第3章
お見合いなんて良いんです!1
フェルナンの専属として仕事をするようになって一か月が経った。最初は不慣れであった仕事も、随分慣れてきた。茶を淹れるときの所作などは、バルドから合格をもらっている。クララとリリアナからも動作が変わったと言われて、エレナも悪い気はしていなかった。やはり日々緊張感の中で頑張って仕事をしていた分、普段の所作も多少は美しくなったのだろうか。
「来週末、フェルナン様は夜会に出席されます。衣装の準備をお願いしますね」
バルドがこのように言うのは、これで三回目だ。季節はもうすぐ初夏になるころ、残り少ない社交シーズンを惜しむように、あちこちの貴族の邸で夜会や茶会が開かれている。
「かしこまりました」
いつもの通りに返事をして、エレナは顔を輝かせた。この仕事に慣れてきた今となっては、やはり仕事着よりも夜会服を選ぶ方が楽しい。
バルドはエレナの返事を聞くと、食事の準備に向かった。
「夜会なら、少し華やかでも良いですよね。新しく仕立てたっていう服もあるはずですし!」
エレナはまだその日に思いを馳せている。その様子を見たフェルナンが、面白いものを見るように目を細めた。
「ふふ、エレナは本当に服が好きだね」
「はいっ!」
エレナは自然と笑顔になる。最初こそ不安だったが、しばらく側にいるとフェルナンは良い人だと分かった。勿論厳しい面や怖い面もあるのだろうが、この邸の使用人には等しく優しい。
「それなら、この仕事も気に入ってくれているのかな。そうだったら僕も嬉しいのだけれど」
首を傾げたフェルナンにエレナは頷く。
「最初は少し嫌でしたけど……今は、とても楽しいです。服に関われて、やりがいもあって」
やはり必要とされる仕事はやりがいがある。ましてこの仕事は、偶然とはいえエレナにしかできないのだ。
「それは良かった」
「あ、ご主人様の髪と眼鏡は残念だと思ってますよ」
「……そうか」
フェルナンは執務室にいる間は前髪を分けたり、眼鏡を外していることもあるようだった。執務室に入るのはバルドと従僕等、男性の使用人ばかりだ。女性が見ることがないからこそ、噂になっていないのだろう。
「では、お召し替えをお手伝いいたします」
「ああ、ありがとう」
エレナはいつもの熱を指先に感じながら、フェルナンに部屋着を手渡した。
エレナが仕事を終えて寮に戻ると、寮長から預かっていたという手紙を渡された。差出人はエレナの父親、住所は実家のタウンハウスである。
「実家から手紙なんて。珍しいこともあるわね」
早速部屋に戻って着替え、手紙を開ける。
その手紙には、季節の挨拶と近況を尋ねる文章と共に、見合いをするから帰ってくるように、との言葉も添えられていた。
「お見合い!?」
エレナは驚いて目を見開いた。思わず出てしまった大きな声が、隣室まで聞こえなかったかとびくびくする。隣室からは何の音もせず、どうやら大丈夫だったようだと安心して、改めて手紙に目を落とした。
それによると見合い相手はマルケス子爵家と同じ派閥の伯爵家の次男で、場所は相手方の王都のタウンハウスらしい。その日、午前のうちに一度実家に帰るようにと書いてあった。
「そっか、そうよね。お見合いかぁ」
エレナはバジェステロス公爵家に行儀見習いとしてやってきている。働き始めて三か月、見合いの話があるのも当然だ。それ自体、エレナには何の問題もない。父親からの手紙にも、互いの顔を立てるために、必ず参加だけはするようにと書かれている。つまり、この縁談で相手を決めなくても良いということだ。
日にちを確認して、エレナはさっと顔を青くした。
「来週末って、ご主人様の夜会の日に被るじゃない……!」
気付いたエレナは、フェルナンとバルドにどのように説明すべきか、頭を抱えたのだった。
「お見合い、ですか」
どう伝えようか散々悩んだ末、結局エレナはありのままを伝えることになった。というか、良い説明なんてできるはずもなかったのである。
「はい……ですので、夜会の日は──」
「それなら仕方がないね」
エレナが言い切るよりも、また不満げなバルドが口を開くよりも早く、フェルナンが言う。
フェルナンの言葉にエレナは安心と同時に寂しさを感じた。頷いたエレナに、それでも諦め切れない様子のバルドが言う。
「エレナ。これを見る限りでは、お見合いは昼食どきとのことですが」
バルドはエレナが持ってきた手紙を見ていた。
「そうですね」
「それなら間に合います! 貴女がお見合いを終えて、そのままこちらに帰ってくれば良いのですよ」
「バルドさん、本気ですか!?」
思わず驚きの声を上げたエレナに、バルドは真剣な目を向けた。
「本気ですよ。貴女がいなければ、フェルナン様はまた全身灰色で夜会に出席することになるのですから。まして今度の夜会はうちを敵視している侯爵家が主催するもの。何であれ、弱みは見せたくありません」
「──そうなのですか?」
エレナが確認すると、フェルナンは左右に首を振って、小さく嘆息した。
「エレナ。バルドの言うことは気にしないでいいよ」
「フェルナン様!」
食い下がろうとするバルドを、フェルナンが制止する。
「本当に。僕はこれまでだってずっと灰色でやってきたんだ。だから、今更だよ」
エレナは眉を下げた。
「それは……」
そんなことを言っても、フェルナンは自身を敵視してきているという家の夜会に、エレナには分からない何らかの理由で参加するのだ。そこに全身灰色で行くというのは、服飾を学び、それを武器として育ってきたエレナにとって、敵地に剣ひとつ持たずに行くようなものだ。
どうにかならないかと目を伏せると、フェルナンは微笑み、いつもの調子でぽんぽんとエレナの頭を軽く叩くように撫でた。
「本当に、気にしなくて良いからね。いってらっしゃい」
いっそ見合いなんてなくなればいいのに。エレナはそう思いながら、バルドから返されたどうにもならない手紙をじっと見下ろしていた。
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