マシロ宅訪問×セツノの思惑

「そうですか。やはりこの街には例の魔族がらみの件で」



 ビションフリーゼ本家屋敷にてマシロの姉セツノの歓迎を受けた影次たち。一年中雪に閉ざされている街とは思えない贅を尽くした晩餐を振舞われた後、応接間で食後の紅茶を堪能しながら他愛のない談笑をしばらく続けていたが次第に話題はサトラたちがこの街にいた理由へと移っていった。

 誤魔化すか否か、どこまで話していいものかとサトラとマシロが逡巡しているとセツノは既に大凡おおよその事情はサトラが報告を挙げた王都の騎士団上層部から聞いていると答えた。



「私は十日ほど前にこの街に来たのですが、特にこれといって街に変わった様子は見掛けませんでしたね。とは言ってもディプテス山の様子までは流石に掴み兼ねますが」


「それは仕方がないでしょう。周囲の山は特に強く雪が吹雪いてまともに人が入れる状態では無いとの事ですし」


「案外魔族もこの大雪で参ってるかもしれないもんな」



 応接間の暖炉の前を占領してココアに舌鼓を打ってるシャーペイを一瞥する影次。あの憎き陰険魔族アッシュグレイも外の大雪で凍えていたりするのだろうか、とそんな光景を思い浮かべてみる。

 うん、ざまあみろだ。



「身を潜めるにしても何かよからぬ事を企むにしても、人が容易に足を踏み入れられないディプテス山は魔族にとっても格好の場所なのかもしれないな。何とかして直接調べられないだろうか……」


「この時期は特に雪が強まりますし入山はお薦め出来ません。特にここ最近は巣籠りの為の餌を求めてガーネットベアーが狂暴化しておりますし流石に危険過ぎると思いますよ」


「ガーネットベアー?」


「アイアンベアーの上位種で上級危険魔獣Aランカーに指定されている大変危険な魔獣です」


「その名の通り熊型の魔獣種で大木も容易くなぎ倒してしまう怪力に巨体からは想像も出来ないほどの俊敏性を持っており遭遇すれば命は無いと昔から山の死神と恐れられている魔獣です。特に厄介なのがその毛皮で剣や弓矢も通らない上に魔力の流れを拡散してしまう性質があり攻撃魔法さえ満足に通じないので討伐の際には専用の部隊が用意されるのです」



 影次の疑問に隣に座っているマシロが答え、更にセツノがそこにより詳しく説明を補足してくれた。

 ただでさえ猛吹雪だけでも厄介なのに剣も魔法もろくに通じない凶暴な熊魔獣がそんな中ウロウロしているというのだ。確かにセツノの言う通りとてもじゃないが山に入る事を他人に薦める気にはならない。



「……いっその事その熊がアッシュグレイを齧り倒してくれたら嬉しいんだけどな」


「気持ちはわからなくもないが……それは流石に都合がよすぎるだろう」



 だが、どれだけ危険と言えど魔族に関する数少ない手掛かりがそこにある可能性が高い以上他に選択肢は無い。下手をすればあのドラゴンをも凌ぐ力を持った魔族が今もこの街と目と鼻の先にあるディプテス山のどこかに潜んでいるかもしれないのだ。



「やはり向かわれるのですね……。客人をみすみす危険な地に赴かせるのは本意では無いのですが騎士団の方々の職務に私などが口を挟む権利もありません。ですがせめて出来る限りの助力はさせて頂けないでしょうか」



 ディプテス山への入山許可だけでなく必要な準備の手配まで申し出てくれたセツノの厚意を有難く受ける事にした一行は今日のところは一先ず明日の入山に備え休むことにし、この街に滞在中はマシロが暮らしていたという離れを使わせて貰う事となった。



