第221話 サンサンエステート 柿沢メルロW

 ”臨時休業”


 八百屋のシャッターに張られた貼り紙。


 それを眺めていた、隣の肉屋の親父が買い物帰りの篠原美樹を捕まえた。


「おう!ミっちゃん。臨時休業だって?いったい、どうしたんだい?」

「こんにちわ~。お父さん熱出しちゃってね~」

「え・・・?大丈夫なのかい?」


 昨今は熱を出したと聞いただけで、警戒されるのである。


「あはは・・・そうじゃないの~。お父さん、昨日2回目のワクチンを打ったのよ~。案の定、熱出しちゃってね~」


 買い物袋の中身は、氷であった。

 氷枕のためである。

 冷蔵庫で作る氷では足りなくなったのだ。


「なあんだ。そうだったのかい。やっぱり熱でるんだねえ」

「それがね~。お母さんは何ともなかったのよ~」

「おやおや、それはよかったなぁ」

「でも、仕入れができなかったので今日は休むことにしたの~」


 家の中では、美樹の父親が布団でうなっていた。

 39度の熱が昨夜から続いている。

 解熱剤を飲んでいるが、効果はあまりないようである。

 熱以外には、だるさがあるようだ。


「お父さん、氷枕かえるね~」


 母と二人で、父親の看病をして過ごしているのだ。




 父の熱は、夕方には落ち着いた。

 夜には平熱となり、ぐっすりと寝ている。



 美樹は安心して、晩酌をしていた。


 今日飲んでいるのは・・・


 長野県塩尻市 サンサンワイナリー

 サンサンエステート 柿沢メルロ w


 渋みと果実味・・そして樽の香。

 とてもバランスが良い。


 正直、とても美味しい。


 つまみは・・・冷蔵庫にあったチーズ。

 ちょっと、もったいない気もする。


 もっと美味いつまみを用意すればよかった。



 そこへ、母親がやって来た。

「お母さんも飲む~?」


 冗談半分に聞くと、意外にも飲むとの返事。

 グラスを取りに行って、戻って来た。


 ワイングラスではない、ただのガラスのコップ。


 そこに注いだ、濃い紫色の液体を飲む。


「あら・・・美味しいわね」

「でしょ~」

 

 つまみとして、新生姜も持ってきたが・・・正直微妙である。


 しばらくして、グラスを見つめながら母がぽつりと言った。


「美樹・・・うちに戻ってこない?」

「え~?来てるじゃない?」

「そうじゃなくて・・・うちの店・・・将来、手伝ってくれないかしら」

「突然どうしたの?」

 母親は、気まずそうにしながら、ぽつりぽつりと話す。


「今回ね・・・父さんが熱を出して、ちょっと思ったの。私たちも、いい歳だから・・・。父さんが病気にでもなったらどうしようって・・・」


 美樹も、グラスを見つめながら考えた。


 今の職場は、いつ再開するか見通せない。

 再開したとしても、以前のように働けるだろうか。


 もともと、こんなことになる前にオーナーから言われた言葉。


”2号店を作ろうと思うが、店長をやってくれないか・・・”


 美樹は、その言葉に心動かされた。


 今の仕事をして、わかったことがある。

 美樹は、客商売が好きなのだ。



 でも、それが八百屋でダメな理由は・・・あるだろうか?



 グラスに残っていた液体を、ぐいっと飲み母親の眼を見つめて言った。


「やだなぁ・・まだ父さんも母さんも若いじゃない。大丈夫よ~

 将来のことはちゃんと考えるから~」



 今はまだ、結論は出せない。


 でも、真剣に将来を考えなきゃ・・・と思った。 



 

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