相対する劇団×不気味な水魔

 ようやく『木葉坂夢幻堂』も本格的な稽古を始める事が出来るようになり、この日の稽古は結局夜更けになるまで続けられた。そのせいで結局影次たちが宿に戻ってきたのは街の住人たちもすっかり寝静まった深夜の事だった。



「流石に疲れた……。と言うかお腹空いた……」


「随分と熱心な指導だったものな。私もお腹がペコペコだ……。何か食べるものがあればいいんだがこんな時間だし店はどこも閉まっているだろうな」


「ねむいです……」



 影次たちが宿に戻ると留守番をしていたジャンとシャーペイが上の階から降りてきた。その手には有難い事に屋台で購入したと思わしき紙袋が見える。



「お帰りなさいませエイジ殿。サトラ殿とマシロ殿も夜分までお疲れさまでしたな」


「キヒヒッ、感謝してよー? 全然帰ってこないからネズミ君が気を聞かせてエイジたちのご飯もちゃんと用意してくれてたんだから」


「ああ、本当にありがとう。感謝するよジャン」


「アタシには?」


「お前何もしてないだろ」



 ジャンが買っておいてくれたサーモンとチーズのサンドイッチで遅めの夕食を取る影次たち。電子レンジなど当然無いのですっかり冷めきってしまっていたが酸味を強めに利かせたマリネ状のサーモンと濃厚なチーズのサンドイッチは冷えていてもその美味しさを全く損ねていなかった。



「してエイジ殿、そちらの方は順調ですかな?」


「んっ……正直時間は全然足りないからな。本来ならみっちり基礎体力作りから発声訓練と柔軟と……やりたい事は幾らでもあるんだけど、兎に角今はひたすら演目を通しで繰り返しらせて体に叩き込ませるしかないな」


「それで『ジェンツーガバメント』に勝てるんでしょうか」


「無理だな。正攻法じゃまず勝ち目は無いな、向こうのほうが練度も経験値もクオリテイも何もかもずっと上だ。『木葉坂夢幻堂』が勝っている点と言ったら……女子がいるってくらいか」


「キヒヒッ、だったら可愛い女の子にイヤンな衣装着せてお客にアピールさせるっていうのはどう? ……はぁーい冗談ですゴメンよ謝るよだからそんな怖い顔して睨まないでよぅ……」



 シャーペイのしょうもない妄言はどうでもいいとして、確かに何かインパクトのある特色でも無ければ『木葉坂夢幻堂』に勝ち目は無い。

 とは言え残り三日……もうすぐ日付も変わるので実質二日でそんな起死回生の奇策が浮かぶ訳も無い。



「取り合えず今日はもう寝よう。エイジは明日も早くから彼らの稽古なんだろう?」


「……そうだな、とにかくやれる事をやるしかないんだ。どっちみち疲れた頭で名案が浮かぶ訳も無いし」



 既に夜も遅いのでもあり今夜はもう休む事に。それぞれ男女別で宿の部屋へと戻っていく。

明日もまた朝からみっちりと稽古漬けだ。それでどうにかなるとは思えないが妙案がある訳でも無いので当面はひたすら稽古を続けるしか無い。

 ようやく本気になった『木葉坂夢幻堂』をみすみす解散させてしまうのも心苦しいし、何より彼らに火をつけた影次はもはや部外者とは言えない。既に彼にも相応の責任があるのだ。



「ではまた明日、おやすみエイジ。ジャン殿」


「おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


「良い夢をですぞ」


「マーちゃんサトちゃんおやすみー」


「シャーペイはこっちの部屋ですよ!」










「……よし、それじゃあ一旦休憩! 30分後に再開します」


「はいっコーチ!!」


「休憩だからってダラダラしないように。今のうちにしっかり手足を揉み解しておいてください。後々筋肉痛になって演技に支障が出るような事が無いように」


「はい教官!!」


「水分も小まめにとるように。汗を沢山かいているので塩分補給も忘れないでください」


イエス、マイロード御意のままに!!」


「返事は普通に!!」



 公演本番まで本職を一時休業し別人のように稽古に励むようになった『木葉坂夢幻堂』の七名。影次の喝で全員に本気の覚悟と熱意が灯ったのは喜ばしい事なのだが、若干燃えすぎているような気がしなくもない。



