ディプテス山×それぞれの謀略

 ビションフリーゼの街で迎えた二日目の朝。影次たちの元にセツノが手配してくれた登山に必要な装備が届けられた。防寒具一式は勿論の事、ディプテス山の地図、半永久的に使用できる魔石動力製のランタン、方位磁石に保存食など、まさに至れり尽くせりの品揃えだ。



「なんでトランプが? 文庫本も」


「万が一遭難した際にも救助を待つ間退屈しないようにと思いまして」



 と荷物を届けてきてくれたセツノの執事であるネージュが影次の疑問に真顔で答える。彼女なりのジョークなのだろうかと思ったが案外本気で言ってそうなので深くは言及しないでおこう。初対面で主に雪だるまにされるような人だし。



「この時期は特に吹雪が強く危険です。もし日が暮れてしまったら無理に下山を試みたりせずテントを張って朝を待ってください」


「だとさ」


「大丈夫。ちゃあんと昨夜のうちに街の中に転送魔法のマーキングしといたから。いざとなったらすぐ戻れるよー」


「それとガーネットベアーにはご注意を。もし遭遇してしまったら死んだフリなどせず慌てず落ち着いて背中を見せないように少しずつ距離をとって逃げてください」


「だってさエイジ」


「大丈夫。いざとなったら変身する」



 大人数で激しく吹雪く雪山に入るのは危険だと言う事でディプテス山へは影次とシャーペイの二人で行く事となった。

 もし魔族に関する何らかの痕跡や術式、装置といった代物があった場合を考えて技術者であるシャーペイがまず抜擢され(本人は思い切りゴネたが)、続いてもし魔族自身と遭遇した際の事を考え当然影次も同行する事となったのだった。



「本当に大丈夫なんですか? 二人だけで。いやエイジの心配は別にしていませんけど」


「エイジならガーネットベアー相手でも大丈夫だろう。ただしくれぐれも気を付けるんだぞ。二人だけなのだからな」


「あれ、もしかしてアタシが不安要素になってる?」



 人選と組み合わせに多少の不安はあるものの、ディプテス山の調査は影次とシャーペイに任せ山へと向かう二人を見送るマシロとサトラ。街に残った二人がこれからどうするかと相談し始めるとネージュからビションフリーゼ本家屋敷へ来て貰えないかと招待を受けた。



「お嬢様もまだまだお話し足りないそうで是非にと。それに結局昨日はマシロお嬢様ともほとんどお話出来ませんでしたし」


「私はもちろん構わないが……マシロ、どうする?」



 不意に昨夜の事を思い出しサトラがそう声をかけるとマシロは普段通りの平静を装い「行きます」とだけ答えた。何かを堪えるようにその手がぎゅっ、と固く自分のローブの裾を掴んでいる事は見て見ぬ振りをしておく事にしよう。



「ありがとうございます。お嬢様も喜びます。あの方はああ見えて結構寂しがり屋だったりしますし……おっとこれは内緒ですよ? でないとまた雪だるまにされちゃいますから」


「されたくないのならその軽口を慎めばいのに……」










 ディプテス山を登り始めて早三十秒。早くも……と言うか早すぎるというか、シャーペイが弱音を吐き始めた。



「寒いよぅ……歩きにくいよぅ……お腹空いたよぅ……」


「今からでも一人で街に戻るか?」


「吹雪のせいで方向も分からないのに帰れる訳ないよ!」


「いや、だったら転送魔法使えよ」


「嫌だよ転送先のマーキングってエイジが思ってる以上に手間暇掛かるんだからね!? また一から作り直しとか面倒な事シャーペイちゃんは真っ平だよ!」


「なら我慢して大人しく足を動かせ」



 セツノが用意してくれた防寒具のお陰でシャーペイが言うほど寒さに関しては問題無いのだが誰も足を踏み入れない雪山は想像していたよりもずっと困難だった。

 まず深く積もった雪に足を取られて思うように歩くペースが上がらず体力ばかりが消費させられる。更にこの絶え間なく吹きすさぶ猛吹雪。ゴーグルをかけているものの辺り一面真っ白で前後左右も全く判断が付かない。

 騎甲因子で常人より優れた五感を持っている影次だからこそ辛うじて地図を見ながら先へと歩き続けられているがシャーペイはここで逸れたら一溜りも無いとさっきから必死に影次の腕にしがみ付いている。

 物凄く歩き辛い。



「エイジー……シュバッと変身してこんな雪焼き尽くしちゃってよー」


「そんな事したら雪崩になって二人揃って一巻の終わりだぞ。それに便利にホイホイ使えるものじゃないっての」


「それもそっか。マーちゃんはいないんだし。燃費の悪いところがエイジの弱点だよねぇ。その点さえクリア出来たらエイジは世界征服だって出来そうなのに、残念だねぇ」


「前も言ったかもしれないけどそんな事に興味無いっての。無駄話する元気があるなら足を動かせ。寄りかかるな。どさくさに紛れておぶさろうとするなコラ」


「いいじゃん珍しく二人きりなんだし。マーちゃんやサトちゃんがいる時じゃ出来ない本音トークってやつだよー」



 影次としてはこのスチャラカ魔族と楽しくお喋りするつもりは無いので正直物凄く鬱陶しい。未だにどうにも信用出来ないという事もあるが大部分は彼女の日頃の言動によるもの。つまりは自業自得だ。

