お見合いなんて良いんです!5

 馬車が動き出す。流石バジェステロス公爵家の馬車は揺れが少なく、穏やかだ。


「ご主人様、どうしてここに……!?」


 エレナは驚きのままの勢いで聞いた。最初は幻覚か何かかと思ったほどだったが、悪戯に笑っているのは、間違いなくフェルナン本人だった。

 いつも王宮での仕事や領地経営で忙しくしているのだ。夜会に行く時間が勿体ないと言っていたフェルナンが、暇なはずがない。


「バルドから、エレナがカルダン伯爵邸にいるって聞いたからだよ」


 分かっているのかいないのか、フェルナンはエレナの聞きたいこととは別のことを答える。


「そうじゃなくて、ですね……。私なんかのために、来てくださらなくて良かったのに」


「ただ待っているのもつまらないからね」


 今にも鼻歌でも歌い出してしまいそうなくらい機嫌が良さそうだ。フェルナンは普段から優しいが、それにしても楽しそうである。


「──そうですか。それで、何か面白いことはございましたか?」


「うん、来てよかったよ。エレナ、すごく可愛い」


「な、何を……っ」


 エレナは動揺した。可愛いなんて、フェルナンから言われるとは思っていなかったのだ。嫌がられないかばかり心配して、逆に気に入られる想像を全くしていなかった。


「ドレス姿、初めて見たよ。うん、良いね。すごく良い」


 それでも褒め続けるフェルナンに、エレナの頬はどんどん熱くなっていく。こんなの、好意を抱いているいないに拘らず、赤くなって当然だ。


「あまり、じろじろ見ないでください」


「どうして? 良く似合ってるのに」


 フェルナンが本当に分からないと言わんばかりに首を傾げる。エレナは思わず声を荒げた。


「恥ずかしいからですっ! ご主人様、本当に分からないで言ってます?」


 慌てて顔を隠そうとした両手の指先が、向かい側に座っているフェルナンの膝を掠めた。


「うーん。ああ、分かったから、とりあえず落ち着いて」


「はい……」


 いくら恥ずかしいとはいえ、狭い馬車の中で暴れるのは得策ではない。エレナは少し俯いて、顔を掌で覆った。





「エレナ、お願いしますね」


「はい!」


 公爵邸に着くと、バルドはすぐにエレナに指示を出した。エレナも着替える時間すら惜しんで、ドレス姿のまま、フェルナンの衣装部屋に駆け込む。


 フェルナンは落ち着いた様子でエレナに問いかけた。


「間に合うかな?」


「ご主人様のお召し物は、もうほとんど決めてあるので大丈夫ですっ」


 昨日の昼のうちに衣装は決めてある。


「良かった、ありがとう」


「どういたしまして」


 エレナは選んだ服をフェルナンに差し出した。いつものように指先に熱が走って、今日も無事仕事ができたと安心する。


「うん。ありがとう、エレナ。いつもの通り、良い組み合わせだね」


「お褒めいただきありがとうございます」


 フェルナンは脱衣所で途中まで着替えると、戻ってきた。エレナがクラヴァットを結び、ブローチを留める。ベストと上着を着せて、飾り紐を付けた。


「さて、じゃあ行こうか」


 今日は藤色を多く使った夜会服に、金の飾りがアクセントになっている組み合わせだ。派手に見えそうな色合わせだが、フェルナンの髪が黒く、瞳が灰色であるが故に上品に見える。顔を隠しているのは勿体ないが、誰にも何も言われない程度には整って見えるだろう。


「いってらっしゃいませ」


 エレナは自分の仕事に満足し、フェルナンを送り出そうと笑顔を作った。しかしそんなエレナを驚かせたのは、全く予想していなかったフェルナンの言葉だった。


「何を言っているの? 君も一緒に行くんだよ」


「はい?」


「フェルナン様。それはエレナが……」


 言葉の意味が分からずに固まっているエレナに代わって、バルドが口を開いた。フェルナンの思い付きを止めてくれるのだろうか。


「バルド。良いだろう?」


 フェルナンはすうっと目を細め、真顔で正面からバルドに言った。その眼力と真面目な声音に、バルドが逆らえるはずがない。


「エレナ、いってらっしゃい」


「ええ!? バルドさん、本気ですか?」


 バルドは一瞬で意見を覆した。


「本気ですよ。大丈夫です、行ってしまえば、きっと楽しいです」


「なんでそんな、急に」


 困惑しているエレナの頭を、フェルナンがぽんぽんと叩くように撫でた。しかし今は、あやされてはいそうですかとは言えない。


「いや、せっかく綺麗な格好をしているのに、つまらないお見合いだけでは勿体ないだろう?」


「ご主人様……っ」


「あ、そうだ。バルド、アマーリアのブローチがあるだろう。ちょっとエレナに貸してあげよう。あの……ほら。ルビーの薔薇の」


「かしこまりました。ご用意いたします」


「そんな……っ! 私なんかに」


 そもそも夜会に行くとも言っていないのに、エレナを無視してフェルナンとバルドの間でどんどん話が進んでいく。そもそも最近エレナがクララに教えてもらった情報によると、フェルナンの妹であるアマーリアは王太子に嫁いでいたはずだ。王太子妃のブローチを借りるなんて恐れ多い。


「なんかじゃないよ。エレナ、今日はすごく綺麗だ」


「──……っ」


「それに、アマーリアは残していった宝飾品に思い入れはないと言っていたから。心配しないで」


 しかしフェルナンはそんなこと何も問題ないとばかりに笑っている。

 バルドがフェルナンの指示したブローチを持ってきた。それは、大きさのあるルビーひとつひとつが花弁になっていて、それを台座に美しく嵌め込んだものだった。どれだけのルビーを使っていて、一体いくらのものなのか。エレナの疑問はお構いなしに、ブローチはフェルナンの手でエレナのドレスの胸元に飾られた。緑色のドレスと葉と蔓の刺繍の中に、一輪の薔薇の花が咲いたように見える。その薔薇は光を受けてきらきらと輝いていた。


「では、行こうか」


 フェルナンがエレナの手を引く。エレナはもう何も言い返せないまま、今度こそ素直にフェルナンの後に従った。バルドが一礼する。


「いってらっしゃいませ、フェルナン様、エレナ」


「うん。行ってくるね」


「い、いってきます……っ」


 フェルナンのエスコートで、エレナは邸を出発した。

 最近は仕事に夢中で社交界に顔を出すことも減っていたので、エレナは慌てていた。それでも二人を乗せた馬車は、会場となる侯爵邸にどんどん近付いていく。その明かりがすぐ側にきた頃、ようやくエレナは覚悟を決めて、両手をぎゅっと握り締めた。

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