お見合いなんて良いんです!3

 朝起きて朝食を済ませたエレナは、すぐに実家へと向かった。王宮のすぐ近くにあるバジェステロス公爵家からマルケス子爵家までは少し距離がある。早めに動いた方が良いと思ってのことだった。

 実家に帰ると、笑顔の母が玄関でエレナを迎えてくれた。会ってすぐに抱き締めてくるところは相変わらずだ。エレナも母の胴に腕を回して微笑む。


「おかえり、エレナ。公爵家はどう?」


 明るくマイペースな響きの声は久しぶりで、エレナはほっとした。公爵家に勤めて三か月、一度も実家に帰っていなかったのだと、こんなときに思い知る。一度もホームシックにならなかったことが、自分でも意外だった。


「うん、楽しくやってるよ。お母様は変わりない?」


「ええ。じゃあ、さっそく準備しちゃいましょうね」


「はーい」


 エレナが返事をすると、母はにこにこと機嫌良さそうにエレナを部屋へと連れていく。扉を開けて最初に驚いたのは、ドレッサーの横に掛けてある見たことのないドレスだった。思わず駆け寄って、その生地に触れる。


「え、こんなドレス持ってたっけ」


「領地の職人さんが、エレナにって今年送ってきてくれたのよ。良い生地よねぇ」


 艶やかな生地は淡い緑色だ。深緑色の絹糸で葉と蔓が刺繍されており、みずみずしい印象に仕上がっている。腰のリボンと胸元のコサージュは刺繍と同じ深緑色のシフォンで、どこか幼く可愛らしい印象もある。


「うん。とっても綺麗……だけど、お見合いには派手じゃない?」


 夜会にでも参加できそうな華やかさだ。昼間の見合いだし、もう少し落ち着いた見た目の方が良いのではないかとエレナは思った。

 しかし母はにっこりと笑みを深くするばかりだ。エレナの母はマルケス子爵家の奥方として皆が納得するほど──つまりエレナよりもずっと、服飾に詳しい。


「そんなことないわよー。お母様を信じなさい!」


 そんな母に言われてしまえば、エレナは素直に頷くことしかできなかった。

 あっという間に化粧をされ、着替えをして、髪を整えられた。


「ほら、どう? 素敵でしょう」


 鏡に映るエレナは、自分で信じられないほど華やかで可愛らしくて、まるでロマンス小説の中のヒロインのようだった。


「わあ……っ、本当。ありがとうお母様! あ、でも私、今日のお見合いってそんな気合い入れてないんだけど」


「だって、娘を着飾らせる数少ない機会だったのだもの」


「別に、良いんだけど。これ、どうやったの? 特殊メイク?」


 決して不細工までは言わないがあまり目立つタイプではないと自負しているエレナの顔が、少女のあどけなさを残した美人に仕上がっているのだ。


「あら、エレナが化粧下手なのよ。別に特別なことはしていないわ」


 マルケス子爵家に使用人はいるが、エレナ専属の侍女などはついていない。これまで華やかに装う必要がある場面では、着替えの手伝いこそメイドに頼んでいたが、化粧はエレナ自身でしていた。全て母にやってもらうのは、デビュタントのとき以来である。こんなにも腕が違うのかと、エレナは愕然とした。


「うっそぉ……あっ! というか私、今日のお見合い、気に入られたら困るんだけど!?」


 すぐバジェステロス公爵家に帰るつもりだし、まだしばらく仕事もしていたい。せっかく、楽しいと思っていたところなのだ。


「そうなの? まあ良いじゃない。ほら、行くわよ」


 その言葉を意に介さないとばかりに、母はエレナの手を引いて馬車に連れ込んだ。連れ込まれた方のエレナは、慣れない靴と久しぶりのドレスで落ち着かない。遅れてやってきた父も乗せて、マルケス子爵家の馬車は出発した。





 馬車は舗装された王都の道をがたがたと進んでいく。


「どうするのよ。こんなに着飾って……」


 その車内で、エレナはぽつりと呟いた。


「このまま公爵家に戻るつもりなのに。間違いなく浮くわ。でも、着替えてる時間もないし」


 クララとリリアナに会ったら何と言われるだろう。こんなに着飾って、あまり女性を好きそうではないフェルナンに、嫌がられたりしないだろうか。


「とりあえず今は先にお見合いね。お見合い……カルダン伯爵家の次男、だったわね」


 確か名前はエミリオといったはずだ。エレナより三歳上の二十二歳。何をしている人だったか……よく考えたら、エレナは何も聞いていない。

 エレナの独り言を聞いていた父が、深く溜息を吐いた。


「エレナ、しっかり頼むぞ。相手の次男はまだ良いが、カルダン伯爵家はうちより格上だからな」


 まずい。不真面目に構えていたことに気付かれてしまっただろうか。エレナは何もなかったように微笑みを作って頷いた。


「分かっています、お父様」


「ふむ。いや、エレナは下手なことはしないとは思うが……」


 助け船を出してくれたのは母だった。


「もう。貴方ったら、心配し過ぎよ。エレナももう十九なのよ」


「むう……」


 エレナの父と母は恋愛結婚で、父は母にめっぽう弱い。今回も例に漏れず言い返すことはなく、エレナはお陰で助かった。


「あ、着いたみたい」


 馬車がゆっくりと止まった。窓から外を見ると、今どきの流行を取り入れた、まだ新しいと言って良いような綺麗な邸が建っていた。ここがカルダン伯爵邸か。

 家を見た母が、途端に嬉しそうに、両手を胸の前で合わせた。


「あら、エレナ。素敵なおうちじゃない。ここに嫁いでも良いんじゃない?」


「そうだぞ。お断りはできるが、まず、しっかり相手と向き合ってからだからな」


 母は家を評価しているだけだとして、父はまともなことを言っている。


「──そうですね」


 頷きながら、エレナは、それでも公爵家の仕事をまだ辞めたくないと思っていた。クララとリリアナと共に語る時間。色とりどりの衣装部屋。バルドの指導は厳しいが、できたら褒めてくれた。そして、どこか掴みどころがない、まだ謎がいっぱいのエレナのご主人様。どれも大切で、今のエレナはそれらを手放したくなかった。

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