魔人の悪意×憤怒の炎

 騎甲ライザーへと変身した影次の拳が、蹴りが液体魔獣スライムを何度も吹き飛ばす。

すぐ近くに大勢の住人たちがいるステージ裏では大規模な放出技は使えないので溶かされないよう手足に炎を纏わせ少しずつスライムを削っていく。



「なんだ……何なんだ? エイジさん、あなた一体何者なんだ!?」


「後で説明しますよ。けど……」



 突如目の前で異形の姿へと変身した影次に驚愕するギン。そんな彼に影次……騎甲ライザーファングはスライムを殴り飛ばしながら振り返ると頼みの綱のスライムを一方的に叩きのめされ焦りの色を濃くするギンに向けて人差し指を向け、厳しい口調で言い放つ。



「まずはしっかり頭を冷やして貰うぞ、この馬鹿野郎!」



 知性の無いスライムが再度ファング影次に向かって飛び掛かる。自らの体の中に飲み込み捕食せんと半透明のゼリー状の体を広げ、真上から覆い被さる様に迫る。

 だがファングの拳が、蹴りがそんなスライムの体を何度も撃ち抜きその度に炎に焼かれスライムの体が少しずつ、じわじわと削り取られ体積を減らされていく。



「す、スライムが、こんな……」



 影次が突然異形の姿に変身した事もそうだが、本来上級冒険者や騎士団が討伐に駆り出される次元レベルである液体魔獣スライムがここまで一方的にやられている様子に、ギンはもはや目の前で繰り広げられている光景は夢かうつつか訳がわからなくなってしまっている。



こっちの舞台スライム退治なら俺の出番だ。さぁ、ワイルドに行こうか」









 ステージ裏で人知れず騎甲ライザーとスライムの戦闘が繰り広げられている一方で、ステージ上では『ジェンツーガバメント』による舞台が丁度見せ場に差し掛かろうとしていた。


 皮肉にも『木葉坂夢幻堂』の音楽的演劇ミュージカルの話題を聞きつけた人々が広場に集まりその人数は街でも人気の劇団である『ジェンツーガバメント』にとっても前代未聞のものとなってしまっていた。

 当然広場は観客席はおろか舞台を一目でも見ようと押し掛けた人々で大混雑となり、影次から合図を受け合流しようとしていたサトラとマシロも人混みに揉まれ、飲み込まれ身動きができない状態に陥ってしまっている。

 とは言えここで下手に魔獣が出たと言えばこれだけの大人数がパニックに陥る可能性が高く、何とかして人混みを抜けようと懸命に藻掻き続けるサトラたち。ちなみに少し離れたところにいたジャンたちもサトラたちと同じような状況になってしまっている。



「おーおー盛況盛況。いいねぇ祭りはこうじゃねぇとな」



 そんな様子をステージ近くの建物の屋根から文字通り高みの見物をしている包帯と髑髏を模した鎧に身を包んだ怪人、死霊魔人アッシュグレイ

 大賑わいの広場の様子を見てこれでしばらくはこっち・・・に邪魔は入らないだろうと満足気に笑みを浮かべ、もう一方の舞台へと視線を戻す。

 ステージ上で演じられる屈強な男たちの雄々しい英雄譚とは違う、正真正銘本物の命のやり取りが行われている舞台。主演メインが異形の怪物と液体魔獣スライムというのは少々見栄えは悪いかもしれないが見応えは満点だ。


 やはりスライムでも騎甲ライザーには勝てないようだが別段命を奪う事が目的ではないので特に問題はない。むしろ今のところ順調に思惑通りに事は運んでいる。

だが、本当に面白くなるのはここからだ。


 嗚呼、愉しみだ……。奴は一体どんな顔をするだろう?いや、仮面の上からでは表情は拝めないか。だとしても十分に愉しめるだろう。



「さぁて、それじゃこっちもそろそろ盛り上げてやるとするか」










「ライザードリル!」



 強烈な捻りを掛けたファングのパンチがスライムの体を抉り拳に螺旋状に纏う炎が液体状の肉体を大きく削り取る。もはや液体魔獣スライムの体積は当初の半分にまで減らされていた。

スライムが一方的に倒されていく光景にギンも絶望し魔物を呼び出した石の残骸が散らばる地面に膝を落とす。



「そんなバカな……エイジさん、あんた本当に一体……」


「ギンさんがスライムを所持していた事は既にサトラたちにも話してあるし彼女たちから今頃三月教会にも伝わっているだろう。悪足掻きせず大人しく投降してくれ。それが『木葉坂』のみんなの為でもあるんだ」