「あら、あなたは残ってくれないのかしら?」


「ご、ごめんなさい姉さん……一応、ここには任務で来ている訳ですから……」


「そう、残念ね。久しぶりに姉妹でゆっくりと話が出来ると思ったのだけど」



 セツノに礼を言って別れた後、影次たちはその足でマシロの案内で彼女がこの街で済んでいたという離れへと向かう。

 折角の数年ぶりの家族との再会な訳だしマシロだけでも本家屋敷に残っても良かったのでは、と影次も最初は思ったが先ほどのセツノとマシロのどこか空々しいやり取りを見て部外者ながらもこの姉妹の歪な関係を感じ取っていた。



「……着きました。ここです」



 マシロに案内されたのは本家屋敷からも大分離れたほとんど街の端にある一軒の変哲もない民家だった。

 一人で暮らすには確かに十分な住まいではあるが仮にも名門一家の令嬢である筈のマシロの住居にしては随分と質素……言ってしまえばみすぼらしい家だった。

 影次だけでなくサトラやシャーペイも似たような感想を抱いたのだろう。そんな様子を察してかマシロが苦笑すら浮かべる事無く説明してくれる。



「姉さんと違って私には家督を継ぐ継承権もありませんでしたし、一族が望むような固有魔法も得られませんでしたからね。まぁ、こんな扱いな訳ですよ。防寒はしっかりしていますから寝泊まりするだけなら十分使えますのでご安心を」



 街を出てから一度も手入れをされていなかったのだろう。すっかり凍り付いたドアを魔法で解凍すると家の中へと足を踏み入れる。王都の魔術師学院に入る際に必要な持ち物を全て持ち出していったのだろう。家の中にはシーツの無いベッドやテーブルといった本当に最低限のものしか置かれていなかった。



「わぁ、これじゃそこらの宿屋とほとんど変わらないねぇ」


「お前だけ外で寝るか? 春になったら起こしてやるから」


「アタシはネズミ君と違って冬眠どころか永眠しちゃうよぅ!!」


「どうぞ遠慮なく好きに使ってください。ストーブは……良かった、まだ使えそうですね」



 影次とシャーペイのじゃれ合いに対してもいつものように突っ込まず無造作に荷物を置くと年季の入った暖房器具に点火し凍えるような温度の室内を温め始めるマシロ。

 この街に来てから……いや、姉に会ってからのマシロはどこか心ここに在らずといった様子でシャーペイですら「なんか調子狂うなぁ」とぼやいてしまっているくらいだ。



「ベッドは……毛布を敷けば普通に使えそうですね。でも流石にここに五人はちょっと無理がありますかね」


「シャーペイ」


「だから外で寝たら永遠の眠りについちゃうってば! マーちゃん家じゃなくてこの辺に『竜の宮殿』建てちゃえばいいじゃんかぁ!」


「街外れとは言え誰が来るかも分からないんだぞ。もし突然変な建物が出来てるなんて騒ぎになったら下手すりゃドラゴンの件までセツノさんに説明しなくちゃならなくなるだろ」



 流石にセツノに対してもドラゴンの件や騎甲ライザーに関しては伏せてある。もしセツノの口から王都の騎士団や王家の耳に入ってしまえば面倒なことにしかならないのは想像するまでもないからだ。


 とは言っても冬眠寸前状態のジャンをいつまでも馬車モードの『神の至宝』に寝かせ続けている訳にも行かないので取り敢えずはマシロ宅の裏手に人目に付かないようここよりもう一回り小さなサイズの『竜の宮殿』を作る事に。



