極寒の地×雪と氷の都
「こちらがトンネルの通行手形です!! これがあれば自由に利用出来ますのでどうぞご活用ください!!」
「何から何まで…お世話になりましたイワトビ司祭」
「いえいえ我々こそあなた方にはまたしても助けられてしまいました!! これはほんのお礼替わりのようなもの!! どうかお気になさらず!!」
出発の準備も整え、山を越えビションフリーゼの街を目指すべくようやく通行許可の下りたジェンツーの山岳トンネルに入ろうとする影次たちに見送りにきたイワトビ司祭から手続き無しに自在にトンネルを利用できる手形が手渡される。
「して、ご要望通り『木葉坂夢幻堂』の子らが事実を受け止められるまでに落ち着くまではしばし
「宜しくお願いします。ギンも操られていた、という事ならば被害者である『ジェンツーガバメント』も必要以上にムジナたちに恨みを向けはしないでしょう」
「ふむ、ですがそれではエイジ殿が要らぬ恨みを背負うだけでは……いいや、一度頼みを聞くと言った手前これ以上野暮は言いますまい!!聖職者の端くれとして貴殿の選択を良しとは言えませぬが一人の男としてその覚悟、その決意陰ながら応援しております!!」
「ど、どうも……って痛い、痛いです司祭様。その筋肉で叩かれると洒落に…ゲフッ」
イワトビ司祭に手厚く(手痛く?)見送られ、リザの引く馬車がトンネルの中へと進んでいく。
念入りに舗装されたトンネルの内部は縦にも横にも広く馬車の数台くらいならば悠々と行き来出来そうなスペースがある。もしかしたら少し無理をすればドラゴンも通れるかもしれない。……機会があったら試してみるのも良いかもしれない。
「出口まではまだ数時間掛かります。皆様今のうちに防寒準備を整えておく事をお勧め致します」
「リザさんの言う通り、トンネルの上は万年猛吹雪のディプテス山脈です。トンネルの中と言えど本格的にディプテス山の中に入ったら寒いなんてものじゃ済みませんよ」
流石は地元民であるマシロ、言う事に説得力がある。用意しておいた防寒具にと荷台の中で各々着替えると丁度マシロの言う通りトンネルの中でも急激に冷え出してきた。
頭から足元まで厚手のコートや毛皮のマントで身を固めているにも関わらず肌寒さを感じる。だがビションフリーゼの街はこれよりも更に寒いというのだから先が思いやられてしまいそうだ。
「さ、さささささ寒いですなななななななななな。ひ、ひひひひヒゲががががかこ、凍ってしままままままま」
「あははは! ネズミ君が愉快な事になっちやってるよ!」
「ああ、
「え、冬眠するの?」
ちょっと見てみたい気もするが本当にジャンが冬眠してしまったら困るのでありったけの毛布を集めてぐるぐる巻きにして暖を取らせる。震えは収まったようだが今度は毛布に埋もれて快適なのかスヤスヤと心地よさそうに寝息を立て始めたジャン。
どうやら次の目的地は彼にとって天敵のような場所らしい。
「どうかしたのか?」
ジャンを起こさないように毛布を巻き巨大毛布球を作っていた影次が視線を感じて振り返ると、何やら言いたそうな顔をしたマシロと目が合った。
視線が重なっても顔を背けたり目を逸らしたりする事もせず、じっと不服そうな顔で影次を見ているマシロ。いや、見ているというよりは睨んでいると言った方が良いかもしれない。
「いえ、別に」
「『木葉坂』の事は本当に悪かった。あれは完全に俺のエゴ……我儘でやった事だしマシロやサトラに迷惑をかける事になるのも分かって……」
「全然分かってないじゃないですかっ!」
てっきりマシロがまだスライム事件での影次が取った幕の引き方を怒っているのかと思い謝った影次だったがどうやらその謝罪がそもそも的外れだったようで逆に彼女の怒りを買ってしまった。
その大声にサトラが二人の
「まあまあ、今更過ぎた事を言っても仕方がないだろう。エイジも反省しているんだ、それくらいにしておいてやれ」
「……サトラ様がそう言うのであれば」
そう言いながらもまだ不服そうな表情を浮かべたままサトラと入れ替わるようにして荷台を出て御者席へと移るマシロ。彼女ほど露骨に表には出さないものの内心ではサトラもマシロと同じ気持ちだがこうしてマシロが声を荒げている以上更に別方向からも苦言を投げ付けて影次を追い詰めてしまうような真似はしたくなかった。
