地獄の特訓×影次の過去とマシロの想い
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「……次。……影次、おい起きろ影次!」
「……んあ?」
「んあ、じゃねぇよ。読み合わせすっから集まれってさ」
親の顔よりも馴染みのある仲間に叩き起こされて微睡の中から意識を取り戻す。
舞台が近くなると自宅よりも寝食を過ごす機会の多かった稽古場。学生時代からの付き合いで良くも悪くも遠慮の欠片も無い仲間たち。
そして、そんな有名とまでは言えないが決して食べていけない程では無い程度には客を呼べるこの劇団の一役者である自分。
「……夢? だったのか、全部……?」
「お前、公演日も近いってのに寝惚けてんのかよ……ほら顔洗ってこい。そんな顔して行ったら怒鳴られるぞ」
劇団の仲間から呆れ顔でそう言われ、近くにあった姿見で自分が今どんな顔をしているのかと確かめてみる。
多少寝癖がついてはいるが特に何の変哲もない二十数年来の付き合いの顔がそこにあった。
早くに親を亡くし、それなりにやさぐれた時期も過ごしそれなりに真っ当な青春も過ごしそれなりに馬の合う仲間たちと劇団を立ち上げそれなりに軌道に乗っている。それなりの人生を過ごす平凡な若者の顔だ。
しかし何故だろう?自分はこんな顔つきだっただろうかと違和感を覚えるのは……。
「何かやたら長い夢を見てたような……。そうか、そりゃそうだよな。いくら何でも滅茶苦茶だもんな」
「お前、一体どんな夢見てたんだよ」
「ああ、それがさ……」
興味を持った仲間に今まで自分が見ていた現実味の欠片も無い夢の内容を話し始める。
自分が見た夢ながら何とも滅茶苦茶な話だ。夢というのは往々にしてそんなものなのだろうが、それにしたってこんな話とてもじゃないが
夢の中で
この掛け替えのない仲間たちも。
大切な居場所だった劇団も。
守り抜こうと誓った愛する人も。
そして、人である事さえも……。
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「……ジ。……イジ。起きてくださいエイジ!」
「……んあ?」
自分を呼ぶマシロの声に夢の中から引きずり戻された影次。ぼやけて定まらない視界には逆さまになっているマシロの顔が間近に見える。
ぺちぺちと頬を叩かれ続けているうちに段々と意識がはっきりとしていき、現在の状況を思い出し始めてきた。
「んあ、じゃありませんよ。いつまでもこんなところで寝ていたら風邪引いちゃいますよ」
「……他のみんなは?」
「エイジと同じです、皆さん力尽きてぐっすり眠っていますよ。エイジも寝るならちゃんとベッドで眠ってください」
「……そうか、そうだよな……
「……? 大丈夫ですか?顔洗ってきた方がいいのでは?」
影次が『木葉坂夢幻堂』に『ジェンツーガバメント』に勝てるかもしれないという奇策を説明した時は全員マシロと似たような反応を見せた。
無理も無い。
だが、それでもすぐに全員「面白そうだ、やってみよう!」と影次の提案に乗ってくれた。
しかし、それが彼らにとって地獄の始まりだった。
何せ本番まであと二日しかないのだ。劇の物語や台詞にはほとんど変更点は無いもののそれ以外は影次以外全員未知の領域なのだ。
だからと言ってゆっくり教える時間は無い。文字通り全員体に叩き込まれる容赦の欠片も無い演技指導が何時間も繰り返される事となった。
「ムジナ! テンポが遅い! もっと早く! 違うそれじゃあ雑なだけだ!!」
「指先までちゃんと意識して! センコ! もっと動きを大きく!!」
「テンコとタマモ音程がズレてる! お互いをちゃんと意識して! 最初からやり直し!!」
「シガラ、ショウフク!! 動き易くとは言いましたけどこれじゃあ劇の最中で衣装が破れる!作り直して!!」
限られた僅かな時間での影次の演技指導は凄まじいスパルタだった。
影次自身も指導に段々と熱が入っていきムジナたちに掛ける指導の声も次第に大きく荒々しくなっていき途中からほとんど怒号同然になってしまっていた。
最初はそんな影次に少なからず反発を見せていたムジナやセンコもその迫力に思わず文句を飲み込んでしまい大人しくなっていった。
もはやこれではコーチというより鬼軍曹だ。今、ここは影次という鬼が統括する地獄の特訓場と化していた。
「ちょ、ちょっと……僕は、脚本兼任して、頭脳派、なんだから……た、体力が……」
「それだけ喋る元気があるなら大丈夫! はい一から通しで! もたもたしない!!」
「あ、あんたねぇ……! いくらなんでも、無茶苦茶、よ……っ!?」