「俺は、ただ……みんなの居場所を守りたくて……」


「誰にどう唆されたのかは知らないけどやり方が間違っていることくらいは分かってるだろ? さぁ、俺も一緒に行くから……」


「いいや? あんたはなぁんにも間違ってないぜ」



 ファングがギンに手を差し伸べようとした瞬間、頭上から聞き覚えのある声が聞こえてくる。するとギンの足元に散らばっていた石の欠片が再び光を放ち始め……瀕死の状態だったスライムがその光に呼応するように活力を取り戻し削られた体が元に……いや、元以上に大きく膨れ上がっていく。



「お前は……アッシュグレイ!? 生きていたのか」



 声の聞こえた方向、ステージ裏の建物の屋上に馴れ馴れしくこちらに向かってひらひらと手を振る包帯と髑髏の魔人の姿を見付けるファング。忘れる筈も無い、倒したと思っていた魔族の姿がそこにあった。



正解ビンゴ! パーボ・レアル以来だなぁ騎甲ライザー。あの時は俺も流石に死ぬかと思ったがお陰さんでこの通り元気だよ。ククッ」


「魔族が絡んでるんじゃないかとは思ってたが……そうか、今回の件はお前の仕業か」



 倒したと思っていた魔族が生きていた事に驚きながらも同時にこの狡猾な魔族らしい手口だと納得するファング影次

 大方こいつが思い詰めていたギンを誑かし唆したのだろう。本当にこうした陰湿な手口は死霊魔人アッシュグレイらしいと感心する。

 褒めるつもりは毛頭無いが。



「おいおい、スライムなんて危険なものを人様に襲わせたのはそこにいる劇団長様だぜ? 俺はただお悩みの様子だったのを見掛けたんでイイモノがあるって商売させて貰っただけだ。なぁ、そうだよなぁ?」


「お、俺は……」


「良く言う。どうせあの魔獣を封じていた石には人の精神を狂わせる作用があるんだろう?」


「ハハッ! 鋭いねぇ。ご明察、作用っていうか副作用だけどな。けど都合がいいだろ? 何せ魔獣を悪用しようとするような奴なんざ元からロクなもんじゃねぇんだ。ちょいと背中を押してやればご覧の通りさ」



 アッシュグレイの言う通り確かに魔獣を受け取り、実際にそれを悪用したのは紛れもなくギンの意思だ。石の効果で大なり小なり理性のブレーキが緩んでしまっていたとは言え最終的に最後の一線を踏み越えたのはギン自身だ。だが……。



「確かにギンのした事は絶対に許されないものだ。だが唆し、魔獣を渡したお前に何の責任も無いとは言わせないぞ」



 静かに怒りを燃やしながら拳を握り締めアッシュグレイへと飛び掛かろうとするファング。

だが視線を外したほんの僅かな隙に活性化したスライムが獲物をその体の中に取り込もうと体を広げ……。



「うわああああああっ!?」



 その毒牙はファングでは無く魔獣を呼び出した当人であるギンへと向けられ、ファングがそれに気付き振り返った時には既にギンの体は完全にスライムの体内へと飲み込まれてしまっていた。



「ギン!? ……アッシュグレイ、お前一体何をした!!」



「お買い上げになったそこのお客には伝え忘れてたけどよ。魔石に封じ込めた魔獣の操作権限コントロールは使用者よりも俺たち魔族が優先されるんだよ。それに魔術の心得があるならいざ知らず、そいつみたいな只の人間が扱うより魔族である俺がこうして操ったほうがずっと性能を引き出せるって訳よ」



 アッシュグレイが翳した手から放出される魔力に呼応してスライムがより活発になっていき飲み込まれたギンは早くもスライムの体内で全身を溶かされ始める。

スライムの体内に飲まれたギンは悲鳴を上げる事も出来ず生きたままその身を溶解される地獄の苦痛に悶絶してしまっている。



「アッシュグレイ……ッ!」


「おいおい俺に構ってる場合かよ、人間一匹なんざあっという間だぜ? ほら助けてやれよ正義の味方サマ。ああ、それとも魔獣を悪用するような奴はこのまま死んで当然ってか? ハハハッ」



