雪山の猛獣×狂乱魔人

「エイジぃー……もう疲れたよぉー」



山を登り始めて彼是かれこれ二時間弱。今日何度目かも分からない弱音とともに雪の上に座り込んでしまうシャーペイ。

地図を見る限りまだここはディプテス山の中腹にも到達していない。道中にも魔族の痕跡らしいものは見当たらなかったので恐らく目的地はまだまだ先なのだろう。



「寒いよぅ……歩きたくないよぅ……暖かい布団とスープと薄切りイモフライが食べたいよぅ……」



「ならそこでゆっくり休んでるといい。俺は先に行くから」



「ちょっとちょっとちょっと!こんなところで置いてけぼりにされたら冷凍シャーペイちゃんになっちゃうよ!?」



「あはは、大人しくなってくれそうでいいな」



「冗談だよね?こんなキュートでセクシーでラブリーなシャーペイちゃんにそんな酷い真似しないよね?ねっ?」



「元気有り余ってるみたいだしきりきり歩けシャーペイちゃん」



愚痴を零してばかりのシャーペイを適当にあしらいながら山を登り続ける影次。魔族が今も実際にこの地にいるという確証は無いが少なくともドラゴンと魔族が交戦したのだから相応の痕跡は残されている筈だ。そこに何らかの手掛かりになるものが残されていればいいのだが……。



「そう言えばさぁエイジ。さっきの話の続きなんだけど」



シャーペイの言う話の続きというのは「魔王にならないか」という、あれの事だろう。

彼女がどこまで本気で何を企んでいるかは知らないが、何を言い出すのかと取り合えずその場は鼻で笑い飛ばした影次だったがシャーペイの方はそれでお仕舞いにするつもりは無い様だ。



「悪い話じゃないと思うんだけどねぇ。アタシに任せてくれればキミの唯一の弱点である燃費エネルギーの問題も解決してあげられるかもしれないよ?アタシとしても今一目的が見えない主様マスターなんかよりエイジと組んだ方が気楽だし」



「興味がないって言っただろ?俺は支配者になるためにライザーになったんじゃないんだしな」



「キヒヒッ、復讐の為だったっけ?正義の味方を名乗ってる癖にそもそもの動機がドス黒いよねぇエイジって」



「……余計なお世話だ」



シャーペイの皮肉たっぷりの軽口に辟易し手近な雪を丸めて彼女に雪玉を投げつける影次。見事顔面に命中し少しだけシャーペイが大人しくなった。

そんなしょうもないやり取りを繰り返しながら更にしばらく吹雪激しい雪山を登り続けていくと、不意に大きく開けた場所へとやってきた。


ビションフリーゼの本家屋敷も丸ごと収まりそうな広大な空間。その原因はこの場所だけ原生しているタ大量の木々が倒壊しているからだった。

まるで嵐か何かでも通り過ぎた跡のように根元から抜けてしまっている木もあれば真ん中からへし折られてしまっている巨木もある。それもよく見れば鋭利な切断面や焦げ跡のようなものも見られる。



「うわぁ~、こりゃまた凄いねぇ。まるでデッカい何かが暴れ回った跡みたいだねぇ」



「実際デッカい何かがここで暴れ回ったんだろ。十中八九ヴァイエストドラゴンだろうけど」



以前エルフの森で遭遇したドラゴン、ヴァイエストが魔族と戦ったのがまさにこの場所なのだろう。ここでドラゴンと魔族が交戦し、ドラゴンは負傷しこの地を追いやられる形でエルフの森に訪れ、あの騒動が起きた、という事か。



「しかしまた派手にやりあったみたいだねぇ。見てよこの有様、ちょっとした天変地異だよ」



無残に薙ぎ倒された木々、足元を覆う雪で分かり辛いがこの辺りだけ地面の起伏が凸凹しており若干地形も狂ってしまっているようだ。余程の激戦だったのだろう。ドラゴンが傷を癒す為にエルフの森に行ったように、恐らくは相対した魔族の方も決して無傷では無かった筈だ。だとすればもしかしたらまだこの近くに居る可能性も決して0ではない。