「はいはい文句は公演が終わった後でいくらでも! 動けるなら立つ! 立てるなら続行!!」
「ごんす……」
「ちゃんと喋る!!」
定期的に休憩は取ってはいたものの、二時間、三時間とそんな指導が続き次第に『木葉坂』のメンバーたちの口からも不平不満の声は聞こえなくなってきた。
正確には芝居の台詞以外を吐く気力も体力も無くなっていただけなのだが……。
途中サトラやジャンが差し入れを持ってきてくれたような気がしたが、正直影次もよく覚えていない。自分もすっかり熱中してしまっていたようで気が付いたらこの有り様だった。
何せ影次も口だけではなく実際に演じて見せながら指導を続けていたのだ。役者陣四人分動き続けながら裏方などにも常に指示を出し何時間もそんな事を続けていたのだ。当然倒れるに決まっている。
「今何時だ……?」
「もう夜中ですよ。あなたまで倒れちゃってどうするんですか、もう」
「アズレアとサルビアは……」
「彼女たちも今夜は
「……全然覚えてない。久しぶりだったからつい熱が入りすぎたのかもな」
影次が寝転がっているのは『神の至宝』で作った室内練習場のステージの上だった。
何かと大きな物音や大声が出てしまうのでご近所迷惑にならないようにと街の外に思う存分稽古が出来る場所をと影次が『神の至宝』を用いて作ったのだ。
ジェンツーの街の多目的ホールより大きな稽古場。騒音問題もバッチリな上にドラゴンに匹敵する強度であるこの『竜の宮殿』ならばたとえまたスライムが出たとしても問題ないので安全面も完璧だ。
ようやく自分が役に立てると張り切るリザによって稽古場となる巨大ホールから人数分の客室、大型浴場に卓球台まで完備されており、もはやちょっとしたリゾートホテル状態だ。
当然ギンやムジナ達は勿論アズレアとサルビアも腰を抜かす勢いで驚いていたがそこは「以前エルフから貰った伝説の秘宝の力です」という説明で無理矢理押し倒し納得して貰った。
当然本物のエルフであり身に覚えのないアズレアたちにはきちんとあの
「改めて『神の至宝』、物凄い代物だな……。こんな大きな建物を簡単に作り出せるんだから」
「神の宝って言うだけの事はありますね。ところで……エイジはいつまでこうしているつもりですか?」
マシロに言われてようやく影次は自分がマシロの膝枕で横になっていた事に気付き慌てて謝る影次だったが当のマシロは口では文句を言いつつも別段怒っている風でも無く、ぺちぺちと影次の頭を叩いて遊んでいる。
「わ、悪い。すぐ退くから」
「別にいいですよ、エイジもお疲れですし。随分とうなされていましたよ?」
「いや、うなされてたのは変な夢見てたからで……」
「元の世界にいた時の夢ですか?」
マシロに言い当てられた影次は驚きのあまりつい「何か寝言でも出てたか?」と尋ねる。するとマシロは頷きながら生暖かい目で自身の膝の上に頭を置く影次を見下ろしながら答える。
「ええ、それはもう。しきりに恋人の名前をずっと」
「……マジか」
「冗談ですよ」
「マジか」
マシロに膝枕されながら影次はさっきまで見ていた夢を思い出す。懐かしい、あれは一体何年前の光景だったのだろうか。今となってはもうずっと昔の事のように思えてしまう。
「……昔の、元いた世界の俺がまだ劇団にいた頃の夢を見てたんだ」
「えっ?」
「丁度『木葉坂』みたいに俺たちも中学の演劇部の頃からの付き合いでさ、卒業して仲間内で小さな劇団を立ち上げて……」
唐突に、今までほとんど話そうとしなかった自分の身の上話を始めた影次に内心驚きながらも折角の告白に水を差さぬよう、黙って彼の話を聞いているマシロ。
久しぶりに劇団らしい活動をしたせいだろうか、疲労のせいか、今夜の影次は殊更饒舌に自身の過去を話し続けた。
「最初の頃はみんなバイトで活動費を稼ぎながらって感じだったけど、数年もするとそれなりに稼げるようになってきて劇団も少しずつ大きくなってきてさ……。ああ、辛い時もあったけどようやくここまで来れたな。なんて酒飲みながらバカ騒ぎしたりして」
「だから、エイジは『木葉坂』の皆さんにここまで親身になっていたんですね。自分がいた劇団と重ねて見ていたんですね」
「ギンたちには悪いけど俺たちは役者として生きていくって最初から覚悟を決めて劇団を作ったからな。特に俺は親もいなかったし頼れる肉親なんてものも無かったし……本当に最初の頃は死に物狂いだったよ」
脳裏に思い浮かぶのは人生の半分近くを共に過ごした仲間たちの顔ぶれ。意見が合わず殴り合いの喧嘩もした、好きな娘が出来たという奴の為に劇団のみんなでデートプランを練ったりもした。同僚と言うには親し過ぎるし友人と言うには互いを知り過ぎている。
