祭典最終日×木葉、出陣

 ジェンツーの街中を賑わせているトンネル開通記念祭典もとうとう最終日を迎えた。

『木葉坂夢幻堂』と『ジェンツーガバメント』、二つの劇団の舞台公演勝負は一番人が広場に集まる正午から開催される予定だったが、劇団員たちは早朝から目を覚ましてしまっていた。



「……おはよ」


「おはようセンコ。寝癖凄いぞ」


「うっさい」



 影次が『神の至宝』で作り出した『竜の宮殿・稽古場付き宿泊施設版』に泊まった『木葉坂』の面々。まず最初に姿を現したのはムジナとセンコだった。

 手洗い場で顔を洗っていたムジナと入れ替わり鏡を見ながらぼさぼさの頭を直していくセンコ。そこへ更にギン、シガラ、ショウフクがやってきて少し遅れて妹に引きずられてきたテンコ、そして引きずってきたタマモが合流する。



「なんだなんだ、みんなやけに早起きだな。本番まではまだまだ時間があるんだし、もっとゆっくり寝てろよ」


「うるさいな。……あんまり眠れなかったんだよ、言わせないでくれ」


「あれ? ムジナもしかして柄にも無く緊張してんの?」


「センコお姉ちゃんだって昨夜はずっとベッドの中で「明日ちゃんと出来るかな」「足引っ張っちゃったりしないかな」ってメソメソしてたよね。ねぇテンコお姉ちゃん?」


「あああとうとう当日になっちゃったどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう」


「今日は裏方も大忙しだ。覚悟は出来てるよな、ショウフク」


「ごんす!」



 今日の舞台は『木葉坂夢幻堂』という劇団の存続が掛かった大一番だ。緊張するなと言うのは酷というものだろう。だがそれでも全員緊張はしているものの過度に気負っている素振りは見られない。

 影次からのまさしく地獄のような特訓によって多少の自信がついたのもあるが、今一番に考えるべきは劇団存続の掛かった勝負の事ではなく、舞台で観客たちを満足させる。役者として、劇団としての意識がしっかりと各々に芽生えたからだ。



「それにしても、昨日の拷問みたいな稽古で僕はてっきり筋肉痛で下手したら動けなくなるんじゃないかって心配していたけど……」


「全然だな。むしろ体が軽い」


「やっぱりあれかな。リザさんが言ってた秘湯の効果なのかな?」



 タマモが言っているのは昨夜、影次に散々骨の髄まで扱かれ全員生ける屍リビングデッドの仲間入り寸前状態だった身体を完全回復させたここ『竜の宮殿』特製大浴場の事だ。

王都の公衆浴場はもちろん、下手をすれば王宮のものよりも広大で豪華かもしれない大浴場は見栄えだけでも圧巻だったが何よりもその効能が抜群だった。



「立つのもキツかったのにひとっ風呂浴びただけで完全回復だもんなぁ……」


「てっきりお湯に万能薬エリクシルでも混ぜてるのかと思ったよな、ショウフク」


「ごんすごんす」


「それだけじゃないわよ。見てよほら、一晩経ってもまだ肌こんなツルッツルのままなのよ? ……あのお湯だけでもちょっと分けて貰えないかな」


「テンコお姉ちゃんも髪サラッサラでもう別人みたいだもんね。あはは、珍しくちゃんと目元が見える」


「や、やめてタマモちゃん……視界がはっきりしすぎて怖いの……」



 伸ばしっぱなしの髪でいつも顔がほとんど隠れていたテンコだったが『竜の宮殿』の秘湯の効果で絹糸のようなさらさらの髪質になってしまった為に普段隠れていた顔がよく分かるようになっていた。更にタマモに強引に髪を束ねられてしまったので丸出しにされた顔を今も必死に両手で隠している有り様だ。