「彼女が怒るのも無理はない。エイジ、元の世界でどういった経緯があったのかは知らないが君は余りにも自分自身に対して無頓着過ぎる傾向がある。あまり褒められたものではないな」
「別にそんなつもりは全然無いんだけどな」
「自覚が無いというのなら猶更悪い。傍から見ればまるで自暴自棄になっているように見える時さえあるぞ。君が君自身を傷付ける事が平気だからと言っても君の周囲まで同じでは無いんだ。……もう少し、自分を大事にしてくれ」
「……検討しておきます」
「そこで素直に分かったと言えないから怒らせてしまうんだぞ?」
ジェンツーの街側からトンネルに入りかれこれ二時間弱。馬車の運転をリザに一任し影次たちは荷台の中でどんどん増していく寒さから逃れようと互いに身を寄せ合いながら目的地への到着を待っていた。
リザはもっとスピードを出そうかと尋ねて来たが万が一にもトンネルが崩落するなんて事態にならないよう安全重視をお願いした。
「ま、まだ着かないのか?」
「ディプテス山はシンクレル大陸でも有数の大きさを誇る山ですから。もうそろそろ、とは思うんですが……」
「到着する前に……凍え死にそうなんだけど……」
寒さに凍え震える影次に対して隣のマシロは同じ防寒具に身を包んでいるというのに全然平気そうだ。サトラもシャーペイも余りの寒さに口を開く気力も無いらしく虚ろな表情を浮かべてしまっている始末だ。
ジャンは……毛布の隙間から小刻みにすぴすぴと髭が動いているので多分大丈夫だろう。
……本当に冬眠してしまわないだろうか?
「ご主人様。出口が見えてきました」
リザに言われて荷台から身を乗り出した影次の目にも、確かにこのトンネルの出口が見え始めてきた。
良かった、これでこの極寒のトンネルの中から解放される……なんてつい勘違いしてしまいそうになつてしまったが、本当の地獄はむしろここからだ。
トンネルを抜け、晴れて目的地へとやってきた影次たち。だが一行を待ち受けていたのは伸ばした腕の先すら見えない程の猛吹雪だった。
「街道にそって建てられた街灯は魔石によって発光発熱していますからこの吹雪の中でも近くで目を凝らせば分かると思います。くれぐれも見失わないでくださいね、一度迷ったら普通に死んじゃいますから」
「難易度高すぎないか?」
「と言っても私自身
「待て待てそれ普通に死んじゃう案件じゃないか?」
よく考えればトンネルが開通したからというだけでその先にある街とを繋ぐ街道まで出来ているとは一度も言われていなかった気がする。それ以前にほぼ一年中この猛吹雪というのだからちゃんとした道の舗装など不可能だろう。
もしかしなくてもこの状況、地味に大ピンチなのではないだろうか。
「ご主人様。差し出がましいようですがここは私にお任せ頂けないでしょうか」
先の道も見えずトンネルの出口で立ち往生していた影次たちに、この猛吹雪の中でもいつものメイド服姿で表情一つ変えないリザが小さく片手を挙げる。
「私の目ならばこの悪天候でも従来と変わらず見通す事が出来ますし冷気への耐性もあります。この先にある街は一つなのですよね? ならば私が探し出し皆様をお送り致しましょう」
「えっ、大丈夫なのか? こんな滅茶苦茶吹雪いてるのに」
「滅茶苦茶吹雪いていますが大丈夫です」
「流石はドラゴンの宝……。頼もしさがどこぞの無能捕虜魔族とは大違いですね」
「あれれ? 唐突な流れ矢が飛んできた」
「すまない……私たちではお手上げだ。リザ殿に頼っていいだろうか」
「お任せください。さぁ皆様荷台にどうぞ」
マシロの言う通り流石としか言いようがない。忘れがちだが彼女は最強の生物と呼ばれているドラゴンの秘宝『神の至宝』に宿る存在。つまりリザ自身ドラゴンと同等、もしくはそれに近い力を持っているとしてもなにの不思議もない。
〈付近の地形の探査、及び町村の探索ならば『ライザーシステム』でも可能ですが〉
何故かリザに張り合うように『ルプス』の電子音声が影次の脳内に響く。騎甲ライザーの力をこの大雪の中で道路整備のためだけに使うというのもどうなのだろう?
