第4章

これは恋ではありません!1

 夜、エレナはクララとリリアナと共に寮のサロンにいた。万一にも会話が他の人に聞こえないように、近くに人がいない奥の席を選んでいる。

 見合いを終えて戻ったら、ドレス姿のエレナを見てちょうど良いと言われ、夜会に連れていかれた、とかいつまんで説明すると、クララとリリアナは二人とも驚いた顔をした。呪いのことは話せないので、その辺りは伝えていない。


「え。噂の美人って、エレナのことだったの!?」


 と言って目を丸くするリリアナと、


「わ、ご主人様と夜会行ってきたのね……っ」


 と、頬を染めて瞳を輝かせるクララ。エレナは居た堪れない気持ちで、手元にあったプラム酒を一口飲んだ。


「リリアナ、もうそれ止めて。クララは何でそんなにきらきらした目で見てるのっ」


「だって、ご主人様と侍女が夜会に行くのよ! すごい……小説みたい」


 クララは両手を合わせ宙を見ている。きっとロマンス小説の主人公達と重ねているのだろう。


「違うの。ご主人様にとって、そのときの私が都合が良かっただけよ」


 エレナは自分で言って後悔した。自分自身はどうしたいのか、どう思っているのか、それが分からない。ただ、都合が良かっただけだと口にしたら、喉に棘が刺さったような嫌な感じがした。

 クララは気付かず楽しそうにはしゃいでいる。


「あのご主人様よ! そんなの言い訳に決まってるわ」


「もう、クララったら」


 その勢いに押されて、エレナも苦笑するしかない。クララは身分違いの恋って素敵よね、惹かれ合うのは運命なのよ、などと語っている。エレナも物語の中に憧れるばかりだったときには、そう思っていた。

 話を戻したのは、リリアナだった。


「それで、エレナの相談って?」


「あのね、その噂……どうにか消えないかしら、って」


「無理ね」


 あまりに早い返答に、エレナは面食らった。テーブルに手をついて、身を乗り出す。


「リリアナ、どうして即答するのよ!」


 リリアナはしかし冷静に、グラスの中身を飲み干した。からん、と氷が鳴る。実はこの三人の中では、リリアナが最も酒に強いのだ。今だって、薄めに割った果実酒を飲んでいるエレナとカクテルをちびちびと飲んでいるクララに対して、ウイスキーをロックでしっかり飲んでいる。それでも一番冷静なのだから、驚きだ。


「だって、これまでご主人様に浮いた話なんて無かったもの。唯一あったのが、王女様との縁談の噂だけど……随分前だし、結局どうともならなかったから」


 その説明に、エレナは納得した。つまり、この邸に家族と使用人以外の女性がいたこと自体がニュースなのだ。


「エレナはどうして嫌なの?」


「うう……だって、恥ずかしいじゃない」


「相手がご主人様だもんね」


 リリアナの相槌に素直に頷く。あまり目立たずにいたいエレナにとって、注目されたり噂になるようなことは避けたいのだ。ただでさえ、フェルナンの専属侍女という目立つ場所にいるのに。


「そうなの。目立たないなら良いんだけど、ご主人様とだと、どうしても目立つから」


 エレナが嘆息して少し俯くと、リリアナはぱっと笑顔になって話を変えた。


「ねえ、でも、ちょっとくらいときめきたりしなかったの? あのご主人様とはいえ、公爵様だし、女性のエスコートとかはしっかりしてそうだけど」


「──……っ」


 思わず息を呑んだ。確かにあの日、エレナはフェルナンの仕草に、距離に、体温に、そして言葉に、ときめいていたのだ。

 クララが目敏くエレナの変化に気付き、グラスをテーブルに置いて腰を上げる。


「え、心当たりあるの!? 恋?」


 クララの声はよく響いて、少し離れた席まで届いたらしい。エレナは慌てて首を左右に振った。


「もう、そんなのじゃないわっ」


 リリアナがくすくすと控えめに笑う。クララも我に返ったのか、姿勢良く椅子に座り直した。


「──でも、そうね。確かに、ご一緒しているだけなら良いけど、恋の相手ってなると……難しいわよね」


 その助け船は本当にありがたいものだったが、同時にエレナの心にも小さな傷を付けた。クララはリリアナの話で現実を見たのか、しゅんと項垂れてしまっている。


「そっか。ごめんね、エレナ」


 エレナは手を左右にぱたぱたと振った。


「ううん。あのね。別に、恋じゃないから。確かに夜会は楽しかったけど──」


「楽しかったんだ?」


 今度はクララだけではなく、リリアナまでもエレナを期待がこもった目で見つめている。失言だったと気付き、エレナはグラスに残っていた酒を一気に飲み干した。その勢いのままに、口を開く。


「もう。あのね、これは……恋ではありませんっ!」





「エレナ、どうかしたの?」


 夜、着替えを手伝っていたら、フェルナンから聞かれてしまった。昨日の夜のことを思い出して、上の空になってしまっていたようだ。


「いいえ、なんでもございません」


「なら良いんだけど。もし、この仕事をしていることで困っているのなら、なんでも言ってね」


 フェルナンは優しい。仕事中に他のことを考えていたエレナに、こんな言葉をかけてくれるのだから。


「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」


 微笑むと、フェルナンの手がエレナの頭に乗った。ぽんぽんと軽く叩いて撫でられる。エレナにとって、それは毒だ。抱いたことなどなかった恋心に気付きそうになってしまう、甘い毒だ。

 エレナは幸せなそれを甘受しながら、それでも認めまいとする意思を込めて、フェルナンの透き通る灰色の瞳をじっと見つめた。

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