「別に隠す事無いじゃないか美人なんだし。中身は兎も角として、なぁムジナ」


「あぁ、僕の審美眼から見ても美しいと言えるね。中身はアレだけど」


「自信を持つんだテンコ。お前はそうやってちゃんとしていれば綺麗なんだから中身を知らない人たちなら騙せる! そうだよなショウフク」


「ごんす」


「うぐぅ……ギンたち、きらい……」



 もう今日が本番だというのにいじけてしまったテンコを慌てて慰めるタマモとギンたちを殴るセンコ。

重ねて言うが今日が舞台本番当日だ。曲がりなりにも役者の顔面に思いきり右ストレートを入れるのはどうなのだろうか。



「それにしても、ギンの足まで治るなんて本当に凄いな、あの風呂……。いや、風呂の他にも色々凄すぎるんだけど、ここ」


「ははっ。でも流石に今日の今日までろくに稽古に参加してなかったんだ、どのみち今日の舞台には上がれないんだから舞台袖で応援してるよ」








「ご主人様。お出掛けになられる前に少々お耳に入れておきたい事が」



 先だって『竜の宮殿』を出発した『木葉坂』に続いて公演の準備に出ようとした影次をリザがそう言って引き留める。

何事かと怪訝そうに首を傾げる影次だったがリザに耳打ちされ、次第にその表情が見る見る変わっていく。

 驚き、困惑、戸惑い……それから確認の為に念を押して間違い無いのかと尋ねるが、リザは相変わらずの無表情のままコクンと静かに首を縦に振った。



案内人ナビゲーターである私は『神の至宝』内の事柄は全て把握しております。間違いございません」


「それが本当なら一体どういう事なんだ……それって」


「なんだ、どうかしたのか?」



 深刻そうな顔で話している影次とリザの様子に只事では無いと察したサトラたちがやってきた。影次はたった今リザから聞いた話をサトラたちにも話すと彼女たちも影次とほぼ同じような反応を見せた。



「……シャーペイ、そういう事・・・・・は可能なのか?」


「んー、かーなーり面倒で手間だけど不可能じゃないねえ」


「え、エイジ……それじゃあまさか、あの液体魔獣スライムは……」


「そういう事なのでしょうな。残念ですが」


 リザが教えてくれた事実とシャーペイの説明で今回ジェンツーの街で起きた液体魔獣スライムの不可解な一件の謎が解き明かされる。

 そして、それは同時に影次にとって余りにも辛い事実でもあった……。



「どうするエイジ。今すぐ教会に報告するか。……ただ、その場合間違いなく今回の舞台公演は中止になるだろうが」


「いや……勿論教会には連絡しよう。無関係な街の人たちを危険に晒す訳にはいかない。……ただ、舞台はこのまま予定通りやらせてくれないか?」


「エイジ、気持ちは分かりますが……」


「頼む。命に代えても犠牲は出さない。……俺の勝手な我儘で迷惑を掛けるのは分かってるつもりだ。だけど……」



 スライムがまたいつ出現してもおかしくないという事実が判明し、更に今度は街の中に現れる可能性もある。何も知らない大勢の人々を危険に晒してしまう事になってしまう。

だがそれでも、影次は『木葉坂』に今日の舞台を行わせたいと思ってしまうのだ。

 彼らをかつて自分がいた劇団と重ねているのも確かだし、同じ役者として彼らが今日の舞台にどれだけの思いを掛けているのかという気持ちも痛いほど分かる。

これは本人の言う通り、影次個人の単なる我儘でしかない。


 だが……。



「命に代えてもなんて大袈裟ですよ。当然、私たちも全力で協力します」


「私は本来騎士団の一部隊副隊長という立場上止めなければならないのだが……三月教会のイワトビ司祭には私から頼んでおこう。だがエイジ、万が一住民に被害が出てしまいそうになったら私は迷わず舞台も、あの人・・・も力尽くででも止めるぞ」


「ああ、分かってる……。俺がやろうとしてる事が間違ってるなんてちゃんと分かってるよ」


「ご安心くだされ。エイジ殿がそれほどまで守ろうとするもの、私も全霊を持ってお力添え致しましょう」



 こんな個人的な我儘に、全面的にとはいかないまでも協力してくれようとするマシロやサトラ、ジャンに申し訳ないという謝罪と感謝の意を込めて頭を下げる影次。

 そんな中シャーペイだけはいつものへらへらとした笑みを浮かべたまま影次がやろうとしている事の危険性を痛烈に指摘してくる。



「おやおやぁ? 正義の味方のくせに一般人をむざむざ危ない目に合わせちゃうんだねぇー。いいねぇいいねぇ、いつもはまるで言い訳みたいに他人の為にしか動こうとしなかったくせに。でも本当にいいの? もしもの時はエイジがその手で始末をつける・・・・・・って事でいいんだよねえ?」