「ご主人様。ジャン様が本格的に冬眠されてしまいました」


「すやぁ……すぴぃ……ですぞぉ……」



 街の入り口に停めていた馬車に戻るとリザからそう報告を受け、実際荷台には毛布玉状態のジャンがぐっすりと深い眠りについてしまっていた。



「……気持ちよさそうに寝てるし起こさないでおこう。リザ、ちょっと頼めるか?」


「夜伽ですか?」


「ちょっとマシロの家のほうまで来てくれないかって……聞こえなかったフリしたんだから脱ごうとしないで!!」









「あぁぁー……し、死ぬかと思いました……」


「あら、思ったより早かったわね」



 影次たちが屋敷を後にしてから入れ替わるようにして体を震わせ顔を真っ青にしたネージュがセツノの元に戻ってきた。

 執事服はぐっしょりと濡れ、冷え切った体は小刻みに震え続けておりガチガチと歯を鳴らしてしまっている状態だ。



「あんまりじゃないですかお嬢様! 下手すたら風邪ひきますよ!?」


「普通は風邪の前に凍死すると思うのだけど」


「へぷしゅっ! うぅ……マシロお嬢様もサトラ様も既にお帰りになられてるし……お嬢様?」


「お風呂なら一人で入りなさい」


「まだ最後まで言ってないじゃないですか……あ、それで結局マシロお嬢様たちはどのようなご用件でこちらに?」



 ずぶ濡れになって肌に張り付いてしまっている服を不快そうに引っ張っているネージュにマシロたちがビションフリーゼの街にやってきた理由を掻い摘んで説明するセツノ。


 彼女自身も伝説の魔族が復活した、などと言う御伽噺を王都シンクレルの騎士団から聞いた時には正直真に受けてはいなかった。何せその話の根拠は第四部隊の証言だけだったのだから。

 だが後に芸術都市パーボ・レアルでは第三部隊も魔族に遭遇し隊長であるレイヴン自身も実際魔族を目の当たりにしたと言う事で良くも悪くも一気に話の信憑性が増したのだ。



「魔族、ねぇ……。ダレス様から聞いた時はああ、この人ボケちゃったのかな……なんて思いましたけど本当だったんですねえ」


「そして目下それを独自に調査して動いているのが王立騎士団第四部隊……その中でもサトラ様とマシロを始めとしたあの数名ね。騎士団も魔術師学院も上層部は未だ魔族の再来に半信半疑のようだし、大方サトラ様たちが王都からも学院からも干渉されずに今まで野放しにされているのもその辺りの事情でしょう」


「要するにあの方達は魔族が本当にいるかいないかを確かめる為の餌って訳ですか」


「言い方が悪いわよネージュ」


「失礼しました。非公式の先遣調査隊と言ったところでしょうか。……でもやっぱり餌ですよね」


「ネージュ言い方。あとここで脱がないで」



 濡れた服を脱ぎ始めていたネージュを諌めデスクの中から以前騎士団から届けられた報告書を取り出すセツノ。

 第四、第三部隊が遭遇したという魔族に関する情報が記されており特にその中でも注目すべき点は魔族の凄まじい力では無く、そんな魔族を毎回撃退している正体不明の異形の存在だった。



(普通に考えれば魔族間の仲間割れといったところだけど……もしこの黒い鎧というのが魔族とも違う全く別の勢力だとしたら……)



 騎士団の一部隊すら歯が立たない魔族をも倒す圧倒的な戦闘力。今の時点では果たしてこの黒い鎧の異形が人間の味方なのか敵なのかも分からない。だが、もしこの異形を味方に付けられたとしたら……?

 シンクレル王国がこの力を手に入れる事が出来れば他国をも凌駕する軍事力となるだろう。騎士団では無く魔術師学院が確保出来れば騎士団に代わって事実上この国の政権を掌握する事も容易いだろう。


 いや、騎士団でも学院でもなく……もしビションフリーゼ家がその力を得る事が出来たらどうなるだろう。



(今のところ手掛かりはサトラ様たち第四部隊……仮にこの怪物について報告に挙げていない何かを掴んでいるのだとしたら……いいえ、ひょっとしたら既に彼女たちが既に怪物の力を手に入れているとしたら……)



 報告書を読む限り、件の黒い鎧の異形は主にサトラたちの前に現れる事が多い。これを書いた第二部隊隊長のダレスも恐らくは同様に思ったのだろう。だからこそサトラたちをあえて泳がせているのだとすればあの老獪な策略家が何の行動も起こしていないのも頷ける。



(幸運にも直接接触する機会に恵まれた訳だし、こちらの魂胆に気付かれないよう慎重に探りを入れていくとしましょう。あの子マシロも久しぶりに会ったと思ったら良い手土産をもってきてくれたものね)