「皆様ご乗車致しましたら何か手近なものにしっかりとお捕まりください」
リザの言葉に何となく不穏なものを感じ取るが、聞き返す前に半分雪に埋まっていた車体がふわりと浮き上がる。魔導馬が音を立てず嘶く仕草をしながら大きく前足を持ち上げ……その蹄は雪でも地面でも無く空を踏み締めて走り出す。
容赦無く叩き付けるように降り頻る猛吹雪も何のその、地面から数メートル浮いたまま影次たちを乗せた馬車がどんどん速度を上げ真っ新な雪原を駆け巡る。激しく水飛沫ならぬ雪飛沫を巻き上げ、まるで宙に見えない道があるかのように魔導馬の四肢がその回転率を増し続けていく。
「と、飛んでる!? 空飛んでます!!」
「り、リザ! 流石に速過ぎ……」
「ここからはもっとワイルドに行きましょう」
「マイルドにお願いします!!」
「にゃーーっ!! シャレにならない!!」
「シャーペイが落ちたぞーーっ!!」
「ご主人様、前方に街と思われるものが。ご確認ください」
猛吹雪の中を凄まじい速度で走り……もとい飛び続けた甲斐もあり十数分もすると吹雪の向こうに街の明かりのようなものが見え始めてきた。
「ま、まずは、止まって……」
この雪の中遭難するという最悪の事態にはならなかったものの、猛スピードで飛び続ける馬車の荷台でもみくちゃにされ続けていた影次たちは街に到着する前から既に全員ボロボロになってしまっていた。
特に三半規管が重症だ。
「うぷっ……き、きもちわるい」
「は、はは……腰が抜けた……」
「ネズミ君……よく寝てるね。あれだけ揺さ振り回されてたっのに」
「このまま向かっても宜しいでしょうか」
「ま、待っ……まずは、着地、して、から……っ」
「失礼しました」
ぼふっ、と新雪の上に荷馬車が落ち荷台も魔導馬も雪に埋もれてしまう。だがリザの魔力で生み出された魔導馬は何の問題もないと言わんばかりに積もり積もった雪の中を悠然と掻き分けて街へと歩いていく。
『神の至宝』、『竜の宮殿』。つくづく頼りになる代物だ。これをくれたドラゴンはあんなにも残念だったというのに……。
「マシロ、あれがそうなのか?」
「ええ、間違いありません。あそこがビションフリーゼの街です」
近付いていくにつれて見えてくる街の全貌。今までの街では見掛けなかった特徴的な傾斜のついた外壁、その向こう側から幾つもの白い煙が雪空に向かって立ち昇っている。
ここがビションフリーゼの街。雪と氷の都と呼ばれるディプテス地方唯一の街だ。
「そしてマシロの故郷、だろ?」
「故郷と言うほど愛着がある訳ではありませんが。とりあえず入市の準備をしま……うぷっ」
「その前に……もうちょっと休もう。俺も立てねえ……」
「そこまで速度を出したつもりは無かったのですが」
「あれ以上スピード出されたら俺たちバターになっちゃうよ……」
side-???-
「お嬢様、宜しいでしょうか」
コンコン、と扉をノックする音に気付きそれまで積み上げられた書類に向かい続けていた顔を上げる。久しぶりの帰郷だと言うにも関わらず文字通りやらなければならない事は山積みで実家に戻ってもなお職務に忙殺され続けてそろそろ集中力が切れかけていたところだ。
「どうぞ。お入りなさい」
休憩にしようとノックの主を室内に招き入れる。部屋に入ってきたのはもう十数年来の付き合いになる自分の専属従者だ。気を利かせてお茶と菓子でも持ってきてくれたのかと思ったのだが、彼女が手にしていたのは何枚かの書類の束だったのを見て思わず「ふぅ」と小さな溜息が漏れてしまう。