更に周囲を詳しく調べていくと今度は夥しい数の獣の死骸を発見した。

影次の背丈の倍近い巨体の大熊が全身に無数の大穴を空けられて絶命している。倒壊した木々と違いどれもつい最近、最低でも数日前といった様子なのでドラゴンとは無関係だろう。



「この傷跡……この辺の薙ぎ倒された木にも同じような跡がついてたな。これがドラゴンとやりあった魔族の仕業だと考えると……まだこの近くにいると考えて良さそうだな」



「ねぇねぇ、この熊って例のガーネットベアーとかいう魔獣じゃない?騎士団一部隊が駆り出されるって奴の死骸がこんなゴロゴロ転がってるとかヤバくない?ここにいる魔族相当危ないよ」



「かもな。狩猟目的にやったって訳でも無さそうだし。まるで腕試しでもしているかのような……」



影次とシャーペイが付近に転がるガーネットベアーの死骸を調べていると突然大気を震わせるほどの凄まじい獣の咆哮が鳴り響く。そして山の上方から激しく雪を巻き上げこちらに向かって猛然と突進してくる巨大な赤毛の熊、ガーネットベアーの姿がこの吹雪の中で二人の目にも見えてきた。



「な、なんか滅茶苦茶怒ってない!?」



「俺たちが仲間を殺したと思ってるのかもな。誤解を解くのはちょっと難しそうだ」



猛スピードで迫ってくるガーネットベアー。接近してくるにつれてその巨体に野太い手足、鋭利な爪と牙、そして獰猛な相貌。

雪に足を取られながら慌てて木陰に逃げ込むシャーペイを余所に影次はこちらへと迫ってくるガーネットベアーに対して悠然と『ファングブレス』が巻かれた左腕を突き出し真っ向から迎え撃つ。



「騎甲変身!」



〈It's! so! WildSpeed!〉



突進の勢いをそのまま乗せて振るわれたガーネットベアーの剛腕が激突しその衝撃で再度激しく周囲の空気が震え、雪が舞い上がる。

変身を終え姿を変えた騎甲ライザーファング影次は片腕でガーネットベアーの攻撃を受け止めており、もう片方の腕で巨大熊の腹部に痛烈なボディブローを叩き込む。

だが頑強さとしなやかさを併せ持ったガーネットベアーの鎧のような毛皮とその下の屈強な筋肉によってパンチのダメージもほとんど無い様子で今度はもう一方の腕をフルスイングしてファングを殴りつけてくる。



「ライザースパイク!」



宙を舞い剛腕を避け、そのまま今度は顔面に痛烈な飛び蹴りを放つ。流石に今度はダメージがあったのだろう。鼻柱を抑えながら数歩後方によろめくガーネットベアー。

ファングとしてはそれなりに力を込めた一撃だったのだが、それでもガーネットベアーには決定打には至らない。流石は上級危険魔獣Aランカーといったところか。



(思った以上に打撃の効きが悪いな……高出力の攻撃で一気に仕留めるか?)



〈警告。ここ一帯の積雪量及び山の傾斜を考慮すると過度な熱量、衝撃を与えた場合大規模な雪崩が発生する可能性が非常に高く、危険かと〉



必殺技を発動しかけたところで『ルプス』が警告を発する。そうなると形態変身フォームチェンジも止めた方がいいだろう。決定打にはならずともこのまま肉弾戦で地道に攻めていくしかない。


そう思った次の瞬間、ガーネットベアーの腹部から突如一本の槍が頑強な筋肉と毛皮の鎧を突き破り飛び出してきた。

背後からの突然の襲撃にガーネットベアーはそちらを振り返ろうとするが立て続けに胴体を何度も串刺しにされ、何十回目かの刺突で口から鮮血を吐きながら降り積もった足元の雪の中に埋もれるように倒れ、絶命してしまった。



