もう灰色は見たくない!8
着替えを済ませたフェルナンは食事を終えて、また私室に戻ってきた。エレナはその間待っているよう言いつけられ、フェルナンの服を片付けていた。
エレナの淹れた茶を飲み、フェルナンは小さなテーブルを挟んだ向かいの椅子をエレナに勧めた。最初こそエレナは固辞したが、フェルナンに話があるからと改めて言われ、大人しく腰を下ろす。
「待たせてごめんね。僕に聞きたいことがあるだろう。答えられないこと以外なら何でも答えるよ」
フェルナンは、だけど今だけね、と付け加える。つまり、気になることは今聞け、ということだろう。エレナはとりあえず今一番気になっていることを聞くことにした。
「ご主人様はどうしてそのような格好をなさっているのでしょうか? 服は分かりますが、髪と眼鏡は、どうとでもできるはずです」
それだけで、今よりずっと見目良くなるだろう。灰色の服を着ていたとしても、女性が放って置かない顔だ。現に今眼鏡を外して前髪を左右に分けているフェルナンと向き合っているエレナが、落ち着いた気持ちでいることができていない。
「ああ、これはね」
フェルナンはそこで言葉を切って、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
「──敵は、少ない方が良いだろう?」
その笑みは間違いなく様々な思惑をはらんでいたが、美しい男性に慣れていないエレナにはそれを含めて充分に刺激的だった。思わず息を呑んで、頬を染める。
「そ、れはっ! そう……ですね」
フェルナンは歴史も力もあるバジェステロス公爵家の当主だ。そして内務部の大臣であり、時期宰相と言われている。ただでさえ華やかな肩書きにこの見た目が加わったら、間違いなく争いの種になるだろう。
今だって、きっとエレナの知らない貴族的な争いはあるのだろうから。
「分かってもらえて嬉しいよ」
フェルナンは笑みを浮かべたまま、またもエレナの頭をぽんぽんと叩くようにして撫でる。エレナは恥ずかしさと居た堪れなさに困ってしまって、少し焦って問いかけた。
「あの、先程から何故そのような……?」
エレナが、伸ばされた腕を見ているのに気付いて、フェルナンは手を離した。少しばつが悪そうに視線を逸らす。
「あ、ああ。ごめんね。妹がいるからかな……つい」
「私はご主人様の妹ではございません。といいますか、ご主人様にはご兄弟がいらっしゃったのですか?」
エレナの問いに、フェルナンは首を傾げる。
「うん。あれ、知らなかった?」
「私、こちらにお世話になってまだ二か月でして」
エレナの言葉にフェルナンは合点がいったようだ。
「私には、妹と弟がいるよ。妹はもう嫁いでいるし、弟はパブリックスクールの寮に入っているから、ほとんど会うことはないけれど」
「そうだったのですね」
「弟は騎士になると言っているから、きっとそのまま王宮に就職するのではないかな」
うんうん、と頭を上下に動かして、フェルナンが言う。エレナは素直に納得しかけて、慌てて首を左右に振った。
「──ですが、それとこれとは別でございます! そんなっ、気軽に撫でられると……私は困ってしまいます」
「そうなのか。うん、ごめんね」
フェルナンの謝罪の言葉にエレナは心が痛んだ。この人はエレナの雇い主だ。揺るぎない上司である。その人に謝罪させるとは、何事だ。
それに整った容姿もこの場合はよろしくない。眉を下げられてしまうと、エレナの方が悪いことをしているような気分になるのだ。
「いえ、謝罪なんてなさらないでください。と言いますか、あの……言ってる側からですが」
気付けばまたフェルナンの手がエレナの頭にあった。エレナとてもう十九歳だ。いくらフェルナンより歳下とはいえ、そんなに子供っぽくもないつもりだ。
「あ」
フェルナンが寂しげな表情でまた手を離す。エレナは深く溜息を吐いた。こんな顔をされて、自らの主張を貫き通せる人間がいるだろうか。いや、いるのだろうけれど、エレナには無理だった。
「分かりました。私が慣れるようにいたします!」
投げやりな気持ちで言うと、フェルナンは嬉しそうに頬を緩めた。
「ありがとう、エレナ。うーん、ここが家だから気が抜けているのかなぁ。外ではこんなことはないんだけど」
「外でそんなに気軽に他人を撫でていたら、皆困ってしまいますよ」
「そうだね」
フェルナンが苦笑して、エレナも思わずそれに釣られて笑ってしまう。フェルナンが素顔を隠す理由は理解したが、それでもエレナはやはり勿体ないと思ってしまっていた。
「ご主人様って、本当に変な人だわ」
エレナは使用人の寮にあるサロンで一人、薄く作ったプラム酒の水割りを飲んでいた。エレナは酒は飲めるが、強くはない。人並みに酔える方だとは思っている。なので今夜は少し飲んで、何も考えずに一気に眠ってしまおうと思ったのだ。
「なーにー、エレナ、そんな顔して。やっぱり身分違いの恋とかしちゃう感じ!?」
「わ、クララ!」
エレナの背後からひょいと顔を出したのはクララだった。リリアナも一緒にいるのを見るに、きっと二人も同じような理由でここにいるのだろう。
サロンでは、冷たい水と湯がいつでも用意されており、ナッツと砂糖菓子を貰うこともできるのだ。少し酒や茶を飲みたいときにはもってこいだ。
「ご主人様とメイドの身分差もの? 私、そういうの結構好きよ」
「リリアナまで。そんなの無いってば」
エレナは笑って、同じテーブルを二人に勧めた。喜んでそこに座った二人と、つい先日読んだデボラ先生の新作について話した。
現実はロマンス小説ではない。身分差のある恋愛も、平凡なヒロインと格好良いヒーローのカップルも、物語の中のものだとエレナはまた繰り返した。
当事者ではないクララとリリアナは、きっとそんなこと思ってもいないのだろうけれど。エレナは内心の複雑な気持ちを隠して、二人と共にロマンス小説談義に花を咲かせたのだった。
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