これは恋ではありません!3

 そして次の休日、エレナはカルダン伯爵邸の正門前にいた。まだ昼前のこの時間は、夏でも過ごしやすい気温だ。庭に小鳥がいるのだろう、塀の向こうから可愛らしい鳴き声が聞こえてくる。

 その長閑さとは裏腹に、最低限のマナーを備えた服装でエミリオを待つエレナの心の中は、平穏ではなかった。

 思い返してみれば、たしかにエミリオはエレナに失礼なことを言ったが、エレナもかっとなって飛び出してしまったのだ。そんな状況で見合いを続行しようと言うエミリオのことは信用できないが、まずはエレナから謝罪すべきだろう。

 ほどなくしてやってきたエミリオに、エレナは公爵家仕込みの礼でしっかりと腰を折る。


「先日は大変失礼いたしました」


「いや、構わないよ」


 許しを得て、エレナは顔を上げた。エミリオはやはりエレナから見れば派手な印象の個性的な服を着こなし、片側だけ口角を上げている。


「俺は心が広いからね。あのくらいじゃ怒らないよ」


 その言い方に少し腹が立ったが、今日は喧嘩をしに来たわけではない。エレナは反射的に飛び出しそうになる反論の言葉を呑み込んだ。


「ありがとうございます、エミリオ様」


 代わりに礼を言うと、エミリオは気分が良いのか、表情を崩さずエレナの手首を掴んだ。


「じゃあ行こうか」


 そのまま腕を引かれ、エレナは数歩前に進む。しかし断りに来たのだと思い出し、逆らって足を踏ん張った。

 予想外の抵抗だったのか、エミリオは振り返り目を見張った。


「──……っ、申し訳ございませんが、このご縁はなかったことに」


 エミリオはエレナの言葉を全く聞いていないような態度で笑みを浮かべている。本心が見えない笑顔は、少し不気味だ。


「ああ、エレナちゃん。今日はまだ始まったばかりだよ。おいで」


 会話が噛み合っていない。長閑だったはずの空気の中、背筋に寒気がした。


「あああ、あの……っ」


「いいから。断るのが悪いと思ってるなら、今日は俺に付き合ってよ」


 否を言う間も与えず、エミリオに腕を引かれ、エレナはカルダン伯爵家の馬車に乗せられた。侍女らしき使用人が同乗しているのが救いだった。エレナは道中何も言わず、ただ窓の外を眺めていた。

 あまり時間も経たずに馬車は止まった。外を見ると、そこはエレナも来たことがある王都の街の真ん中だ。知っている場所であったことに安心する。

 侍女を残して馬車を降りると、また手首を掴まれた。


「このお店の菓子は、今すごく人気なんだって。入るよ」


 その店は人気店らしく、扉の前に人が何人も並んでいる。しかしそれに構わず扉を開けたエミリオにエレナは驚いた。

 どうやら予約していたようで、エミリオが名乗ると店員はすぐに店内に案内してくれた。喫茶フロアを通り過ぎ、階段を上り、奥にある個室に通される。エレナはその特別扱いに感動するより先に、エミリオと二人きりであることに戸惑った。

 しかしその戸惑いも、目の前にいくつものケーキが並べられてしまえば、すっかり頭から吹き飛んでしまう。季節の果物をふんだんに使ったタルトやショートケーキ、チーズケーキに、艶やかな一口サイズのショコラ。エミリオは二人で食べ切れないほどの量をテーブルに並べさせ、エレナに好きなだけ食べるよう勧めた。

 最初こそ警戒していたが、熱に弱い飴細工の飾りが融けてきたところで、エレナはそれどころではないとフォークを手にした。


「美味しい……」


 あまりの美味しさに頬が緩む。頭の中では、クララとリリアナにお土産に買って帰ろうかなどと呑気なことを考えていた。


「そう、気に入ったのなら良かった」


「この生クリーム、甘さ控えめでさらっと食べられちゃいますね! わ、こっちのチーズケーキ、可愛い……っ」


 もはや一緒にいる相手がエミリオであることなど、頭からすっかり消えている。


「うんうん。ケーキ、美味しいでしょう」


「はい、とっても。ありがとうございます」


 ケーキから満面の笑みで顔を上げ、エレナはやっとエミリオのことを思い出した。ばつが悪くて、眉間に皺が寄る。

 エミリオがにいっと笑った。


「じゃあ、俺と婚約する?」


「しません!」


 エレナは勢い良く首を振って否定した。そして、この話を聞いたときから疑問に思っていたことを口にする。


「と言いますか……私、エミリオ様に気に入られるようなこと、何もしておりませんが」


 エミリオはじっとエレナを見つめてくる。目が合って、そこに浮かんでいる押し付けるような熱に肩が震えた。


「ねえ、エレナちゃん。あの日、お見合いの後、何してたの?」


「それは」


 エレナはぐっと息を呑む。エミリオは笑顔のまま言葉を続けた。


「もしかして……他の男に会ってた、とか」


「──……っ」


 咄嗟に誤魔化せなかった自分を恨んだ。エミリオが分かっているとばかりに、指先でテーブルをこつこつと叩いている。


「図星だ。家の裏から、馬車が走っていく音がしたんだよね。迎えまで来てたんだ」


 何も言えないでいるエレナに、エミリオは言葉を続けた。


「俺、これでも結構自信あるんだよね。そんな俺との見合いを雑に終わらせて……その相手がバジェステロス公爵、って」


「なにを──」


「あの夜会、俺も行ってたんだよね」


 それはエレナにとって、間違いなく一番の弱みだった。


「俺よりあの灰かぶりの男の方が良いの? 理解できないよ」


 フェルナンから、呪いのことは秘密にするよう言われている。専属侍女をしているということは言えるが、エレナはエミリオに個人情報を何も教えたくなかった。

 フェルナンはもう灰かぶりではない。エミリオより、フェルナンの方がずっと素敵だ。そこまで考えて、エレナは頬が染まっていることに気付いた。──これは、見合いを断る良い理由になるかもしれない。


「こ、個人の嗜好です。放っておいてください」


「嫌だね」


「なんでですかっ!?」


 エレナにはエミリオの考えが全く分からない。


「あ、そうだ。エレナちゃん、今日はこの前とお化粧違うんだね。なんか、今日は地味だ。──ねえ、もしかして……秘密なの?」


「それは……っ」


 焦ったのが良くなかった。エレナの表情を見たエミリオが、手元にあるチョコレートケーキをフォークの先でつついた。


「良いこと知っちゃった。じゃあさ、ばらされたくなければ、これからも俺に付き合ってよー」


 これは脅迫だろうか。


「でも、お見合いはお断りするつもりで……」


「ああ、婚約はしなくてもいいよ。俺も一人に絞りたくないし。だからさ、お見合い続けたままなら会えるでしょう」


 エミリオは何をしたいのだろう。少なくとも、父親から聞いた、エレナを気に入った、というのが嘘だということははっきり分かる。なのに何故エレナに構うのか。

 カルダン伯爵家はマルケス子爵家とバジェステロス公爵家と同じ派閥に属しているはずだ。まさか公爵家に対して喧嘩を売ることもないだろう。

 理由は分からないが、エレナはフェルナンから夜会のことも呪いのことも隠すようにと言われている。勿論、夜会に同行している理由も、話すわけにはいかない。

 エレナは自身が圧倒的に不利な立場になったことに気付き、ただ無言でケーキを口に運び続けた。

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