさが……」


「反対側に描かれてるのは多分ドラゴンかなぁ。なーんか意味深な壁画だねぇ」



 海底神殿内部の広間に描かれていた壁画彫刻には六つの人らしきものと四つのドラゴンらしきものが向かい合う姿が刻み込まれていた。

だがサトラの言う通り壁画の中の人型は周囲の建物らしき風景と比較しても明らかに大きすぎる。建物よりも遥かに巨大な人型の存在、思い当たるものと言えば……。



「これはまさか……描かれているのはゴーレムか?」


「周りにちらほら文字みたいなのが書いてあるけど流石に読めないねぇ。一応メモっとこうか。何か大事な事が書いてあるかもだし」



 シャーペイがベルトに下げた道具袋からメモ帳を取り出し壁画に刻まれていた文字を書き写し始める。一方サトラは影次の様子がどこかおかしい事に気が付いた。



「エイジ、どうかしたのか? 何か気になるものでもあったか」


「『四方を司るは星の守り神たる四色四頭の竜。彼の者より産まれしは星の破壊者たる魂無き終末の六機。北の黒竜ノースルツ、ここに厄災の一角たる海のオケアノスを封印せん』……どういう事だ?」



 壁画に描かれていた文字を事も無げにすらすらと読み上げる影次。ふと視線に気付き振り向くとサトラもシャーペイも信じられないといった表情を浮かべていた。



「え、エイジ……? 君は、この文字を読めるのか?」


「ああ、普通に読めるけど。……え、何、どうした?」


「どうした、じゃないよ。これ多分古代文字だよ。それも今発見されているものよりずーっと古いやつ!」


「って言われてもなぁ。読めるものは読めるんだから仕方ないだろ」



 影次からすれば書いてあるものをそのまま読み上げただけだったのだが、シャーペイの反応からこの文字を読めるという事自体普通ならばあり得ない事だったようだ。



「これもライザーシステムの翻訳機能の一環なのかな。でもこれであの巨人像がゴーレムだっていう事はほぼ確定だな。『海のオケアノス』か……、『終末の六機』っていうのも以前アッシュグレイが言っていたしな」


「本当に普通に読めるみたいだな……。『終末の六機』、察するにディプテス山やミラーノの海底の他にも少なくともまだ四体のゴーレムがどこかにあるという訳か。それにドラゴンまで関係しているとは」


「ゴーレムが動いていた時期のものだと考えると千年、二千年くらい前の話かなぁ。大昔にあった戦争時代に書かれたものかもねぇ。見た限りゴーレムとドラゴンは敵対してたっぽいけど」



 かつてこの世界で起きたと言われている人類と魔族の戦争。そういった事があったという話はこれまでも何度か聞いた影次だったが思い返せば未だ詳しい内容までは知らないままだ。



(いい機会だし、今回の件が片付いたら本格的に歴史の勉強するかな……それにしても)



 改めて壁画を見上げる影次。四頭の竜と六体の古代兵器ゴーレムが睨み合う壁画に描かれていた古代文字を当たり前のように解読出来た事に関しては表には出さないが当然影次も強い疑問を抱いていた。



(何だろうな……何かとんでもない勘違いをしているような気がするのは……)

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