第3話 紅茶は大切です

「大丈夫よ。どうせシンガポールの陸軍司令部で紅茶の味が分かるのなんて山下おじさんだけだろうし、帝国海軍見渡したって博打オヤジとあたしらぐらいなもんだもの。無くなってたって気にしないわよ。」

ちなみに博打オヤジというのは現在の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将その人のことである。


いや、もう少しいると思うぞ。味が分かるの。

元々英国との結びつきの強い帝国海軍である。紅茶の味のわかる将校の数はそこまで少なくはないはずだが。

「でも英国王室御用達のフォートナム&メイソンの王室専用仕様の味が分かる人間がそんなにいるかしら。」

思考を読んだかの如く問いかけられた言葉に曽山の黙考は中断を強いられ、半ば固まったまま上官を見た。

その上官はにこやかに紅茶が注がれたティーカップを掲げて見せた。


一口に紅茶といってみてもそれらの品質や味はさまざまである。

さらには葉の摘む時期や抽出方法などによっても全く異なる味となり、専門の職人が抽出やブレンドなどを行って調整している。この部分に関しては経験と企業秘密の部分が多くあり、王室や貴族など特定の人々のための専用ブレンドも存在する。

つまりほんの一握りの人々の為に用意される紅茶も存在するのである。

特に英国王室向けの物は最高級の茶葉を用いてフォートナム&メイソンの秘伝レシピでブレンドされて王室へ献上されるため、王室の関係者しか基本的に飲むことはない。後は諸外国の来賓などで訪れた際に供されるぐらいだが、一介の海軍軍人が味わう機会はまずないだろう。


この上官はその王室専用仕様のフォートナム&メイソンの味を知っていて、かつ今回それをしれっと手に入れてきたのである。そして何も知らない一回の海軍軍人に飲ませたのである

「何もいわずに」

眩暈がするわ!

いや、これいったいいくらの値が付くものかわかったもんじゃないじゃないか。

特に英国との関係が悪化してのち英国からの紅茶の輸入量は激減している。その中でフォートナム&メイソンの最高級品で王室専用仕様なら飲みたがる貴種は少なくないはず。

そんなことを思い始めたとこにさらに燃料を投下するのがこの人である。

「ああ、大丈夫よ。全部かっぱらってきたんではもちろんないし。山下のおっちゃん陛下に献上する為にある程度は残してあるって言ってたから。せっかくなので味わって熱いうちに飲みなさいな。」

陛下に献上するやつ一部パクってきたのこれ。

「あ、左様でございますか。陛下への献上品をですか。そうですか。」

ゼンマイ細工の人形のごとくカクカクと動く腕を何とか動かして曽山は紅茶を味わうのであった。

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