「……言っただろ。分かってるって」


「キヒヒッ! まぁアタシは最初から反対なんてしないけどねぇ」



 シャーペイに改めて言われるまでも無く、こんな事を頼んでいる時点で影次も相応の覚悟は決めている。

 もしもあの人・・・を説得できなかったら、止められなかったら……、街に被害が及ぶ前に倒すしかない。

 それがどういう意味を持つのか、どんな結末を迎えてしまうのか。だがそれでも最悪の事態になった時は躊躇はしない。例え誰が相手であろうが、倒さなければならないのならば、躊躇いはしない。


 影次は舞台役者である以前に、正義のヒーロー《騎甲ライザー》なのだから……。








「逃げずに来た事は褒めてやるよ。まぁ、この後すぐに大勢の前で恥をかく事になるだろうけどなあ!」


「そんな口を叩けるのも今のうちだけだ。吠え面かかせてやる!」



 街の広場に建てられたステージの裏、既に客席を埋めるほど集まっている観客たちに見えないところで『木葉坂夢幻堂』と『ジェンツーガバメント』、この街の二つの劇団が相対していた。



「はいはい両者とも闘志十分って感じっスね! 結構結構!」


「……何でここに?」


「今回の両劇団の演劇勝負を取り仕切らせて頂く事になった流浪の露天商オボロっス! 以後お見知りおきを!」


「いやだから何でここに」


「いやぁー、売るものも売ったんでそろそろ別の街に行こうかと思ってたところに町内会の皆さんから今回の勝負の審判を頼まれまして。何でも公平を期すために街の者じゃない人にお願いしたいって言うので。っス」



 舞台裏にやってきたところで思いがけない人物に遭遇し少し驚いたものの、早速『木葉坂夢幻堂』と『ジェンツーガバメント』はバチバチと激しく火花を散らしておりもはや誰が審判をしようがどうでもいいといった様子だ。



「ほんの数日の付け焼刃で務まるほど舞台は甘くねぇぞコラァ! すぐにメッキ剥がれるのがオチに決まってんだろコラァ!」



「多少マシな演技が出来るからっていつまでも偉そうにしていられると思うなよ! こっちには僕という稀代の天才が手掛けた脚本があるんだからな! そうだろみんな!」



 他の仲間たちが揃って顔を背けたぞムジナ。



「何か小細工用意してるみたいだが何をしようと無駄なんだよボケェ! しかもよりによって噂の吟遊詩人たちと手を組んだだぁ? ふざけんな紹介しろ……ゲフンッ! 無駄なんだよボケェ!」


「毎回毎回うるさいのよこの過剰筋肉無駄マッチョ集団! そんなんだからいつまで経っても女の子が一人も入団しないのよ暑苦しい! 暑苦しい! 暑苦しい!」



 勝負の前に相手の心をへし折るのはやめてあげろセンコ。ほら、あんな屈強な大男たちがベソかきはじめた。



「今のところ賭け率オッズは8:2で『ジェンツーガバメント』さん優勢っスね! ちなみに俺は皆さんに賭けさせて頂きましたんで大穴期待してるっスよ!」


「賭けるなとは言わないけど胴元が賭けに参加するのはどうかと思うぞ」


「お祭りなんだし細かいことは言いっこなしっス! さぁ、そろそろ準備の方をお願いするっス! まずは先攻、『木葉坂夢幻堂』さんからっスね。舞台開始は正午の鐘が合図っス!」



 劇団の存続がかかった大一番。ジェンツーの街のトンネル開通記念祭典最終日、二劇団による舞台勝負の幕がとうとう切って落とされた。











「よ、よよよよよしと、ととととうとう本番だ……。み、みみみみんな覚悟はははは」


「落ち着け、落ち着けギン! 大丈夫か引くほど震えてるぞ!?」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ……お客はお芋、お客はお芋……」


「テンコ姉さん大丈夫だって。今更緊張しても始まらないでしょ」


「センコお姉ちゃん私はタマモ。テンコお姉ちゃんはあっち」


「本番は俺たち裏方も大忙しだ。ギンも手伝ってくれるとは言え気を引き締めていくぞショウフク!」


「どすこい」



 部隊本番まで残り僅か。ステージ裏に用意されたそれぞれの劇団用の簡易テントの中で最終調整に入る面々。とは言ってもここまで来たら後は気持ちの問題でしか無いのだが……。



