もう灰色は見たくない!7
「お疲れ様でございました」
エレナは部屋に帰ってきたフェルナンに頭を下げる。エレナはフェルナンがどんな仕事をしているのか詳しくは知らないが、きっと大変な仕事なのだろうと思っていた。少しでも早く休んでもらえるようにと早速着替えの手伝いをしようとするが、それを止めて、フェルナンが口を開いた。
「ああ、エレナ。君に頼みがあるんだ。僕の呪いと君の能力のことを、内密にしてほしい」
エレナは首を傾げた。
「呪いのことを、内密に……でございますか」
「そう。私を呪った者が、君に害意を持たないとも限らないからね。君の身を守るために、黙っていた方が良いと思うんだ」
フェルナンの言うことを、エレナは予想していなかった。しかし考えてみれば、呪われているということは、呪った者がいて当然なのだ。少し寒くなった背筋に気付かないふりで、それを蹴散らすように元気に頷いた。
「はい、勿論です! ──と言いますか、あの、呪いなんて……そんな話、誰にもできません」
呪いがあると大真面目に言ったところで、笑われるのがオチだろう。クララとリリアナであっても、本の読み過ぎだと言われるに違いない。
「そっか、それもそうだね」
フェルナンの唇が弧を描く。エレナの話を聞いて、納得してくれたのだろうか。エレナもまた笑顔で応えた。
「ですので、ご安心ください」
「それなら安心だね。エレナ、君には無理をさせるけれど、私はとても助かるよ」
そう言われると悪い気はしない。エレナは着替えを手伝うために、フェルナンの側に寄った。紺色の上着を受け取ってハンガーに掛けて、フェルナンの正面に立ちクラヴァットの装飾にしていたブローチを外す。
「いえ。灰色しか着れないなんて、つまらないですもんね」
「つまらない……」
「そうですよ! やっぱり、身だしなみって大事だと思うんです。お洋服は特に、遠くからでも目につきますし」
服飾についてとなると、エレナも思わず気合が入ってしまう。長年領地で触れてきただけあって、こだわりが強い自覚はあった。フェルナンは少し引き気味に苦笑している。
「そうだね、うん」
エレナはフェルナンのシャツの首元を両手で緩める。
「ご主人様は特に背も高くていらっしゃいますし、それに体つきも──」
ベストの飾り紐を外しながら、エレナは思ったことをそのまま口にした。そして言ってしまってから、慌てて後悔する。男性の身体、それも雇い主である公爵の身体をまじまじと見て批評するなど、年頃の女性にあるまじきことだ。
「ん?」
フェルナンはそんなエレナを訝しんでいるようだ。
「い、いえ。なんでもございませんっ!」
エレナは自身の言葉が恥ずかしかった。フェルナンは本当に分かっていないのだろうか。誤魔化すために、エレナは言葉を重ねる。
「ほほほら、あの、見た目の印象って大切ですってことですよっ! 筋肉質な──」
これも違う。
「つ、つまりですねっ! ご主人様だって、眼鏡を誂え直して、御髪を整えたら──」
慌てたままの勢いで、エレナはフェルナンの眼鏡を右手で外し、左手で前髪を上げた。
「あ、ちょっ」
これにはフェルナンも焦ったのか、声を上げた。しかし制止は追いつかず、エレナはフェルナンの顔をすぐ近くで見上げることになる。
「──え、嘘……!?」
すっきりとした輪郭に、白い肌。そこにバランス良く全てのパーツが並んでいる。少し垂れ気味の目は優しく、灰色の瞳が涼しげだ。長い黒髪もミステリアスな印象を与えている。
そこにあったのは、十人いれば十人が格好良いと言うであろう、整った甘い顔だ。エレナはしばらくそれに見入ってから、おずおずと切り出した。
「ご、ご主人様、です?」
フェルナンは一度嘆息して、前髪を持ち上げるように押さえたままだったエレナの手を退かした。そのまま前髪を耳にかける。エレナは見慣れない顔が露わにされていて、動悸がした。
「誰かと入れ替わったりはしていないね」
「これ、眼鏡……度が入ってないんですけどっ」
エレナはフェルナンの無駄に大きく無骨な眼鏡をかけて、目を見開いた。間違いなく失礼な行いなのだが、今のエレナにはそんなことはどうでも良かった。
フェルナンは完全にその勢いに押されている。
「うん。あの……ええと。とりあえず、一度着替えてくるよ」
穏やかな声に、エレナは自分のしていた行いを思い出し、かぁっと頬が熱くなった。慌てて一歩退がって、眼鏡を返す。
「は、はい。申し訳ございませんっ!」
頭を下げると、フェルナンはエレナの頭をあやすようにぽんぽんと叩いて、受け取った眼鏡をテーブルの上に置いた。
「──それで、だね」
「本当に、申し訳ございませんでしたっ!」
エレナは着替えを終えたフェルナンが話し始めるよりも早く、改めて謝罪した。エレナの知る限り、整った顔を隠すのは何か深い理由がある。本来の素性を隠すためであったり、過去に見た目が原因で辛い思いをしたトラウマがあったり。ただしエレナの知るそれらは、全てロマンス小説の中の話だが。
「黙っていてくれれば構わないよ。責めたりしないから、とりあえず落ち着いてくれるかな。はい、深呼吸」
フェルナンが大袈裟に呼吸してみせる。エレナもそれに合わせて、ゆっくりと息を吸って、吐いた。
「すー、はー、すー、はー」
「落ち着いた?」
「はい……」
今となっては取り乱したのが恥ずかしく居た堪れない。フェルナンも呆れたのではないだろうか。
今日しでかしたことは、侍女として失格どころか、年頃の令嬢として失格である。
落ち込むエレナに、フェルナンはまた頭をぽんぽんと優しく叩いた。
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