お見合いなんて良いんです!2

 そうは思っても、見合いがなくなるはずがない。父親もエレナが大人しく行きさえすれば、きっと文句は言わないだろう。

 何日間か考えたエレナは、日中、バルドの執務室に向かった。書類仕事をしていたらしいバルドは、エレナが来たことを確認すると手を止めた。エレナは正面に立ったまま、軽く頭を下げる。


「バルドさんにお願いがあります」


 その言葉で、バルドは首を傾げた。


「貴女が改めてお願いとは珍しいですね。何ですか?」


 エレナはぐっと顎を引いて、決めてきた願いを口にする。


「私のお見合いの日、家の近くまで馬車を回していただけませんか?」


「はい?」


 バルドは何を言っているのかという表情で聞き返す。


「私のお見合いですが、昼食をご一緒するだけなら、きっと夜会の準備に間に合います。相手の方のお邸も、貴族街にあるので」


 それを聞いたバルドは、期待にぱっと顔を輝かせた。エレナも自然と笑顔になる。


「それでは!」


「はい。バルドさんの提案、私も乗らせていただきます」


「エレナ、流石ですよ!」


 流石、とはどういうことだろう。自分で言うのも何だが、感謝の言葉なら理解できるが、流石と言ったバルドの真意は分からない。


「──それ、どういう意味ですかっ」


「いえ、なんでもございませんよ」


 聞き返したが、次の瞬間にはバルドは作った笑みになって、エレナに答えをくれなかった。少し不満で眉間に皺を寄せると、バルドは意図的に話を変えてくる。


「しかし、急にどうされたのですか? エレナはここで働いているとはいえ、行儀見習いで来ているのです。本来、こちらは婚約などの場合、無理は言えないのですが」


「バルドさんが言ったんじゃないですか! それに……私がいないと、ご主人様は全身灰色で夜会に出席されるのですよね」


「まあ、そうなりますね」


 それも、フェルナンの話によれば一方的にこちらを敵視している相手だと言う。


「このバジェステロス公爵家のご当主様を、そんな服では行かせたくありませんっ!」


 エレナは綺麗な言葉で本心を誤魔化した。本当は、確実にエレナがいなければ困る人がいるということを噛みしめたかったのだ。それは誰かから特別に必要とされたいという、弱い心だ。

 しかしバルドは言葉の意味をそのまま受け取ったようで、エレナの顔を食い入るように見つめている。


「エレナ。貴女、そんなにもこの家のことを思ってくれていたなんて……!」


「あ、いえ。あの」


 そんなに感動されると、エレナも困ってしまう。どうしても小さな罪悪感は付き纏うのだ。慌てたエレナに構わず、バルドは当然のようにエレナの願いを聞き届けた。


「では、フェルナン様にもそのようにお伝えしておきます。ありがとうございます、エレナ」





 そしてあっという間に時間は過ぎ、エレナの見合いとフェルナンの夜会はもう明日に迫っている。

 その日の仕事終わりに、バルドは改めてエレナに確認した。


「それでは、明日の午後三時前に、カルダン伯爵家の裏手に馬車を回しますね」


「よろしくお願いします」


 カルダン伯爵家は、エレナの見合い相手の家だ。その後エレナが父親と手紙をやりとりして聞いたところ、どうやらバジェステロス公爵家の傘下と言っても良い関係の家らしい。

 そもそもエレナをここに預けているマルケス子爵家は、派閥としてはこちら側に属している。子爵という中途半端な立場故に難しい判断や立場になることもあるらしいが、それでもエレナを託せる程度にはこちら側だ。その長女であるエレナの見合い相手が、別派閥であるはずがない。


「いや、お願いするのはこっちだよ。せっかくの日なのに、気を遣わせてごめんね」


 フェルナンは心から申し訳なさそうに眉を下げる。内心に少しやましい気持ちがあるエレナは、首を左右に振ってそれを否定した。


「私が選んだことですから。大丈夫です」


「ありがとう、エレナ」


 フェルナンはエレナの頭をぽんぽんと撫でて、そのままそこに手を居座らせている。その手はときどき動いて、触り心地の良い場所を探しているようだ。もう慣れてしまった感触にエレナは苦笑した。


「気にしないでください。お見合いなんてちゃちゃっと終わらせて、こちらに帰ってきますから!」


「ふふ。だけど君も子爵令嬢だからね。……僕も、あまり悠長にはしていられないかな」


「ご主人様も、とは?」


 エレナは分かるが、何故フェルナンが焦るのだろうか。フェルナンの言葉を疑問に思って、エレナは聞き返した。しかしフェルナンは穏やかな微笑を全く崩さないまま、もう一度エレナの頭を撫でる。


「いや、なんでもないよ。おやすみ、エレナ。今日もお疲れ様」


 そう言われてしまえば、エレナにはそれ以上追求することができない。エレナはもやもやとした気持ちをぐっと堪えて一礼した。


「はい。おやすみなさいませ、ご主人様」


 扉を開けて、廊下に出る。廊下にはところどころに優しい明かりが灯されているが、エレナにはその明かりが本来感じさせるはずの穏やかさなど全く感じられなかった。

 フェルナンが言い淀んでエレナを誤魔化したことが、何となく気に入らない。勿論言えないことがたくさんあるのは分かった上で、それでも気に入らなかった。

 フェルナンもバルドも、何かの事実か思いを隠している。それが嫌だった。普段ならば仕事のことだろうと気にしないのだが、今回ばかりはきになった。それは、きっとそれがエレナに関わりのあることだと、二人の言動から感じてからだった。

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