お見合いなんて良いんです!6

 連れてこられた侯爵邸は、バジェステロス公爵邸比べても劣らない建物だった。エレナは思わずきょろきょろと会場を見渡した。大広間は公爵邸より少し小さいだろうか。シャンデリアが華やかで、ガラスを通過した光が着飾った貴族達をきらきらと照らしている。


「珍しい?」


 エレナは自分が令嬢として恥ずかしい振る舞いをしていたことに気付き、慌てて視線をフェルナンに戻す。


「いえ、その。夜会は久しぶりでして。失礼いたしました」


「そうか。エレナはうちに来てから、一度も夜会には出ていなかったの?」


「恥ずかしながら、そうなのです」


 フェルナンは、ふむ、と小さく頷いた。


「理由を聞いても大丈夫?」


 遠慮がちな声音で聞かれて、エレナは少し申し訳なく思いながら苦笑した。


「そんな、重大なことではございませんよ。ただ、社交界での出会いに期待をしなくなってしまいまして」


 ただそれだけのことだ。憧れるような素敵な出会いはなかったし、エレナ自身、小説のヒロイン達のように美しくもない。だから、出会いがなくて当然なのだ。女友達はいるけれど、夜会以外でも会うことはできる。


「うーん。でも、今日みたいにお見合いでなければ、こういうところで見つけなくちゃだよね。結婚、したいって思ってるんでしょう?」


「仰る通りなのですが……十六歳でデビューしてから今日まで、良い出会いもございませんでしたので」


 エレナはそっと嘆息した。事実だが、改めて口にすると心が痛い。最初は、期待していたのだ。


「私なんかがご主人様のパートナーで、本当によろしかったのですか?」


 フェルナンは公爵で、エレナは子爵家の令嬢。同じ貴族でも、その差は大きい。正直、あまり経験もないのに専属侍女として仕えているだけでも、烏滸がましいと思っているのだ。

 それが、まさか夜会でパートナーを務めることになるなんて。


「僕にはエレナ以上の相手はいないよ。それに、その言い方。僕、あまり好きじゃないな」


 フェルナンはエレナを見て、首を左右に振った。


「私なんか、って言い方だよ。綺麗だって言ったでしょう?」


「──……っ」


 心臓がどくんと大きく跳ねる。エレナは息を呑んだ。


「ご主人様! そういったことを、軽々しく仰らないでくださいっ」


 フェルナンは口角を上げる。どうやら随分と機嫌が良いようだ。


「あ、そうそう。今日、エレナは僕のパートナーだから。ご主人様じゃなくて、名前で呼んで欲しいな」


 その頼みに、エレナはどうしようか考えた。名前を呼ぶなんて、恐れ多い。エレナのような身分の者が軽々しく呼んでいいものではないはずだ。

 しかし無骨な眼鏡越しのフェルナンの灰色の目は、エレナの次の言葉を期待するようにこちらに向けられていた。


「フ……フェルナン様、ですか?」


 遠慮がちに言うと、フェルナンは何度か頷く。


「そう。うん、良いね」


 エレナが安心してすぐ、フェルナンの目はエレナの背後に向けられた。


「あ、早速来た。エレナはそこにいてくれれば良いからね」


 フェルナンの視線を追って振り返ると、そこにはエレナの両親と同じかそれより少し上の年齢くらいの男性がいた。エレナはフェルナンの邪魔をしないように、少し後ろに退がった。


「公爵殿。いらしていただき、ありがとうございます」


「いえ、ビニェス侯のご子息の誕生日ですから。本日はおめでとうございます」


 どうやら男性はビニェス侯と言うらしい。ならばこの邸の主人だろう。そして今更ながら、この夜会が侯爵令息の誕生日を祝うものだと知った。


「息子も喜ぶことでしょう。──公爵殿が女性をお連れとは、珍しいことでございますが」


 ビニェス侯はエレナをじろじろと見た。値踏みされているようで、どうにも居心地が悪い。一瞬だけ合った目は、微笑を浮かべた顔とは裏腹に冷めた色をしていた。


「私も、いつでも灰かぶりのままではいられないもので」


 灰かぶり。エレナはフェルナンの自嘲するようなその言葉で、これまでの姿をそう言われていたことを知った。

 確かにフェルナンは全身灰色で、髪も黒くて、身なりに気を遣っていないこともあるからときには埃を被っていたこともある。それでも腹が立った。エレナにとって、フェルナンはとても優しい雇い主だ。


「ははは、ご冗談を仰る。王女殿下を欺かれるおつもりでしたら、臣下として、私も黙ってはおりませんよ」


 エレナは飛び出しそうになる気持ちをぐっと堪えた。今口を開いたら、間違いなくフェルナンの迷惑になる。

 二人とも笑顔なのに、目が笑っていなかった。そしてフェルナンはエレナがもう見慣れた姿とは全く違う、鋭い雰囲気を纏っている。


「関係のないことです。彼女は彼女で、良きお相手をお探しでしょう」


「口先だけではどうとでも言えますからね。どうぞ、ごゆっくり」


 ビニェス侯がフェルナンに背を向けて、エレナはようやく肩の力を抜いた。


「エレナ、ごめんね。大丈夫?」


 フェルナンが柔らかな声でエレナに話しかけてくる。


「──……っ! はあっ、ご主人様、いつもこんなに息が詰まるやりとりをなさっているのですか?」


 エレナは内心の怒りを飲み込んで、無理にでもと笑みを浮かべた。その表情を見て、フェルナンは眉を下げる。


「うーん、ごめんね。──あ、あと、ご主人様じゃないって言ったよね」


 エレナははっと気付いて、慌てて言い直す。


「あ……フェルナン様」


 フェルナンはそれまでのことが何も無かったかのように、からりと笑った。


「うん、よくできました。もう目的のほとんどは済ませたから、後は夜会を楽しむだけだよ」


「そうなのですか?」


「エレナが一緒に来てくれたからね。これまでに参加した夜会はあまり楽しくなかったようだから、今日は楽しもう?」


 エレナは話題を変えられたと思いながらも、嫌な気はしなかった。フェルナンの外の人間関係も、仕事についても、詳しいことは分からない。ならばエレナにできることは、笑顔でフェルナンについていくことだけだ。


「ふふ、そうですね」


 エレナが笑うと、フェルナンは左手で眼鏡を僅かに下げて、腰をかがめ、手を差し出した。フェルナンが首を振ると、長い前髪が左右に割れる。眼鏡越しではない上目遣いがその瞳の美しさを際立たせた。


「では。──私と踊っていただけますか、お姫様」


 その美しい素顔を垣間見せたフェルナンが、エレナをダンスに誘っている。


「ええ、喜んで」


 エレナは頬が紅に染まったことを自覚しながら、その手に手を重ねた。

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