「な、なに?今度はなに?」



「……どうやら本命の登場みたいだな」



ガーネットベアーが倒れた事によってその巨体の陰に隠れていた人物の姿がファングとシャーペイの前にもはっきりと現れる。

中世西洋の甲冑を彷彿とさせる群青色マリンブルーの鎧。だが鎧の隙間、関節部分は明らかに生物的なものになっておりこの鎧が人成らざるものだという事を示している。



「はー、結構狩ったと思ってたんだけどなぁ。まだ残ってたのか、この熊」



手にした赤い槍をたった今仕留めたガーネットベアーに突き刺し、その亡骸を無造作に明後日の方へと放り捨てる異形の槍騎士。

どこか呑気な口調とは裏腹に自分が仕留めたものに対してまるでゴミでも扱うかのような振る舞いが底知れない不気味さを感じさせる。



「聞いてるよ。あんたが噂の騎甲ライザーだろう?いやぁ会いたかった、会いたかったよ」



「そういうあんたは魔族……いや、魔人ってやつか?」



「ああ、そうだ。自己紹介してなかったっけ。ごめんごめん。……こほん、俺の名前はナイトステーク。仲間内からは狂乱魔人なんて呼ばれてるけど。……狂乱って酷いよなぁ。まるで人をイカれてるみたいに」



死霊魔人アッシュグレイも陽気で気さくな振る舞いをしていたがこのナイトステークと名乗る魔人もまた一風変わった性格のようだ。

自分たち魔族にとって最大の敵である騎甲ライザーに対してもまるで旧知の友に話しかけるような態度で思わずそんな彼の立ち振る舞いにファングも一瞬ペースを崩されてしまい……。

その刹那の隙をナイトステークが文字通り突いて・・・きた。



「ッシャア!!」



「っ!?」



土煙の如く粉雪を舞い上げ鋭い踏み込みと共に携えた赤い長槍を振るうナイトステーク。ガーネットベアーの毛皮すら紙切れのように穿った槍の穂先がファング目掛けて閃光の如き速度で放たれる。

咄嗟に身を捻り避けたものの槍先はファングの胸元の装甲を僅かに掠めており、くっきりと横一線に傷跡がつけられる。

まさに間一髪だ。もう一瞬反応が遅れていれば今頃はガーネットベアーのように刺し貫かれてしまっていただろう。



「ハハッ!凄いな、今のを避けるなんて。てっきり刺せたかと思ったのに」



感嘆の声を上げてファングの反射神経を称賛するナイトステーク。たった今刺し殺そうとした相手に向けるには余りにも屈託の無い楽し気な口調。甲冑兜のような顔からは表情は全く読み取れないが顔が見えていたらきっと朗らかに笑っていただろう。



「……なるほど、確かに狂ってやがる」



「そうかい?自覚は無いんだけどなぁ……。まぁいいや。あんたとは一度会ってみたかったんだ。話はアッシュグレイやダブルメイルから聞いてたしさ。ああ、あいつらからあんたの事を聞いてからずっと思ってたよ……」



鮮血のように鮮やかな赤に染め上げられた槍を構え兜の奥で狂乱魔人が嗤い、吠える。

その名に相応しい、常人には到底理解し得ない捻じ曲がった狂気を振り撒いて。



「滅茶苦茶に串刺しにしてみたい……ってな!!」



力強く地面を蹴りナイトステークがファングへと襲い掛かる。器用に片手で槍を回転させ足元の雪を散らして目眩ましをしてきたかと思えば舞い上げられた粉雪の向こう側から正確無比に急所を狙った突きが目にも止まらぬ速度で放たれる。



(こいつ、強い……っ!)



自分の身長より長い槍をまるで手足のように自在に操るナイトステーク。射程リーチの差は当然ながらその槍を掴んで動きを封じようと試みても全く捉える事が出来ない。

騎甲ライザーとなってから数え切れない闘いの日々を過ごしてきた影次だったがあくまでもそれは人成らざる怪物相手のこと。更に元々本格的な戦闘訓練はおろか武術の心得も無い影次にとっては相性の悪い相手だ。