「はぁ……皆さんすごいやる気ですね。エイジのあの熱い叱咤がよほど効いたのでしょうね」


「あれはもう忘れてくれ……」



 昨日と同様にジェンツーの街を出て外の空き地で『木葉坂夢幻堂』に稽古をつけている影次。マシロもすっかり当たり前のように付いてきており、少し離れたところで休憩を取っている劇団員たちの様子を影次の隣から眺めていた。



「自分でも似合わない事したと思ってるんだから掘り返さないでくれると嬉しいんだけど」


「そうですか? エイジの意外な一面を見られて嬉しかったですけど。もしかして元の世界で役者をしていた頃はいつもあんな感じだったんですか?」



「いやそれは流石に……無い、と思うけど」



 そう言われると実際どうだったかな、と思い返してみる影次だが……自分がどんな立ち振る舞いをしていたか、等とパッと思い出せる訳も無い。

 多分そこそこに落ち着いていてそこそこに芝居への情熱を持った青年だったのだろう……きっと。


 マシロとそんな他愛のない談笑をしていると突然二人の耳に激しく言い争う大声が聞こえてきた。


 声の聞こえてきた方へと視線を向けると『ジェンツーガバメント』の屈強な劇団員たちがまた昨日のように『木葉坂夢幻堂』に絡んでいた。

案外彼らも暇なのだろうか? もしかして単に『木葉坂』が好きなんじゃないだろうか、この人たち。



「まだ性懲りもなく演劇ごっこしてんのかコラァ! 仕事しろやコラァ!」


「よ、余計なお世話よ! 最終日の公演まで仕事はお休みよっ!」


「一日二日の付け焼刃で俺たちに勝てる訳ねえだろボケェ! 最初ハナっからお前らに勝ち目はねえんだよ大根役者にトンチキ脚本家の駄目要素詰め合わせセットどもがボケェ!」


「なっ……! みんなを大根役者呼ばわりは兎も角僕の脚本を愚弄するのは許さないぞ!?」


「いや大根呼ばわりも怒れよ」


「ごんす! ごんすごんすごんす!!」



 今回は『木葉坂夢幻堂』も一歩も引かず言い返している。どんどんヒートアップしていく両陣営、このままだと何時どちらからともなく手が出てしまい傷害沙汰になってしまうかもしれないので影次とマシロも慌てて彼らの元へと駆け寄っていく。



「お、おい逃げるぞ! またあのやべーコンビが来やがった!!」


「ずらかれ!! 氷漬けにされちまう!!」


「ヒィィッ!? た、助けて婆ちゃん……!」



 影次たちの顔を見るや否や屈強な男たちが蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げていく。

そんな『ジェンツーガバメント』の後ろ姿に向かって「おぼえてろ」だの「今に見てろ」だのと追い打ちをかけるように叫んでいる『木葉坂夢幻堂』の面々。

 ……台詞の中身が敗者のそれなのだが。



「大丈夫でしたか?」


「ええ、特に怪我もありません。また嫌味を言われただけですし」


「嫌味を言われただけ? バカを言うなギン! 奴らよりにもよって僕の至高にして究極な脚本をトンチキとか抜かしたんだぞ!? 許せるものか!万死に値する!」


「あたしらの事だって大根役者とか言ったのよあいつら! ああムカつく……! 今度うちの店来たら割引カードのポイントちょっぴり減らしてやるわ!」


「俺だって頭にきた! メンチカツにソースつけ忘れてやろうか」


「ごんす!」



 今までのように『ジェンツーガバメント』に絡まれても委縮する事なく、むしろ益々闘志を燃やす『木葉坂夢幻堂』。取り合えずその怒りは当日舞台の上でぶつけて貰いたい。くれぐれも仕事に私情を持ち込むんじゃない。



