あなたと、一歩先へ。5
エレナが王宮の大広間にやってくるのは、年始の宴以来だった。頭上ではどの貴族の邸よりも立派なシャンデリアが光を反射しており、会場に集まった貴族達は皆華やかな衣装を身に纏っている。
そんな場においても、フェルナンは注目を集めていた。黒髪に灰色の衣装で自身が誰かを主張しながらも、涼やかな目と整った容貌を惜しげもなく見せているのだから、それも当然と言えよう。隣にいるエレナは、全くもって落ち着かない。
しかしそれよりも、今のエレナには差し迫った問題があった。
「月見の宴って、お母様とお父様もいるんじゃ……」
そう。両親には、エミリオとの見合いの件があって以降、一度も会っていない。エレナ自身それどころではなかったし、フェルナンとこのような関係になったのは昨日だ。紹介をする間もなかった。
「大丈夫だよ。僕といるのに、エレナが叱られるはずがないだろう?」
エレナはフェルナンの上がった口角を見て、苦笑した。
「フェルナン様……確信犯ですね」
「ふふ、これくらい得がないと、公爵なんてやってられないよ」
それはフェルナンだからこそ言えることだろう。エレナの父親はマルケス子爵家の当主だ。つまり、公爵であるフェルナンよりも格下であり、かつバジェステロス公爵家の傘下でもあるマルケス子爵家が、逆らえるはずがないと言っているのだ。
恋愛に貴族の階級を持ち込むのは狡いとも思うが、それを冷静に考えるのがフェルナンなのだろう。
「──エレナ?」
会場の奥の方へと進んでいると、壁際とまでは言い切れない辺りで、不意に名前を呼ばれた。とても見知った声で、エレナはゆっくりとそちらに顔を向ける。
「お父様、お母様! ええと……お久しぶりです」
そこにはまさに今噂をした通り、エレナの両親がいた。父親はエレナを驚きの目で見詰めている。その表情は険しく、エレナが幼い頃、街で逸れて迷子になって叱られたときと、同じような顔だった。
「エレナ、こちらの方は?」
低い声に、びくりと肩が震える。
「あ、あのね。驚かないでほしいんだけど──」
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私、フェルナン・バジェステロスと申します。本日はエレナ嬢のパートナーを務めさせていただいております」
エレナの言葉を遮って、フェルナンは一歩前に出た。軽く頭を下げて、やはりエレナよりも歳上らしい丁寧な挨拶をする。父親は固まり、母親は目をきらきらと輝かせた。
「──あらあらあら、まあ!」
「お母様っ」
エレナはその反応が恥ずかしく、慌てて手を左右に振ってそれ以上の言葉を制止した。上品も何も今だけはどうでも良い。とにかく、この場での詮索を止めてほしかった。先程から、周囲の貴族がちらちらとこちらを気にしているのがとても気になるのだ。
フェルナンが困ったように眉を下げる。
「順序が逆になってしまいましたが、後日、改めてお時間を頂きたく存じます」
「そんな、固くならないでくださいな。うちの子を好いてくださっているのでしょう? ありがとうございます」
エレナの母親はこんなときでもあっけらかんと笑っている。
「何言って──」
「はい。誓って、幸せにします」
そのフェルナンの言葉はあまりに率直で、エレナは息を呑んで何も言えなくなってしまった。フェルナンは王宮の大広間で、他の人も聞いている中、エレナの親に向かって、何ということを言ったのか。
しかも、この化粧をしたエレナの顔を知る者は少ないが、エレナの両親を知る者は多くいる。フェルナンのパートナーがマルケス子爵家の娘だと、皆が気付いただろう。
エレナはどうしても赤くなる頬を少しでも隠そうと軽く俯いた。流石にこれは予想していなかった。
「まあ、素敵」
両手を合わせて嬉しそうな母親と、反対に顔を青くして、最早睨んでいると言って良いほどの表情の父親。エレナは頭を抱えたくなった。
「エレナ、どういうことだ」
「お父様……」
カルダン伯爵家との見合いを断ったのに、すぐまた別の男性を連れていれば、こんな顔をされるのも当然だろう。返事に困ったエレナの頭を、フェルナンがぽんと軽く叩いた。
「私が願ったことです。どうか、お叱りは私に」
エレナの父親は苦虫を噛み潰したような表情を、無理に笑顔にしたようだった。頬がぴくぴくと引き攣っているのが分かる。
エレナがはらはらしていると、母親がくすくすと笑って父親の肩を何度か叩く。それでやっと肩の力が抜けた父親は、ちらりとエレナの方を見てから、フェルナンに向かって口を開いた。
「公爵殿。──分かりました。今度、是非我が家にいらしてください。歓迎いたしますよ。叱ることなどございませんから」
「ありがとうございます」
「あ……ありがとう、お父様!」
一礼したフェルナンと一緒にエレナも頭を下げた。母親が父親に見えないように、今のうちに退散しろと手振りで急かしている。エレナはフェルナンの袖を軽く引いてそれを伝え、簡単な挨拶をしてその場を離れた。
「エレナの家に挨拶に行くとき、僕、一発くらい殴られるかな」
「そんな、まさか!」
フェルナンでもこんな冗談を言うのかと、エレナは思わず吹き出した。しかしフェルナンは小さく溜息を吐いて、覚悟しよう、などと呟いている。
二人が会場の端でシャンパングラスを片手に少し休んでいる間に、王族によるファーストダンスが終わったようだ。華やかな曲に、流れるように次々とダンスフロアに人が移動していく。
「エレナ、踊ろうか」
「はい、喜んで」
フェルナンが差し出した手に、エレナは手を重ねた。恋人役としてではなく、ちゃんとしたパートナーとして。
灰色で揃えた二人は、その美しい姿と幸せを煮詰めて固めたようなダンスで、羨望の目を向けられていた。華やかな色合いが溢れる中、この一時最も輝いていたのは、他の誰でもない、灰に身を包んだフェルナンとエレナだった。
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