あなたと、一歩先へ。7

 唐突に向けられた問いに、エレナはぴしりと固まった。


「え、あの──」


「ねえ、わたくしの方が、彼の隣には似合うと思うの。だから良いでしょう?」


 コレットはエレナに構わず、はっきりとそう言ってのける。コレットの言う通りなのだろうか。エレナは所詮子爵家令嬢で、侍女で、王女とは比べるも烏滸がましい身分だ。別れさせるのなど、簡単なことなのだろうか。

 なおも硬直し黙ったまま不安に瞳を揺らしたエレナに、フェルナンが向き直って真剣な目を向けた。


「エレナ、そんなことはない。大丈夫、大丈夫だよ」


 エレナの背中を、フェルナンの手がゆっくりと上下に撫でる。それが心地良く、少しずつエレナは余計な力を抜いた。

 落ち着いて見ると、コレットは国王から厳しい目を向けられているようだ。


「コレット、いい加減にせんか」


 しかしコレットは自信に満ち溢れた笑顔で、なおも父親である国王に言い返す。


「お父様だって、わたくしが公爵様に嫁いだら良いと思っていらっしゃったのでしょう? ねえ、公爵様。わたくしと結婚してくださったら、呪いも解いて差し上げますわよ」


 そして、当然とばかりにフェルナンに笑いかける。

 何という言い草だろう、呪ったのはコレットではなかったのか。それにフェルナン曰く、コレットは呪うだけ呪って、その解き方は知らないはずだった。そもそも呪いは解けているので、今更提示できる条件ではないが。

 あまりの言葉に、国王がコレットを止めにかかる。


「コレット──」


 しかしエレナはそれを待たずに、コレットに言い返すために口を開いた。


「申し訳ございません。私、たとえ殿下であっても、お譲りするつもりはございませんわ」


 こんなこと普段のエレナならば決してしない。国王の言葉を遮り、王女であるコレットに正面から歯向かうなど、命知らずな行為だ。


「……エレナ」


 フェルナンが目を丸くして、ぽつりと呟く。驚かせてしまっただろうか。だが、今は立ち止まるつもりもなかった。


「フェルナン様は私を選んでくださいました。私も、フェルナン様を愛しております。呪いは、既に解けております。──陛下は、それでも私共を引き離されますでしょうか」


 コレットに向かって一気に話して、そのまま正面に座る国王を見た。国王はエレナの瞳をじっと見つめる。怖い。心臓がどうにかなってしまいそうだ。深紅の瞳が直接向けられることで、こんなに恐怖するとは思わなかった。これが、国王の威厳というものなのだろうか。

 だが事態はエレナが心配したようにはならなかった。国王がその目を細めて、困ったように笑い出したのだ。


「──……っ、そんなことをしてフェルナンに見限られてしまったら、国として大きな損失だな。嫌な思いをさせてしまった。二人とも、もう行ってよい。──コレット、反省しなさい」


 視線を逸らされた瞬間、身体の力が抜ける。よろけてしまったエレナはフェルナンの力強い腕によって支えられた。何ということをしてしまったのか。おずおずと顔を上げたエレナは、そこにあったフェルナンの表情に──その瞳に、驚きを隠せない。なんて、曇りのない灰色だろう。


「お父様、どうして!?」


「お主の我儘で、これまで彼にどれだけの不便をかけたか分かっておるのか! 今日はもう退がれ。指示があるまで、自室から出ることは我が禁ずる」


「そんな……!」


 コレットの小さい悲鳴がした。国王もコレットに対して腹に据えかねるところがあったらしい。エレナが現状を正しく理解する前に、国王は隣に座っていた王妃の肩を軽く叩く。


「すまない。連れていってもらえるか」


 王妃は頷いて、口を開いた。


「分かりましたわ。──ほら、コレット。行きますよ」


 それはとても上品で聞く者の心を包み込むような、それでいて逆らう気など一切起こせないような、強く美しい声だ。コレットは手首を掴まれながら、なおも言い募る。


「お母様まで! どうして、どうして……」


「ゆっくりお話しましょうね」


 ぽろぽろと泣き出してしまったコレットを、王妃がほとんど引き摺るような勢いで大広間から連れていった。側にいた何人かの侍従と侍女が、慌てた様子でそれを追いかけた。

 国王が、深く深く本日何度目かの溜息を吐く。


「──本当にすまなかった、父親としてお詫びする。どうかこちらのことは気にしないでくれ」


 国王が謝罪するとは何事かと思ったが、これはその言葉の通り、一人の父親としての謝罪なのだろう。ならば受けないことこそ非礼だ。エレナはフェルナンと共に、椅子に座ったまま頭を下げる国王よりも深く礼をした。


「王女殿下は」


「あれには自由にさせすぎた。幸い良い縁談があるから、心配しないでくれたまえ」


 エレナは息を呑んだ。それはつまり、嫁ぎ先を決めてさっさと降嫁させる、ということだろう。候補があるのなら、本当にすぐに決まってしまうのかもしれない。エレナは内心で合掌した。


「お気遣いありがとうございます、陛下。エレナ、行こう」


 フェルナンがエレナの手を引く。正直、エレナはこの場所から逃げ出せることが心から嬉しかった。フェルナンはそんな気持ちもお見通しだったのか、どんどん会場の端の方へと向かっていく。途中で葡萄酒が入ったグラスを二つ受け取って、そのまま誰もいないバルコニーへと出た。

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