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「……無理」
ある日のことだ。
ヨッドは、ふらりと体を揺らし、その身体を倒した。
慌てて付き従っていた騎士がその身体を支えた。
彼らはニガレーダ王国で治癒を必要としている者たちを回復させるために――という目的で旅を続けていた。
それは一つの街、ベベという名の街に向かおうとした道中に起こった事だ。ヨッドの顔色は悪い。
横たわったまま、気持ち悪そうにしているヨッドは尋常ではない様子を見せていた。
「……これは、一度王宮に連れて帰った方が良いかもしれません。カロッルさん、貴方は体調不良などは何もない状況でしょうか」
「そうですね……これだけ顔色が悪いのなら、ヨッドは一度休養したほうが良いかもしれません。私は何処も不調はないです」
カロッルは侍女の一人の問いかけにそう答えた。
カロッルはグレッシオが理不尽な命令をしたり、カロッルの事を罰しないとは思っているが、それでも奴隷という立場でありながらグレッシオの命令を遂行できないのは問題であると考えた。
ヨッドは確かに尋常ではない様子だ。薬の調合に長けているカロッルでも原因が分からず、精神を安定させるような薬などぐらいしか渡すことが出来なかった。
カロッルはヨッドに対する心配ももちろんあるものの、ヨッドの分まで自分がグレッシオに命じられた使命を叶えなければならないとそんな風に思うのである。
そういうわけで、ヨッドは一度王宮に戻り、休養することになる。
「すみません、カロッルさん。……こんな風になってしまうなんて」
「無理はしないでください。貴方もまだ小さいのですから、疲労が出たのでしょう」
ヨッドは申し訳なさそうにしていたが、結局の所、王宮に戻る以外の選択肢を彼は与えられなかった。
騎士や侍女たちにしてもヨッドは貴重な聖魔法の使い手で、使いつぶすつもりは欠片もなかったのだ。ヨッド本人が幾ら此処に残りたいと告げたとしても、彼らは許さなかっただろう。
騎士と侍女用の馬車の一台を使って、ヨッドは戻っていくことになった。残りの一台に騎士、侍女、カロッルと乗って、ベベの街に向かうことになったのだ。
「ヨッドは大丈夫でしょうか」
「驚くほどに顔が青かったですね……」
ヨッドは驚くほどに顔色が悪かった。今にもその命を天に帰らせてしまうのではないかと疑うほどだった。
今日は聖魔法をヨッドはまだ使っていなかった。しかも直前までは体調が良さそうにしていたのだ。
――今日は体調が良いから、頑張るのだと気合を入れていた。なのに、彼は突如として倒れた。
その原因が治癒師で、体調不良の患者を診てきたカロッルにも分からなかった。そして聖魔法の使い手であるヨッド本人も分からないと言っていた。
カロッルはヨッドのことに対する心配と、これから一人で国内を見て回ることに対する不安を抱えている。やはりただの治癒師と、聖魔法の使い手では出来ることと出来ないことが全く違うのだ。
魔法とは、不可能を可能にする奇跡である。その力は強大で、魔法を使わずに患者を治癒する者たちと比べれば雲泥の差である。
カロッルは治癒師として、そのことを自覚している。
――聖魔法であれば治せるものが、カロッルには治せないというのが十分にあり得るのだ。この先でそういう患者が居たら……と不安に思うのも無理はなかった。
しかしずっとそのことだけを考えていても気分が滅入るだけだ。カロッルは不安を隠すように首を振った。そして気分を切り替えるように、別の話題をふる。
「――これから向かうベベという街はどんな街なのでしょうか」
ヨッドが足を踏み入れることが出来なかった街。その街がどんな街であるか、まだ聞いていなかったことを思い出したのだ。
このニガレーダ王国は領地が独立性を持っている。そのため、少しでも場所を移動すれば別の国に迷い込んだのではないかと錯覚することさえある。領主が力を持つこの国、しかも領主は元平民が多いというのだから、カロッルのいたスイゴー王国とはあらゆる点が異なるのも当然である。
ベベで何か気を付けなければいけない点などあるのならば聞いておきたいと振ったカロッルの言葉に侍女と騎士が答える。
「そうですね……、ベベは昔疫病が起きかけた街だと聞いています」
「そうだな。それでもそれに対する死者が全くでなかった。そんな奇跡の街と呼ばれている」
「疫病が起きたではなく、起きかけたですか? それに奇跡の街?」
カロッルは侍女と騎士の言葉に意味が分からないといった様子で首をかしげる。
「はい。疫病は起きたのではなく、起きかけたと聞いてます。疫病の兆しは確かにありましたが、その疫病が疫病としての形を成すことはありませんでした。何故なら、この国には聖女さまがいたから」
「俺はその当時まだ子供だったが、それでも聖女さまのおかげで一つの街の疫病が広まることがなく、誰かが死ぬこともなかったと聞いている。当時は街の空が聖女さまの魔力によって光り輝き、その魔力が街に奇跡を起こしたと言われている」
実際に目にしなければ信じられないような話だが、このニガレーダ王国の人々は聖女さまの起こした奇跡を心から信じているのだとカロッルは思った。
カロッルは、聖女さまのことをニガレーダ王国で知れば知るほど本当に一人でそんなことをこなせる存在がいたのか? といった疑問も湧いてきていた。
そして徐々にカロッルたちを載せた馬車はベベの街へと近づいていく。その間は、ずっとこのべベの街に着いてカロッルは質問していた。
この奇跡の街では、死者もいつも少ないのだという。それは聖女さまの奇跡が続いているからではないかと今でも言われているらしい。
その途中、一瞬だけカロッルも立ち眩みをしてしまった。それに慌てたのは侍女と騎士であったが、結局立ち眩みは一度だけだったので、カロッルたちの馬車はベベの街にそのまま進むことになった。
たどり着いたのは、夕刻になってからである。
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