「全員見事に緊張しちゃってるな……無理も無いだろうけど。アズレアたちは大丈夫か?」


「お、お任せください! エイジ様のお役に立てるよう姉妹共々全霊を持って命に代えても果たして見せます!」


「アズレアちゃん勝手にわたしの命も賭けないでよぅ!」


「……こっちもか。いやサルビアはいつも通りか」



 もう本番開始まで間もないと言うのにみんな緊張でガチガチになってしまっている。このまま舞台に上がっても十分なパフォーマンスは発揮出来ないだろう。

 かと言ってこういう時に「緊張するな」「頑張ろう」と言うのは逆効果だ。『ジェンツーガバメント』と比べて圧倒的に舞台度胸の足りない彼らの気負いをどうにか紛らわせようと影次は思案を巡らせ……。



「ああ、そうだ。そう言えばまだ肝心な事を決めていませんでしたね」



 鬼コーチ影次の口からこの土壇場でそう言われ、ギョッと一同が振り返る。

全員の意識がこちらに向いたところで、影次は本番数分前にも関わらずいつも通りの口調でこちらに注目している面々の顔を順に見回し、徐に尋ねる。



「打ち上げどうします? 終わった後だとどこの店も混んでるでしょうし」


「う、打ち上げ……?」


「何を言うかと思ったら、よりによって今はそんな事……!」


「いや、でも大事でしょう。舞台終わったらお腹も空いてるだろうし」



 この期に及んで舞台の心配では無く舞台が終わった後の食事の心配をしている。それもこの数日自分たちを悪鬼羅刹の如く鍛えてきたスパルタ教官がだ。



「……確かに飲食店はどこも混雑するだろうね。ならいつも通り溜まり場に集まればいい。屋台なら夜までやっているだろうしね」


「あ、ならうちの店からも揚げ物持ってこよう。なぁショウフク?」


「ごんす!」


「だったら私たちもお姉ちゃんがこの前買ってきたワイン出そうよ! お祝いの時に飲もうって言ってたし」


「えっ! あ、あれ結構高かったのよ!? ……まぁ、別にいいけどさぁ」


「お酒……」


「よし、それじゃあ決まりですね。なら美味いご飯に美味い酒の為にも舞台でしっかりおなかを空かせましょう!」



 パンッ、と手を叩き今までの鬼のような厳しさの面影もなく気楽に言う影次に『木葉坂』の劇団員たちも顔を見合わせ……思わず吹き出してしまう。



「そうだな。今日でこの祭典も終わりなんだ。どうせなら最後の夜らしくパァーッと騒ごうか!」


「僕の家からも魚を幾つか用意しよう。揚げ物はシガラとショウフクが持ち寄るなら……そうだな、煮込みやスープがいいかな」


「あのワイン出すなら人数分のグラスも持ってこないとね」


「おつまみも忘れちゃ駄目だよお姉ちゃん」


「お酒……」



 良い具合にみんなの緊張が解れたようだ。人は追い詰められたり追い込まれたりと心に余裕が無くなってしまった際には励ましたりするよりも全く関係ない話をして一旦意識を別のところに移すと良いと以前聞いた事があったのだ。

 昔彼らと同じように本番前は毎回ガチガチになっていた影次も同じことで緊張が緩和されたので効果は実証済みだ。



「……そろそろ時間だ。みんな準備はいいですか?」




 影次の言葉に頷く『木葉坂夢幻堂』の一同。やれるだけの事はやった。覚悟は決めた。後はもう、思い切り演じるだけだ。



「『ジェンツーガバメント』なんて関係ない。今から観客たちが観るのはあなた達だけだ。釘付けにしてやりましょう。この舞台を一生忘れられなくしてやりましょう。劇団『木葉坂夢幻堂』、見せつけてやりましょう!」



 影次の鼓舞に拳を高々と突き上げる劇団員たち。覚悟も闘志も万全だ。この街に来た時の彼らとはもはや別人のように見える。『木葉坂夢幻堂』は、もう立派な劇団だ。



「さぁ、ここからの見せ場スポットライトは俺たちのものだ……行こう!!」









「お、おおおおお役に立てるようにぜ、ぜぜぜぜ全身全霊で……」


「エイジさーん、エイジさーん! あ、アズレアちゃんの緊張も解いてあげてー!」

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