家族。もはやそう呼ぶのが一番的確な関係だった。特に血縁者のいない影次にとっては劇団の仲間たちは本当に兄弟も同然だったのだ。
「……エイジはやっぱり元の世界に戻りたいんじゃないですか? だってそんな大切な仲間が向こうにはいるんでしょう? なら……」
「いないよ、もう」
元の世界に戻ろうという素振りを全く見せない事から薄々悪い予感はしていたものの、つい口に出して訪ねてしまったマシロが自身の発言を後悔する暇も無く、影次自身がその問い掛けをばっさりと切り捨ててしまった。
「えっ……?」
「俺のいた劇団は『結社』の壊人に襲われて全員殺された。……今思えばあれは
予想はしていたがこうして実際本人の口から聞かされるとやはり強いショックを受けてしまう。影次のどこか達観したような言動の根幹にあるもの。その一端を垣間見た気分だ。
「舞台を見に来たお客たちも大勢犠牲になった。お世話になってたスポンサーも、たまたま差し入れを持ってきてくれていた劇団員の身内も、何人も殺された。俺だって一番大事な人を……」
一番大事な人。
その言葉が意味するものを訪ねたい気持ちを堪え影次の話を中断しないように口を紡ぐマシロ。
影次が元の世界で舞台役者だった事を聞いた時はあまりにも意外な職だったので思わず笑ってしまったが勿論マシロに貶めるつもりは無く、ただあまりにも意外だったので驚きのあまりそういった反応をしてしまっただけだった。
影次が役者だったという事を知り、この街で偶然劇団同士のいざこざに遭遇したのを絶好の機会だと思い影次に『木葉坂夢幻堂』への助力を提案したマシロ。
それは単純に影次がまだ舞台に、役者という仕事に未練があるのではないかと思ったからだ。
全てを失ってしまったかのような彼にこの異世界でも元の世界と同じ夢を持って貰えるのではないかと、彼がこの異世界で生きていきたいと心から思えるような理由になるのではないかと。そう思ったのだ。
「……ごめんなさい」
「何でマシロが謝るんだ?」
「エイジのためと思って劇団のお手伝いを薦めたつもりでしたけど……辛いことを思い出させてしまっただけなんじゃないかって」
「あぁやっぱり。そんな事だろうとは思ったけど」
影次とてそう鈍い男では無い。唯一自分の元の世界での職業を話していたマシロから「劇団の手伝い」などと言う、幾ら目下の目的が無い状況だったとしても見ず知らずの他人のトラブルに積極的に介入するという彼女らしからぬ提案を出された時に、これはマシロなりの自分への気遣いなのだと何となくは察していた。
「お蔭様で久しぶりに演劇に関われて充実させて貰ってるよ。感謝すれども謝られるような謂れは無いな。……けどさ、俺にとって大事だったのは舞台役者を続ける事じゃなかったんだ」
マシロの膝からゆっくりと体を起こすと悲痛な表情を浮かべているマシロへと向き直り笑いかける影次。
それは言葉通り本心から彼女の自分への気遣いに対しての感謝を込めた笑みだった。
「俺は別に役者じゃなくても何でも良かったんだ。あいつらと……仲間たちといるのが何より大事な事だったんだ。舞台や役者稼業は確かに嫌いじゃあ無いけどこっちの世界でまでやりたいって程拘ってはないんだ」
「なら、やっぱり余計なお世話でしたよね……」
「そんな事無いよ、言っただろ? 充実してるって。実際もう滅茶苦茶大変だけど楽しいのも事実だしな。
影次の為に良かれと思っての行為だったのに逆にその影次当人から気を使われているように思ってしまうマシロ。こんな時サトラや姉だったらもっとスマートなやり方が出来るのだろうかと、配慮の足りなさを痛感させられ自分はまだまだ子供なのだと思い知らされてしまう。
「ん、湿っぽい話して悪かったな。マシロもずっと膝枕してくれてたから足痛いだろ? 部屋に戻ってちゃんと休もう」
「……何だか悔しいのでもうしばらくこうしててください」
部屋に戻ろうとしたところで襟首を捕まれ力任せにマシロのひざ元に引き戻される影次。引っ張られた際に首の辺りからグキッ、と嫌な音がした気がする。
年頃の女の子の太ももの上に押し戻され何事かと戸惑う影次を何故か拗ねたような表情のマシロが不機嫌声で押し止める。
「っ!? ま、マシロ?」
「煩いですね黙って大人しくしていてください氷漬けにしますよ」
「い、いや流石にいつまでもこの体制は絵面的にと言うかモラル的にと言うか……」
「湿っぽくした罰です」
「お前の膝枕は罰ゲームなの!?」
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