「まったく、少しは懐かしき我が家で羽を伸ばす暇くらい貰えないのかしらね」
「そもそも今回の来訪も当主としての責務の一環であって里帰りという訳ではありませんので。随分お疲れのようですし、お湯殿の用意を致しましょうか?」
「結構よ」
「まぁそう仰らずに。お背中流しますよ?」
「だから嫌なのよ」
品のない緩んだ顔で十指をわきわきと怪しくくねらせる従者のこんな言動にも今更腹を立てたりはしないが、ただでさえ疲れているのにこれ以上余計な体力を浪費させないでほしい。
当主の座を引き継いで早二年。生まれ育ったこのビションフリーゼの街に戻ってきたのは当主となってからは今回が初めてだ。
幼少の想い出の中と遜色のない変わらない一面真っ白の風景。もう少し感慨深いものがあるかと思っていたが王都の暮らしに慣れてしまうとこの故郷もただ不便で住み辛いだけの街くらいしか思えない。
外とも満足に交易出来ず雪と氷に閉ざされたこの街に一族の本家があるのも単に先祖がここに住んでいたというだけの話でしかない。今は自分が当主なのだからいっそのこと王都にでも本家屋敷を移してしまうのも良いかもしれない。
「そう言えばジェンツーの街では山にトンネルを開通させようという計画が上がっていたそうですよ。と言っても随分前の話ですし資金不足やら何やらもろもろの事情で頓挫したという噂ですが」
「こんな雪に閉ざされた監獄のような街と道を繋ごうなんて随分物好きな話ね。それで? 何か報告する事があるんじゃないのかしら」
「ああ、単に愛しのお嬢様のご尊顔を拝みに……ああ冗談です冗談ですよ屋敷の中での魔法はお止め下さい」
「ただでさえ忙しいのだから、あまりつまらない事で疲れさせないで」
有能なのは確かなのだが性格に少々何のある従者に軽く頭痛を覚えながらも彼女が持ってきた書類を受け取り紙面に目を通す。わざわざ執務室まで持ってきたのだから余程の重要事項かと思いきや、何てことはないごく普通の入市手続書だった。
これが一体どうかしたのか、従者にそう尋ねかけたところでかの
「アルムゲートに駐在している第四部隊の副隊長が何故この街に?」
「私もどういった目的での御来訪とまではまだ……。ですがお嬢様、同行者の欄をご覧ください」
「あら、懐かしい名前もあるわね。ふぅん……この街に来ているのね、あの子」
手続書に記されていた馴染み深い名前を指でなぞり薄く微笑む。その笑みに一体どんな感情が込められているのかは付き合いの長い従者でさえも伺い知れないが、美しくも冷たいその微笑に従者も思わず日頃の軽薄な振る舞いを控える。
「如何なさいますか?」
「可愛い妹との数年ぶりの再会だもの。盛大に歓迎してあげましょう? すぐに迎えの者を……いいわ、あなたが直接行きなさい」
「畏まりました。セツノお嬢様」
指示を受けた従者が部屋を出ていき、執務室には再び彼女一人となる。
「辺境の地で大人しくしていると思っていたのに……何しにきたのかしらね、あの子ったら」
この雪と氷の街の統治者であり街の名にもなっている名門ビションフリーゼ家の若き現当主。セツノ・ビションフリーゼはもう一度書類に記された
冷たい笑みを浮かべながら、ぐしゃりと乱暴にその紙を握り潰した。
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