あなたと、一歩先へ。6

 エレナはフェルナンのリードに合わせてステップを踏んだ。フェルナンと踊るのはとても楽しく、想いが通じ合った今となっては甘さまで追加され、より心が満たされる。しかし今のエレナは、それに浸りきるほど集中できていなかった。それどころか、周囲が気になって、姿勢と表情を保つだけで精一杯だ。


「フェルナン様、見られている気がするのですが……」


 明らかに、皆の視線が突き刺さってくる。フェルナンが素顔を晒し、更に先程エレナの両親と話をしたことで、注目を集めているのか。こうなってくると共にいるエレナが平凡すぎて居た堪れなくなる。


「そうだね。エレナが綺麗だからだよ」


「違いますよっ」


 甘く穏やかに微笑むフェルナンは、衆目を集めることに慣れているのだろうか。まっすぐこちらに向けた瞳を逸らすこともない。エレナが一人で慌てているのが馬鹿みたいだ。


「周りなんて気にしなくて良いよ。少なくとも、今はね」


 少なくとも今は、とはどういう意味だろう。疑問に思ったエレナに、フェルナンはくすりと笑ってターンを促した。一度離れてくるりと回り、引き寄せられる。瞬間改めて触れた身体の熱が、エレナの意識をフェルナンに釘付けにした。それからはもうフェルナンしか見えなかった。これまでのどの夜会のダンスよりも幸福に浸って、気付けば二曲続けて踊っていた。

 会場の端に戻って果実酒で喉を潤そうかと話しながら歩いていると、知り合いらしい男性がフェルナンに声をかけてきた。どうやらかなり親しい相手のようで、フェルナンも気安く話している。何となくそれを眺めながら、エレナがすぐ近くで控えめにグラスを傾けていると、話がひと段落したらしいフェルナンが振り返った。


「エレナ、陛下がお呼びみたいだ。僕と来てくれるかな」


 国王に呼ばれていると言われ、エレナは息を呑む。国王を近くで見るのはデビュタント以来だ。エレナの父親よりも歳上の、父親よりも覇気がある男性だったように思う。


「──……っ、かしこまりました」


 フェルナンが落ち着いていることに驚くが、冷静に考えると、その立場と仕事からして、国王に会うことも日常になっているのだろうと分かる。

 エスコートに任せて移動すると、大広間の一段高いところに、王族の席が設けられていた。中でも最も立派な椅子に座っているのが国王だ。


「フェルナン、お主が噂の娘と一緒だと聞いてな。我も見てみたくなった。……だが、お主自身も随分騒がれているな」


 フェルナンとエレナが礼をするよりも先に、国王がフェルナンに話しかけた。フェルナンは略式で軽く頭を下げ、口を開く。


「恐れ入ります。ですが私は、少々髪を切っただけでございますので」


 国王がらしくもなくぽかんと口を開けた。エレナもその反応に同意したい。確かに長さは少々だが、それによる変化は少々では済まないだろう。

 国王は声を押し殺して笑い始めた。


「くく……そうか。確かに、少々と言えば少々だろうな……っ。ならば、その娘を我に紹介してくれるか?」


「勿論でございます。──エレナ」


 エレナは一歩前に出た。笑顔を貼り付けて、優雅に見えるようにドレスを軽く摘む。こんな挨拶、滅多にするものではない。


「エレナ・マルケスと申します。本日は私のような者にご挨拶の機会を──」


 国民の誰もが知っているその男性は、緊張しながらも慣れない王族への礼をしたエレナに、親しげに笑いかけた。


「ああ、堅苦しいのは良い。マルケスというと、子爵の娘か。……ふむ。フェルナン、お主もとうとう落ち着くか」


 悪戯な笑みは、国王を年齢よりもずっと若々しく見せる。この様子からして、国王は本当にフェルナンを信頼しているのだろう。次期宰相にと目されるのも頷ける。

 フェルナンは慣れているのか、それが当然とばかりの笑顔だ。


「恐れ入りま──」


「お父様、本当に彼がフェルナン様だと仰るの?」


 その会話に割り込んできたのは、女性らしいやや甲高い声だった。エレナが突然のことにはっとそちらに目をやると、装飾の多い桃色のドレスに身を包んだ小柄な女性がいる。丁寧に梳られているのが分かる艶やかな髪と、見た者のほとんどが可愛いと評するであろう容貌を持つその女性は、エレナとあまり年齢が変わらないように見えた。


「コレット。今は我が話しておるのだ」


 コレット──と、国王が呼んだ名前にエレナは目を見開いた。それは、王女の名前だ。隣で笑顔を引き攣らせているフェルナンを見るに、おそらく、フェルナンに呪いをかけた張本人だろう。

 驚くエレナには全く構わず、コレットは話を続ける。


「申し訳ございません、お父様。でも、フェルナン様って、本当ですの?」


 コレットはフェルナンをちらちらと窺っている。


「彼の他にバジェステロス公爵などおらぬ。これまでと大して変わってはいないだろう」


 国王が溜息を吐いた。しかしコレットは両手をそれぞれの頬に当てている。恥じらっているのか、目尻が朱に染まっていた。


「大違いでございますわ! こんなに素敵な殿方でしたら、わたくし、お相手をして差し上げてもよろしくてよ」


 エレナはその台詞にまた驚いた。


「何を言っておる! お主のせいで彼にどれだけ苦労をかけてきたと思っておるのだ?」


「あんな姿の殿方なんて、嫌だったのですもの。最初からこの姿でわたくしに跪いてくだされば、わたくしだって、無碍にはしませんでしたわ」


 何を言っているのだろう。運命の恋とやらを夢見て、フェルナンとの縁談を反故にするため、わけの分からない呪いをかけたのではなかったのか。運命が見た目でころころ変わるのか。

 エレナは沸き上がる怒りと不安に目を伏せた。その気持ちが伝わってしまったのか、腰を支えていたフェルナンの手が、エレナをぐっと引き寄せる。エレナが顔を上げてその表情を窺うと、フェルナンは浮かべていたはずの笑みを消して、まっすぐに前を見ていた。


「殿下。以前あったお話は、既に無効となっております。それに、私には心に決めた女性が──」


「あら。そんなの、わたくしが優先に決まっているわ」


 コレットは、そうでしょう、とエレナに満面の笑みを向けた。

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