お見合いなんて良いんです!7
エレナはフェルナンのリードに任せ、身体を音楽に乗せた。くるりくるりと景色が変わるが、その中心にはいつもフェルナンの顔があって、触れ合う身体から伝わる熱にどきどきする。
子爵令嬢として何度も男性と踊ってきたが、こんな気持ちになるのはデビューのファーストダンス以来だった。
「エレナ、上手いね」
「デビュー前に練習したので、このくらいでしたら……ですが、しばらく踊っておりませんでしたので、ご迷惑をお掛けしてしまうかも──」
「いや、全く問題ないよ」
フェルナンが楽しそうに笑っている。エレナも楽しくて、自然と笑顔になった。
「フェルナン様こそ、お上手です」
「それは……これでも一応、公爵だから。目立つ弱みは作れないんだ」
エレナはフェルナンの立場を改めて思い出した。バジェステロス公爵家当主。それは、王族と血を分けた歴史ある家を一手に背負う立場だ。その重責は相当のものだろう。
「やっぱりお若くしてご当主になるというのは、大変なことなのですね。私には分からない世界です」
眉を下げたエレナに、フェルナンは穏やかな表情を向けた。
「いや、僕は恵まれているよ。家族がいて、バルドや皆のような使用人がいて、友人もいて。だから、エレナはそんな顔をしないで」
「そんな顔、とは……?」
僅かに首を傾げたエレナに、フェルナンはターンを促した。一度離れてくるりと回ると、また引き寄せられる。
「難しい顔してる。──ああ、エレナと踊るのは楽しいな」
思っていたことを先に言われてしまった。エレナも、フェルナンと踊るのは楽しいと思っていたのだ。
「あ、ありがとうございますっ」
「エレナは?」
その問いかけに、エレナは驚いてフェルナンの瞳を覗き込んだ。見透かされたようで恥ずかしい。
「わ……私も、楽しいです」
声に出すと、それが本当のことだと心に刷り込まれた。
雇い主である身分違いの公爵と、別人のように綺麗に着飾った自分が、夜会で踊っている。フェルナンは楽しそうで、エレナも楽しい。お互い、つられるように笑顔になる。まるで大好きなロマンス小説の主人公のようで、エレナは高鳴る鼓動を抑えられずにいた。
楽しい時間はあっという間に終わり、すっかり夜も更けている。帰りの馬車の中、エレナはおずおずと口を開いた。
「フェルナン様、あの、聞いても良いですか?」
カーテンの隙間から窓の外を見ていたフェルナンが、視線をエレナに向けた。先程までと違い、幾分か力が抜けた様子だ。少し猫背になっている。
「何?」
「どうして私をお連れになったのですか? 私、今日はご主人様の側にいただけで、何もしておりません」
その質問に、フェルナンは薄く笑った。
「それで良いんだよ。──そうだね、ここまで巻き込んでいるんだから、エレナは知る権利がある。話すよ」
覚悟をしたエレナに、そんなに緊張しないで、と一言言って、フェルナンは話し始めた。
フェルナンは五年前、国王から下の王女との縁談を打診された。バジェステロス公爵家は歴史ある名家だ。それ自体は予想の範囲内であったが、予想外だったのは、王女がそれを拒んだことだ。フェルナンの方はいずれ誰かと政略で結婚をすると思っていたので、異論はなかった。
「当時は服こそ灰色ではなかったけど、この髪型と眼鏡だったから。王女殿下は、僕をお気に召さなかったらしい」
王女は縛られない自由な恋愛か、または理想通りの完璧な男性を求めた。フェルナンはそのどちらにも当てはまらなかった。
そして王女は、どうにかして縁談をなかったことにしようとして、フェルナンを呪ったのだ。
「ですが、呪いなんて願っただけでできるとは思えません」
「僕もそう思うんだけど、なにせ呪いだ。方法も分からないし、証拠もない。ただこの呪いが王女の仕業だということは、うちの影達の調査で分かっている」
公爵家には、影と呼ばれる諜報組織がある。その調査で、王女が侍女相手にフェルナンの呪いのことを話していたとの情報を得た。ビニェス侯の妹が国王に嫁いで産んだその王女。より王家との縁を深くしたいビニェス侯は、フェルナンの代わりに、自身の息子を王女の相手にしたいらしい。
「ビニェス侯のご子息、ですか?」
「そう。今日誕生日を祝われていた彼だよ」
エレナは遠くからしか見ていないが、確かに顔の整った男性だったように思う。歳も、フェルナンとほとんど変わらないだろう。
フェルナンはバジェステロス公爵家として、既に妹を王太子妃として王家に嫁がせている。これ以上、無理に家の力を強めるつもりもない。今更嫌がる相手と無理に結婚などする必要はないのだ。
なのにフェルナンが最近灰色の服を着るのを止めたため、やはり王女を狙っているのではないかと囁かれるようになっていた。だからエレナを連れて行くことで、その根も葉もない勘繰りを止めてもらって、できれば王女を安心させ、呪いを解いてはもらえないか、という思惑があった。
「ですが……やっぱりご主人様には関係のないことですよね?」
「まあ、そうなんだけど……そう思っていない人達がいて、政局を無視してこちらに敵対しようとするものだから。利用して、ごめんね」
全てを話し終えたフェルナンは、申し訳なさそうに眉を下げた。説明を聞いたエレナはフェルナンに同情した。先程一緒に踊っていたときの表情を思い出し、どうにか元気付けたいと思い、口を開いた。
「いえ、私はご主人様のものですから、構いませんよ」
エレナの言葉を聞いて、フェルナンは苦笑した。
「うん、ありがとう。勿論、今日僕が連れていたのが君だとは皆はきっと分からないし、エレナも今まで通り、僕の呪いについては内密にしていてくれると嬉しい」
エレナはこれまで夜会に出たときとは全く違う化粧をしていた。母に化粧をしてもらったのはデビュタント以来だった。よく見ていなかった者は、エレナだとは分からないだろう。そしてまた、エレナは公爵家からほとんど出ない生活を送るのだから、その身の安全は確実だ。
「かしこまりました」
素直に頷くと、フェルナンはエレナの目をじっと見つめた。
「それより、さっきの言い方は……」
「さっきの?」
エレナは何を指しているか分からず、首を傾げた。フェルナンはすうっと目を細め、口角を上げる。妙に色気があって、エレナはどきりとした。
「そう。ご主人様のもの、ってやつ。──そそるね」
励まそうと思って言った言葉は、改めて考えると熱烈な口説き文句のようだった。エレナは顔を真っ赤にする。急に体温が上がってしまったような気がした。
「えっ!? いや、あの……他意はございませんっ」
慌てて両手をぱたぱたと振ると、フェルナンが本当に面白そうにくつくつと笑う。
「知ってる知ってる。ごめんね、つい揶揄いたくなって」
「ご主人様……たまに意地悪ですね」
じっとりとした視線を向けるが、フェルナンは笑いが収まらないようだった。途中からエレナもおかしくなってきて、バジェステロス公爵邸に帰り着くまで、二人は無邪気な笑い声を響かせていた。
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