第2話 月ノ聲(つきのこえ)

 新型肺炎は、なかなか終息に向かいませんでした。

 少しずつ落ち着いてきたとはいえ、まだワクチンや治療薬も開発中なので、初夏になってもマスクは手放せないままです。

 マスク不足はやっと解消されてきましたが、今度は暑い季節、マスクをすることによる熱中症に注意が必要とのことで、夏用の冷感マスクの販売も始まったようです。


 ミコの街でも自粛がやっと解除されましたが、まだ感染者は出ているし、まだまだ油断のできる状態ではありません。


 世の中の当たり前も随分と変わってしまいました。


 *


 勤め先の雑貨店は、時間短縮で何とか営業を再開することになりました。

 ミコもマスクをしてお店に立っています。


『手洗いやうがいも気を抜かないように、ちゃんとしっかりしなくちゃ』


 持病があるので、かかると重篤になりやすいから気をつけるようにと、主治医からも注意されているのです。


 そうは言っても働かなくては食べていけません。


 *


 毎日が緊張の中で飛ぶように過ぎていく気がします。

 朝起きて、仕事に行って、帰ってきて、合間に食事をして、眠って、また朝がくる。

 その間も新型肺炎への恐れと不安は消えません。


『ああ、わたしは追われるように、どんどん歳をとっていってしまう……』

 最近ミコは、そんなことを意識するようになってきました。

 10代の頃の1年と50代になってからの1年は違います。

『もう、人生の半分以上が過ぎて、後どのくらい残っているかわからないのに。こんな風に制限された日々のまま、時間だけは容赦なく過ぎていく……』


 生活することだけで精一杯の毎日。

 無事に何とか一日を過ごすことで疲れきってしまう。

 こんな日常、数ヶ月前までは思いもしなかったのに。

 ついつい眉間のシワを撫でながら溜息を吐いてしまうミコです。


 *


 その日は休日でした。

 久しぶりにネットサーフィンをしていたミコは偶然、ある詩のサイトを見つけました。


 そっけないほどのシンプルなデザインに「月ノこえ」とサイト名らしき名前があって、その下に三日月の写真が一枚。


 作者の自己紹介も無く、男性なのか女性なのかも、大体の年齢すらハッキリとはわかりません。後はただ、一日一篇の詩が日記のように綴られているだけ。


 それは本当に、呟きのような言葉でした。

 でも作者自身が、そんな自分のたどたどしさを知り、もどかしく感じているのがわかったから……それでも書かずにいられないという想いが伝わってきたから……その言葉はミコの心を揺さぶりとらえたのかもしれません。


 メニューから過去にさかのぼって、ミコは最初から詩を読んでいきました。

 そこには、ありのままの心の動き、喜びが、哀しみが、ありました。

 思わず零れてしまった様な言の葉に、時には共感し頷きながら、時には涙ぐみながら、夢中で半分ほど読み進んだ時、ブックマークをして、ミコはパソコンを閉じました。

 今更ながら、いっぺんに読んでしまうのが、勿体ないと思ったのです。


 更新は毎日されているようだから、また明日も来てみよう。

 ミコが見つけたくらいだから、他にもこのサイトを見ている人は、いることでしょう。

 それでも、メールアドレスもコメント欄も無いことが、ミコを秘密めいた不思議な感覚、まるで自分だけの宝物を見つけたような気持ちにさせました。


 それから、一日一回は必ず「月ノこえ」を覗いて詩を読むことが、ミコの楽しみであり日課になったのでした。


 *


「月ノこえ」のサイト管理人さんは”月”という名前です。

 そのペンネームは、いかにも、あっさりとしたサイトの佇まいに相応ふさわしく思われました。


 それはミコが「月ノこえ」のサイトを知ってから暫くした時のこと。いつもは一日一回だけなのに、その日は二回目が更新されていて……。

 その二回目の更新は真夜中、明け方近い時間でした。


 たまたま次の日が休みだったミコは夜更かしをしていて、寝る前にもう一度だけ、とサイトを覗いた時に気づいたのです。


 心がドクン……とするのがわかりました。

 その詩は、いつもの月さんのものとは少し違っていたからです。

 短い中にも激しく何かに挑むように書かれた言葉は、まるで血を吐くような哀しみに満ちていました。

 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


  『月に吠える』


 冷たく尖った三日月をナイフにして

 心臓に突き立てたなら

 この永遠にも思える苦しみに

 終わりを告げられるのだろうか


 否


 終わりを告げてはならない

 この痛みこそが

 共に過ごした時間のあかしなのだから


 月に向かって吠える

 声を限りに

 あなたへの惜別の想いを

 声を限りに


 忘れはしない

 出逢えて、良かった

 全てをずっと抱きしめて往く


 ……忘れはしない


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 月さんは誰か大切な人を失ったのだ……そう思いました。


 ミコは開いたままのパソコンの画面を見つめながら、何度も何度も、その詩を読みました。


 ネットの画面の向こうの、事情など何も知るよしのない人なのに、ミコはいつの間にか、あの頃の自分を思い出していたのです。


 *


 ──そして、次の日

「月ノこえ」の更新はありませんでした。


 次の日も……

 その次の日も……


 そのまた次の日も……。

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