 この娘(?)が口を開いて出てくるものは四割が嫌味三割が皮肉五割がしょうもない事で二割が泣き言だ。

 ……全部足したら十割超える。



「エイジはさー元の世界に戻りたいとは全然思って無いんでしょー? それってあれかな。やっぱり未練がないって事? 家族がいないから? それとも向こうで色々やらかしちゃったから合わせる顔がないとか?」


「元気有り余ってるじゃないかよお前」


「キヒヒッ、話を逸らしたって事は図星かな? あっ、ああ待って待って手を振りほどかないで逸れる逸れる!!」


「しょうもない事言ってないで先進むぞ。出来れば今日中には何か見つけて帰りたいし」



 いい加減で適当でどうしようもない奴とは言え腐っても魔族という事だろうか、どうにもシャーペイは悪戯に他者の心を揺さぶりにかかるのが好きなようだ。

 とは言え影次の方も良くも悪くもとっくに開き直っている節があるのて今更多少突かれたところで揺らぐような精神メンタルは持ち合わせていない。



「しょうもないとは酷いなぁー。アタシこれでも一応真面目な話してるつもりなのにさぁ」


「何が真面目な話だよ……」



 腕を掴んでくる手に力が籠められ、ふと影次が彼女の方へと振り返ると怪しく笑みを浮かべているシャーペイと視線が重なる。

 心の内まで覗き込んでくるかのような深い瞳。もし前もって彼女の人となりを知っていなければつい誑かされてしまいそうな優しくも妖しい、文字通りの悪魔の微笑み。



「キミはドラゴンよりも魔族よりも強い力を持ってるんだよ? 限られた条件下とは言え騎甲ライザーの力はそれこそ世界最強と言っても過言じゃあない。キミがその気になれば街の一つや二つどころか一国だって獲れるだろうね。……ま、キミはどうせ興味が無いだのライザーの力はそんな事に使うもんじゃないだのって言うんだろうけど」


「分かっているならいちいち聞くなよ」


「アタシにはさぁ、キミがいう騎甲ライザーは正義の味方云々っていうやつ? 何かキミがそうでなきゃいけない・・・・・・・・・・って自分に言い聞かせてるように思えるんだよねぇ。キヒヒッ、まるで自分はそうじゃなかった・・・・・・・・みたいでさぁ」


「……言いたいことがあるならハッキリ言え」



 吹き荒れ続ける吹雪に負けじと、無意識に影次の声色も冷たいものになっていく。

 図々しく無遠慮に、遊び半分に人の内面に踏み込もうとしてくる信用ならないこの同行者は影次のそんな静かな怒りの籠った最速の言葉にも相変わらず耳につく笑い声を上げ、本題を切り出してきた。



「ねぇエイジ。キミってさぁ……魔王・・になる気は無い?」













 影次とシャーペイが極寒の雪山で四苦八苦している一方、ビションフリーゼ家の本家屋敷に再び招かれたサトラとマシロは暖の効いた応接室で温かい紅茶と焼き菓子に舌鼓を打ちながらセツノと他愛のない談笑をしていた。

 とは言っても喋っているのはほとんどセツノとサトラばかりでマシロはサトラの横で借りてきた猫のように大人しくなっている。

 ちなみにネージュはまた玄関前で雪だるまになっていたが自業自得なので割愛。



「サトラ様が王都を離れてからというもののレイヴン様はそれはそれは寂しがられておりますよ? たまには顔を見せて上げに行かれては」


「はは……ご存じの通り私も今は任務であちこちに飛び回っているので、まぁ機会があればそのうちに」


「ふふ、そんな邪険にしては可哀想ですよ」



 王都で暮らしていた時の話に花を咲かせている二人。サトラとしては正直セツノから魔族に関する話題を振ってこられると思っていたのだが今のところはその様子は見られない。

 セツノはビションフリーゼ家当主であるのと同時に国家魔術師という肩書を持っている。それも序列四位ともなれば騎士団における隊長以上の公的権限を有している。

 そして彼女が属するのはシンクレル王国においてサトラたち王立騎士団と権力を二分するもう一方の勢力である魔術師学院。決して敵という訳では無いが、かと言って手放しに味方だと言える相手でもない。


 彼女がこうしてサトラたちに表面上友好的に接しているが実際その腹積もりの程まではサトラも推し量る事は出来ないし彼女自身そういった腹の探り合いといった事柄に関してはからっきしだ。

 つまり、現状セツノの側から何らかのアクションを起こしてこない限りこちら側から下手な真似は出来ない、と言う事だ。

 特に影次の素性などは絶対に知られる訳には行かないだろう。



「さっきから随分と大人しいわねマシロ。どうしたの、久しぶりの実家で緊張しちゃってるのかしら」


「い、いえ……そういう訳では」



 実家と言われてもマシロは本家屋敷にこうして足を踏み入れた事など幼少のころから両手で数える程も無いので実家という感覚など当然ある筈もなく、にこやかな笑顔を浮かべて優しい声を掛けてくる実の姉の挙動に、言葉に委縮してしまっていた。


