これは恋ではありません!4
昨日は休日だったが、疲れが取れていないのが分かる。黙って立っていると、仕事中でも余計なことを考えて溜息が漏れてしまいそうだった。外はすっかり日が沈んでいる。エレナは玄関でフェルナンの帰宅を待っていた。
馬車の音が聞こえる。フェルナンの馬車だろうと、エレナは入り口の扉を開けた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。着替えの支度を頼むよ」
フェルナンが穏やかな声音で言う。エレナは頷いて、バルドと話を始めたフェルナンに背を向けた。
フェルナンは眠るときは夜着として一人でも着ることができる灰色のガウンを着ているが、帰宅後は一度楽な部屋着に着替えている。大分暑い日々が続いているから、部屋着の素材は麻にした。麻とはいえ肌触り良く織られたそれは、着心地も良さそうだ。エレナは部屋着を選び、上がってきたフェルナンに差し出した。
「ありがとう」
上着を預かり、クラヴァットのブローチを外す。冬よりも薄手ではあるが、夏でもこのスタイルを貫かねばならないのは随分大変そうだ。
フェルナンが部屋着を持って脱衣所に行こうとするのを、バルドが止めた。
「フェルナン様、お食事の前に少しお話が」
執務室で話をする場合、それは領地に関する話が多いようだ。場合によっては長くなる。
「着替えたら執務室に向かおう」
フェルナンが返事をして、脱衣所に入った。バルドは先に行くと言って部屋を出ていく。残されたエレナは、フェルナンの服を整えながら待っていた。
着替えを終えたフェルナンが出てきて、エレナは着ていた服を洗うものとしまうものに仕分け始める。
「エレナ、今日はそれを片付けたら良いよ。お疲れ様」
フェルナンとバルドの話が終わるのを待たなくても良いということだろう。正直、少しでも早く休みたかったエレナにはありがたいことだった。
「ありがとうございます」
「いや、お疲れ様」
部屋でフェルナンを見送って、エレナはほっと息を吐いた。とりあえず、気を張る時間は終わってくれたのだ。急いで片付けてさっさと寝てしまおう。
エレナは仕事を終えて寮の自室に戻った。入浴を済ませてから読書の時間も取らずにすぐに寝てしまったのは、間違いなく昨日の疲れのせいだった。
そして次の休日も、エレナはエミリオに連れ出されていた。仕事の休日を聞かれて素直に教えてしまった自分に腹が立つ。数日誤魔化して少なく伝えてしまえば良かった。
エミリオは機嫌良く買い物をして回っている。一人でも良いだろうに、わざわざエレナに同伴するようにとのことだ。
「エレナちゃん、次はここね」
エミリオは嬉々として貴族向けの高級服飾店を指差した。エレナも服屋を見るのは好きだが、興味のない男性の服を選ぶために連れ回されるのは全く楽しくない。
「ちょっと。俺といるんだから、そんなに嫌そうな顔しないでくれる」
眉間に皺を寄せたエミリオに、エレナは内心で罵詈雑言を吐きながら、作った笑顔を向けた。
「申し訳ございません」
次にエミリオが入った店はこれまでとはまた違っていた。小物を主に使っているようで、エミリオはガラスケース越しに並んでいるブローチを眺めている。エレナも少し離れたところで見てみると、カメオのデザインや宝石を埋め込んだもの、釉薬を溶かしたものなど種類は様々だった。
「それで、どっちが似合う? このブローチも良いよね」
エミリオに呼ばれて、エレナはすぐ近くまで寄った。いつの間にか店員に取り出させているのは、二つのブローチだ。どちらも襟に着けるものだろう。片方は艶消し加工がされたカメオのもので、もう片方は金の土台に小粒の宝石で花が描かれているものだった。
「そうですね……こちらの方がお似合いになりそうです」
しばらく悩んで、エレナは宝石の方を選んだ。個性的な服や華やかな色を好むエミリオには、艶消しされたものよりも、服に負けない小物が良いと思ったからだ。
しかしエミリオはやや不機嫌そうだ。もしかして、カメオの方が気に入っていたのだろうか。
「分かってないなー、エレナちゃん。こういうときは、どちらもお似合いで素敵ですよーって言うんだよ」
選んだものが間違っていたのではなかったようだ。それ自体には安堵したが、同時に納得がいかない。それならば、最初から聞かなければ良かったではないか。
「それは、申し訳ございませんでしたっ!」
エレナは全く気持ちのこもらない謝罪を吐き捨て、エミリオに背中を向ける。秘密を握られている以上、置いて帰ることはできなかった。
そんな日々が一か月も続けば、流石にエレナも余裕がなくなってきた。自由な時間が圧倒的に減ってしまったことも大きいが、自信のあった服飾について、エミリオから毎回何度も批判的なことを言われるのが心に刺さる。癒されたくて大好きなロマンス小説を読もうとしても、疲労から途中で眠ってしまうことが多かった。
「エレナの選んでくれる服は、いつもセンスが良いね。ありがとう」
休日を過ごした翌朝は、フェルナンが天使か神のように感じる。選んだ服を着て、気に入ってもらえる。それがどれだけ幸せなことか。
「いえ……あの」
感動しすぎて、咄嗟に言葉が出なかった。代わりに涙すら出てしまいそうだ。問題ないと思っていたが、実は傷付いていたのだろうか。
「何かあった?」
フェルナンがエレナの顔色を窺っている。優しさに勘違いしそうになるが、フェルナンはエレナにとっては雇い主だ。いち使用人のこんな悩みで、煩わせるわけにはいかない。
「──いいえ、なんでもございません。いってらっしゃいませ」
そんなにも表情に出ていただろうか。エレナは慌てて笑顔を作って、フェルナンを送り出した。
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