 射殺すような視線を向けられてもアッシュグレイは愉快そうに嗤っておりファングがこれからどうするのか、その反応を楽しんでいる様子だ。

 だが言われるまでも無くファングは一先ず高みの見物を決め込んでいるアッシュグレイを後回しにしてギンの救出に走る。



「ブレイズカッター!」



 炎を帯びた手刀が内部に飲まれたギンに当たらないギリギリのところまでスライムの体を切り裂く。致命傷ではないダメージはすぐに回復し元に戻ろうとするスライムだったが切り口が閉じる前に強引に腕をねじ込みギンを掴む。

 このまま何とか引っ張り出そうとするが相手は形のないスライムだ。どれだけギンの体を引こうともスライムと引き離す事が出来ない。

 その間にもギンの体はどんどん溶かされていき、彼に触れるために自身の腕を防御する為の炎を解いてしまっているファングもまた、スライムの体に直接触れている状態となり生体装甲が煙を立てて溶かされ始める。



「くっ……! この、離れろ……っ!」



「ハハハッ! ほら頑張れ頑張れ! 早くしないと骨も残らず溶けて無くなっちまうぞ? それとも助けたくないからワザとのんびりやってるのかぁ?」



 アッシュグレイの耳障りな笑い声が響く中、懸命にギンを引っ張り続けていく内に段々とギンの体がスライムの体内から外へと抜け始める。

 脳内では先程から『ルプス』の「警告」というメッセージが繰り返されファングの両腕が溶け続ける。だがそれでもようやく、ギンの上半身がスライムの中から引き摺り出された。



「もう少し、あとちょっとだ……頑張ってくれよギンさん……!」


「も、う……いい、ですよ……離して、ください、エイジ、さん……」


「何言ってるんだ今ならまだ治癒魔法を受ければ助かる!あんたには帰る居場所があるだろ!」



 ギンの体は既にスライムの酸によって見るも無残な状態になってしまっていた。それでもファング影次は諦めまいと溶け続ける両腕でギンの体をスライムの体内から引き抜こうと藻掻き続ける。

 だがギンは既に自分がもう助からない事を悟っているかのように、もはや痛覚も無いのか懸命に自分を救おうとしている異形の怪物に穏やかな笑顔を浮かべ……。



「もう……エイジさんには、十分すぎるくらい……お世話に、なりました……。俺は……こうなって当然……自業、自得……なんです……」


「ムジナたちはどうする!? あんたたちは、『木葉坂夢幻堂』はこれからじゃないか!! 彼らを残して自分だけ舞台を降りる気かよ!!」


「……ごめん、って……あい、つ……ら、に……」


「……っ! そういう事は自分の口で伝えろ……!!」



 ギンの体から力が抜ける。ファングがどれだけ声を掛けても、もう彼が……ギンが返事をする事は無かった。


 スライムからようやくギンの体を引き剥がすのと同時に、これまでも何度も影次がその手に味わってきた馴染みのある感覚が否応なしに伝わってくる。


 命が、魂の灯が尽きた瞬間の、掛け替えのないものが失われてしまう感覚が。



「ハッハッ! 残念、ちょーっと惜しかったなぁ。でも頑張ったぜお前さんは。うんうん偉い偉い。そいつも天国……いや地獄で感謝してるだろうよ」



 スライムの中から救出され、もはや二度と起き上がる事の無いギンの体が地面にゆっくりと寝かされる。

 次の瞬間折角の獲物を奪い取られたスライムが今度はファングを飲み込もうと襲い掛かり、ファングは逃げる素振りも無くギンの亡骸を見下ろしながらスライムにそのまま頭から飲み込まれてしまう。



〈警告。警告〉



 脳内に『ルプス』の警報アラートが鳴り響く。スライムの体内に飲まれたファングは早くも全身を覆う生体装甲が溶かされ始める。

 だが溶かされながらもファングは身動ぎ一つ取ろうともせず、ほんの一時とは言え共に汗を流した舞台仲間の亡骸を、表情の見えない仮面越しに見下ろしているだけだ。



(……お友達が死んで心が折れたか? ま、それくらいで折れてくれるなら有難いけどなぁ。液体魔獣スライムで倒せるとは思って無かったけど、これはもしかしてイケたりするか?)