 自分にかけられるこの優しい言葉も単にサトラが見ている建前上のものでしか無い事などマシロは分かっていた。セツノ・ビションフリーゼという女性は決して妹である自分を嫌っている訳では無い。

 そう、嫌悪するどころか彼女にとってはマシロの事などどうでも良いのだろう。

 家督が父から姉に相続された事すら知らされなかったのも、要はマシロはビションフリーゼ家にとって取るに足らない存在だと、そう言う意味なのだろう。



「寂しいわねえ。久しぶりに会ったというのに。ねぇサトラ様、この子ったら普段からこんな引っ込み思案なのですか?」



 気持ちが悪い。


 自分に向けられる優しい声も、優しい眼差しも。自分に向けられている風を装ってその実自分の事など全く見ていない。セツノの瞳は確かにマシロに向けられてはいるが、そこにマシロの姿は映されていない。

 妹という役職の人物が客人の前にいるから姉という役割を演じているだけなのだ。もしサトラがこの場にいなければ……駄目だ、そんな光景考えるだけでも恐ろしい。



(やっぱり、無理にでもエイジに付いていけば良かった……)



 まるで生き地獄のような苦痛な時間を過ごしながらマシロは雪の激しいディプテス山に向かった影次の事を考えていた……。











 side-???-



 影次とシャーペイが自分のいる場所に向かって来ている事など知る由もなく死霊魔人アッシュグレイは使い方の分からない玩具・・を前に未だ立ち往生していた。

 魔術に関してならばまだしも専門的な技術分野においての知識は持ち合わせていないアッシュグレイは何とか影次たちがこれ・・を発見する前に先回り出来たもののここからどうすればいいか行き詰ってしまっていたのだ。



「さっさと起こせりゃ話は早いんだけどなぁ……その肝心の起こし方も見当つかねぇし。いつまでもこんな寒い中突っ立ってたら冷凍魔人になっちまうっつの……」



 魔人も風邪を引いたりするのだろうか、などとくだらない事を考えていると不意に空が陰り暗くなる。

 まだ日が落ちるには早すぎるので太陽に雲がかかったのだろうとアッシュグレイが上を見上げると巨大な何かが自身の真上へと勢いよく落下してきている事に気付いた。



「な、何だぁ!?」



 地響きと大量の雪を巻き上げて地面に激突したそれ・・はアッシュグレイの身の丈の倍はある巨大な熊だった。

 このディプテス地方にのみ生息する希少種で巷では上級危険魔獣Aランカーに認定されている凶悪な魔獣、このディプテス山の生態系の頂点であるガーネットベアーが突然空から降ってきたのだ。

 落ちてきたガーネットベアーは既に事切れており剣や魔法もまともに通さない筈の毛皮には無数の風穴が空けられている。


 降ってきたガーネットベアーを飛び退いて避けたアッシュグレイ。だがそこに雪道を駆け何者かが手に携えた長槍を振るい猛然と追撃を仕掛けてきた。



「ッシャア!!」


「ちょっ、待った待った!」



 矢継ぎ早に繰り出される、恐らくはあのガーネットベアーを穴だらけにした突きの猛襲を手甲から延ばした短剣ダガーと全身を包む包帯を触手のように駆使して捌いていくアッシュグレイ。

 次第に勢いを増していく槍の応酬にこれ以上付き合いきれるかと性質の悪い同僚・・を怒鳴り付ける。



「いい加減にしろっての! 俺だよ俺!」


「……あ?」



 アッシュグレイの言葉にようやく槍を振るう手を止める襲撃者。深みがかった群青色マリンブルーの西洋甲冑を彷彿とさせる出で立ち。その手に持っている長槍は鮮血のような鮮やかな赤で染め上がっており一面を白一色で覆われたこの雪山の中で一際異彩を放っている。



「あー、なんだお前かぁ。いや分かっててやったんだけどな?」


「だろうよ。手前はそういう奴だよな。だからあんまりこっちに来たくなかったっつーのに……」


「おいおい酷いなぁ友達だろ?」


「お前は友達相手にいきなり大熊投げ付けて襲い掛かるのか!」


「一度お前の事は串刺しにしてみたいって思ってたからさぁ。あるだろ?そういうの」



 先程の獰猛な戦いぶりとは打って変わりどこかのんびりとした、マイペースな言動でアッシュグレイの調子を狂わせる甲冑姿の異形。

 だが呑気な振る舞いとは真逆に平然と、それどころか嬉々として仲間を刺し貫きたいと言ってのける辺りはやはり彼もまたアッシュグレイの同類らしいと言えばらしい。



「本当に相変わらずのイカレ具合だな……。まぁいい、そんなお前に朗報だ。貫き応えのある奴がもうすぐここにやってくるぜ。長らくこんな辺鄙なところで熊くらいしか遊び相手がいなくて退屈だったろ?思う存分楽しんできな、狂乱魔人ナイトステーク

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