もう灰色は見たくない!6

 出仕したフェルナンは、王宮の敷地内にある、自身の職場に向かった。内務大臣であるフェルナンは、内務部の執務室の奥に個室がある。普段の仕事場はそこでしている。そこに行くには、一度部の執務室を通り抜ける必要があった。

 フェルナンが内務部の扉を開けると、先に来ていた達が挨拶をしてきた。まだ始業前なので、今来ているのは忙しい者達だけだ。誰一人、顔を上げていない。


「おはようございます」


「おはよう」


 フェルナンも自然に挨拶を返し、個室に入ろうとした。そのとき、ばん、と大きい音を立てて、煩い男性が出勤してきた。内務副大臣のセシリオだ。

 セシリオは既に個室の扉に手をかけていたフェルナンを見て、瞠目した。


「おはようございます……!?」


 その普段とは違う声に、下を向いていた者達が皆セシリオの方を見る。入り口で固まったままのセシリオの視線を追って、フェルナンに注目が集まった。皆が騒ついたのが分かる。フェルナンはあえて平常心を装って、口を開いた。


「昨日は休日をありがとう。それで、この案件だが、何か動きはあったかな?」


「いや、いやいやいや! ちょっとお待ちください、フェルナン様」


「何?」


 惚けて見せると、セシリオが慌てたように駆け寄ってくる。少し熱苦しく感じるのは、その性格故だろうか。そのままの勢いで、フェルナンは肩を掴まれた。



「『何?』じゃないですよ! もう灰色は良いんですか? なんか、灰色ブーム来てたんじゃないんですか!?」


 こんなに気軽に、かつくだけた様子でフェルナンに声をかけてくるのは、セシリオを含めて数人しかいない。これはセシリオの性質が為せる技だろう。


「灰色ブームって、何のこと?」


「何のことって、ここ数年のことですよ。若くして内務大臣なんてなっちゃった途端に全身灰色になったから、何か思うところがあるのかって聞いたじゃないですか!」


 自分がした言い訳など、すっかり忘れていた。フェルナンは思わず苦笑して、右手を軽く左右に振る。


「ああ……もう、良いんだよ」


 いくら呪いだと正直に言えなかったとはいえ、あまりに適当過ぎる理由だった。フェルナンは自身で吐いた嘘に驚き、同時に脱力した。

 まさかセシリオも部の人間も、信じてはいないだろうと思う。


 それからしばらくして、休んでいる間に滞っていた国王に奏上する書類を脇に抱え、フェルナンは廊下を歩いていた。王宮は広く、廊下は長い。あまり嬉しくない相手にも、簡単に出会ってしまう。


「公爵殿ではないですか。どうかなさったので?」


 反対側から歩いてきたのは、外務部の大臣であるアレマン・ビニェス侯爵だった。フェルナンよりずっと歳上のアレマンは、王女の母と兄妹であり、王女がフェルナンにかけた呪いについて知っている可能性のある人物だ。


「ビニェス侯には関係のないことですよ」


 フェルナンは冷たく切り返す。うっかりでも口を滑らせるつもりはないが、フェルナンはこの男が苦手だった。やはり、嫌われている相手を好きになるのは難しい。それに、アレマンには良くない噂もある。


「なんですか、変人を騙るのはお止めになったのですか?」


「ええ、私もそろそろ落ち着かねばならないかと思いまして」


「左様で。貴殿の一番の特徴がなくなってしまって、大変残念です」


「恐れ入ります」


「それで陛下に取り入ろうというのですか? 流石、旧くからの名家は違いますね」


 つまり、歴史だけの旧い家は黙っていろ、ということだろう。全く、貴族というのは呼吸するように嫌みを言う。フェルナンは小さく溜息を吐いた。


「そのようなことはございませんが、そう思われるのでしたらご自由になさってください」


 アレマンは笑顔の形に表情を取り繕ったまま、フェルナンに近付いてくる。立ち止まったままのフェルナンのすぐ横にアレマンが差し掛かったとき、周囲に聞かれないよう細心の注意を払ったであろう低い声が耳に飛び込んできた。


「──ふん、灰かぶりの若造が」


 そのまますれ違って歩き去っていくアレマンの背中を、フェルナンは振り返って見た。


「今日は灰かぶりではないのに、な」


 弱々しい呟きは誰も聞いていない。間違っても、ここの部下にも家の使用人にも聞かれたくはなかった。なんの意味もない弱音など、意味のないものだ。フェルナンの中にはいらないものだ。バジェステロス公爵家の当主も内務部の大臣も、弱い者には務まらない。


「ああ、早く終わらせて内務に戻ろう」


 久しぶりに感情的になってしまった。フェルナンは気を取り直して、書類を抱え直して先を急いだ。





「おかえりなさいませ、フェルナン様」


 エレナとバルドが揃って頭を下げてくる。仕事を終えたフェルナンは、二人の姿を視界に収めて微笑んだ。

 つい昨日から無理に専属侍女にしたエレナは、それでも笑顔で迎えてくれている。目立つ美人というよりは、愛らしい小動物のようだ。その笑顔が雇い主に対しての礼儀なのは分かっているが、彼女のお陰で灰かぶりから脱却できたのだと思うと、フェルナンは不思議な気持ちだった。


「ただいま、エレナ。先に部屋に戻っていて。バルド、少し良いか」


「はい、如何なさいましたか?」


 バルドはフェルナンの言葉にすぐに頷いた。エレナも一歩遅れて一礼する。


「では、お部屋でお待ちしております」


 階段を上っていくエレナの背中を見送って、フェルナンは口を開いた。


「──ビニェス侯が動く可能性があるんだ。この家から少し調査に回せる?」


「勿論でございます」


「間違っても、エレナのことが彼らや王女に知られることがないように、情報を絞ってくれ」


 この呪いの対抗手段であるエレナとその力が見つかることだけは防ぎたい。これから解呪の方法についても色々試したいと思っているのだ。


「かしこまりました。では、そのように」


 バルドがその場を離れていった。


「僕も、いつまでも素直に呪われ続けてるわけにもいかないからなぁ」


 フェルナンは階段に足をかけて、自身の部屋へと向かった。

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