 特に抵抗する気配もなく黙ってスライムに溶かされ続けているファングを建物の上から観察しているアッシュグレイ。半透明のスライムの体内で確かにファングの体は少しずつだが着実に溶かされ続けている。



〈警告。このままでは危険です〉



 『ルプス』の警告音声がどんどん鬼気迫るものへとなっていく。だがファングは俯いたまま動かない。

 腕が、足が、スライムの強力な酸に溶かされ続け装甲の腐食が加速度的に進んでいく。



〈警告。警告。警告。このままでは大変危険です。速やかに対処する必要が〉



「なんかつまらねぇ幕引きだったなあ。正直お前さんにはもっと面白いものを見せてもらえると思ってたんだが……。ま、ここで排除出来たのは僥倖だったか」


〈警告。警告。警告。警告!〉


「出来たばっかりのお友達と一緒にそのまま養分になりな騎甲ライザー。ハハハハハハ!」



 次の瞬間、スライムの体が歪に大きく膨れ上がっていき……凄まじい勢いで遥か上空へと吹き飛ばされた。



「……は?」



 アッシュグレイも一瞬何が起きたのか理解できなかった。


 突然体内で膨大な熱量を放ち始めた獲物を体内に収めていられなくなったスライムが空中に跳ね上げられる。それを追って跳躍し、死霊魔人と同じ高さまでやってきた騎甲ライザーが全身を真っ赤に燃え上がらせ、半透明のスライム越しに深紅の双眸に凄まじい殺意を込め、アッシュグレイを見据える。



〈警告。流体因子エネルギーブラッディフォースの出力調整並びに制御不能の状態です。このままでは大変危険です。速やかに……〉


「黙ってろ」



 それはとても静かで小さな、たった一言だった。


 だが底冷えするようなその一言だけで、アッシュグレイは形振り構わず全身全霊で今この場から逃げ出すことを躊躇なく選んだ。



「……やべぇ」


〈Blaze! vanishingbreak!〉



 アッシュグレイの誤算は三つ。一つは彼が流体因子エネルギーブラッディフォースの性質を知らなかった事。

保有者影次の体内で生成されるこのエネルギーはその出力を保有者の精神状態に大きく左右される。つまり感情が昂れば昂るほど強くなり、その反面制御が利かなくなるのだ。


 二つ目は本来黒野影次と言う青年は決して温厚な性格では無いという事。

前述の流体因子エネルギーブラッディフォースの特性上、彼は普段から特に意識して感情の起伏を抑えているというだけで生来の気質は穏やかどころか粗暴で苛烈な面が強いくらいだ


 そして三つ目。アッシュグレイが今回行った手口が影次の逆鱗に触れてしまった事。

彼にとっては命を奪えずとも精神的に揺さぶるなり追い込むなり出来れば上々程度に思っていたのだろう。

 それが結果的に、狼の尾を踏んでしまうとも知らずに。



「ファング……」



 制御不能状態の流体因子エネルギーブラッディフォースが収まりきらず全身から灼熱の業火と化して迸る。ファングの全身を紅蓮に染め上げていた炎がその右足に収束していき、天に昇った太陽の如く煌々と輝き眼前の敵へて目掛けて怒りをそのまま具現化した獄炎の一撃を放つ。



「スパートォォ!!」



 深紅の閃光を右足に纏い黒い流星と化したファングの必殺のキックが液体魔獣スライムに命中し……その瞬間スライムの体は桁外れの熱量の前に蹴り足が触れる前に蒸発し、跡形も無く消滅する。



「トリャアアアーーッ!!」



 液体魔獣スライムを撃ち抜いた紅蓮の流星がその勢いで魔人へと迫り……。

死霊魔人が目眩ましに撒いた夥しい包帯を貫いたファングは既にアッシュグレイがこの場から逃走した事に気付いた。

 スライムを撃破した際に生じたほんの僅かな隙をついたのだろう。辺りを見回しても魔人の姿はどこにも無く、既に『ルプス』が探知出来る範囲からもいなくなってしまっていた。



「……ああ、よく分かったよ。これが魔族の……お前のやり方なんだな」



 矛先を失ったファングの怒りは収まること無く滾り続け、それはそのまま業火となって体から噴き出し続ける。

 劇団の仲間を失った過去の記憶、ギンたちと過ごしたこの数日の思い出、魔人への憎しみ、自分の不甲斐無さ。様々な感情が胸中を激しく深く掻き毟る。怒りは憎悪に、憎悪は憤怒へとその炎を更に更に燃え上がらせていく。



「アッシュグレイ!! お前だけは……お前だけは絶対に許さない……っ!! 絶対にだっ!!」

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