狂乱魔人ナイトステーク。その性格はさておき、間違いなくこの魔人の槍捌きは達人のそれだった。



「あんまりチョロチョロしないでくれよ。綺麗な穴が開けられないだろ?」



「開けられてたまるかってんだ!」



射程外からの一方的な猛攻にファングも回避しつつ攻め入る隙を伺っているが中々糸口が掴めないでいた。

閃光のような鋭い刺突を掻い潜り、体勢を崩そうと横薙ぎに振るわれた槍を避け続ける。しばらくそうして互いに決定打になるものを見いだせないままでやり取りが続いていたが、飛び掛かったところをファングに避けられたナイトステークが丁度木陰に身を隠していたシャーペイのすぐ近くに着地し……仮面の奥の瞳が彼女の姿を捉えた。



「わわっ!こ、こっち来たぁ!?」



「完っ全に忘れてた。あんたが例の裏切り者だろ?丁度良かった。あんたの事も興味があったんだよ。刺したらどうなるかなってさ」



「普通に死んじゃうだけだと思うよぅ!」



嬉々として槍を振り上げるナイトステーク、危機に瀕して悲鳴を上げるシャーペイ。彼女が逃げる間もなく狂乱魔人の魔槍が一切の躊躇なく振り下ろされ……。

既の所で割って入ったファングの右肩にナイトステークの槍が深々と突き刺さった。



「ぐっ……!」



「ははっ!こんな刺し心地は初めてだ!!ああ、思った通り溜まらない味わいだ……っ!ハニーもこんなに喜んでくれている……あんたの血は美味いってさぁ!!」



狂喜に震えながらナイトステークはシャーペイを庇い貫かれたファングを更に串刺しにしようと肩口を貫通し返り血に更にその穂先を赤く染めた槍を引き抜こうとする。

だが、どれだけ引いてもファングの肩に刺さった槍はびくともしない。逆にファングは捉えたとばかりに刺された方の右手で自身の肩を貫いている槍の柄を掴み取った。



「ふぅ……、やっと射程距離だ」



「っ!?」



ファングの左拳が深々とナイトステークの鳩尾に突き刺さる。ガーネットベアーに勝るとも劣らない魔人の強靭な装甲に騎甲ライザーの拳が減り込み、臓物を圧し潰されるような衝撃がナイトステークを襲う。

自分の槍に狂的な愛着を持っているナイトステークは咄嗟に槍を手放して距離を取るという判断が出来ず二撃、三撃と猛烈なボディブローを食らい続け、溜まらず槍を引き抜きよろめきながら後退ってしまう。



「逃がすかっ!ライザー……インパクト!!」



渾身の力を込めた左ストレートが雪と空気を裂きながらナイトステークへと放たれる。ナイトステークは避けられないと瞬時に判断するとファングのパンチを槍の柄で受け止めガードをするがファングの拳は槍の柄を真っ二つに砕き折って魔人の胸板に痛烈にクリーンヒット。狂乱魔人の体は勢いよく吹き飛ばされ背中から激しく木に叩き付けられる。



「やった!さっすがエイジ!」



「……いや」



魔人がぶつかった衝撃で木に積もっていた大量の雪が雪崩落ちナイトステークの姿がファングたちの視界からほんの一瞬見えなくなり……その僅かな隙の間に既に狂乱魔人ナイトステークの姿はどこにも見当たらなくなってしまっていた。



「逃げられたか……それにしてもまた新しい魔人か。一体あと何人いるんだか」



「さぁねぇ。それはアタシも流石に知らないけどもさ」



〈ルプス〉に周囲を探知して貰うが既に魔族の気配は感じられない。しいて言うならすぐ後ろにいるぐうたらポンコツ魔族の気配が一つあるだけだ。

一旦脅威が去ったと判断し変身を解く影次。元の姿に戻った途端槍で貫かれた右肩が溢れ足元の雪道に鮮やかな赤色が添えられる。



「っつぅ~……」



「助けて貰っといてアレだけキミも大概だよねぇ。わざわざそこまでしてアタシなんかを庇っちゃって」



「まぁ、一応お前は協力者って名目だからな……」



「キヒヒッ、実はシャーペイちゃんの事結構好きだったり?」



「そうだな……アッシュグレイの次くらいには好きだよ」



「それ下から二番目だよねぇ」

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