執事ネージュ×マシロの里帰り

「ここがマシロの故郷、ビションフリーゼの街か」



 入り口で無事入市手続きを済ませた影次たちが街郭から街の中に足を踏み入れると、そこで待っていたのは駸々しんしんと降り積もる雪に覆われた建造物の白と街のあちこちに設備された街灯から発せられる淡い赤のコントラストだった。


 街郭もそうだがどの建物も屋根に傾斜が設けられておりある程度雪が積もると下に流れ落ちる仕組みになっている。雪の重さで屋根が潰れないようにという工夫なのだろう。

 屋根から雪が落ちる位置もしっかりと計算されているらしく足元に張り巡らされたように流れている水路の上に積もった雪が落下する仕組みになっているのだとこの街出身であるマシロが説明してくれた。



「水路の下には発熱用の魔石が設置されているので水路の水は常に暖かくなっていて凍らないんですよ。ここで溶けた雪は街外れの貯水池で濾過ろかされ街の生活用水に使われているんです」



「へぇ、よく出来てるんだなぁ……んぶっ!」


「ですから、そうやって不用意に近づくと水路に雪が落ちてきた時の水飛沫でびしょ濡れになりますから気を付けてくださいね」


「なってから言わないでくれよ……って早速濡れたところが凍ってきたんだけど。凍ってきたんだけど!?」


「二人とも遊んでいないでまずは宿を探すぞ。リザ殿に任せているとは言えジャン殿をいつまでも馬車に置いておくのも忍びない」


「ネズミくん本格的に冬眠し始めちゃってるもんねぇ」



 とは言え元々外との交流もろくにままならないような雪山の中にポツンとある街だ。当然観光客はおろか旅人すらほとんど来ない事もあり宿泊施設のようなものは中々見つからない。

 しばらく一行が宿を探し回っているとその様子を見兼ねたマシロが余り気が進まないが、といった素振りを見せながらもビションフリーゼ家実家を頼る事を提案した。



「本家と言っても父も姉も普段は王都にいます。屋敷は父の部下が管理しているでしょうが私がこの街にいた時に住んでいた離れなら向こうも特に文句は言わないと思います」



「それは助かるが……いいのか?」


「ええ。どの道ここに戻ってきたら実家の事は避けては通れないでしょうし。案内しますから付いてきてください」



 先導するマシロの後ろ姿に、先ほど彼女の口にした何気ない一言に一抹の不安を覚える影次。

 ここはマシロが生まれ、魔術師学院に入るまで過ごした故郷だというのは既に聞いた話だ。現にここには街の名前でもあるマシロの実家ビションフリーゼ家の本家屋敷があるのだから。

 だと言うのに、マシロはその屋敷では無く離れに住んでいたのだと言う。彼女は特に深い意味もなく事実をそのまま口にしたつもりだったのだろうが……。



「実家がすぐそこにあるのに離れ暮らし、ね……」


「まぁ、あの子マシロも色々複雑な家庭環境ということだ」



 未だ踏み込んだ話をした事は無いがマシロが実家、というより家族と根深い確執があるという事は何となく察せられる。マシロにとって今回の里帰りは決して好ましいものではないのだろう。

 とは言え他所の事情に口を挟むのも野暮なので特に言及するつもりは無いが。そもそも影次もサトラも他人の家族問題にとやかく言えるほどまともな家庭環境では無いので説得力が無い。



「ニンゲンはやれ家族だ兄弟だってしがらみが多くて大変そうだねぇ。もっと自分の好きなように生きればいいのに。ほら、アタシみたいにさぁ」


「デリカシーの無い奴は首筋に雪放り込むぞ」


「に゛ゃーーーっ!!? やりながら言わないでよぅ!!」


「何をじゃれてるんですか。ぐずぐずしていると街の中でも凍死しますよ?」



 影次たちが中々自分の後をついて来ない事に呆れながら振り返ったマシロ。その彼女の背後に何処からか突然何者かが現れ、マシロの小柄な体を後ろから羽交い絞めにした。


 あまりに唐突な出来事に一瞬呆気に取られてしまった影次とサトラだったがすぐにマシロを助けようと雪を踏み締め走り出す。だが次の瞬間マシロを捕まえた人物はそのまま彼女のその小柄な体を持ち上げグルグルと振り回し始めたのだ。まるで小さな子供をあやすかのように。



「ああ、本当にマシロ様じゃないですか。マシロお嬢様じゃないですか! しばらく見ないうちにすっかり大きくなり……なってませんね。背丈も、あと恐らくは胸も」


「そ、その不躾かつ失礼極まりない物言いは……ね、ネージュさん……っ!?」


「はぁい。ご存じビションフリーゼ家執事のネージュお姉さんですよー」



 マシロを抱き抱えて振り回している灰色がかったショートヘアの女性。どうやら敵でも不審者でも無くマシロの知り合いのようだ。

 一頻り振り回し、撫で回し、べたべたすりすりと気が済むまでマシロを満喫したところでようやく落ち着いた様子で唖然とそのやり取りを眺めていた影次たちに向かってネージュと呼ばれていた女性が自己紹介する。



