主人公にはなれなくて。4

 エレナと裏門前で別れ、フェルナンは正門を通って正面玄関から帰宅した。サルーンにはバルドがいて、フェルナンの姿を確認すると頭を下げた。


「おかえりなさいませ、フェルナン様」


「ただいま、一度部屋へ」


 バルドは頷いて、フェルナンの一歩後ろをついてくる。フェルナンは階段を上って、執務室へと向かった。

 部屋の扉を閉めて、早速口を開く。


「変わりはなかった?」


「はい、何事もございませんでした。外出に気付いている者も、エレナの友人以外にはいないでしょう」


 その言葉を聞いて、フェルナンは執務机の椅子に座った。


「そうか、良かった……」


 背凭れに身体を預けて、ほっと息を吐く。エレナを連れ出すことで、使用人の間で心無い噂などが立ったらどうしようかと思っていたのだ。フェルナンの護衛と御者にはその職務上特に口の硬い者を選んでいるし、使用人も問題を起こすような者は採用していないつもりだが、とにかくバジェステロス公爵邸は広いため、使用人の数も多いのだ。気付かれないのが一番良い。それならば二人で出かけなければ良いと言われるだろうが、好意ある女性と外出できる機会を自ら不意にするような男性がどこにいるのか。


「楽しかったですか?」


 バルドがそう言って口角を上げた。先代の頃から働いてくれているバルドは、使用人の中で最も信頼できる人間だ。しかし若い頃は女性に放っておかれなかったであろう、皺が目立ってもいまだ魅力を失わないその顔で揶揄われると、フェルナンとしては気恥ずかしい。子供の頃から知られている弱みもあるだろう。


「何?」


「ご機嫌がよろしいようでしたので。エレナのこと、気に入っていらっしゃるのでしょう? もしフェルナン様がそのつもりでしたら──」


「そうだね」


 バルドが言いたいことは、フェルナンも分かっているつもりだ。それでも素直に頷くことはできなかった。

 王女によって呪われているこの身と、どうしても敵が多いこの立場。政局的な敵は仕方がないが、フェルナンを若者と侮って陥れようとする者や、金品を目当てに弱みを探そうとする者もいる。

 エレナは子爵令嬢だ。明るく、可愛く、ふとしたことにもよく気が付いてくれる。そして、マルケス子爵家には借金も後ろ暗いところもない。フェルナンが何もしなければ、良縁で伯爵家の嫡男あたり、上を狙わなければ手堅く男爵家の嫡男とでも縁は結べるだろう。その方が、下手にフェルナンと縁を結んで公爵夫人などになるよりも、ずっと苦労が少ない人生を送れる。


「少し、考えさせてほしい」


 フェルナンが欲しいと言ってしまえば、エレナは断れないだろう。だからこそ、慎重にならざるを得ない。バルドはフェルナンの気持ちを察しているのか、一礼して退室した。


「──本当に眠るつもりは、無かったんだけどな」


 今日の外出で、エレナには休むと言って目を閉じたが、フェルナンは本当に眠るつもりはなかった。フェルナンが目を閉じれば、エレナが気にせず本を楽しめると思ったのだ。しかし薄目でエレナを見ているうち、心地良い天候と穏やかな雰囲気に、自然と眠ってしまったのだ。

 眠りは深いが寝入りが悪いフェルナンにとって、屋外で、しかも女性と二人きりの場面で寝入るなど、本当に珍しいことだった。





「ご主人様、おはようございます」


 落ち着いた、少し高い声が聞こえる。目を開くと、薄布越しにエレナの姿が見えた。


「おはよう」


 以前エレナを寝台に引き摺り込んでしまってから、フェルナンは朝起床の際には意識して起きるよう心がけている。最初の頃こそ上手くいかずに何度もエレナに迷惑をかけたが、今は同じようなことにはならない。

 昨日の外出のときのことは、気を抜いてしまったことが原因だ。


「こちらにお湯がございますのでお使いください。お召し物のご用意をして参ります」


 エレナがぱたぱたと部屋を横切って、衣装部屋へと消えていく。優秀なフェルナンの専属侍女は、いつも夕方までに翌日の服をほとんど決めておいて、当日の朝の天気を確認してから、服を選び直して、フェルナンに渡してくれる。天気が悪いときは色落ちしにくい素材のものを、晴れた日には太陽に負けない配色を、エレナは選んでくれていた。


「では、こちらでお願いいたします!」


 このときエレナは、フェルナンが服を受け取るまで、いつも少し緊張して、どこか不安そうにしているように見える。差し出された服を受け取るときに感じる不思議な熱は、エレナが今日も頑張ってフェルナンの服を選んでくれた証だ。そう思うと、口元が緩む。


「ふ……っ、ありがとう、エレナ」


 フェルナンの服を選び、呪いの影響なく着てもらうことがエレナの仕事の中で最も重要なことだと思っているのだろう。事実だが、フェルナンにとって今は少し違った。いつからか、エレナがフェルナンの着替えた姿を見て、安心したように嬉しそうに顔を緩めるのを見るのが、フェルナンには一番重要なことになっていた。


「いってらっしゃいませ」


 今日も、エレナは玄関でバルドと共に見送ってくれる。それに暖かさを感じながら、王宮へと向かう。家人は一人だけの大きすぎる邸だが、フェルナンにとってその意味は確かに変わろうとしていた。

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