「はい、そろそろ稽古を再開しますよ。ほら気持ちを切り替えて!」


「そんな簡単に切り替えられるか! あいつら人が我慢してやってれば図に乗りやがって……!」



 『ジェンツーガバメント』からの野次に憤る面々を宥める影次だが自身が担当する脚本を虚仮にされたムジナの怒りは収まる気配が無かった。

 ムジナはしばらく頭を冷やす必要がありそうなので足を怪我して芝居の稽古に参加できないギンに彼を落ち着かせて貰い、残りのメンバーで引き続き稽古を再開する。



「すみませんギンさん。そちらはよろしくお願いします」


「任せといてください。こいつとは長い付き合いですし俺は今回舞台に立てませんからこういう事くらいでしか役に立てませんし。ほら、こっち来いムジナ」


「ああああ腹の虫が収まらない! 奴ら今からでもギタギタに……こう、ギッタギタに……!」


「はいはい愚痴ならいくらでも付き合ってやるって。みんなの邪魔にならないところにいこうな」



 ギンに引きずられる形で連れて行かれるムジナ。二人を見送ってから改めて残ったメンバーでの稽古が再開される。

 テンコ、センコ、タマモの三姉妹は元々素質があったのだろう。影次が一言二言指導するだけでめきめきとその演技力を向上させている。



「あ、あの……このシーンの読み合わせのお相手をして……ああぁすいませんすいません何でもないです何でもなくないですけど……」


「ちょ、ちょっと! 悪いところが無いんだったらちゃんと褒めなさいよ!」


「ムジナさんのパートの部分お願いしてもいいですかあ?」


「はいはい一度に言われても分からないんで一人ずつお願いします」



 シガラ、ショウフクの裏方チームも順調だ。小道具、衣装、背景パネルと次々に高クオリティかつ物凄いペースで作り上げていく。もしかしたら本業より天職なのではないだろうか。



「ごんす! ごんすっ!」


「ははっ、聞きましたかエイジさんショウフクがこんな事言うなんて」


「はいはい人の言葉で言われないと分からないんで通訳お願いします」



 本番まで残り二日、相変わらず絶望的に時間が無い事には変わりは無かったが劇団員全員、そして影次も何かが変わった、という確かな手応えを感じていた。

 例え勝負に負けて解散してしまったとしても、この経験は決して無駄にはならないだろう。



(……いや、勝負の前から後ろ向きな考え方していたら万が一すら起きないか)


「どうしました? 変な顔しちゃって」


「いやちょっと考え事……ってそこは普通難しい顔って言わない?」



 実際変な顔をしてしまっていたのかもしれないがマシロを心配させてしまったようだ。取り合えず今は『木葉坂夢幻堂』を鍛え上げる。それしかない。

 気を取り直して彼らの指導に戻ろうとした、まさにその時……。


 遠くから絹を裂くような男の野太い悲鳴が辺りに響き渡った。











「あ、足が……っ!! 俺の足がぁ……!?」



「ひぃぃっ!? た、助け、誰か助けてくれぇぇ!!」



 悲鳴を聞き付けてやってきた影次たちが見たのは、屈強な『ジェンツーガバメント』の劇団員たちが恐怖に慄きながらのたうち回っている光景だった。



「こ、こっち来んなぁ!! ヒッ! ぎゃあああああ!!?」



 次々と仲間たちを襲うそれ・・に足元に転がっていた木の枝や石を投げつける。だがそれ・・の体が投げつけられたそれらを自身の体内へと埋め込んでしまい、半透明の体は枝や石が体内で跡形もなく溶かされていく様子が鮮明に見せつけられる。



「す、液体魔獣スライム!? な、なんでこんなところに……」



 『ジェンツーガバメント』を襲っていたのはマシロの言う通り、巨大なスライムだった。


 縦横共に影次の身長ほどのサイズのうっすらと緑がかった球体。

一見すると巨大なマスカットゼリーのようにも見えて美味しそうに思えなくもなかったが、それ・・が這いずった後の地面は草も土も腐食し刺激臭のする白い煙を立てており……これに襲われた『ジェンツーガバメント』の男たちも手や足などを酷く爛れさせて悶え苦しんでいる。

 中には既に四肢の一部が完全に溶かされてしまっている者までおり、影次はスライムから遠ざけようと身動きの取れない負傷者たちへと駆け寄る。



「マシロ頼む!」


「鋭き氷刃、駆けて廻れ! 銀氷爪乱陣フロストリッパー!」



 マシロが放った鋭利な薄氷の刃がスライムを切り裂き、切断面から粘液状の体を凍結させる。スライムの動きが止まった隙に影次と『木葉坂夢幻堂』のメンバーたちが『ジェンツーガバメント』の劇団員たちの救助にあたる。