「おっ、お嬢様また悪巧みしてらっしゃるお顔ですね。とりあえずサトラ様たちの味方のフリをして利用できるだけ利用する、という方向で宜しいですか?」


「だから言い方。……まぁ概ね間違ってはいないけど。あとネージュ、人の部屋で下着姿でウロウロしないで」










(眠れない……)



 ベッドに入ってからどれだけ経っただろうか。夜もすっかり更けたというのも関わらずマシロは未だ眠りに付く事が出来ずにいた。

 久しぶりの故郷、久しぶりの自宅。そして久しぶりの姉……。そのどれもがマシロにとって決して好ましい思い出では無く、久方ぶりの自宅だと言うのに全くと言っていい程心が安らがない。むしろ気が立ってしまって一向に睡魔が訪れない始末だ。



「どうした、眠れないのか?」



 ソファすら無い部屋の中で唯一横になって眠れるベッドで一緒に寝ていたサトラがマシロのそんな様子に気付いたのか横たわったまま振り返ってくる。



「す、すみませんサトラ様。起こしてしまいましたか」


「なに、気にしなくていい。流石に二人で寝るには無理があったかな」



 ちなみにジャンケンに負けたシャーペイは床に転がって寝るのは嫌だと言って『竜の宮殿』の中で寝ている。それに引き換え影次は平然と冷たい床の上で毛布を巻いて静かに寝息を立てている。案外図太いのかもしれない。



「……やはりここに戻ってくるのは君にとっては辛かったか」


「確かにあまり良い思い出がある場所ではありませんけど、それでもこんな雪ばかりの街でも一応は私の生まれ育った故郷ですから。……ただ、姉さんまで来ていたなんて思いもしなかったので……」


「セツノ殿か。魔術師としても貴族当主としても非常に優秀な人物という事は知っているが」


「ええ優秀ですよ。掛け値なしに。姉さんは昔から何でも出来る人でしたから。ですから父も、周りも姉さんが次期当主になる事を疑いもしませんでしたし、実際そうなりましたからね。……父が病床に伏せて姉さんが当主になっていたなんて話は今日初めて知りましたけど」



 それも二年も前の話だと言う。マシロ自身実家とは距離を取っていたとは言え自分の家の家督相続の話を一切聞かされなかったという事には少なからずショックを受けていた。

 結局、未だにマシロはビションフリーゼという一族にとって爪弾き者という事なのだろう。



「姉さんなら父よりもビションフリーゼ家を繁栄させられるでしょうね。あの人は掛け値なしの天才ですから。私がやっとの思いで学院の序列十三位に就いたというのに姉さんは入学してたった二年、今の私と同じ歳の頃には序列に入っていましたし……今では四位、文字通り私とは桁が違いますよね」


「マシロは……姉君のことが嫌いなのか?」



「好きか嫌いかで言えば勿論好きですよ。実の姉ですし、小さかった頃はそれなりに遊んでもらっていた事もあります。好き嫌いの問題というより私の一方的な妬みなんだと思います。昔からずっと天才の姉と比較され続けて来ましたし勝手に姉さんと比べられて勝手に失望されるなんて事は日常茶飯事でしたからね。それでも姉さんのような魔術師になれるようにと研鑽を重ね続けてはいました。

 でも結局私は一族秘伝の『固有魔法オリジナルスペル』も『魔力譲渡マジックギフト』なんていう使い道のないもので、そこでも周囲から失望されてしまって……。きっと、一族にとって私はビションフリーゼの名を冠する資格の無い劣等者なのでしょう」


「マシロ、違うぞそれは」


「すみません、つまらない話をしてしまって。もう寝ましょうサトラ様」


「……ああ、そうだな。おやすみマシロ」



 慰めの言葉を拒絶するかのように毛布を被り背を向けてしまったマシロ。真面目で気の強い彼女の根底にある、文字通り根深い劣等感を目の当たりにしてサトラはそれ以上かける言葉が見付からず、彼女の小さな背中を見守るようにゆっくりと眠りに落ちていった……。

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