「おっとと失礼しました。つい感動の再開に感極まりまして……。私はビションフリーゼ家に仕えるネージュと申します。今はビションフリーゼ家現当主であるセツノ様の専属執事を務めさせて頂いております。どうぞお気軽にネージュちゃんでもネージュたんでもお好きなようにお呼びください。あ、ややこしくなるのでネーちゃんだけはご勘弁を」



「「はぁ……」」


 インパクトの強いネージュのキャラに思わず影次もサトラも気の抜けた返事しか出来ず見事に声が重なり合う。

 執事服をきっちりと着こなしたそのルックスはさながら歌劇の登場人物のようだが、如何せん締まりのない笑顔でマシロを嬉々として振り回すような人なのでまぁ色々と台無しだ。



「め、目が回って気持ちが……」


「おお、これはこれは申し訳ございません。マシロお嬢様ちゃんとご飯は食べていますか? 今年で16…いえ17歳でしたっけ? こんな小さくて軽くてまぁ」


「久しぶりに会って何ですけど凍り付けにしますよネージュさん。……って、あなたがここにいるという事はもしかして……」


「はい。お察しの通りセツノお嬢様も今この街にご滞在中ですよ」



 その名前を聞いた瞬間マシロの体が小さく震えたのを、影次もサトラも見逃さなかった。

 セツノ。これまでも何度かその名前だけは聞いた事はあるマシロの実姉の事だ。マシロの口ぶりとこの反応から察するにあまり良好な関係とは言えなさそうだが……。



「街の警備の者から入市書類にビションフリーゼの姓があると報告を聞いてもしやと思いましたが。本当にお久しぶりですね。さぁどうぞ本家屋敷にお越しください。セツノお嬢様もマシロ様に会うのを楽しみにしておられていましたよ」


「姉さんが、私に……? まさか」


「マシロ、無理せずとも君は待っていてくれていいんだぞ。セツノ殿には私たちだけで会うとしよう」



 明らかに顔色の悪いマシロの様子は心配ではあるがこの街にやってきた理由が理由である為に街の責任者に会わない訳にはいかない。だがマシロは心配するサトラに大丈夫だ、自分も勿論同行すると言ってネージュの後を追い始めた。



「あーあ強がってるのがバレバレだねぇ。足震えてたよマーちゃん、どんだけおっかなぃお姉さんなんだろうねぇ」


「私も直接会った事は数回しかないが別段人格や素行に問題のある人物では無いぞ。だからと言って家族間の事までは当然知る由も無いが。まぁ流石にいきなり氷漬けにされたりはしないだろう」


「ははっ、もしそんな事になったらシャーペイ頼むな」


「頼むって何をさ。盾? 生贄?」








 街に入った時から見えていた一際巨大な建造物。もしやとは思っていたがネージュに案内されたのはまさにその建物、ビションフリーゼの街を統治するビションフリーゼ家の本家屋敷。マシロにとっては実家にあたる場所だった。


 建物にか、それともこの屋敷が建てられている土地そのものにか特別な魔法でも掛けられているのだろうか。街中に吹き続けている大雪の中にあっても屋根にも壁にも雪どころか水滴の一つも見当たらない。まるでこの一角だけ別世界にあるかのような違和感さえ覚えてしまうくらいだ。



「本家屋敷には冷気を遮断する特別な結界魔法が施されておりますから暖かいでしょう?屋敷の中はもっと暖まっておりますので今のうちに防寒着をお脱ぎになる事をお勧めします」



 ネージュの言う通りビションフリーゼ本家屋敷の領内に入った途端他の地域と変わらぬ時期相応の気温になり防寒対策の分厚い衣服ではあっという間に暑苦しくなる。服を預かると言うネージュの申し出に脱いだ防寒着を渡そうとしたサトラを「匂い嗅がれますから止めたほうがいいです」とマシロが手で制した。

 いやどんな執事だよ。



「ちっ」


「舌打ちしたよこの執事さん」


「ああ、でも厚着のマシロお嬢様も可愛らしかったですし……でもマシロ様の汗と匂いが染み込んだコートも捨て難く……私は一体どうすればいいのでしょうか!?」


「キヒヒッ、アタシが言うのもアレだけどこの人やっばーい」


「と言う訳でさぁ、サトラ様もどうぞ。上着をお預かりしましょう」


「この流れであなたに渡すのはちょっと気が引けるな……」



 影次がチラリとマシロに視線を向けると彼女も実家とは折り合いが悪いとは言え身内の恥は恥ずかしいらしく両手で顔を覆ってしまっている。

 もしかしたら案外マシロのお姉さんというのも結構クレイジー……もとい愉快な人なのかもしれない。


 などと影次が少し楽観的な事を考えていると次の瞬間目の前で四方から猛烈な勢いで大量の雪がネージュ目掛けて襲い掛かり彼女の全身を首から上だけを残しあっという間に雪だるまにしてしまった。