「どうしてこんなところに上級危険魔獣Aランカーのスライムが……本来ならダンジョンの中でしか生息していない筈なのに」



 マシロが訝しむ間に、凍結した筈のスライムが体表を覆う氷さえも溶かしてしまい、また動き始める。今度は目の前のマシロを標的に定め、決して素早い動きでは無いものの、一直線に向かっていく。



「皆さんは怪我人を連れて早く街に! ここは俺たちが何とかしますから!」


「そ、そんな危ないですよ!?」


「教会の、教会の人呼んでこないと……!」


「ごんす!」


「いいから早く!」



 『木葉坂夢幻堂』に『ジェンツーガバメント』の負傷者たちを任せジェンツーの街に戻らせると、影次は彼らの姿が十分離れ見えなくなったところでスライムに立ち塞がる様に対峙しているマシロの前に立つ。



〈Riser up! Blaze!〉


「騎甲変身!」


〈It's! so! WildSpeed!〉



 『ファングブレス』から放たれた球状のエネルギーフィールドに包まれ、影次が騎甲ライザーファングへと変身する。

 マシロに向かって飛び掛かってきたスライム目掛けて渾身の右ストレートで叩き落そうとするが被膜のようなものを突き破りファングの拳はほとんど抵抗もなくスライムの体内にまで突き刺さってしまった。

 手応えらしい手応えも無く気色の悪い感触が右手に纏わりつくとスライムの体に埋もれた右手に激しい痛みが走る。



「ぐっ……!?」



 ジュウジュウと嫌な音を立てながら薄い煙が上がりスライムの内部で腕が焼かれ……否、溶かされ始める。

 右腕を引き抜こうと反射的に左手でスライムの体を掴もうとするが同じように左腕も飲み込まれてしまう危険性があるので伸ばし掛けた左手を慌てて引っ込める。



「ブレイズ・レイ!」



 流体因子エネルギーブラッディフォースを収束させ双眸から熱光線として放つ。ファングの両目から発射された真紅のレーザービームが右腕を飲み込んでいたスライムを焼き貫き四散させる。



「だ、大丈夫ですかエイジ!?」


「ああ、大したことは……けど、これはちょっと厄介だな」



ファングの放った光線でバラバラに飛び散ったスライムだったがすぐに地面に散らばった自身の体を寄せ集めていき……数秒もすると元通りになってしまった。



「エイジ……このスライム明らかに異常です。本来スライムはダンジョンの中でしか生息していない生き物なんです。それに物理攻撃がほとんど効かない反面魔力に対する耐性がほとんど無い筈なのに私の氷魔法がほとんど通用しません」


「突然変異……って訳じゃなさそうだな。まさかライザーシステムの生体装甲まで溶かすとは、ビックリだ」



 本来の弱点である魔法も効かず、物理攻撃も通用しない。それだけ聞けばまるで無敵の怪物だ。

こんな危険な魔獣が街のすぐ目の前に以前からいたとも考えにくい……何となくではあるが何者かの意図を、人為的な作為を感じてしまう。



「とにかく、このブヨブヨを始末するのが先決だな」


「始末って、魔法も効きませんしどうすれば……」



 相変わらず鈍重な動きで、だが確実にこちらへと迫ってくるスライム。ファングはマシロに後ろで離れているようにと告げると、全身を血脈のように流れる流体因子エネルギーブラッディフォースを活性化させその出力を引き上げていく。



「強火で行くぞ……マシロ、ちょっと下がってろ!」



 両の手に流体因子エネルギーブラッディフォースが具現化した紅蓮の炎が灯り、燃え盛る。左右の手の炎が次第に胸の前で集められていき、それは球状の火球に形作られその大きさを、熱量を増大させていく。



「ブレイズ……インフェルノ!!」



 十分な大きさサイズに出来上がると紅蓮の火球を真っ向から迫りくるスライム目掛け、勢いよく投げ放つ。

自身と同等の大きさの業火球を撃ち込まれたスライムはマシロの氷魔法のようにその炎も体内に取り込み、溶かそうとするが魔力を元に形成されたマシロの氷とは違いこの火球は流体因子エネルギーブラッディフォースによって作り出されたものだ。


 溶かす事も出来ず体を内からも外からも焼かれていきスライムが段々と蒸発していき……十秒も経たず、地面に大きな焼け跡だけを残しスライムは跡形もなく消滅させられていた。

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