.34



「よく休めたか?」

「はい」



 カロッルとヨッドがグレッシオの元を訪れた時、グレッシオは自分の執務室で書類と向かい合っている時だった。


 グレッシオの隣にはマドロラが当たり前のように控えている。



 カロッルは椅子に座るグレッシオを見ながら、本当に王太子なのだなとようやく実感した。

 つい先日、グレッシオがこのニガレーダ王国の王太子であることは聞いていたものの、こうして実際に執務をこなしているグレッシオを見ないと王太子だと思えなかったのである。





「――ゆっくり休めたのなら良かった。お前たちを買った理由をちゃんと説明しておこうと思ってな」



 グレッシオはそう告げて、カロッルとヨッドに椅子に腰かけるように言う。マドロラがテキパキと彼らが座る準備を行い、二人を座らせる。




「二人はこの国のことをどれだけ知っている?」

「詳しくないです」

「お、俺も詳しくないです」



 グレッシオの言葉に二人はそう答える。



 その言葉にグレッシオは気分を害することなどない。このニガレーダ王国がどれだけ周りからしてみれば小国であるのかというのをグレッシオは十分に理解している。

 王侯貴族や他国によっぽど興味を持つような人ではなければ、ニガレーダ王国の内情を詳しく知っているわけではないのである。





「この国は聖女さまがいた国だというのは知っているな?」

「はい」

「この国は、聖女さまのおかげで栄えた。だけど、聖女さまのせいでこの国は衰退している」



 グレッシオは語る。聖女さまのおかげでこの国は栄え、聖女さまのせいでこの国は衰退していると。

 そう言って語るグレッシオの目には、聖女さまに対する複雑な感情が浮かんでいる。




「他国でこの国がどういわれているが、俺は正確に把握しているわけではない。ただ、聖女さまがこの国で成した偉業のせいというべきか――、そのせいでこの国に治癒師がいない」



 治癒師がいない、などと語るグレッシオにカロッルとヨッドは驚く。



 治癒師とは聖魔法の使い手だけではなく、薬師なども含めた治癒に纏わる存在の総称である。聖魔法の使い手も少ないとはいえ、国と呼ばれるほどの大きな土地であるのならば、一人も聖魔法の使い手が居ないというのもおかしな話である。


 カロッルとヨッドはそのことを不思議に思う。

 スイゴー王国は、全盛期の頃のニガレーダ王国よりも小さな国である。そのスイゴー王国でさえも、聖魔法の使い手がすくなからずいる。

 

 なのに、全盛期の頃は多くの人種であふれかえっていたこの地で聖魔法の使い手がいないというのは考えられなかった。





「聖魔法の使い手は、聖女さまがいた頃、この国にはいらなかったんだ。俺はその当時生きていなかったから正しく知っているわけでもない。ただ、聖女さまはこの国の全部を覆えるぐらいの聖魔法の使い手だった。幾ら聖魔法を使っても、どれだけこの国のものたちを癒したとしてもそれでも尽きることのない魔力を持ち合わせていた。

 ――聖女さまは無償でそれだけの施しを行った。その結果どうなったかといえば、治癒師は居場所を無くした。治癒師はこの国にはいらなくなった。

 この国の国民もいつしか、聖女さまがいることが当たり前になっていき、聖女さまが無償で施しを行うのが当たり前になっていた」




 聖女さまは、無償ですべてを行った。尽きることない魔力と、聖魔法の才能を誰よりも持っていたからこそ出来た偉業。



 全ての者たちを癒し、誰よりも慈愛に満ちていたと言われていた聖女さま。



 その聖女さまのおかげでこの国は幸福に満ち溢れていた。国民全員が幸せに満ち溢れていたと言われていたけれど、治癒師にとっては聖女さまの存在は決して幸福の象徴ではなかったことだろう。



 誰かに取っては聖女であっても、誰にとっても聖女である存在というのは存在しない。誰もに好かれ、慕われると思える存在でも、実は誰かから疎まれていたりするものだ。




「いつしか治癒師は有償で治癒を行うことでこの国で非難されるようになったのだと聞いている。生活のために金銭を要求するのは当たり前のことだ。だけど、聖女さまが全て無償で、この国中のものたちをたった一人で癒した。

 だからこそ聖女さまが居る国から他の治癒師は消えていった。気づけば、聖女さまが没した時には一人の治癒師さえも此処にはいなかった。もぐりの似非治癒師と呼ばれるような存在ならばいるが、それ以外のまともな治癒師が此処にはいない」




 治癒師は、この国にはいない。まともな治癒師など、驚くべきことにただ一人として存在していない。



「この国は聖女さまが没して国内が荒れた。それはこの国が治癒師を育成することが難しかった。聖魔法の使い手以外の治癒師というのも育てることは出来なかった。治癒師を育成するための手段もない。

 ――だから俺は……いや、この国はお前たちという治癒師を欲していた。そのために奴隷としてカロッルとヨッドを購入したんだ。この国に進んできたがるような治癒師なんていないから」



 この国は荒れている。

 この国には治癒師がいない。

 だからこそ、グレッシオは危険を冒してでもスイゴー王国まで向かったのだ。



 そして手に入れた奴隷が、カロッルとヨッドである。




「カロッルとヨッド、お前たちは奴隷として俺達が買った。だが、俺達はカロッルとヨッドを使いつぶす気はない。この国でその力を思う存分使ってほしいと思っているが、どちらかというと俺は奴隷としてというより、新たな国民としてカロッルとヨッドのことを迎え入れたい。

 だから給与も出す。休暇も与える。ただこの国に治癒師として此処に居てくれればとそんな風に思っている。とはいえ、流石に国に害を加える行為は見逃せないがな」




 グレッシオはそう言って、二人に対して笑いかける。



 グレッシオの言葉に嘘偽りはない。

 彼はただ、この国の国民として二人を受け入れたかった。



 奴隷として買った者と、奴隷として買われた者。

 ――そんな関係であるから、その関係は対等というものでは決してないし、身分差や立場の差というのは当然ある。



 だけれども、奴隷としてではなく、国民として受け入れたいとそう願っている。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る