「……玄関前で恥を晒さないでくれないかしら」



 いつの間にか屋敷の大きな扉が開かれており、一人の若い女性が呆れ顔で自分の専属執事(雪だるま)を一瞥する。

 マシロよりも白色の深い銀色のストレートのロングヘア。髪の色に合わせたかのような白銀のドレスの上からはマシロと同じ魔術師学院のローブを袖を通さず無造作に肩に羽織っている。

 流石は姉妹というべきか当たり前というべきか、顔立ちは非常にマシロに似ており彼女が影次やサトラくらいの年頃になればこんな風になるのだろうかと思わせる。



「せ、セツノお嬢様? あ、あのこれには色々と深い事情が……」


「そんなものないでしょう? 少し黙ってなさい」


「あば、あばばばばばばばばばばばばっ」



 パチン、と指を鳴らした瞬間首から上も雪に覆われてしまい、哀れネージュは完全に雪だるま化してしまった。

 変わり果てた執事の事などまるで最初から存在しなかったかのように、銀髪の女性はドレスの裾を摘み優雅に影次たちに一礼する。

 たったそれだけの何の変哲もない仕草であったが彼女の所作には何処か目を、意識を惹き付けられる気品と魅力があった。



「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。ビションフリーゼ家の当主、セツノ・ビションフリーゼと申します。以後お見知りおきを」


「王立騎士団第四部隊副隊長サトラ・シェルパードです。前にお会いしたのはもう何年も前になりますか。ご無沙汰しています」


「ふふ、サトラ様もお変わりなく」



 サトラに続いて影次とシャーペイも簡単に自己紹介する。いつものように影次は第四部隊の客分、シャーペイは魔法学者のシャムさんという設定だ。

 影次たちとも挨拶を交わすとセツノのそれまでずっと隠れるように影次の後ろにいたマシロの方へと歩み寄っていく。



「久しぶりねマシロ。元気そうで何よりだわ」


「……ね、姉さんこそ」


「さぁ、こんなところで立ち話もあんまりですし皆様どうぞ屋敷の中へどうぞ。内密のお話もある事でしょうし」



 柔和な笑みを浮かべながらも意味深な言葉を漏らすセツノ。どうやらサトラたちがこの街にやってきた目的にも見当が付いているらしい。魔族の存在はサトラが直接報告を上げた王都の上層部から他所にも魔術師学院などにも伝えられたと聞いたので、きっとその筋から影次たちの内情を知ったのだろう。


 一から説明する手間が省けるのは良い事だが、かと言ってセツノが影次たちにとって敵となるか味方となるかは今の時点では全くわからないというのが不安要素ではあるが……確かに彼女の言う通り屋敷の前で立ち話していても埒が明かない。

 取り合えずセツノの申し出に甘んじてビションフリーゼの本家屋敷へと招待される事となった。


 その間も影次はずっと何かに怯えるように体を震わせ顔色の悪いマシロの様子が気になって仕方がなかった……。











 side-???-



 影次たちがビションフリーゼ家の屋敷に招かれていた頃、同じくディプテス地方へとやってきていた人物がいた。


 影次たちと鉢合わせにならないようにジェンツーの街に開通したトンネルからではなく猛吹雪の中幾つも山を越えてようやく目的地であるビションフリーゼの街。ではなくその後方に聳える一帯の山脈の中でも一際大きなこの山頂に辿り着く。



「ぜぇ、ぜぇ……こちとらようやく傷が癒えたところだってのに……だから、こんなとこには、来たく無かったんだよ……!」



 容赦なく降りしきる猛吹雪に足元もおぼつかず視界もままならない中で息も絶え絶えに思わず一人愚痴る死霊魔人アッシュグレイ

 影次たちの目的が魔族に何らかの関係性のあるものだとするのなら間違いなく彼らはここを訪れる筈だ。何故ならここには遥か昔、人類と魔族による戦争の際に魔族が使用したとある代物・・・・・が眠っているからだ。


 まだそれ・・を甦らせる算段はついていないが、もし起動させる事が出来ればあの忌ま忌ましい騎甲ライザーすら圧倒出来るだろう。



「無理矢理にでもウォルフラムを連れてくりゃ良かったな……肝心の動かし方が分かんねぇんじゃ……っと、着いた着いた」



 人ならざる魔人と言えど極寒の雪山をここまでやってくるのにどれだけ苦労した事か。だがこの場所にはそれだけの苦労を以てしてもお釣りが来るほどのものが眠っているのだ。

 古の戦争の後、数千年の時をここで氷の中眠り続けるそれ・・を見上げるアッシュグレイ。



「旧時代の破壊兵器、か。クク、こいつを起こせりゃまた楽しく遊べそうなんだけどなぁ。……なぁ?騎甲ライザー」

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