エピローグ
そして二人はしあわせに。1
それから事前の計画通り、コレット王女と隣国の第二王子との婚約が早々に発表された。王女は是とは言わなかったが、自身の夢のために他者を不幸にしようとした罰なのか、国王の決定により当人の意思に構わず婚姻を決められてしまったらしい。ビニェス侯は今代の王妃だけでなく息子を利用して次代の王族にも縁を結びたがっていたので、この決定を大層残念がっていたそうだ。
エレナはあの夜会の場にいたフェルナンの姉であり王太子妃でもあるアマーリアに気に入られ、手紙のやりとりをする仲だ。個人的な茶会にも招待されている。
そうしてフェルナンにかけられていた灰かぶりの呪いは解け、エレナとフェルナンの想いは通じ合った。これからもバジェステロス公爵家で甘い暮らしが待っている──と思いきや、エレナは侍女の職を辞し、マルケス子爵家へと帰ることになった。
それも当然のことである。エレナは子爵家の令嬢だ。貴族の娘が嫁入り前に相手の家に住んでいるなど、許されることではない。エレナはその慣習に則って、一度実家に戻り、式のその日まで嫁入り修行をしているのだ。嫁入り修行と言っても家事の勉強ではなく、家庭教師による公爵家の女主人となるための勉強だ。エレナは掃除や旦那様のお世話なら公爵家で学んでいたが、公爵家に嫁ぐとなると、侍女仕えで身につけた能力の多くは意味がないものになってしまったと言えるだろう。
また残念なのは、エレナが実家に帰ってしまうと、途端にフェルナンに会う機会が減ってしまったことだった。休日には予定を合わせてデート、と言いたいところだが、フェルナンは大層忙しい。ましてあの後で次期宰相に内定し、今は普段の仕事と領地の管理以外にも、宰相に付いて仕事を教わっているらしい。
それでも今日は別だ。エレナはフェルナンと約束をして、二人で外出することになっている。つまりデートだ。
エレナは朝から気合いを入れて準備していた。髪は軽く巻いて編み込みにして、実家に戻ってから母親に教わってようやく習得した化粧をした。服は冬らしくベロアの白いドレスに、縁に毛皮が付いている明茶色の革のドレスコートを合わせた。上品でかつ可愛らしい印象の組み合わせだ。
もう一度鏡の前で自分の姿を確認する。自分でも良い仕上がりだと思った。それでも不安が残るのは、やはり、すっかりその美貌を隠すことがなくなったフェルナンの隣に立つことになるから、だろうか。こうしていると、小さいことが気になってくる。口紅の色はこれで良かっただろうか、髪飾りは似合っているだろうか。
やはり少し手直ししようか。そう思ってもう一度鏡台に向かおうと思ったそのとき、廊下の奥の方から、母親がエレナを呼ぶ大きな声が聞こえた。
「エレナー、お迎え来たわよー!」
フェルナンがやってきたようだ。エレナは直す必要がなかったものを直すのを諦め、それでも充分なはずだと鏡に向かって頷いた。
「すぐ行きまーす!」
大きな声で返事をしてから、フェルナンにも聞かれているだろうことに思い至る。失敗したと思ったが、もう遅い。
せめて騒がしい足音は立てないようにと努めて廊下を急ぐ。フェルナンの待つ応接間の扉の前で、エレナほゆっくりと深呼吸した。
「ふふ……相変わらず、元気ですね」
「申し訳ございません、フェルナン様。少々お待ちくださいませね」
フェルナンの微笑ましげな笑い声と、対応してくれている母親の苦笑が耳に痛い。しかしそんな内容でも、久しぶりに聞いたフェルナンの声は優しく、その低すぎない甘い音に不覚にもどきどきした。エレナは恥ずかしくて頬が赤くなるのを自覚しつつ、そっと扉を叩いた。
「フェルナン様、お待たせいたしました」
フェルナンは椅子に座って、母親と共に茶を飲んでいたようだった。白いセーターに、灰色の格子柄のズボンを履いて、黒いジャケットを合わせている。モノトーンで纏めた組み合わせだが、チーフは臙脂色で大人な印象だった。
「ああ……久しぶり」
エレナが軽く頭を下げると、フェルナンは暫しエレナを見て、それから目を細めて小さく頷いた。エレナほその反応が不思議で首を傾げる。
「お久しぶり、です。──あの、どうかなさいましたか?」
「今日も綺麗だなと、改めて思ってね」
綺麗だと言ってくれたということは、先程鏡の前で気になったことは、どうやら問題なかったようだ。エレナは内心で安堵する。だがそれ以上に、何よりその率直な褒め言葉が恥ずかしかった。
「突然何を仰っているのですか!」
「ふふ、ごめんごめん。──行こうか」
フェルナンが差し出した手に、右手を預ける。その手をぎゅっと握られた。このくらいで動揺していては、今日一日もつ気がしない。エレナは気合いを入れて、できるだけ平静を保つよう努力しようと決めた。
「はい……っ。お母様、行ってまいります」
「楽しんできなね! フェルナン様、エレナをお願いいたします」
「はい、ありがとうございます。命に換えても守るつもりです」
フェルナンは当然のことのようにさらりとそんな大袈裟なことを言ってのけた。エレナはあまりのことに顔を痙攣らせる。しかし母親は、うっとりとした表情でフェルナンに見入っていた。
命に換えても守るって、ちょっと街に出かけるだけだ。そんな危険が転がってはいないだろう。そもそもフェルナンには護衛もいるわけで。
「そんな大袈裟なものではございませんよ」
「いや、僕にはそれくらいの覚悟、ということだよ」
「な、何を……っ!」
今度こそ、エレナは耐えられなかった。
母親に笑われながら見送られ、バジェステロス公爵家の馬車に揺られる。街までの短い時間だが、馬車の中に二人きりだ。バジェステロス公爵家で働いていたときでも、二人きりの場面はかなり少なかった。だからだろうか、いつもよりずっと緊張する。エレナはドレスの影で、ぎゅっと拳を握っていた。
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