第5章
主人公にはなれなくて。1
そしてそれから五日が経ち、エレナは寝台の上に服を並べて、一人唸っていた。
明日はあの夜会の後の最初の休日だ。つまり、フェルナンに一緒に出かけようと誘われた日だ。何度かどこに行くかを聞いたがはぐらかされ、動きやすい靴にするようにと言われた。だからきっと屋外なのだろうと思ったが、どこかは分からない。季節は巡り、もう夏も終わりに近付いている。朝晩は肌寒いこともある季節だ。羽織る物が必要だろうか。できるだけ可愛く見られるように……。
「だから、そういうのじゃないって! うん、違うわ。ただ、一緒に出かけるだけだもの」
エレナは無意識のうちに手に取っていた、手持ちの中で一番良いワンピースドレスを慌ててクローゼットに戻した。
「でも、休日を指定されるってことは、プライベートでってことで……」
今度は、お気に入りのロングスカートを手に取る。大人っぽく見えるので気に入っているものだ。せっかくフェルナンから誘ってもらったデートなのだから、お洒落して会いたい。そこまで考えて、エレナはまた首を振る。
男女二人で出かけることをデートと言う。ロマンス小説の中の常識であるその当然の事実が、エレナを追い込んでいる。無理に誘ってくるエミリオと会っていたときには、服に悩むことなどなかった。いつもの服をローテーションで着るだけだったからだ。
こんなに悩むのは、相手がフェルナンだからだ。
「違うったら違う!」
それはフェルナンへの感情が特別であるかのようで、またエレナは首を振った。
そのとき、入り口の扉が軽く叩かれた。返事をして扉を開けると、部屋着姿のクララが立っていた。お互いもう後は眠るだけの時間だからだ。突然の来訪にエレナは首を傾げ
「実家から新しいお酒を貰ったから、一緒に飲もうと思って。──何してるの?」
クララは室内の惨状を見て呆れたように嘆息した。
「エレナ、何これ?」
「ごめん、クララ。ちょっと今、部屋が汚くて……」
エレナが苦笑して言うと、クララはもう一度室内の様子に目を向け、ゆっくりと観察した。そして、寝台の上に置かれた幾つもの服と、床に置かれた靴を見て、にやりと笑う。
「汚いとかじゃなくて、服が散らかってるんじゃない。こんなことこれまで……あっ、デート?」
「そんなのじゃないわよ!?」
エレナは即答したが、クララは信じていないようだ。さらに質問を重ねてくる。
「じゃあ何?」
「明日、出かける約束をして」
「男の人?」
「うん」
「それをデートって言うんじゃない」
クララは、分かってるんでしょ、と言って、机の上の本を手で指し示す。クララも同じものを持っている、ロマンス小説だ。
「その本にも書いてあるわよ。デートは特別に想う男女が、二人で出かけることよ」
「なら、違うわ。……特別になんて、想われていないもの」
エレナは視線をすうっと横に逸らした。エレナはフェルナンを素敵だと思ってしまっているが、フェルナンにとってはそうではないだろう。むしろフェルナンはバジェステロス公爵なのだから、エレナの実家では、格が足りないのではないか。
しかしエレナのそんな逡巡には気付かず、クララは朗らかに笑った。
「ふふふ。じゃあ、お酒はまた誘うね。頑張ってー」
エレナはクララが誤解したままなことに気付いたが、言ったところで意味もないと思った。だから否定の言葉の代わりに、おやすみ、と言って見送る。そしてまたクローゼットに向かい、頭を悩ませたのだった。
結局寝不足ぎりぎりの時間に服は決まり、エレナは一度制服に着替え、フェルナンの部屋で服を選んでから、自室に戻って身支度をした。時間はかかるが仕方ない。
手早く終わらせて外出しようとしていたエレナは、寮の入り口で侍女長に引き止められた。
「そのままではなりません」
「侍女長?」
「こちらへ来てください」
いつものように制服を誰よりもきっちりと着こなしている侍女長に手を掴まれたエレナは、本邸の客間の一室へと連れ込まれた。
「お化粧をさせていただきます」
そこはエレナが夜会に行くときにも使わせてもらっている部屋だ。ドレッサーの前の椅子を、侍女長が引く。
「座ってください」
「でも私──」
プライベートで出かけるのに侍女長に化粧をしてもらうのは申し訳ないし、フェルナンも待たせてしまうのではないか。
迷ったエレナに、侍女長ははっきりと言い切った。
「フェルナン様にはお待ちいただけば良いのです!」
宣言どおり、きっとしっかり待たせてしまっただろうフェルナンの元へとたどり着いたエレナは、真っ先に頭を下げた。
「お待たせして、申し訳ございませんでした!」
裏門のすぐ側で壁に寄りかかっていたフェルナンは、エレナに気付いて身体を起こした。すっきりとしたシルエットのシャツに、チェックのズボンを合わせたのはエレナだ。真夏を過ぎてしまったので、シンプルなベストも着ている。大人らしいシックな装いは、自分が選んだはずなのに、エレナの鼓動を高鳴らせる。
「いや、構わないよ。行こうか」
フェルナンがエレナの手を取り、馬車に乗るよう促した。素直に従い、向かい合わせに座る。
「今日も可愛いね。僕のためにありがとう」
今日のエレナは、レースがついた白いブラウスにミモレ丈の花柄のスカートを合わせ、ベージュのカーディガンを着ていた。動きやすい靴を指定されたので、服もそれに合わせて少しカジュアルにしたのだ。
色々悩んで決めた服で褒められたことは嬉しく、エレナは頬が緩むのを堪える。貴族として女性を褒めるのは社交辞令だ。真に受けてはいけない。
「ご主人様、私相手に社交辞令は結構ですよ。今日はどこへ行くのですか?」
「そんなつもりではないんだけどね」
フェルナンは苦笑した。エレナはあまりに可愛げがなかったかと反省する。しかしその後に続いた言葉で、反省を撤回した。
「それよりエレナ、今日は僕のパートナーだから。ご主人様、じゃないよね?」
「──……っ、フェルナン様! 誤魔化さないでくださいませ」
「駄目か」
「駄目でございます」
揶揄っている。絶対に、エレナを揶揄って遊んでいる。フェルナンが優しいだけの人間ではなく、ときには怖いことも、ワーカホリック気味なことも、意外と意地悪なことも知っていた。
「今日はね、エレナにゆっくりしてもらおうと思って」
「え?」
「休むにはぴったりな、特別な場所があるんだ」
フェルナンはそう言うと、それきり横を向いて、窓の外を見た。それはエレナに、今はこれ以上答えるつもりがないと示している。こうなってしまうと、エレナには待つことしかできない。エレナは馬車が止まるまで、何となく流れる景色を眺めていた。
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