もう灰色は見たくない!5
翌朝、さっそくエレナはフェルナンの部屋にいた。まだ眠っているフェルナンを起こすところから、エレナの仕事は始まる。部屋のカーテンを開け、昨日教えてもらった通りの時間に、フェルナンの寝台の天蓋の外側から声をかけた。
「おはようございます、ご主人様。朝でございます」
「──ん……」
薄布の向こうから、明らかに眠りの中から抜け出ていないことが分かる声が聞こえる。エレナはバルドから、フェルナンは朝は弱いと聞いていた。
「朝でございますっ」
先程より大きな声で言ってみたが、やはり起きる気配がない。エレナは思い切って、天蓋を手繰り寄せ、中に入った。広い寝台の中心で、フェルナンはこちらに身体を向けて眠っていた。寝ているときは分厚い眼鏡をしていない。結ばれていない髪が無造作に枕の上に散っていた。
目元こそ前髪で隠れているものの穏やかであろう寝顔に流石に少し気が引けたエレナは、片膝を寝台に乗せて手を伸ばし、控えめにその肩を揺らした。
「あのー、朝ですよー……?」
それがいけなかったのだろうか。次の瞬間、触れていた腕が掴まれ、ぐいと引かれた。バランスを崩したエレナは、そのままフェルナンの寝台の上にぼふりとうつ伏せに倒れ込む。顔が寝台にめり込んだ。慌てて頭を上げると、今度はフェルナンの胸元に身体ごと引き寄せられてかき抱かれる。
かあっと顔に熱が集まった。慌ててもがいたが、男性の力強い腕はエレナの力ではびくともしなかった。必死で腹から声を出す。
「朝ですっ! 起きてくださいませ! ……っ」
勢いが良すぎた。エレナの頭は声の勢いそのままにフェルナンの顎にぶつかり、穏やかでない痛みと音が寝室に響いた。
「──おはよう……」
フェルナンが顎をさすりながら上体を起こし、カーディガンを羽織った。エレナは真っ赤な顔を隠そうと、失礼を承知でフェルナンに背中を向けている。おでこが痛くて、片手はどうしてもそこから離れない。
「おはようございますっ、ご主人様! お湯をどうぞ」
盤にはぬるま湯と、横にタオルを用意しておいた。フェルナンはそれに手を伸ばしながら、エレナへの不満を口に出した。
「ありがとう。──次からは、できればもう少し優しく起こしてくれると嬉しいな」
「かしこまりました。では、ご主人様も今回のようなことはお止めくださいませ」
まだ顔は見せられないが、精一杯の強がりで、せめて平静な声を出した。フェルナンは困ったように苦笑して、小さく唸った。
「──努力するよ」
顔を洗ったフェルナンは朝食のために食堂へと向かった。残されたエレナは、気を取り直して衣装部屋の服を手に取った。
「さて、と」
もう灰色は見たくない。呪いに対抗する方法がエレナの気合いなのだとしたら、全力で選んでやろうではないか。
「今日は普通に出仕なさると言っていたわね」
出仕するのなら宮廷衣装だろう。先日まで全身灰色だった人間がいきなり赤や黄色を着てきたら大騒ぎだ。そもそもフェルナンに黄色が似合うとは思えないが。
エレナは紺地に細かな刺繍と金の飾りがついた上着と揃いのズボンを選んだ。それに合うように、小物も揃えていく。髪を縛るリボンは、飾りに合わせて金色だ。
「お待たせ」
食事を終えたフェルナンが、部屋に戻ってくる。
「いえ、どうぞ、こちらをお召しになってください」
エレナは笑顔で、選んだ服をフェルナンに渡した。瞬間、またあの熱が指先に走る。フェルナンも感じたのだろうか、嬉しそうに目を細めた。
「──ありがとう」
フェルナンはそのまま脱衣所に向かったが、流石に宮廷衣装は一人では着られなかったらしい。中途半端な状態で出てきたフェルナンの着替えをエレナは途中から手伝い、衣装を丁寧に整えた。
「なんだか、変な気分だな。僕がこんな服着ていたら、王宮中の噂になりそうだ」
袖やクラヴァットの装飾を見ながら、フェルナンが言う。エレナは派手すぎたかと不安になった。しかし、フェルナンには落ち着いたものの方が似合うだろうと、かなり装飾の控えめなものを選んだのだが。
「い、いえ……あまり派手ではないと思うのですが」
「そういう問題ではないかな」
重要なのは、灰色かどうかだろう。エレナも少し遅れて理解して、思わず苦笑した。
「そう、でございますね」
ちょうどそのとき、部屋の扉が叩かれた。フェルナンが返事をすると、バルドが入ってきた。その手にはフェルナンの鞄がある。
「フェルナン様、お時間でございます」
言ってフェルナンの姿を見たバルドは、一度目を見張って、それからエレナに向かって嬉しそうに笑った。
「エレナ、素晴らしい仕上がりです。フェルナン様、よくお似合いでございます」
「ああ、そうか。行ってくるよ、エレナ」
「行ってらっしゃいませ」
エレナはフェルナンの許しを得て、そのまま部屋でフェルナンを見送った。ここから、フェルナンの夜着を片付け、部屋を整えておくという仕事がある。
「結局、始業と終業の時間は変わらなかったかぁ」
朝起きてすぐにバルドに直談判して、エレナは早朝から夜までの勤務の見返りとして、昼から夕刻までの休憩と、給与以外の特別手当を貰えることになった。
「ま、休憩が長いだけ良しとしますか」
それに、実は特別手当も嬉しい。印刷の技術は発明されたばかりで、まだ本は高価なのだ。エレナの欲しいロマンス小説は挿絵もあり表紙の装飾も凝っているものが多いので、よりお金がかかる。
エレナは改めて気合いを入れて、灰色の夜着を両手に抱えた。
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